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朧月  作者: りんご
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後でね

「はい、この前やった身体測定やその他諸々返しますねー。赤丸が付いてる人は病院に行って再検査という形になりますのでよろしくおねがいします。はいじゃあ、出席番号順に取りに来てください」

 机の上でトントンと紙を揃えた先生はみんなの顔を一通り見渡して丁寧な喋り方で話した。僕の担任の先生はこの学年の中でもトップ2を走るくらい優しい先生だと思う。喋り方は優しくて丁寧だし、わからないことを聞けばわかりやすく、僕がわかるまで教えてくれるなんてこともあった。時折、先生の過去のお話や、ここ数日あった面白い出来事などを話してくれる。オチがあって面白いし、欠点を探す方が難しいかもしれない。

 順番に呼ばれていき、出席番号が5番の僕は早目に紙を渡された。約一週間前に行われた検査だったけれど、いいものはあまりなかったと思う。特に視力検査。一番上の文字がギリギリ見えたくらいで、あとは適当に嘘でごまかした。何個かはあたったけれど、当然ほとんどが外れた。身長160センチメートル。体重43キロ。聴力検査と歯科検診には引っかかりはなく、視力検査のところだけ案の定赤丸がついている。『メガネまたはコンタクトレンズが必要。眼科に行き再検査が必要』と書いてある。視力はcとd。これは、悪い方なのか。僕は何度か検査結果が書いてある紙をテストみたいに見直した。他の子でも、目が悪い子は多いのだろうか。あたりを一周見てみると、約3分の1の生徒が眼鏡をかけている。メガネをかけていない生徒たちはいいのか悪いのかわからない。時雨もメガネはかけていない。ただ、パソコンを使って作業するときなんかはブルーライトカットのメガネをかけている。視力がいいのか悪いのかわからないけど視力には気を使っているようだ。確か苺恋さんも零さんも眼鏡はかけてなかった。目がいいのかコンタクトなのか。今日の帰りにでも聞いてみようかな。

 最近、少しずつではあるけれど自分から話しかけられるようになってきた。昔のことは何一つ思い出せないけど、今の僕なりに苺恋さんと話せている。段々静かな時間が減ってきているように感じる。それはいいことだと思う。ただこのクラスにはまだ慣れていない。まだ話してない子のほうが多い。話すときと言っても、ペア活動やグループ活動のときに仕方なく発言する程度だ。それにみんなが僕を少し避けているような気がする。白の中にある黒みたいに、僕は異色なのだろうか。

 帰りの学活がおわってガラガラと椅子の音が響いている。自然と教室の外に視線が向く。少しそのまま静止していると、苺恋さんが扉から顔を出してきた。その様子を見てから、少し急いで準備を始める。

「音花さん。帰りに職員室よってくれる?」

 帰りの支度が終わりかけたとき担任の先生に声をかけられた。

「あー。はいわかりました」

 一瞬苺恋さんの顔を見た後もう一度先生を見て僕は答えた。

「急がなくていいからね」

 先生はそう言うと苺恋さんのいる扉から出た。苺恋さんに軽く会釈をしていた。苺恋さんは先生を少し見た後教室に入ってきた。

「いけないことでもしたの?」

「してないよ。…たぶん」

 冗談まじりに苺恋さんが聞いてきて、僕もはっきりと答えたかったけれど…なんとも言えなかった。別に悪いことをしたわけではないけれど無意識のうちになにかしていたらと思うと怖くなった。

「そこははっきり言ってよ」

 苺恋さんが目を細めてつついてきた。

「何分くらいかかるかな」

 苺恋さんが時計を見た。僕も時計を見た。急がなくてもいいと言われていたけれどもう少ししたら行ったほうがいいかもしれない。

「どうかな。一時間とかは流石にないと思う」

「あったら大問題」

 苺恋さんがどれくらい待てるか…。よほどのことがない限り登下校は一緒にしている。毎日のように登下校を共にしてるから、一人は少しさみしい。できれば早く終わって一緒に帰りたいけど、長い間待たせるのは可愛いそう。

