第五章〈カレドニア・コートヤード〉
「へええ........。似てないわね」
怪訝そうな表情で俺の母親の写真を見たストレンジャーさんは、そう呟いた。
何故ストレンジャーさんが俺の母の写真を見ているのか。その理由は簡単だ。今書いている短編のため、カレドニアの風景の写真が欲しいと言い出したストレンジャーさんのために、俺は実家の母に頼んで故郷の風景が写った写真を送ってもらったのだ。そしてその中のいくつかには母自身が写っているものもあったというわけで。
「.....まあいいわ。写真、持って来てくれてありがとう」
ストレンジャーさんは手に持っていた写真を俺に返すと。
「ところでリヴェット君。今日の午後、予定無いわよね? リベンジに行くわよ」
などと言い出した。
「......リベンジ?」
「そう。ギルターブ通りにね」
「またですか⁈」
俺は、思わず叫び声をあげた。
「前の訪問からまだ一週間しか経っていませんよ?」
「別に、そんなこと関係ないでしょ」
まあ、そうかもしれないが。あんな暗黒街なんて俺達みたいな一般人がそう頻繁に行くような場所ではないだろう。
「........とにかく、どうしても私は行かなくちゃならないの。貴方が嫌なら、一人でも行くから」
彼女は俯いて言った。
「またそれですか」
俺は深くため息をついた。
「分かりましたよ。俺も行きましょう」
「ありがとう.......!」
この返事に機嫌を良くしたストレンジャーさんだったが、同時に俺に対して流石に悪いとでも思ったのか、紅茶の準備を始めた俺に「何か手伝うことない?」などと言い出した。
俺は驚きのあまり手に持っていたティーポットを床に落としかけた。
ふと、玄関の辺りでなにやら物音がした。
「ちょっと! 気をつけてよ⁈ 割ったりしたら承知しないわよ!」
などと怒鳴るストレンジャーさんをなだめつつ。
「すみません。あの、誰か来たみたいですよ。ちょっと行ってみます」
そう言って俺は、玄関に向かった。すると、古い木製扉の向こうから。
「誰もいらっしゃら無いみたいですね」
という若い男性の声が聞こえてきた。
「いやいや、そんな手荒なことはできませんって」
またも同じ声だ。誰かと話しているようだが、その相手の声は聞こえない。少し怪しいが、放っとくわけにもいかないので、そっと扉を開けた。
そこには、橄欖色のコートを着た茶髪の青年と、黒髪黒スーツの少女が立っていた。青年は二十代前半、少女の方は十代後半ぐらいに見える。
「あ、どうも。すみません。我々はカルラド警視庁の者です」
そう言うと青年は手帳を出して俺に見せた。カルラド警視庁『CCY』の証である。
「ええと、警察の方ですか。一体どのようなご用で....?」
俺は若干どもりながら尋ねた。
「実は、小説家のシャルロット・ストレンジャーさんにお話があって来たのですが。今ご在宅でいらっしゃいますか?」
青年が答える。
「え、まあ」
「上がっても大丈夫ですか?」
青年はにこりと笑って言った。
「あ、はい。どうぞ」
若干相手のペースに呑まれながらも、俺はとりあえず二人をストレンジャーさんのところに連れて行った。
「ストレンジャーさん。お客様ですよ」
「は⁈ ちょっと、勝手に家の中に入れるんじゃないわよ!」
そう怒鳴りながら、彼女は手に持っていたティーカップを置いて顔を上げた。そして、俺の後ろに立っている二人を見るや否や顔をしかめると。
「なんだ、『中庭の番犬』ね」
「ストレンジャーさん⁈」
本人達を目の前にしながら堂々と、CCYへの蔑称を吐いた。
「......えっと、お知り合いですか」
「前にも一度だけ、伺わせていただきまして」
茶髪の青年が答えた。
「......前にも...?」
疑問に思いながらも、俺はとりあえず二人をストレンジャーさんの向かいの席に座らせた。
「申し遅れました。私、カルラド警視庁にて刑事をしております。デイヴィッド・コーナーと申します」
そう笑顔で挨拶をした茶髪の青年。もといコーナー刑事は、自分の隣に座る黒髪の少女を指して言った。
