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第三章〈柑橘香の来客〉

この俺、アンドリュー・リヴェットが、シャルロット・ストレンジャーさんの家で働き始めてから、二週間が経過した。


二週間も経つとさすがに仕事にも慣れてきて、以前と比べて怒られる回数も格段に減った。


だが、ゼロというわけではない。そもそも、このストレンジャーさんという人はかなりの気分屋であるため、ちょっとした事で機嫌が変わり、不機嫌な時はなんでもないことですぐキレる。どんなに仕事の手際が良くなっても、こればかりはどうしようもない。


だが、仕事と同時にストレンジャーさん自身への対応にも慣れてきている俺からすれば、多少彼女の機嫌が崩れようとも、大した問題では無いのだった。


機嫌を良くしようと思えば簡単だ。紅茶とスコーンを用意すれば良い。紅茶に関しては、初日に言われた通り軟水を使うようになってから、合格点を貰えるまでそう時間はかからなかった。

また、ストレンジャーさんはあのスコーンを大層気に入ったらしく、どんな時でもあれを食べるとたちまち笑顔になる。単純なものだ。





その日も、朝からストレンジャーさんの機嫌は悪かった。


「それで?」


俺は、ストレンジャーさんの指に傷テープを貼りながら、寝巻き姿でふてくされている彼女に聞いた。


「なんで、ベッドに銀ナイフがあったんですか⁈」


「..............」


彼女は、何も言わずに顔を背けた。


「入った事ないから知りませんけど、どれだけ散らかってるんですかねあなたの寝室は! 普通無いでしょうが! ベッドにナイフなんて⁉︎」


「ち、散らかってはいないわよ! ただ、昔貰ったナイフを、ちょっとベッドに置いといて、それを忘れてただけ!」


「忘れないでくださいよ! っていうか、そんなもんベッドに置くんじゃありません!」


「うううう、うるさいわね! 馬鹿野郎! 私が悪いんじゃない! あんなナイフ寄越した奴が悪いのよ‼︎ ていうか、切れ味の良いあのナイフが悪い‼︎」


切れ味が良いというのは、ナイフとしてはむしろ誇るべきところだと思うが。


ただでさえ寝起きで機嫌が悪いのに、ナイフで指を切った上さらに俺に小言を言われたストレンジャーさんの怒りは最高潮だ。言っていることも無茶苦茶である。


いつもの「シッ‼︎」という舌打ちのような音を発しながら、彼女は俺の頭をぽかっと殴った。大して痛くはないが。


「とりあえず、朝のお茶を持ってきますから」


そう言って、俺は食堂へ向かった。




「今日、客が来るから」


いつも以上に不機嫌そうな顔で、朝の紅茶を飲みながら、ストレンジャーさんは言った。


「客? この家に? どんな人です?」


尋ねながら俺は、朝食を彼女の前に置いた。


「私の友人よ」


「友人⁈」


俺は、思わず叫んでしまった。


「なによ」


「いやぁ、まさかあなたに友人がいるなんて思ってもみなかったもんで」


直後、ストレンジャーさんはテーブルの上のフォークを俺に向かって投げようとした。俺は慌ててそれを止めると、椅子に座って話を続けた。


「それで、何時頃いらっしゃるんで?」


「さあ?」


「え、聞いてないんですか?」


「聞いてない」


彼女は金縁のカップを乱暴に置き。


「予定が定まらない奴だから、正確な時間は分からないのよ。私にも、本人にもね。だから、今日は来ない事もありえるし........」


と言いながらおかわりを注いだ。


「忙しい人なんですね。仕事は何をしてるんですか?」


俺は聞いてみたが、彼女は答える事なくカップに口をつけた。


その瞬間。玄関で何かが爆発したかのような轟音が鳴った。それに驚いたのか、ストレンジャーさんはカップを鼻にぶつけてしまい、紅茶が顔にかかった。


幸い、紅茶は淹れてから時間が経っていたため、火傷をする心配は無かった。ので、俺はとりあえず真っ白な柔らかいタオルで彼女の顔を適当に拭いてから、爆発音がした玄関に様子を見に行った。


