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第四章〈ギルターブ・ストリート〉

シルヴィさんの訪問から数日経ったが、俺の頭には未だ、彼女が最後に呟いた『復讐』という言葉が残っていた。


また、それ以外にも引っかかるところがある。


ストレンジャーさんは例の万年筆の持ち主を探しているわけだ。だとしたら、自分以外に初めてその字を読むことができた者(つまりこの場合俺だが)が現れた場合、その者が万年筆の持ち主だと考えるのが普通ではないだろうか。


にも関わらず、ストレンジャーさんもシルヴィさんも俺をその持ち主とは思っていないようだった。そのことから考えると、二人は元の持ち主に関して、なにか明確な情報を持っているということになる。


それはいったいなんだろう。シルヴィさんが去り際に出したあの封筒が、関係しているのだろうか。


そんなことをぼーっと考えながら家具や置物を拭いていたら、間違えて近くにいたストレンジャーさんの顔も一緒に拭いてしまい、向こうずねを思いっきり蹴っ飛ばされるはめになった。




「.......今日、これからちょっと出かけるから」


機嫌が治らないまま昼ご飯を食べていたストレンジャーさんが、唐突に言った。


「え、どこに行くんです?」


「ギルターブ通り」


「ええっ⁈」


俺は思わず声をあげてしまった。


「なによ」


「いや、だって、あんなところに何をしに行くんですか⁈」


ギルターブ通り。それは、カルラドでも有名な暗黒街の、まさに中央にある通りである。


ギルターブ通りとその付近は文字通りの無法地帯であり、カルラド警視庁『CCY(カレドニアコートヤード)』ですら手出しができないと言われている。もちろん、俺だって行ったことはないので、あくまで噂で聞いた話だが。違法薬物や武器類の売買が当たり前に行われており、傷害等の犯罪は日常茶飯事とのことだ。


そんな場所に、ただの小説家であり少女であるストレンジャーさんが、一体なんの用があるというのだろう。


「別に.........。小説の資料集めのためよ」


彼女は少し目を逸らしながら言った。


その仕草や表情から、あまり頭の良くない俺から見ても、嘘だということは明らかであった。


ふとその瞬間、俺の頭に数日前のシルヴィさんとの会話が思い浮かんだ。


「もしかして、この前シルヴィさんからもらった封筒となにか関係あります?」


ギクリ、という音が聞こえたような気がした。それくらいはっきりと、彼女の顔には図星を突かれた動揺の色が見て取れたのだ。


「そ、そんなもの関係無いわ! とにかく、そこに行くから」


早口でそう言うと、ストレンジャーさんはカップに残っていた紅茶を一気に飲み干した。


「でもあんなところに若い女性が一人で行くのはいくらなんでも危険すぎます!」


「だから、貴方も一緒に行くのよ」


カップを置きながら、俺の目を見て彼女は言った。


「貴方、喧嘩が強いんでしょう?」


「どこ情報ですかそれは?」


「ジェラルド小父様が言ってたわ」


「......ボードマンさんが、ね.....」


なるほど。そういえば、そうだ。確かにボードマンさんは、俺が喧嘩が強いと思い込んでいるのだ。


まあ実際のところ、自分で言うのもなんだが、俺はその辺のゴロツキ程度になら勝てる自信がある。幼い頃から故郷のカレドニアで、元軍人の祖父に鍛えられていたからだ。


そもそも、酔っ払いに絡まれていたボードマンさんを俺が助けた、というのが彼に雇われるきっかけとなったわけで。俺に対して『腕っ節が立つ』というイメージを持っていても仕方がないといえる。だが.......。


「いやいや、そんなこと言っても、あくまで一般人ですからね。俺は。本職の人達には勝てませんって」


ギルターブ通りには、それこそ殺しや戦闘を生業としている人間がたくさんいる。それに、そもそも何かしらの組織に属している人間が多いわけだから、そんな奴らといざこざを起こそうものなら、たとえその場は勝てたとしても、後が怖すぎる。なるべく関わらないようにするのが一番良いのだ。


