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第一章〈ストレンジャーとリヴェット〉

世界地図の上の方。緯度で言うとだいたい北緯五〜六十度ほど。その辺りに、俺の住んでいる島国がある。二〇一八年現在、一般的には「K.T.U」とかいう国名で呼ばれている。ニューアンゲルン、カレドニア、カンブリア。この三ヶ国が合わさって出来た連合王国だ。ナントカ流とか言う暖流や、偏西風とか言う風の影響で、高緯度にも関わらず一年を通して比較的温暖で、気温や降水量の年較差も少ないらしい。


特に雨などは、結構な頻度でパラパラと降る。でもあまり長く降り続けるわけでも無く、降っては止んでを繰り返す。この雨が嫌いだって言う人もいるけれど、俺としては、風情があるように思えるから割と好きだ。


そしてまたこの日も、仕事の最中だと言うのに、ついうっかり転た寝をしてしまったその間に、雨がパラパラしとしとと降り始めたようで.......。




しとしとと降る雨の音で、俺は目を覚ました。


そんなに大きな音でも無いのに。雨音という奴には、時に人を眠りから覚ます効果があるらしい。


(どうやら、少し寝てしまったみたいだな)


眠い目をこすりながら、俺は窓の外を見た。すでに日が落ちて暗い中にポツポツと灯りがついている。静かに降る雨がその灯に照らされ、煌めいていた。この国ではよく見る光景だ。


俺は、カレドニアの田舎から、大学に行くためにここニューアンゲルンの首都、カルラドに出てきた貧乏学生だ。今はこの家で住み込みで働きながら、学校に通っている。


「やばっ。新聞整理の途中だった」


仕事を思い出した俺は、慌てて作業に取り掛かった。この家の主人は、複数の社から新聞をとっていて、週末にそれらをまとめて読む癖がある。なので、毎日来る新聞を分けてとっておくのも、俺の仕事の一つなのだ。


新聞といってもいろいろある。真面目で堅実な記事ばかり取り上げるものもあれば、ゴシップの多い大衆紙なんかもある。俺はあんまり難しいのは苦手だし、まだ二十歳になったばかりの若者だから、真面目系の記事より軽い内容の記事の方が好きだ。


まあ、個人の好みに関わらず、整理をしていたら勝手に目に入る記事もあるわけで。


特に多いのが、ある小説についての記事。世界的にかなり人気の高い「不思議な万年筆」という児童書。その最新巻が発売されたという記事だ。俺はあまり本を読まないから、詳しくは知らないけれど、その題名だけは聞いたことがある。カレドニアにいた時も、友人の何人かが読んでいた覚えがある。


そして何を隠そう。この家の主人こそが、この本を出している出版社の編集長なのだ。これほどたくさんの新聞に掲載されていたら、出版している本人としては、さぞかし気分も良いだろう。


だけど、目に入って来る記事はそんな平和なものばかりでは無い。最近、カルラドで頻発している連続殺人事件についての記事も非常に多い。あるゴシップ誌を見ると《亡霊博士(ドクターファントム)》という名前がでかでかと書かれていた。


犯人の顔も素性も分かっている。なのにどういうわけか、誰も捕まえる事が出来ない。まるで亡霊のようだ。という話と、その犯人が、少し前まである大学に勤める研究者だったらしい。という話とが元になって、そんな通り名がつけられたそうだ。


(しかし、随分と単純なネーミングだな)


そんな事を考えながら整理を続けて、ちょうど全部終わったところでこの家の家主が帰ってきた。


「ただいま。おや、新聞を整理してくれたのか。すまないね」


紳士然とした初老の男性。俺の雇い主、ボードマンさんだ。


「いえいえ。それより、お疲れ様でした。今日はいつもより遅いお帰りでしたね」


そう言って俺は、暗くなる前に作っておいた夕飯を温めるため、台所に向かった。



「うむ。これは美味い」


夕飯を口に入れたボードマンさんは、いつも以上にニコニコしながら、料理の感想を言った。


「やっぱり、君の料理は格別だな。いや、料理だけじゃない。掃除や洗濯、庭の花の世話、何もかも申し分ない。口調も仕草も丁寧で上品だ。こんな出来る若者は他にはそういないだろう」