「そして彼女は私の上司。アドリアナ・ジェンキンス警部です」
「上司........? なんですか....⁉︎ 随分とお若いですね.....」
「皆さんそう仰います」
そう言って、コーナー刑事は笑った。
「でも、実は彼女、私と同い年なので。実はこう見えて三十路....」
と、そこまで言ったコーナー刑事は急にぴたりと口を継ぐんだ。彼の隣を見ると、『三十路だが少女のような風貌をしている』ジェンキンス警部が、鬼のような形相でコーナー刑事を睨みつけていた。
彼女には何かストレンジャーさんと近いものを感じる。
「それで、何の用?」
ここまで始終無関心な顔で見ていたストレンジャーさんが唐突に口を開いた。
「要件は、前回と同じです」
一瞬俺を見てから、ストレンジャーさんの方に向き直すと、コーナー刑事は言った。
「指名手配犯『カルヴァリー・グリムロード』の独自調査を辞めてください」
瞬間、顔を赤くしたストレンジャーさんは目を見開くと、チラッと俺を見た。それから明らかに不機嫌な顔になり、青年を睨みつつ小声で言った。
「.......なんのこと?」
「とぼけても無駄です。先日もグリムロードの居場所を突き止めるために、ギルターブ通りを訪れたという事を私達は知っているのですよ」
それを聞いたストレンジャーさんは「シッ」と呟くと、顔を顰めた。
「....いいじゃない私の勝手でしょ」
それに対してコーナー刑事は何か言いかけたが。
「ちょ、ちょっと待ってください。なんですその調査ってのは? ギルターブ通り行ったのって、そういう理由だったんですか?」
彼がそれを口にする前に、俺は問いかけた。
カルヴァリー・グリムロード。それは、今カルラドで起こっている連続殺人事件の容疑者である。亡霊のように突然消息を絶ったことと、名門ブースロード大学の研究者であったことから『亡霊博士』などと呼ばれている。
「..........」
ストレンジャーさんは俺から顔を逸らした。
「なるほど。どうやら彼には話していなかったようですね」
コーナー刑事が呟く。
「いいですか。二年前にも忠告したはずです。一般人に私情で殺人犯を追われると、こちらの捜査の邪魔になります。それに何よりあなた自身にも大きな危険が伴い....」
「.....放っといてよ」
「そういうわけにはいきません。良いですか、これはあなただけの問題ではないのです....」
そこまで言ったコーナー刑事は、突然口を閉じた。見ると、彼の隣に座るジェンキンス警部が、彼をじっと見つめていた。
「何ですか?話したいことがあるなら、私が代わりに....」
彼の申し出に対しジェンキンス警部は首を横に振った。
それから、ポケットからメモ帳と万年筆を取り出すと、目にも留まらぬ速さで何かを書き始めた。
呆然とそれを眺める俺に気がついたのか、コーナー刑事が説明を始める。
「すみません。実は彼女、事情がありましてね。声を発することができないのです」
「声が出ない?」
「ええ。なので普段は私が彼女の言いたい事を代弁しているのですが...」
そうこうしているうちに書き終わったらしい。彼女はメモをストレンジャーさんに手渡した。
そっと覗き込むと、そこには真っ黒いインクで。
{あなたがグリムロードに固執するのには、あなたのご両親が関わっているのではありませんか。}
と、書かれていた。
無言でストレンジャーさんの顔を見ると、彼女は今までに見たことが無い表情でメモ上の黒文字を見つめていた。
ぱらり、ともう一枚のメモが俺たちの前に置かれた。
{記録上、カルヴァリー・グリムロードによる殺人の最初の被害者は、ブースロード大学のアモンド・ランドレーク教授とされています。}
さらにもう一枚、メモが置かれる。
{ですが、その犯行の八年前。ブースロードシャー郊外にて何者かに殺害された夫婦がいました。}
さらにもう一枚。
{事件の被害者はパーシー・ストレンジャーとその妻クリスティアナ・ストレンジャー。あなたのご両親ですね。}
