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「ようやく会えたと思えば・・・」
言いながら、細い目を更に細めて彼は私の前に立つユーグに視線を向けた。
彼のただでさえ冷たく感じる視線が更に底冷えを放って、周囲の温度を二度は下げた。
そんな視線を正面から、そのうえ身長差で見下すように向けられたユーグは、鋭い刃物を突きつけられているかのように、体が固まって動けなくなっているようだ。
私だったらこんな視線を向けられれば顔面蒼白で、わけもわからず謝っちゃうと思う。
だからこそ、ここは年上のお姉さんとして、彼をその殺戮視線から助けなければっ。
彼の意識を私へ向けるべく、私は口を開いた。
「お久しぶりです」
変態さん。
じゃなくて名前・・・何だっけ?
困った、変態さんしか出てこない。
なんせ彼とは五日前に一度会っただけで、変態とはっきりついたイメージが強力過ぎて、そればかりが何度も頭の中を往復する。
名前が全く思い出せず、私は正直うろたえた。
えーっと、確か・・・
「デュゥ・・・」
この後っ、この後何だっけ!!
早く思い出さないと、只でさえ氷柱のように冷たい視線が、どうなるかわかったものじゃない。
余裕の笑みを保っているけれど、内心は冷や汗だらだらだ。
しかし、私の焦る視界の先で、まさかのその氷柱は見る間に融解して、綻んだ。
え。なにごと?
急なその変化に驚いてぽかんとする私の髪を、彼はそっと一房持ち上げる。
「もう愛称で呼んで頂けるとは」
言って、彼は身を屈めて、私の髪にそっとその唇を押し当てた。
髪へと落ちていた視線がその姿勢のままに上がり、私へと注がれる。
その瞳の中に見つけた甘やかな熱の揺らめきに、私の首元もぞくりと揺れた。
「ちっ違う、違います!」
首元から頬へと急激に熱が集るのを感じて、少し高い声で否定する。
彼の手の上にある私の髪が、その細く長い指で絡め取られ、軽く引き寄せられた。
その微妙な力加減で私と彼の視線の距離が縮まる。
ままま、まずいっ何かこの人本当にやばいっ
思い出せっ思い出すんだっ・・・そうだ!
「デュラルースさんっ!」
「はい」
これだっと名前を叫んだら、彼が口角を上げて優しく返事をした。
・・・えっと?
困惑しながらもう一度彼の名前を呼ぶ。
「デュラルースさん」
「はい」
いやそうじゃなくて。
そんな微笑ましい返事が欲しいわけじゃなくて。
いやでも、彼の興味がユーグから私へ移ったという事は、ユーグを助けられたという事で結果オーライなのだろうか?
じっと私を見つめるその視線を真っ向から受け止めて、10秒。
・・・こんな見詰め合ってる場合じゃないってば。
私はようやく意識を取り戻し、赤くなった頬を誤魔化すように、ごほんと咳払いを一つ。
「デュラルースさん、私に何か用事でもありました?」
「以前、カイルに履物の事で欲しい物があると言っていたでしょう。それが出来たので届けに、ね」
そう言って、彼は小脇に抱えていた紙袋を、私の前に掲げて見せた。
一瞬何の事だろうとその袋を見つめた後、はっと思い出す。
履物といえば、そうだ、ニーハイソックスだ。確かにちょっと前お願いしてた。
わあ、もう出来たんだと私はその包みを受け取ろうと手を伸ばした。
「ありがとうございます」
その紙袋に手が触れる直前、それはまた彼の小脇へと抱え直した。
何故?とそれを見つめる私に、デュラルースさんは、さも当然とばかりに口を開く。
「大きさや長さがこれでいいか、調子を聞くよう頼まれてね。これから一緒に来て頂いても?」
ああ、なるほど。
靴下にも微妙にサイズってあるものね。
私は頷きかけ、視界の端に写ったユーグの服の裾を見て、今が仕事中なのだと思い出した。
「すみません、今はまだ仕事中なので、それをお借りして明日にでも感想言っていいですか?カイルなら大抵騎士の館に行けば誰かしらに言伝も出来ると思うので」