「ギルターブ通りなんかに行けば、いやでもそういう連中と関わることになりかねません。やめましょう」


「.....貴方が行きたくないなら、一人でも行く」


そう言うと彼女は、口を強く閉ざして俺を睨んだ。


その瞳に俺は、彼女の決意の強さを見た。おそらく、シルヴィさんが言っていた万年筆の持ち主に関する何か手がかりが、ギルターブ通りにはあるのだろう。そして俺が思っている以上に、彼女にとって、その問題は大きいものなのかもしれない。


「一人で行くのはもっとダメです」


そう言って溜息をつくと俺は。


「仕方ない。俺も行きますよ」


と、続けた。


ストレンジャーさんがギルターブ通りに行くのを、止めきれる自信が俺にはない。それならばせめて、俺がついて行って、彼女に危険が及ぶのを防ぐのが一番良いのだろう。


ストレンジャーさんの顔は途端に安心したような、柔らかいものに変わった。


「ありがとう。.......無理を言ってごめんなさい」


「無理なんていつものことでしょう」


言いながら俺は食器の片付けを始めた。


「でも、少しでもヤバそうな空気になったら、その時はあなたを担いででも連れて帰りますから。良いですね?」


「...分かったわ」


そう頷くとストレンジャーさんは、出かける準備をするためにトタトタと部屋に戻っていった。




「それで、ギルターブ通りに行くには良いんですけど、その中でも具体的にどこに向かうんですか?」


ヘルベティオス通りを歩き、駅に向かいながら、俺はストレンジャーさんに尋ねた。


「『ビオレータ』って言うパブ」


例の茶封筒から出した小さな紙を見ながら彼女は答えた。


ふと見ると、彼女は家に居る時とは違い、お出かけ用と思われるコートと帽子を身に纏っていた。胸には赤い石が埋め込まれた金色のバッジをつけている。


駅に着くと、ちょうど地下鉄が発車するところだったため、慌ててそれに飛び乗った。それから、バスに乗り換えてしばらく行くと、少しずつ周りの人影が減っていき、目的のバス停に着く頃には、俺達以外の乗客はいなくなっていた。


そこからさらに歩くと、だんだんと、廃れたような汚れの目立つ建物が目にとまるようになってきた。


とりあえず、暗黒街の入口と言える場所には到着したわけだ。


「......なんか、暗いですね」


「そう? 気のせいよ」


確かに気のせいかもしれないが、俺には街全体が薄ら暗く思えた。歩行者も車もほとんど通っていない。これでは、もし何かあっても助けを呼ぶことはできないだろう。まあ、それは大体分かっていたことだが。


そんな俺の不安も物ともせず、ストレンジャーさんはスタスタと迷いなく足を進めていた。時々茶封筒から小さな紙を出して確認しつつ、裏路地のような、暗く細い道を選んでどんどん歩んで行く。


先程までは全く人影が無かったが、暗黒街の奥へ奥へと進んで行くと、人の数が少しずつ増えてきた。


だが、遭遇する人々は誰も彼も人相が悪く、おそらくまともな生き方をしていないであろうことが一目で分かる者ばかりだ。


俺は、この場所において、自分達が非常に場違いな存在であることを痛感していた。物珍しそうにこちらを見る者や、ニヤニヤと笑う者、口笛を吹いて挑発する者もいた。どこからか変な煙が漂ってきて、俺は思わず咳き込んだ。