古びた厚い木製扉を開けると、柑橘系の甘い香りと共に、一人の女性が玄関に入って来た。


背が高く細っそりとしていて、その立ち振る舞いはモデルのようだ。肩まで伸びた髪は暗めの栗色で、ふんわりとウェーブがかかっている。

理知的で整った顔の上には薄めの化粧をしており、手にはなぜだか巨大なクラッカーを持っていた。


「おや、新しいお手伝いさんデスか」


彼女は俺を見て言った。


「ええ、はい。二週間ほど前からこちらでお世話になっています。アンドリュー・リヴェットです」


「へーェ」


女性は、興味津々と言った表情で俺に近づくと何か小さな紙きれを俺に差し出した。柑橘系の香りが強くなった。


「私は、シルヴィア。シルヴィア・マッキンタイアーという者デス。どうか気軽に『シルヴィ』って呼んでくだサイ」


「はあ、よろしくお願いします」


受け取った紙きれを見ると、そこにはメールアドレスと電話番号が書いてあった。


「あの、これは......?」


「きみの連絡先も教えてくだサイな」


シルヴィさんは、手帳を取り出して言った。


「私、フリーでライターやってマシてね。色々と情報が欲しいわけデスよ。だから、とりあえず知り合った人とは連絡先交換してるんデス」


「はあ...なるほど」


促された俺は、渡された手帳にメールアドレスを書いて渡した。


「ありがとうございマス。何か、面白いネタに会ったら、ぜひ連絡して下サイね」


彼女の言う面白いネタという奴がどんな物かは知らないが、それはともかく。猫を思わせる笑顔で言いながら、彼女は手帳をしまった。


(今更だが、この人が今日来る予定の客なのか?)


勢いで流されて連絡先まで渡したが、果たして良かったのか。そもそもこの人は何が目的でこの家にやって来たのか。そして手に持ってるクラッカーは一体何なのか。


ふと、背後に強い殺気を感じた。


振り返ると、前髪がぐしゃぐしゃに乱れたストレンジャーさんが、鬼のような形相でフォークを構えていた。


かと思ったら、そのまま何のためらいも無く。こちらに向かって投げつけた。


「うわぁっ!」


俺は半ば転ぶような形で避けた。


そのままフォークはシルヴィさんめがけてまっすぐ飛んで行ったが、彼女はすまし顔で「相変わらず良い腕してマス」などと呟きつつ、慣れきった手つきでフォークをキャッチした。そしてそのフォークを俺に渡すと。


「シャーリィー‼︎ 今日もカワイーなッ‼︎」

と叫びながらストレンジャーさんに抱きついた。


「ほんと、可愛いデスね! お人形サンみたい! ああ〜っ可愛い〜! 可愛い可愛い! 結婚したい!」


わしゃわしゃと、頭を撫で回すシルヴィさん。それに対して、声にならない声をあげて抵抗していたストレンジャーさんは、やがて自分を抱きしめる手を振りほどき「みかんくさい‼︎」と言って逃げ出した。


「何デスかそれ〜」


シルヴィさんは頰を膨らませた。


「貴女、香水つけすぎなのよ‼︎いつも言ってるでしょう⁉︎」


「別に、普通デスよ」


(いや、普通じゃないと思う)


