酒は飲んでも呑まれるな 1
透明人間さんがレィニアスさんで。
レィニアスさんは第3王子で。
第3王子といえばあの夜の出来事で。
あの夜の相手が婚約者で。
婚約者があの天使様だなんて・・・
「こんなの私が望んだ異世界ライフじゃないっ!」
ぐいっと勢いよくグラスを掲げ、甘ったるいお酒を勢いよく喉の奥まで流し込み、これまた同じく勢いよくどんっとテーブルにグラスを置いた。
目の前では、カイルが困った奴だと苦笑しながら頬杖をついている。
隣ではこうやって私が荒れる爆弾発言をしてくれたデュラが、素知らぬ顔をしてマイペースにお酒を飲んでいる。
その手が時折、私に触れそうになるのを横目に睨みながら、私は空いた酒瓶をテーブルの端に寄せた。
その数は既に7本を越えている。
1人で飲んでるわけではないので、まぁ少し早いくらのペースだろう。
「アオ、お前飲み過ぎ」
「ちゃんと考えて飲んでるよ」
アルコールでかなり身体は熱くなってはいるが、意識はしっかりしている。
しっかりしているからこそ、何度も衝撃の事実を考えてしまい、そしてそのたびに、グラスに注がれたお酒に口を付けずにはいられないのだけれど。
お酒と共に用意された食事のお皿を私の方へ差し出しながら、デュラが少し赤くなっているだろう私の顔を覗きこんだ。
「少しは何か口にしないと悪酔いするよ?」
「酔うために飲んでるんだからいいの」
結構な立場を持つ第3騎士団の野性味溢れる整った顔立ちの隊長と、同じくこの国の要である冷たい美貌を持つ祭司長である彼らとこうやってお酒を飲めるという事は、この国の女性達だったらかなり羨ましい立場なはずなのに、自分の心は微塵も浮き足立たない。
王族なんだから、婚約者の1人や2人いて当然だよね。
婚前交渉なんてまあうちの世界じゃ付き合ったらするものだけど、この世界じゃどうなの?
王子様だからって、どこまでありなの? なしなの?
頭の中はそんなどうしようもない程悲しい事で一杯だ。
気を抜くと眉が寄りしかめっ面になりそうになる私の空いたグラスに、デュラが新しく栓を抜いた酒瓶からお酒を注いだ。
桃色の液体が十分にグラスを満たすと、ありがとうと口をつける。
「ん、これちょっと濃いね」
「少し強いのを用意したよ。酔い潰れても私が介抱するからね」
「それは遠慮する。前にお世話になったし、カイルにしてもらう」
「・・・おい、俺はもうやらねぇぞ」
私に拒否されたデュラの目にはあからさまにカイルへの嫉妬が浮かび、横目でカイルを睨んだ。
カイルはというと嫌だと眉を寄せ、テーブルに並べられたお皿の中から一品つまむと、口に放り込んだ。
「それにしても、そんなショック受けるほど、殿下を愛しちゃったわけかよ」
カイルの碧の目が、口元に作られた笑みとは違う意味を持って私を射抜くように見つめる。
その視線の強さの意味を理解しきれないままに、私は熱を持った頭をかしげた。
「・・・わかんない。すっごい好きー! って思ったんだけど、思ってるんだけど・・・」
彼への気持ちの始まりは、あの夢現の出来事からだ。
透明な彼の手がかりは声だけで、その声を持つレィニアスさん自身に確かめていないが、透明人間さんであった頃の記憶を彼は持っていないと思われる。
彼が私を気にしていた出会い方も、気にかけていた理由も、私が異世界の人間で彼の管轄内であったからだ。
私はそれを知らずに、彼を透明人間さんだと思い、彼が自分を気にかけていた理由を、自分の良いように解釈した。
私にとっては大事な夢現の出会いなのに、その記憶のない彼を、このまま思っていていいんだろうか?
