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ぎゅっとしがみつくと、やはり花のように甘いレィニアスさんの香に改めて包まれた。
それが私の不安を落ち着かせる。
好きな人の存在って、本当癒しだよね。
先程の恐怖も忘れて、そんな事を思う私の頭を優しく彼の手が撫ぜる。
「・・・アオイは先程の私を見て、情けないと思わなかったのか?」
一瞬、何の事かわからなかった。
そういえば、レィニアスさんが兄上と呼んだ男に、散々馬鹿にされていたはずだ。
それで自分もムカついて、あんな暴挙に走ったことを思い出した。
「そうですね、男だったらガツンと言い返せって普段の私だったら言うかも」
素直にそう伝えたら、彼が息を吐くように笑った。
「やはりそうか」
「あっでも、それはあくまで普通の兄弟だったらって事で。相手がお兄ちゃんなのに、敬語使うって事は、こう理由があるからとか考えてみたり」
「理由、か。この国の者ならば、公に言われなくて大抵の者が知っている。私が、庶子である事を」
庶子。
ぶっちゃけ普通に暮らしてたら、聞く事のない単語に私は目を丸くした。
でもなんとなく意味はわかる。
簡単に言うなら、浮気で出来ちゃった子だ。
「兄とは似ていなかっただろ?」
「うん、レィニアスさんのほうが、100倍格好いいと思った」
また素直に言ったら、やっぱり笑われた。
「そんな事を直接言うような女はアオイが初めてだ。さっきのように私のために声を荒げる者も、あんな目で、真っ直ぐに私を見たのも」
あんな目というのが、たぶん、何度も彼に向けた恋情一杯の目なんだと気付いて、頬が赤くなる。
だって、しょうがないと思う。
恋する乙女の気持ちは止められないのだ。
「でもレィニアスさんくらい格好良かったら、私だけじゃないと思うんだけど・・・」
「この国では元々感情を露にする事は滅多にない。いつも穏やかに過ぎていく。ただ今は器が不安定になる時期だから、兄上のように普段落ち着いている感情が表に出てくる時がある」
全く持って、不思議な国だ。
負の感情は逆に取れば、闘争心とかの礎になるものだと私は思う。
あいつら絶対見返してやるとか、こんな弱い自分に負けないとか、怖いと思うからこそ次は近付かないと学んだり、負の感情も時として心の栄養剤だ。
腐らせる時だって勿論あるから、全てが良いとは言えないけれど。
そんな自分達の感情の一部を、封じ込める便利な器に頼り切った国を、平和でいいじゃんとか思っていた私は、改めてこの国の在り方に疑問を感じた。
ややこしい世界だよね、本当。
「だが、この時期でも、私をあんな目で見た人間などいない。いつも、穏やかに、どこかで庶子である私の存在を拒否している目ばかりだ」
なるほど、新鮮だったのか。
彼の今までの態度に納得しながら、改めてそんな目で彼を見ていた自分が恥ずかしくなった。
今は絶対顔見られたくないなぁと思う私の希望は届かず、レィニアスさんの手が私の両頬を包む込んだかと思うと、そっと顔を上向かせた。
切なげな光を宿した菫色の瞳が、私を覗き込む。
「お前の目を見たくないと思うのに、見たいと思う。願ってはいけないと思っていたものが、現れた事に私はどうしていいのか、わからない」
「・・・願いって?」
レィニアスさんの瞳が、甘く揺らいだ。
次いで目尻の辺りに、すっと赤味がさす。
何度か見ているはずなのに、その度に私の心をときめかせるその表情に、胸が高鳴った。
私の中で透明人間さんの願いと、彼の願いが重なる。
記憶がないとしても、やっぱりこの人はそうだよね?
「・・・言わせるな」
照れ隠しのような、少し怒ったような表情のレィニアスさん。
その端正な顔が傾いたかと思うと、私の唇に柔らかな温もりが押し付けられた。
やはり、甘い花の香がすると思いながら、私は目を閉じる。
確かめたいのに、どう訊いていいかわからずじまいの疑問が浮かぶ。
透明人間さんだよね?