「.......ボードマンさん。何か俺に頼みたい事でもあるんすか?」


ボードマンさんはギクッとして目を泳がせた。


ボードマンさんは、基本的に優しく謙虚な性格であるため、人を使うのにどこか抵抗を感じるタイプらしい。だから、人に何か命令をしたい場合、今のように、相手を過剰に褒めまくるという妙な癖がある。


「別に、あなたは俺の雇い主なんだから、そんな遠慮する事もないでしょうに。それに、いつ俺の口調が上品になったんですか」


「いやあ、やっぱり苦手なんだよ。人に何か頼み事をするのは」


「で、なんです? 俺に頼みたい事って」


「大した事じゃないんだけどね.....」


ボードマンさんは話し始めた。


それは、本当に大した事ではなかった。


簡単に言うと、ある作家の元に資料を届けて欲しい、という事だ。ボードマンさんは明日それを届ける約束をしていたらしいのだが、どうしてもキャンセルできない急用が入ってしまい、届けられなくなった。だから、代わりに俺に届けて欲しいというわけだ。


「それぐらい、お安い御用ですよ」


「ああ、ありがとう。でも、気をつけておくれ」


「何をです?」


「その、小説家の子と言うのがね、なかなか気難しいと言うか、捻くれ者というか、ちょっと困った子でね......」


そう言ってボードマンさんは頭を掻いた。


「とは言っても、資料を届けるだけでしょう? 別に、そんなに気にする事も無いんじゃ?」


「まあ、大丈夫とは思うけどね......。一応、覚悟はしておいておくれ」


「あ、はい」


とまあ、そういう事で、俺はその作家に資料を届けに行く事になった。




翌日はちょうど学校の授業が無かったので、ボードマンさんが仕事に行った後、朝の仕事を終えた俺は、資料の入ったA4判の封筒を持って、その作家の家に向かった。


そこは大都会カルラド内でも北側に位置する。比較的自然豊かな土地だった。心なしか、カルラド中心部と比べて景色も澄んで見える。


道端に植えられた木々が葉を落とし、そのうちの何枚かが、時々吹く風に乗ってふわりと浮かぶ。ひんやりとした空気が俺の頰を撫でた。何となく故郷を思い出しつつ歩いているうちに、作家の家が見えてきた。



《ヘルベティオス通り51番地》



ボードマンさんから聞いた、作家の住所だ。この住所が示す場所に建っていたのは、かなり年季の入った一軒家であった。表札は木製で、既に腐りかけており、その表面には少し黄ばんだ紙が貼ってある。紙には《シャルロット・ストレンジャー》という名前が書かれていた。ここに住んでいる作家の名前だ。


だが、人の居る気配は無い。


もし、これが空き家だと言われたら、何も疑う事無く信じてしまう。いや、むしろ何も言われずとも、空き家と思ってしまうだろう。そんな家だった。


これまた木製の扉には、錆びついたドアノブがくっついていた。そのデザインを見るに、作られたばかりの頃はかなりお洒落な家だったのだろうということが予想できた。


(しかし、このドア、鍵かかってるのかな)


というか、鍵穴もだいぶ錆びついており、まともに機能しているようには見えない。もしかしたら、開いているかもしれないと考えて、試しにそっとドアを引いてみたが、ドアは開かなかった。


チャイムやベルらしき物も無いので、とりあえず軽くノックをしてみる。


「ストレンジャーさん。いらっしゃいますかー?」


返事はない。


「お届け物ですけどー」


(おかしいな、絶対に家に居るってボードマンさんが言っていたんだが)


