お前しかいない
「菜由さん、だっけ。あの人何かあったの?」
喫茶店から帰って一息している時雨に針を刺すみたいに聞いてみた。
のびの状態で止まり、珍しいものを見つけたみたいに僕を見て固まった。どこかで見た光景だ。
「なに?恋した?」
「違う」
「じゃあどうしたんだよ」
「女の子に男友達がいないことって、普通なことじゃないの?苺恋さんだってそうだったんだし」
まるでこれしか正解がなくて、外れたことがショックだったのか目が鉛筆みたいに細くなった。
逆になんでそれが正解って思ったのか意味がわからない。正解な訳ないじゃない。
「それが普通じゃないやつもいるんだよ。世の中はひろーい」
時雨は両手で大きく円を書いた。伸びの体勢をようやく崩して足を組んで頬杖をついた。まるでタバコを吸っているおじさんみたいだ。
「菜由は昔、いじめられてたんだ。男の子に」
ついさっきまでののふざけた顔とは一転口角が下がった。その言葉を聞いた瞬間にぐっと拳に力が入る。
「話すと長くなるから今は言えないけど、小学校高学年の頃男の子にからかわれて以来、あいつは男の子と一切関わりを持たなくなった。それまでは普通に男の子とも話してたんだけどな」
「……」
何かを言おうとしても、なぜか口が開かない。妙に他人事じゃないような感覚がする。
心の奥のモヤがせり上がってくるように胸を締め付けられるような苦しみに襲われた。
「まあいわゆるトラウマってやつだな。そんだけかよって思うかもしれないけど実際その1つが肥大化して心に襲ってくるんだからどうしようもない。精神科医やってるとそういう患者何人も見るからわかる」
足に木の根がまとわりついているみたいに動けなくって、それで喋れない。
トラウマ…トラウマ…
「紅葉。ちょっと頼みがあるんだがいいか」
頬杖をついていた手を膝に置き、改まった姿勢で時雨は言った。時雨に真っ直ぐな目で見られると少し怖くてドキリとしてしまう。
「今の話聞いてる感じ、お前なら菜由と仲良くなれる。別にすぐじゃなくてもいい。いくら時間はかかってもいい。菜由と仲良くしてくれないか。お前なら、菜由を変えれる」
真っ直ぐな声と射通すような視線。それは菜由さんが自分の子供であるかのような切実な頼み。
僕なら、菜由さんと仲良くなれるというのはどういうことだろう。
「あの学校で菜由と仲良くなれるのは、お前しかいない」
僕しか、いない。なんだか国を守ってくれとでも言われているようだった。
心に刺さる言葉だった。脳内で何回も時雨の言葉が再生されている。
菜由さんのトラウマを消してくれと言われている。という解釈でいいのかな。
「もちろん無理にとは言わない。お前の人見知り具合が今の環境問題くらい深刻なことはジュ~ブンわかってっから」
なんだか小馬鹿にされてるみたいで頭にきたけれどそのとおり過ぎてぐうの音も出ない。
菜由さんは誰かに自分のことを誰かにはなしたのだろうか。苺恋さんは中学のときから知り合いみたいだけど詳しいことは知らなさそうだった。他の友達…小学校から一緒だった子なら聞いてなくてもわかりそうではあるけれど。
「まあ、返事はどっちでもいい。今はきが向かなくても、後からやってくれてもいい。それよりさあ、ご飯食べようよ。おなかすいちゃった〜!」
雨上がりのような湿り気があるテンション。時雨が今ちょっと無理したことは流石に僕でもわかった。
「ウヒャーやっぱ混んでるな」
「場所取れるかな…」
「それにしても満開だな!」
4月が終わりに差し掛かっているというのに、今からが春だと言わんばかりの桜が公園一体の木に花を咲かせている。どうやら今年は少し遅めの桜らしい。桜を待ちわびた人たちが見に来ているからか、ものすごい数の人がいる。
なんとか席を確保してほっと息をついた。僕の右横で時は作って持ってきたお弁当をせっせと用意している。よっぽどおなかがすいているのだろう、「早く食べようよ」という目で僕を見ている。一応保護者の立場らしいからもう少し大人っぽくしてほしいものだ。でも、確かにもう12時を回っている。お弁当を見ていると心做しか僕もおなかがすいてきた。
「そろそろ食べよっか」
「やったー」