「できるだけ待つね」

「ありがと。あまりに遅かったら先帰っててもいいよ」

 善意で言ったつもりだったのだけれど苺恋さんは渋々の納得だった。なぜなのかわからないまま僕は職員室に向かった。

「後でね」

 苺恋さんが手を振ってくれたので、僕も手を振って階段を降りていった。

 職員室にて先生を呼ぶと、来客室のような所に連れて行かされた。向かい合う形に置かれた茶色い革のソファ。お茶菓子が入ったお皿が置かれているガラスのテーブル。それを挟んで先生と向かい合う形で僕は座った。来客室と言われて出てくるイメージとほぼ一致するような空間。いざ先生とふたりきりで話すとなると緊張する。

「がっこうにはなれてきましたか?」

 先生がポットの湯を注ぎながら話を始めた。

「まだ、あんまりです」

 2つ分の湯呑に湯を入れて、急須でお茶を入れ始めた。異様なしずけさが漂う来客室でお茶をいれる音にかき消されてしまいそうな声だ。届いてないのか先生からの反応がない。

「どうぞ」

 先生はお盆からお茶を僕の前に置いた。自分の前にもお茶を置くと先生は腰を下ろし一口お茶を口に運んだ。

「まだ1か月ですからね。ゆっくりでいいですよ。マイペースで行きましょ」

 先生の言葉にホッとして、全身の力がすっと抜けていった。入れてもらったお茶は緑茶だろう。その水面を眺めている。

「あの子は高校でできた友達?」

「あの子…?」

「さっき扉の前にいた子」

「苺恋さんのことですか?」

「あ、たぶんその子。先生も今年配属されたからまだ誰が誰かわかってなくてね」

 なるほど。だから苺恋さんの名前を思い出せてなかったのか。先生なのになんで覚えてないのかと少し疑ってしまった。先生は微笑を含んで恥ずかしそうに斜めしたへと顔を下げていった。

 もう、胸を張って言える。過去は事実だって、わかったから。

「小学校からの友達です」

 僕は、胸を張ってそういうことができた。思わぬ言い方だったのか先生は一歩引いたように息を呑んだ。

「それは良かったね。そりゃ苺恋さんもきっと喜んでるよ」

 僕は照れ隠しに下を向き小さくうなずいた。もし喜んでくれているなら本当に嬉しい。それだけで僕も嬉しくなる。今までの苺恋さんを見る限りは少なからず残念ではなさそう。僕も嬉しい。苺恋さんが僕に関わってくれる人で。

「それはそうと音花さん。いいお知らせと悪いお知らせがあるんだけど、編入試験受けたの覚えてるよね」

 今年の3月下旬頃、僕はこの高校に転入するために試験を受けた。いわゆる受験のようなものだ。それの合格ラインを超えたから今こうしてこの高校の生徒の一員となったわけだ。

 僕は今まで眺めているだけだった緑茶を一口飲んで先生を見た。

「どっちから聞きたい?」

 先生が意味深な目で僕を見てくる。今度は僕が一歩引いたように目を見ると、先生はニヤリと悪い笑みを浮かべだ。

「わ、悪い方からで」

「編入試験、英語と数学の点数がね…その、悪かったんですよ。その、不合格の人たちよりも低い…みたいで」

 悪い、お知らせ…。僕の思っているよりも大丈夫菜お知らせだった。てっきり僕が不祥事でも起こしたのかと身構えていたけれど。

「いい方は…?」

「その編入試験のね、国語が、満点だったんです!」

「え?満点って…?」

「つまり、100点満点だったってことです!校長先生から聞いたんですけど、これは初めてのことらしいんです。逆に数学と英語があそこまで低いのに合格ってのもたまた初めてみたいです」

 喜んでいいのか悲しむべきなのか、複雑な感情に陥った。先生は文字通り珍しそうなものを見る目で僕を見てくる。すごいことなんだろう、ぼんやりそう感じているものの実感できない。