浮かんだ疑問を掻き消すように、優しく啄ばむ様に触れていた唇が、急に堰を切ったように強く私の唇を押し割り、中に入り込んできた。
「んっ・・・!」
その熱に、私の中にあった疑問が押し流される。
薄く目を開けると、同じ様に目を開けたレィニアスさんの甘やかな熱に浮かされた菫色の瞳と視線がぶつかった。
唇を合わせたまま、彼が微笑むように目を細めたかと思うと、顎をぐっと掴まれもう一方の手が私の後頭部を支えた。
より深く交わる口中に、私の意識が蕩けだす。
流れた疑問と同じように、何か大事な事を忘れているような気がしたけれど、それもレィニアスさんから与えられる激しい熱の前に消えていった。
指先から、何か大事なものが零れ落ちたような気がして、私は必死に彼の背に回していた腕に力を込めた。
「・・・幸せそうだね」
えへへ、わかる~?
「全くこっちは、アオイが襲われたっつぅから、あれから大忙しだったっていうのに、何だその締りのない顔は」
ぶにっと私の頬がひねり上げられた。
それでもにやにや笑いを消さない私の、もう一方の頬を、別の手がとらえた。
いや、流石に両頬つねり上げられるのは、痛さ以前に女がする顔として良くないと思うんだ。
慌てて、彼らの傍から飛びのいた。
「反省したっ! カイル、デュラ。久々だね!」
「おう。お前は元気そうで何よりだな」
「私も白莉殿から出るに出られず、あの日からあなたの事を心配していたのだよ?」
あの日というのは、勿論、私がデュラを殴りまくった日だ。
怒っているかなぁと思ったけれど、変な力のこともあったし、この国でその事に関してわかる人といったら、同じ力を持つデュラだけなので、私は今白莉殿に来ている。
デュラを待つために通された部屋で、ぼーっと昨日の出来事を思い出していた所を、デュラと共にカイルもやってきたというわけだ。
「うん、あの日はごめんね。ってか、デュラがあんな事しなかったら私も飛び出さなかったんだけど」
「あんな事って?」
「アオイと私の秘密だよ」
ふふっとデュラが怪しく微笑む。
いやいや、止めてよね、その私達の間には何かありますっていう含んだ言い方。
何もないからっ!
「何だよ、気になるじゃねぇか」
「何もないわよ。思い出したくないし、元はといえばカイルのせいでもあるんだから、この事は一切聞くのも話すのも厳禁」
「アオイは相変わらず、つれないね」
つれてたまるか。
今の私にはレィニアスさんの存在がある。
私は彼と幸せになるのだ。ふふん。
「それで、どうしてここに来たんだい?」
「そのことなんだけど、私前ここに来てから、変なの見えるようになっちゃって」
そして、私は先日の逃亡事件のことも含めて、私の身に起こっている事を話した。
その時に出会ったレィニアスさんの事を話したときに、私の頬が少しだけ赤く染まったのを、ずっと私を見つめているデュラが見逃すわけがなかった。
「・・・レィニアス」
ぼそりとデュラが呟いた彼の名前に思い切り動揺してしまい、むっとデュラを見る。
彼の方は彼の方で、私の反応に眉を眇めていた。
「何よ?」
「そういやアオは殿下のお気に入りになったんだったな」
「・・・へ?」
きょとんとした私の顔を、カイルも同じ様にきょとんとして見返した。
「へ、じゃねぇだろ。殿下だよ、殿下。この国の第3王子、レィニアス殿下」
「第3って・・・」
「ん? お前忘れたのか? お前がこの世界に来た時、あの殿下の寝室だったろ」
その驚愕の事実に、私はこれでもかと目を見開いた。
うええええっ、そうだっけ!?