もう一枚。
{あなたは、グリムロードを親の仇として追っているのではありませんか。}
もう一...。
突然、ストレンジャーさんは無言でテーブルを叩いた。
「......前にも言ったでしょ。私は小説のネタとして、グリムロードに興味を持っているだけ」
声を震わせながら彼女は言う。
{その小説ですが}
また一枚のメモが置かれた。
{あなたの代表作である、『不思議な万年筆』シリーズの冒頭に、幼い頃の主人公が両親の仇を戸棚から見ているというシーンがありますね。}
{あれは、あなたの実体験なのではありませんか?}
「ストレンジャーさん‼︎」
ジェンキンス警部に殴りかかろうと構えた彼女の手を、俺は掴み抑えた。彼女は俺の手を解こうともがきながらもジェンキンス警部を睨みつけて言った。
「帰って‼︎」
「ストレンジャーさん、落ち着いて!」
「今すぐ、この家から、出てって‼︎」
ジェンキンス警部は隣のコーナー刑事に目配せをすると、席を立った。
「では、今日はこれで失礼します」
そう挨拶しながらコーナー刑事も橄欖色のコートを着て玄関に向かった。
そして、見送りに来た俺に対して。
「あなたからも、彼女によく言っておいてください。何より彼女自身の身を危険に晒さないためにも」
こう言って家を後にした。
「.......話して頂けますか」
ストレンジャーさんと向かい合う形で食卓の椅子に座り、俺は尋ねた。
「本当に、殺人鬼を追っているんですか?」
「........」
彼女はしばらく無言で俯いていたが、いきなり顔を上げると、俺の目を見て。
「ごめんなさい」
と言った。
「貴方にはもっと早く......。ギルターブ通りに行く前までには話さなければならなかったのに。いや、本当は貴方を雇った時に話すべきだった」
「.......それは、その万年筆と関係ある話ですか?」
俺は、ストレンジャーさんの胸ポケットを指して言った。彼女は少し驚いたようだったが。
「....シルヴィね」
そう呟くと話を続けた。
「そう。もう聞いてるかもしれないけど、私はこの万年筆の持ち主を探しているの」
「.....はい。それで書かれた文字はストレンジャーさんと俺にしか読めないんですよね?」
「そこまで知っているのね」
彼女は茶を一口飲んだ。
「後はどこまで知っているの?」
「俺が聞いたのは万年筆の事だけです。それ以外は何も」
「........そう」
また一口茶を啜った。
しばらく沈黙が続いた。
「それで、ストレンジャーさん」
「なに」
「さっきCCYの人達が言っていた事は本当ですか?」
「ええ」
彼女は澄ました顔で答える。だが、その体は落ち着き無く小刻みに揺れていた。
「十三年前。私の両親は、カルヴァリー・グリムロードに殺された。戸棚に隠れていた私だけが、助かった」
またティーカップに口をつけると、続けた。
「その時、グリムロードがこの万年筆を落としたの」
彼女は胸ポケットから万年筆を取り出すと、テーブルの上に置いた。それからまたティーカップに手を近づけたが、思い直したかのように手を引っ込めた。
「事件の起こった日、グリムロードはアメリカにいた事が確認されてる。だから私の両親の殺人には関与していないという事になってる」
「.....でも私は見た。戸棚から、あの男の顔を」
段々と震えが強くなるストレンジャーさんを落ち着かせるため、俺は紅茶のおかわりを淹れる事にした。キッチンで湯を沸かしながら見ると、彼女は俯いたまま空のティーカップを眺めていた。
「私は.....。見つけなくてはならないの。この万年筆の落とし主、カルヴァリー・グリムロードを」
「何もあなたがやらなくても。警察に任せるのでは駄目ですか?」
新たに淹れた茶をティーカップに注ぎながら俺は言った。
「この万年筆で書いた字は、私と貴方にしか読む事が出来ないのよ」
そう言って彼女はジェンキンス警部が使ったメモの端に紺色の線を引いた。
「そして、あれだけ顔と名前が割れているのにグリムロードは未だ捕まっていない。これは、あの男が何か私達には想像もつかない技術を持っているからなのよ」