俺は、頭の中で呟いた。なるほど、さっきから漂う柑橘系の香りは、やはりこの人のものだったのか。


「でも、この香りは私のチャームポイントデスよ?」


シルヴィさんは、肩にかかった髪を弄りながら言った。


「この香りと、右目の下の泣きぼくろこそが、この私、シルヴィア・マッキンタイアーという人間を形作っているのデス」


「ああ、そんなところにほくろなんてあったのね。初めて知ったわ」


ストレンジャーさんは冷たく言い放った。


まあ、確かに目の下のほくろに関しては、俺も言われるまで全く気がつかなかったが。


ずっと玄関で話していても仕様がないので、とりあえずストレンジャーさんの部屋に上がってもらう事にした。


「ていうか、なんで私の部屋なのよ⁈」


「だって、あなたのお客でしょう?」


そう返しながら俺は、ストレンジャーさんの仕事部屋に、新たに淹れた紅茶とティーカップ、そして出来たてのスコーンを運んだ。それらを、部屋の隅から出てきた折りたたみテーブルに乗せると。


「美味しそうデスね」


シルヴィさんが呟いた。


「それにしても、この部屋に折りたたみ式のテーブルなんてあったんですね。知らなかった」


俺は、シルヴィさんがどこからか見つけて来たテーブルを見て言った。


「そう。あったんデス。多分シャリー本人も忘れてたと思いマスけどね〜。私は覚えてマシたよ」


「わ、忘れてなんかいないわよ!」


「本当デスか? おや、このスコーン美味しいデスね」


「ありがとうございます」


つくづく、俺の作るスコーンは妙に評価が高い。


「ところで、シルヴィさんってストレンジャーさんのお友達なんですよね?」


茶をカップに注ぎながら俺は尋ねた。それから「どう言う経緯でお知り合いになったんですか」と続けようとしたが、シルヴィさんの顔を見て思わず口を噤んだ。


先程の知性溢れる顔は何処へやら。間抜け面とも言える満面の笑みを浮かべて、彼女は俺の方に詰め寄ってきた。


「え? 何?『お友達』? シャリーが私の事を?『お友達』って言ったんデスか?」


目を輝かせながら言うシルヴィさん。少し怖い。


「いやぁ〜。シャリーが私を『お友達』として認めていてくれたなんてね〜。感無量デスよ」


「ち、違う!」


途端に真っ赤な顔になったストレンジャーさんが、反論を始めた。


「ほかに説明しようが無かったから! とりあえずそう言っただけよ! それに、寝ぼけてたし!」


「いや、ストレンジャーさん。ほかに説明しようが無いってそれ『お友達』と認めてません?」


「あんなに『友人なんていらない』って気取ってマシたのにね〜」


「うるさい!」


ストレンジャーさんの抗議はしばらく続いた。


「それで、結局どういう関係なんです?」


静かになったところで、俺は改めて尋ねてみた。


「幼馴染デス」


「腐れ縁よ」


違うようでほとんど同じ意味の言葉が、それぞれ返って来た。


「まあ、幼馴染って言っても、私の方が六つ歳上デスから、妹みたいなものデスね」


「誰が妹よ」


「ボードマンさんの家と私の実家がお隣さん同士デシて、それで親交があったわけデス」


「なるほど」


俺は頷いた。確かに幼馴染と言うだけあって、さっきから二人の会話はテンポがよく合っていた。


「それにしても、この子は本当に捻くれた子デシてね。昔っから変わらず.....」


「貴女は親戚のオバサンか何か⁈ 余計な話するんじゃ無いわよ!」


コントでも見ているような気分になる。


「だから、正直かなり驚いているんデス」