それに、何かまだ胸に引っかかるものがある気がするけれど、それが解らない。
そう思った直後、1つの考えが頭に閃いた。
「あのさ・・・」
「ん?」
「こ、後宮とか、やっぱりあったりする?」
そんな事聞きたくなかったし、むしろ考えた事もなかった。
でもまた聞かずに知らないまま、気付けば自分がそんな所に流されるとか絶対に嫌だ。
断固拒否る。
「あー、正妃に子供が出来ない時は仕方なく作るもんだろ。ま、現陛下みたいに正妃に子供がいても作ったりする場合もあるが・・・まあ、基本は無駄な勢力争いの火種になるような事だし、な」
私の気持ちを汲んでくれたのだろう、解りやすいカイルの説明。
そして、今のレィニアスさんの立場を言ってるんだろうと、なんとなく理解した。
「今は3人共まだ正妃は迎えてないし、後宮もないな」
「それぞれ決められた相手はいるけれど」
「だから、お前はなんだってそうアオを虐めるような事言うんだよ」
デュラが口添えした一言に、目を見開いて反応した私を気にしたのか、カイルが手元に置いてあった布巾をデュラに投げつけた。
デュラはそれを難なく受け止め、同じ様にカイルに投げ返す。
この2人がこんな子供っぽい事をするのかと、思わず目を瞬かせた。
「何も知らずに惹かれたのなら、さっさと真実を知るべきだと」
「それも一理あるかもしんねぇが、こいつの気持ちを考えろよ」
「考えてないとでも? 傷ついた彼女はしっかり私が受け止めるよ」
「そりゃお前の気持ちの押し付けだろうが」
「押し付けではなく、願望だね。彼女を私の腕の中で癒すというね」
「もっと悪いじゃねぇか。それに、そんな事だったら相手はお前じゃなくていいだろ」
言葉と共に、ぽんぽんと白い布巾が飛び交う。
その光景に耐えられなくなり、私はとうとう吹き出した。
こいつら、馬鹿だ・・・!
「なんでそこで笑うんだよ」
「だって2人が、可笑し過ぎる」
更に酔いも手伝って、笑い続けた。
デュラはちらっとカイルを一瞥した後、私のグラスにまたお酒を注いだ。
「アオイはお酒に強いね」
「強くないけど、そこまで弱くないだけ」
飲みやすくアルコール度数の高いそれを、まだ大丈夫と思いながら口にする。
「まるで、そのままのあなたのようだ」
すぐ目の前に、嫌な気持ちから逃れる術はあるのに、それに手を伸ばすほど弱くも無く。
けれど、その気持ちを隠し気丈に振舞うほど強くも無い。
「他にどんな顔を隠してるのか知りたくなるよ」
そんな事を言われた事など勿論無い私は、思わず目を丸くしてデュラを見上げた。
そんな事を言われるような事を経験した事もなかったからかもしれない。
ここにくるまでの流され体質で、どちらかというと空っぽだった自分が、ここに来てから少しずつ自分というものを形作り、取り戻しているような感じだ。
それは夢現の中でのあの透明人間さんと出会い、彼をほっとけないと大丈夫だと抱きしめた素直な自分から始まっている気がした。
やっぱり、私の中で透明人間さんが特別なんだよね。
デュラの言葉から、最後には他の人の事を思ってしまい、じっと自分を見つめるデュラの視線に気付いて、慌てて口を開いた。
「デュラは私に夢見すぎだと思うんだよね」
「ならば、あなたという夢はどうやったら覚めるのか教えて欲しい」
「え!?」
跪いて手の甲に口付けるような男の言い回しは、意味がわからんと、素頓狂な声を上げた私の目の端で、カイルがにやにや笑っている。
困ってカイルを見た私に、彼は声を出さずに口だけ動かした。
『頑張れ』
が、頑張れって何を。
カイルの目は、あきらかに状況を面白がっている。
これは、つまり新たな方向から口説かれてる、という事でいいのかな?
「えーっと、デュラは変態なとこ見せなかったら、いい奴だよね。他にもいい人一杯いるよ、うん」
とりあえずかわそう。
それしかない。
曖昧に笑いながら誤魔化す私の前で、デュラは片眉を軽く上げ、一瞬その冷たく感じる細い目を下にずらした。同じ様に細い彼の唇の端が薄く上がった直後。
彼の手が私の口元に伸びてきたかと思うと、お酒に濡れた私の唇を親指で強くなぞった。
驚き身を引いた私の視線の先で、彼はその指を躊躇い無く自分の唇に押し当て妖艶に微笑んだ。
「いい奴になるつもりはないので」
い、色気禁止っ!