その時、煙草のようなものを咥え、路地の壁際に座っていた男がゆらりと立ち上がると、俺達の前に立ち塞がった。


俺はとっさに、ストレンジャーさんの前に立ち、彼女を隠した。


「おいおい、隠れるこたァねえだろ」


ボサボサの髭を顎に生やしたその男はニタリと笑うと。


「お嬢ちゃん、可愛いねェ。どうだい、おじちゃんのとこで働かないかい?」


「あの、すみません。急いでるんで」

「兄ちゃんに要はねェ。黙ってろ」


髭男は俺を睨みつけると、ストレンジャーさんの方を向いてまた笑う。


「なあ、どうよ?」


「私に話しかけないで」


「まあそう言うなって」


そんな言い合いをしていると、後ろから、顔に大きな傷のある男が現れ、髭男に言った。


「おいやめておけ。あまりこのガキ共には関わらないほうが身のためだぜ」


「あ? なんだ? まさかこの嬢ちゃんが『中庭(コートヤード)番犬(ハウンド)』だとでも言うのか?」


そう言ってニヤニヤ笑う髭男を、傷のある男は睨みつけて言った。


「茶化すな。そうじゃねえ。このガキ、もしかしたらスコルピィのコレクションかもしれないぜ、よく見ろ」


「ガキじゃない」


ストレンジャーさんが呟いた。


「スコルピィ?」


その名を呟き、ストレンジャーさんの服を見ると、髭男は途端に真っ青になり。


「そりゃあ、いけねえ」


と言い残して、そのまま逃げるように去っていった。ふと、後ろを見ると、顔に傷のある男もいつのまにか消えていた。


「.......なんだ?」


俺は思わず首を傾げたが、ストレンジャーさんは特に気にする様子もなく、歩き始めた。


気がつくと、周りにいた柄の悪い連中もまとめていなくなり、辺りはしんと静まり返っていた。


「あの、ストレンジャーさん」


「なに」


「『スコルピィ』ってなんでしょうね?」


「知らないの?」


歩調を緩めることなく、彼女は続ける。


「『スコルピィ・ファミリー』。この暗黒街を支配しているマフィアよ」


「マフィア⁈」


俺は声をあげた。


「しかし、なんでそんな連中の仲間......? と間違われたんです? コレクションとか言ってましたけど.....」


「それは、これのせいね」


そう言ってストレンジャーさんは自分の胸についている金色のバッジを指差した。


「これが、スコルピィの一員っていう印なの。


「なんでそんなもん持ってるんです⁈」


「シルヴィが貸してくれた」


「シルヴィさんってスコルピィの一員なんですか⁈」


「違うわよ」


ふと、ストレンジャーさんの顔が曇った。そして彼女は足を止めると。地図を凝視し始めた。


「で、なんでシルヴィさんは一員でもないのにそんなバッジ持ってるんですか?」


俺は質問を続ける。


「知らない」


「あと、スコルピィのコレクションとか言われてましたけど、それってどういう意味で」


「ああ、うるさい!」


彼女は苛立ちに満ちた声で怒鳴り、俺を睨んだ。


「ちょっと、静かにしててもらえるかしら⁈」


「ごめんなさい」


ストレンジャーさんは「シッ!」と舌打ちのような音をたてながら、地図に目を戻した。


しばらく不機嫌気味に口を噤んでいたが、やがてまた口を開くと。


「コレクションって言うのは....」


「えっ?」


