俺は、もう…
学校について、教室までの廊下を歩いているとき隣のクラスに苺恋さんがいることに気づいた。
たまたまなのか向こうも気にしていたのか目が合って、あの一瞬でどんな表情をしているのかわかるぐらいスローモーションに感じた。
苺恋さんからしたら、僕の目までは見えないだろう。
でも僕の目からははっきりと見えていた。
外から見ればざわついていた教室内の人も、僕一人が入ることで、一気に視線が集まって焦げた肉を見るような目で見られているような気がする。
何にも染まらない白は今日も口をつむったまま時を過ぎさせていく。教室から出ることもないので朝以来苺恋さんも見ていない。
学校の最後の予冷がなり、それぞれ帰る人、部活をする人などで散らばっていく。何も用事がない僕は誰よりも遅く準備を始め、誰よりも遅く準備を終えた。
人がいないというのは実に心地がいい。誰にも邪魔されない、まさに自分だけの空間。
孤独の旨味成分を味わいながら教室をでた。
「ちょっといい?」
誰に宛てられたか分からない声に思わず反応してしまい、声の発生源の方を見る。
真っ直ぐに向けられた眼差しから僕に対して言っていたのだとすぐにわかった。
自分を指差して確認をとってみると、「逆に誰だよ」と目を細めて言ってきた。
人一人分あけて止まった男の子は、僕よりも背が高く、風邪気味なのかマスクをしている。
まじまじと僕を見つめている。頭からつま先まで観察されている。妙な緊張が心臓に音を立てて伝えていく。
「この前、音花さんを町中で見た。かわいい服着てたよね?レディースかな、だからてっきり女の子かと思った。昨日、学校に音花さんがいることを知って、一回話してみたいなーって」
途中頭の後ろをかいたり、腰に手を当てたり少し挙動不審のところがあった。
「ごめんなさい。その仕草で話が入ってこないです」
時折体をひねったり、中華料理店のメニューくらい動きのレパートリーが多い。
僕をみた?あまり外には出ていないけれど…。でもこの長い白髪は確かに覚えやすいのかもしれない。
「でも昨日、学ラン着てたよね」
「は、はい」
「確かに音花さんは、パット見じゃあ女の子に見える。昨日学ランを着てなかったらまっちがいなく、ああ、女子なんだ、ふーんって思ってたけど」
この子の特徴は話すときにたくさんのジェスチャーを入れることだと僕は思う。話の内容が吹っ飛んでしまうくらい気になる。的はずれなことをしていないけれど、なんていうか、面白い?
今僕は体操服を着ている。今日はたまたま体育があった。着替えなくても大丈夫だと先生に言われたので寒くないように上は長袖を着ている。
この子が言っていることには納得する。自分でもこの容姿は他人(他の男子)とは違うと思っている。その証拠に今日体育の先生に『お前は女の子みたいだな』と笑われた。正直イラッとした。そう言われたことに対してじゃなくて、バカにされたように言ってきたからだ。
「なんでレディースきてたの?」
トライアングルが鳴るみたいに心にその言葉が響いていく。それも隅で小さく。
「家にあったから…です」
人の目を見て話すことが苦手な僕はこの子がジェスチャーをするのと同じように目を泳がせている。
特にこんなにじっと見られたら全身から嫌な汗が出てくる。
「なんでレディースの服が家に?」
なんで…それは僕が聞きたい。記憶の残る範囲では僕は一度も服屋さんになんて行ってないし、時雨が服を買ってきたこともなかった。僕は「わからない」素直にそう答えた。
今僕の服はメンズがない。かと言ってガッツリレディースという服ばかりではない。男の子でも女の子でも着れるようなレディースが家にたくさんある。それもサイズ的に全部僕の。時雨はファッションとかに興味があまりなさそうだけど、買う人と言えば彼しかいない。
「なに?もしかして女の子になりたいの?」
「オカマ?」
少し間をあけて彼は言った。
なんだろう…胸の奥がぐっと締め付けられるような感覚だ。しかもこの感覚は初めてではない。いつか味わったことのある。僕はとっさに胸付近の体操服をつかむ。精一杯の力で。少し息遣いが荒くなっていることに気づいた。
問い詰められているようだけれど、僕にはわかる。この子は多分悪い子ではない。からかっているようには見えない。あくまでもたった今思っただけだからわからないけれど。
「怒らないんだ」
目線を変えずに顔だけが少し下がった。顎に手を当ててまっすぐな目で僕を見ている。さっきからずっと分析されているようで少し不快だ。
「中途半端なら、そんなことやめたほうがいい」
強く訴えかけるように彼は一歩こっちへ来た。怖かったので僕は片方の足を後ろにさげた。
「あの、さっきから何してるんですか?」
胸元を抑えて、なんとか声を出す。目を見て話せずにキョロキョロしてしまう。目線の光と共に言葉もうまく通じないていないかもしれない。時雨が言っていたけど、目を見て話せないのは自信のない現れだとかなんとか。本当なのかはわからないけれど。
「………………」
男の子が深く黙り込んでしまった
なにか聞いてはいけなかったことなのかな。でも向こうも僕に意味わからないことしてるから同等だ。
「もう…。俺は、もう…」
「みーつけた」
とても小さくて、それで繊細。今にも消えそうな声で男の子は言った。でもそれは時雨の声にかき消されてしまった。
声の発信地に顔を向けると時雨の横に苺恋さんがいるのも見えた。
なんで2人が一緒にいるの?
「夏川…」
「満月さん、………。!?」
「夏川くん?夏川くん何してるの?」
「えっと…」
どうやら僕と話していた彼は夏川くんと言うらしい。
そんな夏川くんは明らかに困っている。多分本人も何をしているのかわかっていなかったんだろう。
ふたりの顔をテニスのラリーを見ているみたいに交互に見た。
何度か見たあと、苺恋さんは夏川くんではなく僕を見ていた。夏川くんを見ていたような目ではなく、なにか僕の心の奥を見ているようだ。
「紅葉、帰るぞ。今日はスペシャルゲストも一緒だぞ!」
「あ、じゃあ俺はこれで。バイバイ音花さん。また今度」
「また今度って…」
場の空気を読んだのか夏川くんは早足で教室を出ていった。夏川くんの背中はどこか寂しさが漂っていた。でも少し縮まりがなくなった彼の後ろ姿は何かをもの言いたげだった。そうして何を慌ててるのか、彼は姿を消した。
「紅葉、知り合いか?」
扉の縁にもたれかかった時雨が聞いてきた。
「いや、今日初めて話した子」
「みッちゃんは知り合いなんでしょ?」
ほんとにそうやって呼んでるんだ。時雨を細い目で見る。
「同じクラスの同じ班です」
まだふたりには距離があるみたいだけれど。時雨はグイグイといく人で、どんな人にもすぐ親しくなってしまう。苺恋さんも人付き合いがうまいのだろう。学校の先生よりも距離感が近いように感じる。
「へえ、そりゃすごい偶然」
夏川くんと苺恋さんもそこまで親しそうには見えなかった。本当にただのクラスメイトのように見えて、少し安心した。
「何話してたの?」
苺恋さんの問いかけに一歩下がりたい気持ちになった。説明する気にもなれず、言ったところで何もない気がしたので、「いや、特になにも」と返事をした。
「さあさ、もう帰りますよ」
時雨が僕の背中を押し始めた。自動的に足が動く。
「ちょっと。早い早い。こけちゃう」
時雨は僕の言葉なんぞ関係ないぞと言わんばかりにスピード落とす気はないようだ。
その勢いのまま教室の外へと押し出した。