今度は先程よりも、腕に力を込めて強めに叩いてみる。すると、家の中からゴソゴソという物音が聞こえてきた。


トタトタトタトタ。小さく足音のような音が近づいてきたと思ったら、ドアの向こうから「誰?」という声がした。



「ジェラルド・ボードマンさんの使いで、資料をお届けに来ました。アンドリュー・リヴェットという者です」


「ジェラルド小父様の?」


ドアの向こうの声が、訝しげに言った。


その声の高さと喋り方から想像出来るのは、まだ幼い少女の姿だった。


「ストレンジャーさんのお子さんですか?」


「........本人だけど」


うんざりしたような声が返ってくる。その慣れたきった感じの反応から察するに、子供と間違われる事が多いのだろう。


「失礼しました。それで、あの、資料を届けに来たんですけど」


返事が来ない。


「あのー........」


「マイナス十五点」


「え?」


「私を子供と間違えた。だからマイナス十五点」


「え......?」


(何を言っているんだ?この人)


戸惑う俺に対し、ドアの向こうの声はさらに続ける。


「ていうか、そもそも私まだ独身なんだけど。知らないの?」


「は? ........。ええ、まあ.....」


「自分で言うのもなんだけれど、私、結構有名な人よ? それなのに、仮にも編集長の使いであるはずの貴方が、著名な小説家であるこの私の事を知らないだなんて、無知としか言えないわね。マイナス三十点!」


「待って下さい。待ってください! 何ですかそのマイナス何点ってのは? 何の点数です?」


「声がオジサンくさい。マイナス五十点」


「オジ.........⁉︎」


いや、確かに俺はよく『童顔のくせに声が低い』とは言われるが。だからと言って、オジサンくさいって言うのは何か違うのでは無いだろうか?


あまり良い気分では無いが、こんな所で喧嘩をするわけにもいかない。


(もう、いいや。とにかく、長居は無用だ。さっさと資料渡して帰ろう)


そう考えた俺は、なるべく大きな声で。


「もう、資料はドアの前に置いておきますから。受け取って下さいね」


と、言ってから、資料を扉の前に置いた。


「ちょっと待ちなさい!」


扉の向こうからだ。向こうも今までで一番の大声で怒鳴っていた。


「貴方、手袋してる?」


「え? していませんが」


確かに、多少寒くはあるが、まだ冬も始まったばかり。わざわざ手袋をするほどでは無い。それに、どちらにしろ、手袋なんか買えるほどの余裕は、俺の懐には無かった。


「なんですって? 信じらんない!」


返ってきたのは、激怒した声だった。


「人に渡す荷物を、素手で持って来たって言うの⁈ 冗談でしょ? 気ッ色悪い‼ マイナス百点よ‼︎︎ 貴方、常識って知ってる?」


扉を挟んでやって来る声は、まあ、大層ご立腹だ。どうやら、俺がこの資料とやらを素手で持って来た事が気に入らないらしい。素手で持って来たとは言っても、そもそも鞄に入れていたわけだし、その上俺が触れているのは資料の入った封筒であり、中の資料本体には全く触れていないわけだが。


まあそんな事はどうでも良い。流石にここまで言いたい放題言われたままで我慢できるほど、俺の心は広く無い。


「じゃあ、言わせてもらいますけど。客が来たっていうのにドアも開けず、グダグダグダグダガミガミガミガミと文句ばッかり言って、挙げ句の果てに変な点数までつけ始める。そんなあなたにこそ、常識という物が必要だと思いますよ?俺は!」


「なんですって⁈」


「シッ‼︎」と言う舌打ちのような音が微かに聞こえたかと思ったら、次の瞬間、ッダーン!という音と共に、古びた扉が少し揺れた。どうやら、向こうから思いっきり蹴っ飛ばしたらしい。