「スコルピィのコレクションって言うのは、十代の女の子のことよ。スコルピィ・ファミリーのボスは、美しい少女を集めるのが趣味らしいから」


「へぇー.....」


とんだ変態ですね、と言おうかと思ったが、この暗黒街で誰かに聞かれると大変なことになりそうなので、やめた。


しかし、コレクションと間違われたことで、さりげなく自分も美しい少女であると言ってしまっているところが、さすがはストレンジャーさんと言うべきか。


「とにかく、こうやってバッジをつけて、スコルピィの関係者のふりをしていれば、よっぽどの馬鹿でもない限り手出しはしてこないはずよ」


地図を睨みながら、彼女は言った。


その時、目の前に、どこからともなく二人の男が現れた。一人はぐしゃぐしゃ茶髪の男であり、もう一人は図体のでかいそばかす男であった。


「よう‼︎ そこのお二人さん」


茶髪の男が話しかけてきた。


「なに?」


男二人には目もくれず、地図を見ていたストレンジャーさんは、さりげなく男達に胸のバッジを見せつけた。それを見た茶髪の男はニヤニヤと笑うと。


「お、高そうなバッジ持ってんじゃねえか!」


「.....これが、よっぽどの馬鹿ですか」


俺は小声でストレンジャーさんに尋ねた。彼女は驚きと呆れが半々といったような顔で、茶髪の男を睨んだ。


「良いねぇ! そのバッジ。それで、ほかにも何か金目のモン持ってんだろ⁈」


「邪魔しないでくれる? 私達は早くビオレータに行かなきゃいけないのよ」


イライラしながら、ストレンジャーさんは地図を睨んだ。


「あ⁈ 嘘はいけねぇぜ。ビオレータっつったら知ってるがよ。お前らが向かってんのは真逆の方向じゃねーか!」


それを聞いたストレンジャーさんは目を見開くと、持っていた地図をもう一度凝視した。そして、途端に顔が真っ赤になり、地図を一回転させた。


「.....え? あの、まさか、地図を上下逆に見てたとかじゃ無いで.....ギャァ‼︎」


思いっきり足を踏まれ、俺は悲鳴をあげた。


「痛ァ‼︎」


「うっるっさいわね馬鹿野郎‼︎ .....私が、そんなミスするわけ........ない....じゃない‼︎」


「じゃあ、今地図を逆にしたのはなんですか⁈」


「知らないわよ馬鹿ッ‼︎」


俺は、なんだか全身から体力が抜けてゆくような気分になり、溜息をついた。


「もう少し早く気づくべきでしたよ。普段一歩も家から出ない『引きこもり』のストレンジャーさんに、まともな方向感覚があるわけ無いってことに.....」


ストレンジャーさんは、再び俺の足を踏もうとしたが、俺はそれを避けた。


「ばっ......! 馬鹿にするんじゃないわよ‼︎ 私が方向音痴だとでも言いたいわけ⁈」


「方向音痴以外に、今のあなたを説明する言葉がありますか⁈ 初めて見ましたよ、地図を逆に見る人なんて!」


ストレンジャーさんの顔が真っ赤になった。


「わざと、よ! これからちゃんと目的地に向かうつもりだったの‼︎」


「へー‼︎ そうなんですか‼︎ 随分遠回りですね⁉︎」


「コラァ‼︎ 俺達を無視すンじゃねェ‼︎」


茶髪の男が怒鳴った。


「やいコラ‼︎ 黙って聞いてりゃ、ナメた真似しやがって‼︎ 俺達を誰だと思ってんだ⁈ 光も差さない暗黒街で『STAY GOLD(輝き続ける)‼︎』ワイズ兄弟だぜ‼︎」


