いいほうですか?
「紅葉くんテストどうだったの」
頭を悩ませる問題を解いていると、静寂を山根先生が破った。今ここの教室には僕以外にも3人いて、いずれも高校で見たことのある人だ。ちなみにその中に菜由さんもいる。少し前に、時雨からおなじ塾になゆがいることを教えてくれた。塾に入って、僕は初めて菜由さんを見た。なんだかオーラみたいなものを放っているような不思議な雰囲気がある。でも、この人がいじめられてた?さっきまで先生と他愛のない話で盛り上がって、たくさん笑っていた。今は僕の斜め後ろに座っていて、ノートに問題を解いているところだと思う。さっきとは打って変わって集中しているようだ。
僕は問題集から目を離し先生と目を合わせた。
「思ったよりできました」
ニッコリと笑ってそう言ったら先生も嬉しそうに「ほんまですか」と笑って喜んでくれた。
昨日、高校に入って初めてのテストを受けてきた。
教科数は苺恋さんが言うには多いようで、現代文、古文、歴史、数学II、数学B、物理、地理、科学、英語論理表現、英語コミュニケーションの10教科だった。これが期末になるとプラスで家庭科、芸術(書道)、保健が増える。最初聞いたときは衝撃を受けたけれど、慣れというのは怖いもので、苺恋さんは余裕そうだった。それに彼女は学年の中で毎回のようにトップ10に入るくらいの頭脳を持っている。しかも塾に入ってないらしい。つまり家でとてつもない量の勉強をしているということになる。今回は聞かなかったけれど、次のテスト前には勉強方法を聞いてみるのもありかもしれない。
「数学と英語はどうだった?」
塾に来てから数学と英語の問題を重点的にやっている。それの成果が出たのかも解ける問題も増えてきた。これは間違いなく成長したと言っても過言ではないと思っている。他のものに比べて点数は低いかもしれないけれど、苦手な割にはよくできたほうなのではないか。
「まあまあできました」
「そりゃ楽しみですな〜。今回の単元結構スラスラ解けてたもんね」
先生はわくわくとした眼差しを見せたあと、ボールペンを持ってこっちに来た。そして「ここの問題は」と頭を悩ませていた問題の解説を始めてくれた。
塾へ次に行くときには、もうテストの全てが帰ってきていた。僕てきにはかなり出来がいいように思える。だから今日はワクワクしながら塾へ向かえる。苺恋さんも零さんも、今日は部活があるし、僕の塾の時間も早いので別行動。早く先生に結果を見せたいあまり、いつもより10分も早く塾についてしまった。まだ先生しかいない塾内で、先生は老眼鏡をかけてパソコンをいじっている。
「おー早いじゃないの。やる気あるのはいいことですよ」
扉の開く音に気づいたらしく、先生は老眼鏡からメガネに変えた。
「テスト返ってきました」
いつもより少し早く歩いてここまで来ただけでこんなにも息が上がるものなのだろうか。僕は肩で呼吸をして上がった息を整える。
「本当。出来はどうでしたか?」
パソコンを触るために座っていた椅子から立ち、教室の電気をつけに行った。先生を目で追った後、塾の少し重たい扉を閉めて、ワークと答えが入ってる棚から自分のを抜き取る。教室を除くと、「暑いからもう扇風機いりますなー」と右前と右後ろ、左前と左後ろの4箇所に扇風機が置かれていた。クーラーはないのかと見渡してみると、教室の外に一つ置かれているだけだった。少し不安になったけれど、そんな感情は扇風機に一瞬で飛ばされて行った。「どうぞー」の先生の言葉を合図に教室に入る。
僕が座って一息ついたその刹那、塾の扉が開く音がした。先生は教室内にいるので多分塾の生徒が来たのだろう。
「おぉ!鮫ちゃん早いじゃないですか」
先生が呼んだ名前に、びっくりして、教室の出入り口を凝視する。今までこの時間で菜由さんと一緒になったことなかったのに。なんでここにいるんだろ。テストはもう終わってるから自習室で自習をするわけでもないだろうし、先生もこの反応。もしかして僕が間違えてるのかな。時雨は確か下の名前で呼んでいた。塾の先生はより親しみを持ったあだ名をつけてる。菜由さんも嫌じゃなさそうだ。
「忘れたの先生、今日振替の日なんだけど」
「あれ?そうだったっけなあ」
菜由さんは笑いながら喋って、それを見た先生の顔も笑っていた。教室前においてある予定表に物理的にペンを走らせ、菜由さんの振替日を確認している。
「ほんどだあ」
「先生認知症なんじゃない?」
「そろそろきとるかもしれんな」
ゲラゲラと先生が冗談混じりに言う。この塾の生徒の多くは先生と親しく、タメ口で話している。僕はまだなれていないし、そんなに人と関わることが得意じゃないから、常に人との間に何枚か壁を隔てている。それは今まで関わってきた人はもちろん、苺恋さんや零さん、時雨にもそうだ。
先生は自己紹介のとき、年齢は言っていなかったから、先生が認知症を患ってしまうような歳なのかもわからない。見た目に反して元気いっぱいって感じだから、それがまた惑わせる。
「今日何人の日?」
僕と同じように学校帰りなのだろう。制服を来て通学鞄を両手で持っている。よく姿は見えないけど、この人が、時雨のいとこで、むかしいじめられてたっていう…。僕は時雨みたいに医者じゃないからわからないけど、トラウマを抱えている人でも、ここまで楽しそうに生きられるものなんだ。楽しそうに笑っている顔、彼女が動くことによって揺れる長い髪。トラウマを乗り越えられるほどの強いメンタルがあるってことなのかな。時雨は仲いいって言ってたけど実際菜由さんは塾の先生とこうして話している方が楽しそうだ。