「そうなんですか?」
「私はそう考えてる」
つまり、あくまで仮定の話というわけだ。
「この万年筆の字は私達だけでなく、持ち主であるグリムロード本人にも読む事ができるはずよ。という事は、私達とグリムロード、つまりこの字を読む事が出来る人間には何か共通点があるのかもしれない。そしてそれが、グリムロードを捕らえるための鍵になるかもしれない」
コンコン、と万年筆でテーブルを叩きながら続ける。
「でも、もしこの万年筆を証拠品として警察に渡したとして、どうやったら私達にしか見えないインクの事を証明できるかしら?」
「.....難しいでしょうね」
「そう。こんな話を信じる人なんてほとんどいない。つまり逆に言うと、この事実を知る私達こそが、グリムロードの秘密に近づける唯一の存在なのよ」
ストレンジャーさんは立ち上がった。
だが、ふと我に返ったようにまた椅子に座ると、目の前の茶をミルクも入れずに飲み干した。
「.....もちろん、これは私の勝手なわがままに過ぎないわ。だから、貴方に協力を強制することは出来ない」
そう言ってテーブルに視線を落とした。
「CCYの連中が言っていた通り、かなりの危険が伴う活動よ。だから、貴方が関わりたくないと言うのならそれでも良いと思うわ」
顔を上げて上目遣いに俺の顔を見る。俺は彼女の紫水晶色の瞳を見て溜息をついた。
「.....危険と言うならあなたもそうでしょ、ストレンジャーさん」
「そんなこと分かっているわ。でも、たとえ私一人だけでも、グリムロード探しを辞めるつもりは無い」
「でしょうね」
俺はもう大きく一度溜息をついた。そして言った。
「俺も協力しますよ」
それを聞いたストレンジャーさんは、目を大きく見開いて俺の顔を見ると、驚きと嬉しさが半々といった表情になった。
「.........ありがとう、ありがとう。ほんとに.......、でも、本当に良いの....?」
「良いんですよ。第一、ストレンジャーさん一人にそんな危険なことさせられません。それに.....」
「それに?」
ストレンジャーさんは目をぱちくりとさせた。
「....いや、なんでもないです」
そう言って俺は自分のカップを手にして、口に近づけた。
突然だが。俺は父親の顔を知らない。俺が産まれる前に死んだか、あるいはどこかに居なくなったのか、それすらも分からない。母親と祖父母に育てられ、今まで生きてきた。家族が明るい人ばかりだったから寂しくは無かったが、たまに友人から父親の話などを聞くと、何か複雑な気持ちになったものである。
だが、たとえ口が裂けても言えるわけがない。幼い時に目の前で両親を殺されたストレンジャーさんに、『気持ちが分かる』などとは。
だがほんの少しだけであったとしても、彼女の境遇を自分と重ねてしまった。そうしてしまってはもう、彼女の行動を無視する事は出来ないのだ。
「でも、良いですか。俺が協力するのはグリムロードの情報を集めるとこまでです。実際に捕まえるのは警察に任せますからね」
「ええ。もちろんよ」
そう言って彼女は笑った。俺は一瞬その笑顔に何か違和感を覚えたが、それが一体何なのかは分からなかった。
「それにしても、ジェンキンスさんが言っていたことは本当だったんですね」
俺は自分のティーカップと空のポットを洗いながら言った。
「何のことよ」
「ほら、『万年筆シリーズ』の冒頭。あれがストレンジャーさんの実体験だったって」
「........ああ.....。まあ.......ね」
ストレンジャーさんは頰を少し赤らめて紅茶を飲んだ。
「....ちょっとは、誇張してるけどね」
「そうでしょうね」
「貴方も、読んで知っているしょうけど。そもそもあの話は......」
「え、いやあの。すみません。読んでません」
それを言った直後。今のが大変な失言であったことに俺は気がついた。
だが、もはや後の祭り。食卓の方へ振り向かずとも、彼女がどんな顔をしているか、俺にははっきりと分かった。