自慢気に語る男の左腕を見ると、そこには『STAY COLD(冷たいまま)』という刺青が彫られていた。


「よっぽどの馬鹿ね」


ストレンジャーさんが呟いた。


「それで、何の用ですか?」


「はッ! 簡単だ。命が惜しけりゃ、金目のモンを置いて行きな!」


そう言うと茶髪の男は、懐からナイフを取り出した。すると、茶髪の背後に立っていたそばかす顔の巨漢が、茶髪の肩を人差し指でぽんと叩いて言った。


「ヒューゴ兄ちゃん。おれ、あのバッジどっかで見たことあるんだけど.....。なんか、やばい気がする.......」


「あ? なにぬかしてんだイワン‼︎ テメェの記憶なんざ、当てになんねェんだよウスノロ‼︎」


そう怒鳴った茶髪......ヒューゴは、そばかす顔の巨漢......イワンの腹をぶん殴った。だが、イワンは特に痛がる様子もなく、けろっとした顔で、宙を見た。


「さァ、金目のモンを出せ!」


そう言ってヒューゴは、ストレンジャーさんを睨んだ。


「嫌」


「なにィ⁈」


ぷい、とそっぽを向くストレンジャーさんに対し、腕の刺青を指して叫ぶ。


「俺達は、この暗黒街でも名の知れた小悪党! ワイズ兄弟だぜ⁈」


「『wise(賢い)』って顔じゃ無いわね」


「あぁ⁈」


自他共に認める小悪党、『ワイズ兄弟』の兄ヒューゴは、しばらく喚いていたが、突然口を閉じてストレンジャーさんの胸元に目を移した。


「お、良い万年筆持ってんじゃねーか」


コートの胸ポケットに、相変わらず見せびらかすかの様に入れられた万年筆。ヒューゴはそれを見るや否や、止める間も無くひょいと抜き取った。


「あっ」


「こいつァ売れそーだぜ」


ヒューゴはニヤリと笑った。


「ねえ、ヒューゴ兄ちゃん...。そんな勝手に取っちゃって大丈夫かなぁ」


「あ⁈ お前、何年悪党やってんだ⁈ そんないちいちビビってんじゃ無ぇよ‼︎ いいか、まず一つ貴重そうなもんを盗っとくとな! 盗られた奴は、他にも高価なもんを出してくるんだよ! 俺の経験上な‼︎」


唾を散らしながら怒鳴ると、ヒューゴは再びストレンジャーさんの方を向いた。


その瞬間、ヒューゴの胸に銃口が突きつけられた。


「.....お⁈」


懐から出した拳銃を目の前の男に突きつけながら、ストレンジャーさんは。


「その万年筆、返しなさい」


と、静かに言った。


「ストレンジャーさん⁈ どこからそんなものを....!」


ふと俺は、彼女が拳銃コレクターであったことを思い出した。


「........それ、コレクションですか⁈」


言いながら俺は、そっとその顔を見た。いつもの怒り顔とは違う、非常に静かで冷たい無表情だ。俺は今、初めて彼女の本気の怒りを見たような気がした。


自分自身に突きつけられた拳銃を見たヒューゴは、涼しい表情で口笛を吹くと。


「ほら見ろ! また高価そうなモンを出してきやがった‼︎」


と叫んだ。


「返しなさい」


「は! 嬢ちゃん! 物騒なモン持ってんじゃねーか⁉︎ だがよぉ、使ったことあンのかそれ⁈ え⁈ お前みてーなお子様が、簡単に扱えるようなシロモンじゃねーぜ!」


ストレンジャーさんは表情を変えること無く、銃口をヒューゴから離した。


次の瞬間、目にも止まらぬスピードで二発の銃弾が撃ち出された。そしてその弾はワイズ兄弟の頬をかすって、背後に貼られていたポスターの男の両目に命中した。それからストレンジャーさんは再び、まだ煙の出ている銃口をヒューゴに突きつけた。


目を見開き、口をぽかんと開けたヒューゴは、無言のまま、持っていた万年筆をそっと彼女に渡すと。「だから迂闊に人のモン盗るなと言っただろうが!」などと言ってイワンを殴った。