シルヴィさんは俺の目を見て言った。


「シャリーは、これまでにもたくさんの家政婦さんやお手伝いさんを雇ってマシたけど、三日以上続いた人は一人もいませんデシたからね」


「ああ。それはボードマンさんも言ってました」


「でしょ? デスから、私は嬉しいんデス」


そう言って彼女は立ち上がった。


「私以外にも、シャリーの良さを分かってくれる人がようやく現れたのか、ト‼︎」


「えっ? はあ.....」


「捻くれ者だからこそ、逆にカワイイ!この素直じゃ無い感じがたまらない!って事デスよね?」


「えっ?いや.......」


「何を言っているのよ」


ストレンジャーさんが不機嫌そうな声で呟いた。俺は慌てて、彼女の皿にスコーンを乗せた。


「それも、男の子デスしね。今までのお手伝いさんは全員女性デシたのに」


「..............」


「え、何デスか今の顔。超可愛い」


ちょうど、ストレンジャーさんはスコーンを口に入れたところだった。


「何の話デシたっけ。あ、そうそう。まさかあのシャリーが、男の子と同じ屋根の下で暮らしているなんて、私はとても驚き」


「そのふひを、ほひなはい」


口を一杯にしながら、ストレンジャーさんは言った。


「ストレンジャーさん。お行儀悪いですよ」


「ふるはい!」


そう言ってスコーンを飲み込むと、シルヴィさんを睨みつけた。


「さっきから余計な事ばっかり喋ってるけど、今日は何しに来たのかしら⁉︎」


「久しぶりに、シャリーの顔を見に来マシた」


「それじゃあ、もう用は果たしたでしょう! さっさと帰ってくれる⁈」


朝のナイフの事もあり、ストレンジャーさんの機嫌は大層悪い。


「私も暇じゃ無いのよ! シリーズ最終巻の原稿だって、締め切りが近いんだから!」


「そう、デスか......」


一気に残念そうな顔になったシルヴィさんは、ハンドバッグを手に取ると。


「まあ、仕事があるのなら、仕方ありマセンね」


などと言いながら、バッグの中に手を入れ、小型の茶封筒を取り出した。


「こいつと一緒に、今日はもう帰りマス」


茶封筒を目にした途端、ストレンジャーさんの表情が変わった。


「ちょっと待って! やっぱり、もう少し居ても良いのよ⁈」


「いえいえ。お仕事の邪魔になるといけマセンし」


「そ、そんな事! 邪魔なんて事は無いわよ!」


「そうデスか」


シルヴィさんはにっこりと笑って、バッグを置いた。





「お茶は、またアッサムティーで良いですか?」


食堂に移動した俺は、同じく移動して来たシルヴィさんに尋ねた。


まだ帰る気は無いものの、やはり仕事の邪魔をするのも悪い、との事で、シルヴィさんは仕事部屋からこの部屋に移ったのだ。


ちなみに俺も仕事部屋から追い出されたため、シルヴィさんの話し相手をする事になった。


「そうデスね。できれば、アールグレイが良いデス。確かこの家には、中国から直接取り寄せたアールグレイの茶葉があったはずデスよ」


そう言うので探してみると、なるほど、確かに中国語の書かれた袋が見つかった。袋の端には、ストレンジャーさんの字で《アールグレイ》と書かれている。


「さすが。よくご存知ですね」


「まあ、この家には何回も来てマスからね。もしかしたらシャリー本人よりも詳しいかも」


そう言ってまた、猫を思わせる顔で笑うシルヴィさん。さっきの折りたたみテーブルの事と言い、この人が家主のストレンジャーさん以上にこの家の事を知っている可能性は十分にある。