「それで、近いうちに定期試験があるんだけど。数学と英語、苦手だよね」

「はい…」

「そうこなくっちゃ!ぜひこの塾に行ってみてほしいんです。結構楽しくできると思いますし」

 どこか幼い可愛さをもつ先生が、どこから出したのかわからないチラシを勢いよく僕の前に置いた。

 


 それからは、塾の説明などを受けた。行くと決めたわけでもないのに…と思いつつ一応聞いたことを頭の中で整理することができた。先生がくれたチラシの塾は、苦手教科に特化して個別指導してくれるらしい。そこに行った生徒は大体の人が成績が上がっているらしく、近隣高校の生徒も通っているらしい。

 何回か目を通したチラシを眺めつつ下駄箱で靴を取る。靴を履いたとき、1枚の紙がひらひら舞って落ちていたことに気がついた。雑にハサミで切り取られて折りたたまれているわけでもない。急いでいたのだろう。

『図書室で待ってるよ。苺恋』

 どうやら、僕を待っていてくれたらしい。結構時間が経ったのに、良くも待てたものだ。

 …まだ、いるのかな。図書室の前まで来ておいて足が止まった。恐る恐る中へ入ってみた。青い床で、中央には机が5つほどある。奥に並べられた本棚には漫画から伝記までずっしりとあるようだ。肝心の苺恋さんは、椅子に座って何やら本を開いていた。誰もいないから、別に声を出してもいいのだろうけど、なんとなくで声を出さずに苺恋さんに近づいた。

「意外と時間かかったんだね」

 気配で僕だとわかったのか、苺恋はペンを走らせながらそう言った。

「先に帰ったのかと思っちゃった。良かった。あの紙届いたんだね」

「あの紙がなかったらもう帰ってたかも」

 僕は、苺恋さんの理想像にならなくていい。昔の僕にならなくていい。苺恋さんの望むとおりにすればいいのだ。

 他愛のない会話を少し積んで、僕らは図書室を出た。



「遅かったんだな。居残り?」

 今日は時雨のほうが帰りが早かったようだ。確かにいつもより1時間以上帰りが遅くなってしまった。あの場に1時間ほどいたことになるのか…。

「先生と話してた」

 僕はリュックから視力の再検査表と、塾のチラシを机に並べた。白衣らしきものをハンガーにかける時雨は、作業より興味が勝ったようで作業そっちのけでそれらを見ている。

「お前、視力悪いのかよ。裸眼でC?よく生きてこれたな」

「時雨は目いいの?」

「高校入ってから悪くなってるな。今でもたまに眼鏡とはするぞ」

 ブルーライトカットの眼鏡を使っている割には目が悪いらしい。

「こっちはなんだ?」

 顎に手を当てた時雨は机においてあったもう一枚のプリントを見た。

「紅葉、両極端なやつだね」

 笑いながら時雨はプリントに視線を走らせている。

「確かに」   

 僕は頷いた。

「納得するのかよ」

 でも実際そうだ。先生が言うのであればよっぽど悪かったのだろう。逆に国語は本当にすごかった。得意で好きな教科と聞かれたら間違いなく国語と答える自信がある。逆に嫌いで苦手なものを聞かれてしまえば間違いなくあの2つが出てくるだろう。

「塾ねえ」

 都合でも悪いのか顎に手を当ててしばらく黙り込んでしまった。

「どうかしたの?」

「いや、場所によっちゃ送り迎えができないから」

 そういえば、塾の場所を聞くのを忘れていた。通学路には塾なんて見当たらなかった。近くにあるなら、学校と逆方向。もしくは学校の奥。そこなら未開拓地だからわからない。

 時雨が椅子に座りパソコンを開いた。横から覗き込むようにしてみてみると、チラシの塾の名前とその場所について検索しているようだ。中々早いタイピングスピードに思わず驚いてしまった。

「結構近いんじゃん。これなら紅葉も歩いていけるでしょ」

 家から徒歩10分程度の場所だった。登校通路の脇道を入ってちょっと歩いたところにあるみたいだ。

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