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彼の欠片 1

「・・・ここ何処」


 情けない声で呟いた。

 そう、いわゆる私は、迷子というやつだ。







 時をさかのぼる事1時間前。

 私はあの変態の魔手に閉じ込められていた。


「・・・あのあっち向いて」

「お気になさらず」

「・・・・・・」


 膝下までの靴下を脱ぎ捨てるのを、唇の端を持ち上げ満足そうに見つめる目があれば、誰だって気になると思うんだよね。

 しかも、それが見た目は冷酷な雰囲気を持つ、整った顔立ちの男であるなら尚更。

 これがあの年下の少年、ユーグだったなら、私も見たければもっと近くで見ていいんだよ?と軽口の一つでも叩いて、何も気にせずに終わらせる事が出来るのに。

 ソファの肘掛に腕を置き、その手で軽く顎を支えながら、こちらを見る視線。

 その視線の艶めいた事。


 ・・・危険だ。

 危険過ぎる。

 

「・・・デュラ」


 もう一度非難めいた声で彼を呼んでみたけれど、彼は視線を細めて早く履いてみせろと促す。

 彼の仕事の話しの後、愛称で呼んで欲しいのと敬語は無しという彼の言葉に、デュラがそれでいいのならと普通に会話をしている。

 元々敬語って苦手だったから、それは多いに助かるんだけど。

 私は、はあっと溜息をつくと、諦めてテーブルの上に置かれた長い靴下を手に取った。

 履きやすいようにくるくると折り、足先を入れる。

 その直後。


「やはり私が」


 え、と思った時には遅かった。

 急に引き寄せられた私は、デュラの腕の力で軽々と体勢を崩し、その腕の中に転がり込んでいた。

 いきなりの視界の反転にわけがわからず彼を見上げると、彼はその瞳に先ほどよりもずっと楽しげな光を宿している。


「・・・えと、何かな?」

「いいから」


 そう言って、デュラは私を更に抱き寄せ体勢を整える。

 気付けば私は彼の足の間に座り、靴下を引っ掛けた足先には彼の手がかかっていた。

 私の背中を彼の体が包みこみ、彼の体温を伝えた。

 左肩には彼の顎がのせられ、その呼吸が私の喉元へ流れ落ちる。

 ぐっと靴下が引き上げられ、かかとを覆った所で私はようやく流されてる自分を急き止めた。


「ちょっ自分で出来るからっおかしいこれ!絶対!」


 慌てて立ち上がろうとした私を、彼の両腕がそれよりも更に早く動いて、背後から抱きすくめた。


「いい子だから」


 いい子じゃないからーっ!!

 

 そう叫びたいのに、逆流して沸騰した血が喉元を締め付けるように熱くしていて、声が出ない。

 体に回った腕の先にある手の平が包んだ私の肩を、子供を落ち着かせるようにぽんぽんと彼が叩く。

 焦り動揺する私の心も体も落ち着かせるように、ぽんぽんと。

 動けないよう上半身に回された腕には強い力がこめられているのに、その手だけはやけに優しい。


 いやいや、おかしいってば。

 そんな事されたって全然落ち着かないんだからっ!


「それを履かせてあげたいだけだから、ね?」


 大人しくしていなさいと。

 低い声で優しく諭される。


 いやいやいやいや、だからそれが可笑しいんだってば。


 彼に実年齢を言ってはいないけれど、童顔に見えるってだけで、明らかに靴下も履けないような子供じゃないのはデュラだって解っているはず。

 この日本人特有の童顔がいくら幼く見えたって、くっ靴下を履かせる行為って考えられない!


