神の贔屓
とある男がいた。彼は不幸だった。いや、不幸すぎた。これまでの彼の人生を語れば、誰もが涙ぐみながら口元を覆うだろう。そして、そこから漏れる言葉は、「悲惨すぎる……」
それでも彼は何とか生きてきた。しかし、ついに精神の限界が訪れた。暗い部屋で一人、彼はうなだれて嘆いた。そばには首吊り用のロープ。
「どうしてだ……なぜ、おればかりがこんな目に遭うんだ……神はいない……」
「いるぞ」
「えっ」
彼は驚きのあまり、呆然とした。突然、目の前に眩い光を放つ老人が現れたのだ。
「え、あの、まさか……」
「そうだ、私は神だ。お前が疑った“その”神だ」
「あ、あ、すみません! その、あなた様の存在を疑ったりして……」
「許そう」
「あ、ありがとうございます……さすが神様、度量が広い……。それで、どうしておれの前に現れたのですか?」
「お前が今にも命を絶とうとしていたからだ」
「さ、さすが、すべてお見通しなんですね……」
「そうだ。それはよくないことだぞ」
「すみません……でも、明らかにおればかり不幸が続くんです。だから、つい……。あ、もちろん、戦争で苦しむ子供たちや、虐待されて亡くなる子供たちと比べれば、まだマシなのかもしれませんが……」
「自分より不幸な者と比べたところで、お前が不幸であることには変わりないだろう。嘆くのも無理はない」
「あ、ありがとうございます……慰めの言葉をくださって……」
「うむ。それに、お前も子供の頃に両親から虐待されていたしな」
「……はい」
「小学校ではいじめられたし」
「はい……」
「中学校でもいじめられた」
「はい……」
「高校でもまさかのいじめ」
「はい……」
「ふふっ」
「ん?」
「学費の問題で高校を中退して、苦労して就職したのに、上司から壮絶なパワハラを受けたな」
「はい……」
「財布を落としたり、柄の悪い者に絡まれたり、痴漢と間違われたり、毎日のように災難続きだな」
「はい……あの、どうしておれだけこんなに不幸なんでしょうか……? 偶然ですか? それとも、やっぱりおれがダメだからでしょうか……? おれは顔も、頭も悪いし、運動神経もないし……奇跡的に結婚はできましたが、それも……」
「自分を責めることはないぞ」
「神様……」
「お前が不幸なのはな、贔屓だよ」
「はい……え? 贔屓?」
「そう、私がお前を贔屓していたのだ」
「……ん?」
「私が、お前を特別不幸にして――」
「え、ちょ、ちょっと」
「なんだ、神の話を遮るとは、なかなか不敬だな」
「いや、え? 神様がおれを不幸にしていたんですか?」
「そうだ」
「なんで!?」
「成長のためだよ。試練を与え、お前に強くなってほしかったのだ」
「は!? え、全部、わざと!?」
「そうだ。おかげで強くなっただろう」
「いや、ボロボロですよ! 心の傷は治らないんですよ!」
「なんだ、不満そうだな。あれだけ試練を与えてやったのに」
「試練って、あんたのやっていることは、子供がヒーロー人形を床にたたきつけながら『こうやって鍛えてるんだ!』って言っているようなもんですよ!」
「ああ、お前の子供もそうやってたな。まあ、死んだけどな」
「ええ、そうですよ! 事故で、いや、あんたの仕業か!」
「そうだ。それから、結婚したとき、お前は『おれみたいな人間がよく結婚できたなあ』と思っただろう?」
「え、ああ、はい。そう思いましたよ。顔も収入も悪いし……」
「お前を結婚させたのは、子供を失う苦しみを味わわせるためだ」
「クソが!」
「妻が死んだのも同じ理由だ」
「だあああ!」
「ちなみにこの先、お前を愛する人は現れない」
「ちくしょおおお!」
「あと、妻は浮気していた」
「あああああぁぁぁ……いや、それは逆に良かったか? あ、もしかして、子供はおれと血が繋がっていなかったりして……」
「いや、子供はお前の実の子だ」
「だああああああぁぁぁぁぁ!」
「だが、ここで一つ良い知らせがある。お前にプレゼントをやろう」
「プ、プレゼント……?」
「そうだ。どんなものかは死後のお楽しみだ。ただし、自殺は絶対ダメだぞ」
神はそう言い残し、彼の前から姿を消した。
その後も、彼の人生には次々と不幸が襲いかかった。それでも彼は神を恨み、憎みつつ、どうにか天寿を全うした。つらくても耐えることができたのは、死後のプレゼントを心の支えにしていたからだ。
何かは想像がついていた。そして、彼の望みでもあった。
それは天国での安らぎ。子供と妻に再会し、三人で仲良く暮らすこと。彼は妻の浮気のことなど、もう気にしていない。確かに、試練を乗り越えたことで彼の人間性は大きく成長を遂げていたのだ。
「……くそおぉぉぉぉ!」
だが死後、彼がたどり着いたのは地獄だった。
神のプレゼントとは『希望』だったのだ。