俺は呆然と一部始終を見ていたが、周りに漂う異様な空気に気がつき、耳をすませた。


ざわざわと、複数人の足音や話し声が聞こえてくる。今しがたストレンジャーの放った銃声に反応したのだろう。暗黒街の住人達が続々と集まって来ているのだ。


「まずいな......」


空気が悪くなってきたのを感じた俺は、そっとストレンジャーさんに耳打ちした。


「帰りましょう。ヤバい感じになってきました」


「......え?」


彼女は、先程の強い怒りと銃を撃ったショックの所為か、軽く放心状態になっているようだった。なので俺は「失礼!」と断ると、彼女を抱き上げて、走った。


「ひゃっ。ちょっと、なに⁈」


「ヤバそうな雰囲気になってきたので、今日は帰ります!」


「え、ああ....。そう。.........って! なんで貴方に運ばれなくちゃいけないわけ⁈」


だんだんと放心が解けてきたようだ。手足をジタバタと動かして、暴れ始めた。


「下ろしなさい! 子供じゃあるまいし、自分で走れるから‼︎」


「ここを出るまでは、我慢して下さい!」


ずっと家に籠っているストレンジャーさんが走り慣れてるとは思えない。自分の足で走って転んだりされるよりは、俺が担いで走った方がまだマシだ。


「下ろしなさいっ‼︎ 聞いてるの⁈ って、ちょっと! どこ触ってんのよ!」


「ああ、もう! 暴れないで! お願いですから!」


そんなことを言い合いつつ、息も絶え絶えになりながら、俺はひたすら、暗黒街の外を目指してひたすらに走り続けた。





ストレンジャーとリヴェットが暗黒街を出てから数時間が経過し、辺りは夜の闇に包まれていた。


ぽつぽつと雨が降り始める中、小悪党のワイズ兄弟は、傘もささずに行きつけの酒場に向かっていた。


「ああ! くそっ! 面白くねェな‼︎」


そう言ってヒューゴは、酒場のドアを蹴っ飛ばして中に入った。イワンもそれに続く。


「おいゴミ野郎‼︎ 店の扉を蹴るんじゃねえよ‼︎ ぶっ壊れたらどうすんだ‼︎」


怒鳴り声と共に、店の奥から人相の悪い店主が出てきた。


「もともとズタボロじゃねーかよ⁈ この店自体よォ‼︎」


怒鳴り返しながら、ヒューゴはカウンターの椅子に座る。続いてイワンも右隣に座った。


「フン。今日は妙に荒れてんじゃねーか。なんかあったのか?」


そう言って店主は葉巻をくわえて火をつけた。


「おい、まずは酒出せや! 客だぞ!」


「いつまでたっても金を払わねぇ奴は客じゃねえ」


言葉と共に煙を吹き出し、続ける。


「で、何かあったのかって聞いてんだよ」


「はっ‼︎ 生意気なガキ共を取り逃がしちまったんだよ‼︎ チッ! むかつくぜ‼︎」


「またお前は、カタギ相手にそんなことしてんのか......。お前みてーな奴がいるから、この街の観光業が、ちっとも栄えねぇんだよ」


店主は棚から瓶を出すと、その中身を木製のジョッキに注いで、兄弟の前に出した。


「栄えるわけねーだろーよこんな街でよ‼︎ なに考えてんだお前⁈」


「ちゃんと支払いの出来る客が来てくれねえと、こちとら商売上がったりなんだよ」


「はッ!」


ヒューゴはジョッキを掴むと中の液体をぐいっと一気に飲み干した。


「あーっ‼︎ クソっ‼︎ あの万年筆とかぜってー高く売れたのによォ‼︎」


「お前に物の価値が分かるのかよ」


「分からァ! あの万年筆は、絶対ェ上物だった‼︎ 間違いねぇ! どう見ても金属で出来てンのに、羽のように軽かったんだぜ⁈ あれは相当なあれだぜ!」


「おい、貴様」


突然。横から低い声が、会話に割り込んできた。ヒューゴが「あ⁈」と呟きながら左隣を見ると、そこには黒いコートを着た銀髪の男が座っていた。


「貴様、今言ったことをもう一度、話してみろ」


男は言った。


「あ⁈ なんだテメェ⁈ それが人に物を頼む時の態度か⁈」


「頼んではいない。私は貴様に命令しているのだ」


「いいか⁈ 人に『お願い』する時はなァ! まず名乗るのが礼儀ってモンだぜ!」


「貴様のような野蛮人が礼儀を語るとは、滑稽だな」


せせら嗤いながら、男は立ち上がった。


「私の名は、Dr. カルヴァリー・グリムロード。いいか『Dr.(ドクター)』だ。つけるのを忘れるなよ」


そう言うと男は、傲岸不遜な顔でワイズ兄弟を見下ろした。そして再び、その口元に笑みを浮かべて、続けた。


「さあ、聞かせてもらおうか。貴様が逃した万年筆の話を」


夜の闇に鳴る雨音が、少しだけ強くなったようだった。


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