 ああ、カイル。

 デュラは馬鹿な奴じゃないって言ったけど、こいつは相当の馬鹿だよ。

 いや、真の変態だよ。

 ねえ、カイル。

 ・・・今度会ったら、覚えてろ。


 カイルへの罵詈雑言で思考がいっぱいになった私を、落ち着いたのと勘違いしたデュラが腕の力を抜いた。そこですぐ立ち上がって同じように抱き締められては叶わないと、私はもう諦めた。


 靴下を履かせてもらうだけ。

 ただそれだけ。

 私は今自分で靴下も履けない子供、子供子供。


 そう何度も頭の中で繰り返し、彼の指先が靴下を掴むのを見つめる。

 ふくらはぎを覆い、膝を乗り越えて、大腿まで上がると布が終わり彼が手を離した。

 奇妙な緊張がようやく終わったとほっと息を吐いた。

 と、思ったらもう片方の足も同じように捕らえられる。


 何故足は二本あるんだっ


 なんて馬鹿な事を考えてしまった私は悪くないはず。

 もう片方もデュラは同じように靴下を大腿まで引き上げた。

 今度こそようやく終わったと安堵する私の視線の先で、彼の神経質そうな指が靴下のゴム口部分に潜り込み、私は思わず息を呑んだ。

 その手が悪戯に、太ももと靴下のゴムのラインをなぞる。


「ひゃっ!・・・なななっ何!?」

「触れたかったので」


 いつかの既視感のよう。

 こっこいつはまたわけのわからない理由でそんな事を!


「駄目だからっ!!!」


 直球の彼の要望を跳ね除けて、場外へと吹き飛ばした。

 自由になった腕で思い切り彼の脇腹をどつくと、油断していた彼の鳩尾に入ったらしく、彼が痛みに呻く。

 その隙に彼の腕の中から抜け出し、慌てて靴下を拾い集めて、私は部屋を飛び出した。








 そして、今にいたる。


 とにかく逃げなければと思ったせいで、来た道がどっちだったかとか一切わからず、感覚で出口を見つけて外へ飛び出したのがいけなかった様だ。

 幾分落ち着いて、今の時間ならまだユーグがそのへんで掃除しているかもと、合流しようとさ迷ったうえに、離宮に近づくと、デュラに見つかるかもと距離を取っていたのもまずかったのかもしれない。

 途方にくれながらも、歩かないわけには行かず、私は疲れた足を叱咤しながら歩を進めた。


 もう見つかってもいいから、遠くに見える宮殿に近づこう。


 そう意を決して、方向を決め歩き出して数分。

 いつか見たような花畑が私の視界に広がった。


「綺麗っ・・・!」


 私は今の状況も忘れて、感嘆の声をあげた。

 優しく吹き過ぎる風が、ふわりと花の香りを運んでくる。

 そして、私を包んだ彼の温もりを思い出した。


 ああ、そうだ。

 怖い。

 そう言って彼、夢の中の透明人間さんは泣いたのだ。


 かなり薄らいだ記憶の糸を手繰り寄せる。

 あの現実ともわからない夢の世界と同じように花咲き乱れるこの場所を見て、私の曖昧だった記憶が少しだけ色を取り戻す。


 彼は消えるのが怖いと言った。

 透明人間なんだから、もう消えてるんじゃ・・・なんて思った私だけど、震える声にそんな軽口を言えるはずもなく、柄にもなく彼を抱きしめて大丈夫だと囁いた。


 大丈夫、大丈夫だよ。


 そう繰り返す私の体を、彼の温もりが包んだのはその時だ。

 温かな空気の層を包み包まれて、何かを約束した気がする。


「・・・何だっけ」


 あの時見た地の果てまで続くかのような花畑と違い、今目の前に広がるのは、人の手によって造り上げられた花の庭園。

 その隅に置かれたベンチに私は腰を下ろし、また夢の事を考えた。

 同じような状況に身をおくと、忘れていた事を思い出す事があるというけれど、今の私はそんな感じだった。


 目を閉じると、あの時と同じように優しく吹き抜ける風が花の香りで私の鼻腔を擽る。

 座っているのは石の階段だと頭の中で置き換える。

 隣には透明人間の彼がいるかのように、温かな木漏れ日が私に降り注いでいた。


 怖い。

 そう呟く彼に、私は何かを約束した。

 それがわからなくて、胸の奥が痛い。


 以前のように、夢の中の出来事として終わらせるには、今鮮やかに彼とのやりとりが私の胸の中に溢れていた。


 でも、まだいろんな欠片が足りない。


 足りない欠片がもどかしくて、私はいつまでもその場から動き出す事が出来なかった。

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