お弁当を広げると両手を上げて待ってましたと言わんばかりにお弁当を食べ始めた。僕も時雨から箸をもらってお弁当に手を伸ばす。我ながら見栄えは完璧と言ってもいいかもしれない。
「この卵焼きちよーうまい!」
「ほんとに?よかった」
見栄えは良くても味が駄目ならすべてが壊れる。急いでたせいで調理中味見をしてなかったから心配だったけど時雨の言葉で不安が安心に変わった。
ほっと胸をなでおろして僕も1つ食べてみた。時雨の言うとおり美味しかった。
「よかった俺。お前がいて」
「なんで?」
「もしお前がいなかったら俺毎日惣菜何だぞ?温かみの欠片もねえよそんなん」
「確かに…」
毎日のように僕が晩ごはんを作ったり、休みの日は昼ごはんまで作っている。僕自身楽しいからいいけれど、料理なんて無縁の時雨が一人暮らしだったら家中が惣菜パックで溢れかえりそうなのが容易に想像できる。
「お前なんで料理好きなんだ?…って聞いても無駄か」
箸を持っている手で頭の後ろをかきながら時雨は言う。
桜の花がなくなるように僕の記憶もない。ほんの1ヶ月いかないくらいの間の記憶しかない。それ以降のもうひとりの僕は何をしていたのか、自分でもわからない。ただわかったのは、小学校の頃は苺恋さんと仲が良くて、女の子っぽい見た目だったことくらいだ。やはり時雨はなにか知っているのではないだろうか。勝手に記憶が消えることなんてあるのだろうか。でも時雨が記憶を消すことができるなんて思えない。
「何も知らないの?」
僕の言葉に時雨は頭をかく手を止めた。
「僕の記憶がなくなったのって時雨は何もわからないの?」
「ああ。残念だけど何もわかってない。でも解決策ははあるかもしれない。いま探してるんだ」
何回聞いても同じ現実を見せられて、僕は小さくため息をついた。
「なあ紅葉。来週からまた病院にきてくれないか?解決策を探す手がかりになるかもしれない」
時雨はしばらく黙ったあと僕にそう告げた。時雨の言う『解決策』とはなんなのか。
「病院?どこの?」
「俺の働いてるとこ。市民病院な。多分一回来たことあるぞ」
市民病院…ああ確かに前そこで働いてるって言ってたような。時雨が病院にいる時間に行くことになるのだろうか。
「行く日はまだ決まってないんだけど、まあ学校のあと多分南海ちゃんと車で迎えに来る」
「ナンカイ…?ちゃん?って誰?」
「同僚の北山だよ。全部反対にして南海ちゃんって呼んでる」
全部反対ってことは男の人なんだ。知らない人だけれど、人見知りなんて知ったこっちゃない時雨がいるならなんとかなそうだ。
「あー…この感じだと明日になりそうだな」
時雨が携帯をいじりながら言う。どうやら予定表でも見ているらしい。
もう少し先に行くものだと思ってたから驚いたけれど、早く済ませるに越したことはない。
「まあちょうどいい。明日なら朝行くときに連れていけるしな」
お弁当に入っているウインナーを食べながら時雨は言う。あんだけあったお弁当がもう范文も食べられていることに驚きを隠せない。こんなに食べるの早かったっけ。まさか僕が気づいてないだけで僕自身も時雨いじょうの量を食べていたのかな。そんなこと流石にないかと自分に真を聞きこませた。
お弁当を食べきり、すっかり桜に見惚れている。
「きれいだな〜、俳句でも作りたくなる」
後ろに手をついて座る時雨があくびをした。
「俳句?作ってみてよ」
「ああきれい 桜がさいてる ああきれい 桜がさいてる 俺はねる」
「それ短歌ね。あと寝ないで」
バタリと音がしてしぐれを目で追っていると横向きに寝転がってしまった。
通りかかる人が時雨を見て少し笑っている。
「ほら、周りの人見てるから、恥ずかしいから」
時雨をさすって起こしてみるが、もう遅いようだ。何回か起こしてみようとチャレンジしてみたけれど無駄だったので諦めて桜を見ることにした。
ほんとに飽きない、何分見てもこの舞桜は。時雨が眠りに入ってから約10分程がたった。ただぼーっとしているだけでも全く暇にならない。
「あの子男の子?」
「いや違うだろあの座り方は」
後ろで男の人の話し声が聞こえる。ちらっと振り返ると僕の方を見ながら話していたので、僕のことかとわかった。
会話はそれきりしか聞こえてこなかったけど、なんだか不思議な気持ちが湧いて溢れ出てきた。