「それにしても、ストレンジャーさんって普段アッサムしか飲まないのに、なんでわざわざ中国からアールグレイを取り寄せたんでしょうね?」


「私のため、とかだったら嬉しいんデスけどね〜」


暗い栗色の髪を弄りながら、シルヴィさんは言った。


「まあ、あの子は収集癖がありマスから。色々な種類のお茶を手に入れたくなっちゃったのかもしれマセンね。飲むかどうかは度外視して」


「収集癖ですか」


「そうデス。知ってマスか? あの子の寝室」


「入った事はありませんけど」


「そうでショウ。私も一度しか入った事ありまセンしね。実は、あの部屋にはコレクションが飾られているんデス」


お湯が沸いたので、俺は茶葉の入ったポットを持っていき、中に注いだ。


「コレクション? なにを集めてるんです」


「拳銃デス」


「拳銃⁈」


「エエ」


そう言って彼女は笑った。


「女のコらしくない厳つい趣味デスよね〜。まあ、それもそのはず。拳銃集めは、元々シャリーのお父さんの趣味だったそうデスから」


「そうなんですか」


などと返しつつ、俺は出来た紅茶をカップについだ。


「ヤ、どうも。それで、シャリーは亡くなったお父さんの後を継いでコレクションを続けてるらしいデスよ。まあ、形見でもありマスしね」


「しかし、という事はストレンジャーさんは、拳銃の飾られた部屋で寝てるんですか」


「そうなりマスね」


拳銃に囲まれた部屋で、少女が一人眠る。考えてみるとなかなか凄い光景だ。ベッドの中から銀ナイフが出てきても、逆に違和感が無いかもしれない。


「コンバットな部屋に眠るシャリーは可憐な一輪花.....」


そんな事を呟きながら、シルヴィさんは紅茶を啜った。


「ところでリヴェットくん。シャリーを花に例えると、なんだと思いマスか?」


唐突に話が変わった。


「えっ? 花ですか?」


「小さくて可愛い鈴蘭デスかね。それとも、気品溢れるユリの花?」


俺はふと、初めてストレンジャーさんを見た時の事を思い出した。


「俺は、アザミを連想しましたけど」


「アザミ? デスか?」


シルヴィさんは首を捻った。


「アザミって、あの紫色のトゲトゲした花デスよね?確かにチャーリーの目の色と似てマスけど、あのギラギラした派手な感じは、シャリーのイメージとは合わないような......」