妥当案を提供した私に、デュラルースさんはやんわりと首を振る。
「駄目。今すぐ行きましょう」
「え、無理です。今言いましたように、私仕事中ですから」
「・・・そこのお前、今日の仕事は彼女が絶対いなくてはいけないのかい?」
断り続ける私に業を煮やしたらしく、デュラルースさんはいきなりユーグに問いかけた。
ただ成り行きを見守っていたユーグだったが、突然話しかけられて慌てて首を振る。
「いえ、そのような事はありませんっ・・・デュラルース祭司長」
「おや私が誰だか解っていたのか」
「・・・お名前を聞くまでは、自信がありませんでした」
「ではこの時期、私の言葉が王の言葉と並ぶ権利がある事もわかっているという事だね?」
「はい。今日の仕事は私が、全て一人で引き受けます」
そう緊張した声で会話を終えたユーグは、深く頭を下げて一礼した後、足元に落ちていた二人分の箒と塵取りを手に取る。
完全に蚊帳の外だった私は、いきなりの話しの流れについていけず、ぱちぱちと瞬きをしてユーグの動きを見つめた。
ユーグ、と名前を呼ぼうとした時、顔を上げた彼と目があった。
けれど、その視線はすぐに伏せられ、私は何も言えず彼がまた頭を下げてから、歩き出すのを見守るしか出来なかった。
一体、何がどうして・・・?
さいしちょーって?おうのことばとならぶって?
疑問を一杯浮かべた目でデュラルースさんを振り返ると、彼は悪戯が見つかった子供のように笑って首をかしげて見せた。
肩でゆるく結んだ彼の髪がするすると流れ落ちるのを視界に入れながら、私はむっと眉を寄せた。
「・・・ちゃんと説明して下さい」
「それで、何から話そうか?それとも先にこれを履くかい」
言いながら、デュラルースさんはテービルの上に先ほどの包みを置いた。
今、私たちは離宮の中にある彼の私室へとやってきている。
ふかふかのソファに座り、正面に同じようにソファがあるにも関わらず、当たり前のように隣に座った彼から、私は出来る限り距離を取って座り直す。
先ほどの事で少なからず気持ちがささくれ立っている私は、彼の方を見る気になれない。
テーブルに置かれたカップを手に持ち、それを一口飲み下した。
「・・・デュラルースさんは一体何者なんですか」
「別にそんなに偉くもないのだけれどね」
彼は私の態度におどけるように肩をすくめて見せた後、苦笑を浮かべて話しだした。
自分が三年に一度開かれる祭事を取り仕切る司祭長だという事。
この国の最も重要なイベントのため、その祭事が無事終わるまでの期間は、円滑に物事を進めるために王と並ぶ権限が与えられるという事。
簡単に言うと、普段は王の許可がないと動かせない騎士団を彼が今急遽呼び出す事が出来るのだという。それって国の守りが疎かになるんじゃないのって知識があまりない私でも思ったけれど、その祭事がないと国が逆に駄目なんだって。何だそれ。
祭事イコールお祭りって捉えてたんだけど、違ったみたい。
どんな内容なの?って聞いたら、彼は珍しくその冷たく感じる表情のまま、どこか遠くを見つめて自嘲気味に言った。
「嫌な祭りだよ」
これ以上聞かれたくないっていうオーラが出てるので、聞かない事にした。
日常生活にばかり気をとられて、そういえば最初の時に言われてた三年に一度の祭事の事すっかり忘れてた程だし、今更気にするのも可笑しな話だって思えたから。
面倒な事はスルーするのが一番だよね!
気になったら、国を挙げての祭事っていう程だし、誰かしら聞けばすむ。
それにしても、デュラルースさんが祭司長っていう立派な職を持っていたなんて、祭事の内容如何よりもそっちの方が重要だ。
だってこの人・・・
「ところで、これはいつ履くんだい?」
言いながら、嬉しそうにニーハイソックスを手に取る彼に私は目を細めた。
先ほど、私を連れ出す事に偉そうにした時点でその事に気付くべきだった。
やっぱり彼は、変態、でしかない。