それにしても、路地横で密かに聞いたあの声のトーンとはだいぶ違う。最初は別人かもと思ったけれど、あの日の電灯に照らされた影を見れば同一人物で有ることは明白。
「今日はっと。そんなにいっぱいにはならんよ。多分5人とかじゃないかな?」
「多いじゃん」
「鮫ちゃんのときはすくないからねえ、でもまあ確かにこの時間は他に比べたら多いかな」
「わたしんとき多くて4人だもん」
さっきまで学校で授業を受けていて、ここまで徒歩できたという条件は変わらないはずなのに、菜由さんはまだピンピンしている。苺恋さんもそうだけれど、なんでそんなに元気も体力もあるの。羨ましい。
「はいはい。せっかく早く来たんだからたくさん勉強しますよ」
紙を拍手のように叩く音が聞こえた。すると僕の1つ開けた机に菜由さんが座る。早く来たのにめんどくさそうな顔をして、だるそうに入ってきた。テキストに目を通しているふりをして横目でちらりと彼女を見る。
塾の先生は菜由さんのことを鮫ちゃんと呼んでいる。時雨は彼女を鮫島菜由と言った。そして時雨は菜由や、菜由ちゃんと呼んでいる。苺恋さんも先生と同じく鮫ちゃんと呼んでいた。名字に鮫という字が入るのは鮫島くらいしか僕は思いつかない。僕の中で一瞬彼女が、本当にあの路地横で時雨と話していた鮫島菜由なのか怪しくなっていた。今考えてみれば、時雨とあの時間にあの場所で話すのって、菜由さんが塾に行っていたからだと辻褄が合う。恐らく僕の次の時間帯に席を入れていて、時雨は菜由さんの連絡先を知っていて久しぶりに話すにはちょうどいい集合場所だったのかもしれない。
「そうそう忘れてた。テスト帰ってきたの見せてもらえる?」
次に先生が言葉を発したのは、僕のテキストのページが一枚めくられたときだった。
「あ、はい」
僕は通学かばんの中から一枚のクリアファイルを取り出す。テスト用にと解答用紙と問題用紙は全てこの中に入れてある。全ての解答用紙を出すと、先生がそのテストを奪い取って1枚1枚開いていく。
「おお国語すごいじゃん!塾で何もしてないのに」
今回、国語は96点だった。学年の最高得点と同じだったから実質学年トップ。
「古文もいいじゃなあい。もみじくん国語系得意なんだね」
「はい」
そして物理、科学、歴史、地理とテストが見られていく。ここまではそこそこ良かった。自分では、今回のテストは全部いいと思ってる。でも自己評価と他人の評価はどうしても違いがでるものらしい。
「あちゃ。数学両方あれだったんだな。英語も惜しいね」
正直褒められると思って誇らしげに待っていた。確かに基準がわからない。確か、数学bの平均点は48.9で、数学Ⅱは56.7。英語コミュニケーションは65点で、英論表は74.5。僕の点数は順番に32点、33点、29点、21点だった。25点以外は赤点らしく、英論表だけ、僕は赤点をとってしまった。惜しいと言いつつ先生は苦い顔をする。この苦手な教科4つで、赤点がひとつなだけまだましと思うべきだ。英語は怪しいけど。さっきまで自信満々な顔をしていたが、段々と自信がなくなってきた。
「いいほうですか? 」
「んー。もうちょっとほしいかな。苦手なものとかも含めて全部50点以上は、うん。国語の2つはもう十分すぎるくらいだから」
他の教科とあまりにかけ離れていた点数だったからか、先生はわらっている。今落ち着いて見れば、国語とその他の点数は30点以上だ。国語だよりになるのも良くないとは思うけど。でも国語は漢字以外あまり勉強していない。
視界の右端で、何かが揺れているのが見えたので右を見てみると、菜由さんが肩を揺らしていた。
「鮫ちゃんどうしたの」
「いや、赤点取る人初めて見たから、面白くて。自信満々な顔だったのに」
必死で笑いをこらえようとしているようだけれどバレバレだ。
「こらこら、笑わないの」
僕はあまり気にしていないからいいのだけれど。
「先生。僕は大丈夫です」
だからそれを言葉で示しておいた。菜由さんはついに隠すこともなくなり、ゲラゲラと笑い始めた。
「おもしろ。国語ガ得意なのは知ってたけど、まさか他の教科がそこまでとはね」
時雨から事情を聞いている以上、余計に気を使ってしまう。ただでさえ人見知りだというのに。言葉を選んでいるうちに、先生のほうが先に話し始めた。
「鮫ちゃんもむかしこんなだったからね」
笑い混じりの声で先生が言う。
「ありゃま。でも今はあがってるから」
「まあ前に比べたらだいぶ上がっとるか」
「そうでしょそうでしょ?」
菜由さんにもそんな時期があったんだ。高校一年からここにいるとしたら、1年間で学力が相当上がったことになる。それだけここの塾はすごい。
「鮫ちゃんのクラスはテストまだ返ってない?」
「うん。多分来週には全部かえる」
「おお、楽しみですな」
「期待しといて。今回結構いいから」
どこかで見たような展開だが、僕は何も口を出さなかった。
「さめちゃんがそういうってことは本当なんだろね」
「まあね」
聞けば聞くほど、見れば見るほど菜由さんの事がわからなくなってくる。