「はあ、そうですかね」


実際、何故アザミが浮かんだのかは俺自身にも分からない。言われてみれば確かにイメージとは違う気もする。


まあ、そもそも花の事はよく知らないので、適当に見たことのある花が思い浮かんだだけなのだろうが。


「あ、でも。考えてみたら割といい線いってるかもしれまセンね」


そう言って彼女はポンと手を叩いた。


「そうですか?」


「ええ。『人間嫌い』『独立』『素直じゃない』。なんだかすごくシャリーっぽくないデスか?」


シルヴィさんはニヤリと笑った。


「なんですかそれは」


「花言葉デスよ。アザミの」


「ああ、花言葉。なるほど」


確かに、ストレンジャーさんを思わせる言葉ばかりだ。『人間嫌い』なんてまさにそうじゃないか。


「いやぁ〜面白いデスね。もしかしてリヴェットくん。きみ、この事を知っていてアザミの名前を出したんデスか?だとしたらかなりのお花上級者デスね」


「いや、知りませんでしたよ花言葉なんて。ほんと、偶然です。偶然」


そう言って俺は頭を掻いた。





気がつくと、時刻は昼の十一時近くだった。そろそろストレンジャーさんがお茶を要求しだす頃だ。俺はその準備をしながら、ふとシルヴィさんに尋ねた。


「今更ですけど、あのクラッカーはなんだったんですか?」


「クラッカーデスか?」


「いらっしゃった時にドアの前で鳴らしてたやつです」


「ああ、あれ。ベルの代わりデスよ。あれぐらいの音じゃないと出てくれないんデス。シャリーは」


俺は、初めてこの家を訪ねた時の事を思い出した。


「なるほど。確かになかなか出てきてくれないですよね」


「そうなんデス。それに、あの玄関のドア。もう随分前に作られたものデスから、外からは開けられないんデスよね。まあ、シャリーは開けるコツを知ってるみたいデスけど」


そう言って、シルヴィさんはスコーンをかじった。


「開けるコツですか? それって、あのドアに貼ってあるやつですよね?」


俺は、カップを拭きながら言った。


「俺が最初にこの家に来た時、あの貼ってある紙の通りにしたら開きましたよ。いや、でもあれって不用心ですよね? なんであんなところに貼ってあるんでしょう?」


などと話しつつ、シルヴィさんの方を向くと、彼女はスコーンを食べる手を止めて、なんとも奇妙な表情で俺を見ていた。


「あれっ? ど、どうかしましたか?」


「ドアに、開け方なんて貼ってありマシたか?」


「ええ......。知りませんでした?」


シルヴィさんは、俺の問いには答えずに、訝しげな顔で俺を見ていた。


「ドアに貼ってある。白い紙に、書いてあったんデスか?」


「え、ええ。白いっていうか、少し黄ばんでましたけど」


「これぐらいの大きさの紙デスか?」


シルヴィさんは、手の指で四角形を形取った。


「確かそのぐらいだったと思いますけど。というか、来るときに見ませんでした?」


「紙は見マシた」


そう言ってから、しばらく口を閉ざして何かを考えていたが、やがてまた口を開くと。


「ええと、その書かれてるインクの色はなんデシた?」


と、手帳とペンを手にしながら、俺に聞いてきた。


「え? えーっと、多分あれは紺色って言うんですかね? すごく黒に近い青、みたいな」


「一緒デスね」


彼女は呟いた。


「どんなもので書かれているかは、分かりマスか?」


「ええと。多分、ストレンジャーさんがいつも持っている万年筆だと思います。あの、ポケットに入れてるやつです。インクの色も一緒でしたし.....」


シルヴィさんは、目をカッと開いて俺を見た後すぐに手帳に視線を落とし、猛烈な速度で書き込みながら言った。


「な、る、ほ、ど....。私、きみがシャリーに雇われた本当の理由がなんとなく分かりマシたよ」


抑えきれないと言ったような笑みを口元に浮かべつつ、シルヴィさんは言った。


「え?」


「エエ」


そして、手帳に書く手を止めた。


「きみは、その紙に書いてある文字を読む事が出来たので、雇われたのデス」


「......はい?」


いや、まあ。確かに思い返してみるとそんな感じだったが。それこそ意味不明だ。


「いいデスか。あのドアに貼ってある紙。私には『白紙』に見えマス。いや、私だけではありまセン。ジェラルドおじさんも、今まで雇われてきたお手伝いさん達も。あの紙に書いてあるという『文字』を見た事がナイ」


彼女がいったい何を言っているのか、俺には分からなかった。


「それはどういう......?」


「今まで......」


シルヴィさんは、とても愉快そうな、面白いものを見つけたと言うような顔で俺を見た。


「今まで、私も含めてあの紙に『文字』を見た人はいませんデシた。でも、シャリーには見えていた。シャリーだけは、あの万年筆で書いた『文字』を読む事ができマシた。あの子以外であの『文字』を読むことが出来た人は、リヴェットくん。きみが初めてなんデス。つまりあの『文字』はきみとシャリーにしか、読めないんデス」