「ドア壊れますよ?」


「帰って‼︎」


言われ無くても帰りたいのは山々だったが、一応、俺にはこの資料をちゃんと渡さなければならない責任がある。このまま放って置いて帰ったとして、果たしてこの人は置いて行った資料をちゃんと受け取ってくれるのだろうか。


そんな事を考えながらも、先程からの怒鳴り合いでかなり機嫌が悪くなっていた俺は、しばらく古ぼけた扉をじっと睨みつけていた。


ふと、よく見ると、その扉の表面に何か紙きれのような物が貼ってあった。



《一度上にあげ、元に戻して強く捻る》



と、このような内容の文字が、濃い紺色のインクで書かれている。そしてそれは、この錆びついたドアノブの鍵を開ける方法に思えた。


なのでとりあえず俺は、特に深く考える事も無く、それを実行した。ノブを掴んで上に少しあげてから、それを元の位置に戻して思いっきり捻った。


ボコッ、という音と共に埃が飛び、古いが重厚感のある扉がゆっくりと開いた。そして、薄暗い家の中。開いた扉のすぐ目の前で、少女が一人。ぶかぶかのワイシャツにジーパンという妙な格好で、呆然と立ち尽くしている姿が、俺の目に入ってきた。


「なっ.............なああああ....⁉︎」


外から入り込む日差しに照らされた少女は、信じられない、と言いたげな顔をしながら、紫水晶(アメジスト)色の瞳で俺の顔を睨みつけていた。


その幼顔ながらも気品のある顔立ちは、昔故郷で見たアザミの花を彷彿とさせた。肩にかかる直前で切り揃えられたプラチナブロンドの髪が、家に入り込んだ風でさらりとなびいている。


「うぅ.....⁈」


「あっ.....すみません勝手に.....」


俺は慌てて謝った。まさか、あれで本当に扉が開くとは思っていなかった。


「どっ、どーやって.......」


少女。というかこの家の住人であり、作家であるストレンジャーさんは、吃りながら言った。ぱっちりとした二重の瞳が、未だに俺を睨んでいる。


「いや、その。ドアに貼ってあった紙に書いてあった通りにしたら、開いたんですけど.......」


それを聞いた途端、大きくて丸い眼が、さらに大きく、丸くなった。そして、まるで幽霊でも見ているかのような不思議な表情に変わり、俺の顔をただただジッと見つめ始めた。


「あのー......」


しばらく無言で俺の顔を見つめた後に、我にかえったストレンジャーさんは、無言のまま、ドアの前に置いてあった資料を拾い上げた。そして、ワイシャツの胸ポケットに見せびらかす様にして入れていた万年筆を取って、封筒に何か文字を書くと。


「これ!読める?」


そう言って、その封筒を俺に見せつけた。そこには濃い紺色で大きく。



《 バ カ 野 郎 》



と、書かれていた。


「.................」


「.....『バカ野郎』?」


「読めるの⁈」


「本当に馬鹿にしてます?」


俺は、ウンザリして言った。


だがストレンジャーさんはというと、俺の言葉に答えることも無く、口をキュッと閉じて何かを思案している様だった。時々、「シッ」という舌打ちの様な音が、小さく口から漏れて聞こえた。


俺はしばらく手持ち無沙汰で突っ立っていたが、別にもうこの家に用はないという事に気づいた。


「あの、」


「ねえ、貴方」


『帰ってもいいですか』という俺の声は遮られた。


「貴方、I &S社の人?」


I &S社というのは、ボードマンさんが務めている出版社の名前だ。


「いえ、違います。ボードマンさんの家で、家事手伝いをしながら、大学に行ってるんです」


「あ。そう」


随分と適当な相槌だ。


「ねえ、貴方」


「なんです?」


ストレンジャーさんは、その宝石の様に澄んだ瞳で、俺の両眼をじっと見ながら、はっきりと言った。


「貴方、うちで働きなさい?」


「へ?」


それは、いわゆる『依頼』では無く 、『命令』という奴であった。


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