「......」


俺はまだ、この人の言っている事が理解できなかった。


「えっと?」


「あの万年筆で書かれた文字は、どうやらきみとシャリーにしか読めないみたいデスよ」


簡潔に言ってくれたが、やはりよく分からない。


「ええ? それはつまり。いいや....。でも、え? じゃあ、その、ええと、あれですか」


俺は、吃りながら言った。


「その万年筆で書かれている文字......例えば玄関に貼ってあるドアの開け方....が、あなたには読めない、と?」


「ハイ」


「ボードマンさんにも?」


「エエ」


「と言うか、俺以外には見えないんですか?」


「シャリーを除いて、ね。今のところはそうデス」


俺がその事態を把握するまで、暫しの時間が必要だった。


そして、だいたいの話を理解した俺は、シルヴィさんに聞いてみた。


「なんで見えないんですか?」


「そんな事聞かれマシてもね」


そう言ってシルヴィさんは首を捻った。俺はさらに続けた。


「......嘘とかじゃありませんよね?」


「そんな変な嘘はつきまセンよ」


尤もだ。ジョークだとしても面白くないし、嘘にしては非現実的すぎる。


「それで、俺がストレンジャーさんに雇われた本当の理由というのは.......?」


「シャリーは、あの万年筆の元の持ち主を探しているんデス」


そう言ってシルヴィさんはお茶を飲んだ。


「あの万年筆は誰かの落し物だそうで。落とした人を探しているわけデス」


「そうなんですか」


「エエ。デスから、その人探しの際に自分以外に読める人がいると色々お得なんだと思いマス」


なるほど。まあ、その理屈は分からないでもない。


「と言うことは、俺と、ストレンジャーさんと、元の持ち主と、少なくとも三人はいるわけですね。読むことが出来る人は」


「そうなりマスね」


「なんで読めるんでしょう?」


「さあ? もしかしたら、何か共通するところがあるのかもしれまセンね。シャリーがきみを雇ったのには、その共通点を知りたい、という思いもあるのかもしれまセンね」


そう言ってシルヴィさんは、スコーンをかじって続けた。


「あ、でも。たとえ万年筆の文字が読めたとしても、気に入らない人間はすぐ追い出すでショウから、きみがこの家で働けているという事は、きみの人柄と仕事がちゃんと認められているという事だと思いマスよ」


「そうですかね。だったら良いんですけど」


「絶対そうデスよ。幼馴染の私が言うんだから、間違いないデス。しかし、面白いデスね」


彼女はスコーンを食べる手を止めた。


「シャリーの言うことを疑っていたわけじゃありまセンけど、それでもシャリーにしか読めない万年筆となると、嘘をついてるか、頭がおかしくなったという可能性も捨てきれませんデシた。でも、きみにも読むことが出来たことで、一応シャリーの言っていた事が真実だったと証明されたわけデス」


彼女は目を輝かせて俺を見た。


「まあ、きみが嘘をついてる可能性も無いことはないデスけど、インクの色もシャリーが言っていた通りデシたし、そこまで疑っていたらきりがナイ」


「はあ」


「面白いじゃないデスか。一部の人にしか見えないペンなんて。まるで物語に出てくる魔法の道具みたいデス」


夢を見るような口調で語ってシルヴィさんは立ち上がった。


その途端。語りを妨げ、現実に引き戻すかのように、彼女のポケットから携帯電話の着信音が鳴った。


「ハイ。もしもし? はい、ええ。あ、そうデスか。なるほど。分かりマシた」


電話に出て、しばらく話してから通話をきると。


「残念ながら。仕事が入ってしまいマシた。もうお暇しなくては」


と言って、名残惜しそうな顔で帰り支度を始めた。


そこに、まるで狙ったかのようなタイミングで、トタトタトタという足音が聞こえてきた。


「リヴェット君、お茶‼︎」


「おおシャリー。残念デスが、私はもう帰りマス」


「あ、そう。じゃあ例の資料置いていって頂戴」


「反応がドライすぎやしませんか? ストレンジャーさん」


俺は紅茶とミルク、スコーンをテーブル上に並べた。


「カップが微妙。マイナス四点」


そんな事を言いながら、ストレンジャーさんは椅子に座った。その目の前に、シルヴィさんが小型の茶封筒を置いた。


「...いつもありがと。シルヴィ」


茶封筒を受け取ったストレンジャーさんが小声で呟いた。


「いえいえ。それじゃあ、私は行きマスので」


「ああ、はい。ストレンジャーさん見送らないんですか?」


「いかない」


仕方がないので、俺が代わりに玄関に向かった。シルヴィさんが玄関のドアを開けると、外から風が入り、柑橘系の香りが広がった。


シルヴィさんはドアに貼ってある紙を見て「やっぱり読めまセン」と呟くと、俺の方を向いた。


「今日は、朝早くからお騒がせしマシた」


「いえ。色々なお話を聞けて。楽しかったです」


「そデスか。それなら良かった。あ、そうそう。最後に一つ」


彼女はまたニヤリ、と笑うと。


「アザミには『復讐』という花言葉もあるんデスよ」


そう言って去って行った。





俺は、シルヴィさんが最後にそんな事を言った意味が分からず、しばらく呆然として玄関に突っ立っていた。


万年筆の文字を読む事が出来た俺にも、その時のシルヴィさんの思惑を読みとる事は出来なかった。

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