隠さなくてもいいんだよ
「試験いつあるかわかるのか?」
「近いうちとしか聞いてない」
そういえば苺恋さんも、もう少ししたらテスト期間と言っていた。その時にいつからかどうか聴いておけばよかった。
「どうだ、体験にでもいくか?」
「え」と思わず声が出た。小さすぎてもはや声じゃないといっていいかもしれない。
「それこそみっちゃんとか塾行ってないの?」
「どうだろう、聞いてないからわかんない」
「なんだ、そういう話はしてないのか」
持っている2枚のプリントをトントンと重ね僕に押し付けるようにわたしてきた。
「眼科も行かなきゃなんだろ?いつ行こうか」
「んー、テスト期間始まる前くらいまでに行きたいかな」
「それがいつなのかわからない、と」
「うん、そうだね!」
「何故喜ぶ?んー…八方塞がり」
時雨が四方八方を囲まれてしまいため息を吐いた。苺恋さんの連絡先を知っているわけでもないから今知ろうなんてできっこない。大人しく明日聞こう。
「試験?あー、去年なら20日過ぎくらいだったような。今年も多分そのくらいだと思う」
昼休み、いつもどおり苺恋さんと一緒にご飯を食べているとき、僕はテストのことについて聞いた。苺恋さんは空中にあるシャボン玉を割るみたいに箸を開いて閉じてを繰り返しながら言葉を出していった。
「勉強するの?」
「いや、眼科行くのに予定が合わないから時雨が聞いてこいって。勉強もするつもり」
「つもりなんだ…。眼科って?視力悪いの?」
どうやら眼科の話題に、興味を示したらしい。
「ちょっとね。cとd」
僕は右、左の順に目を指さした。苺恋さんは結構驚いたようで、「え?」と目を丸くした。
「ちょっとじゃなさそうだけど。わたしより全然目悪いし。黒板見えるの?」
「んー。あんまし」
僕はどちらかというと。後ろの席になる。授業で板書をするときとかはいつも黒板を睨みつけるように目を細めてようやく字が見えるほど。たまに字が小さい先生がいるけれど、そのときはほとんど見えない。だからその授業は話を聞いてなんとか理解している。
「苺恋さんの視力は?」
「私はね、両方C」
「…同じくらい」
僕のほうが全然悪いというからせめてBくらいあるのかと思った。苺恋さんはてへっと舌を出してごまかした。確かにコンタクトしてるって言ってたし、それくらいが妥当だと自分で納得した。
「早く眼科いかないとね。」
「なんで?」
「周りが見にくくなるでしょ?道端の石につまづいたりするかもだし」
冗談交じりにいじられた。そんなことないだろう、と思ってたけど、最近一度石につまづいたことを思い出して恥ずかしくなった。
「それに慣れるまで痛いし、眼鏡似合いそうだから、見てみたい」
ニコリと笑みをこぼし僕を見てきた。確かにコンタクトは痛そう。目に傷がついても怖いから眼鏡にしようかな。それに似合うなら、そっちのほうがいい。
「飲み物買ってくるけど、何か飲む?」
「じゃあココアがいい」
「りょーかい!」
苺恋さんは敬礼をして自販機まで駆け足で行った。何も意味を持たず背中を見つめ、どこか懐かしげのある感情が湧いて出てきた。
「何か目悪くなることでもしたの?」
ココアとカフェオレを買ってきた苺恋さんが一口にカフェオレを飲んでから聞いてきた。カフェオレと書いてある。いつか飲んだカフェオレと同じものを飲んでいる。
「何か目が悪くなるようなことでもした?」
ココアと、カフェオレを手にした苺恋さんは、僕にココアを渡し、カフェオレを一口飲んで隣に腰を下ろした。苺恋さんはいつか飲んだカフェオレと同じものを飲んでいる。
「暗い部屋でゲームしたり携帯いじったり、してないの?」
「んー。特にした覚えはないかなあ」
言われてみれば不思議だ。目が悪くなるようなことはした覚えがない。携帯だって真っ暗な部屋の中じゃ触ってないし、ゲームなんてほとんどしない。携帯をいじることはしてるから、少なからずそれも要因のひとつなのだろう。いつからだろ。小学校のときのアルバムを見たとき、僕は眼鏡をしてなかった。コンタクトだったのか目が良かったのか。コンタクトなんて怖いものするとは考えがたいから、多分視力が良かった。目が悪くなった次期として最も考えられるのが、中学のとき。
「わたしもなんだよね」
「え…?」
どんなに細い隙間でも通せるような声だ。苺恋さんは足元を焦点のあってない目で見つめている。
「私も、いつの間にか目が悪くなってて、今はコンタクトなの」
身近にコンタクトをしている人がいる…。でも僕は眼鏡にしようかな。つけたり外したりできるのが便利だし。痛いのは嫌だし。
「そんなことあるんだね」
僕もきっとそうなんだと思う。どこか信じがたいことだったけれど無理矢理納得した。
「一緒だね!」
なんだか暗そうにしていたから、僕は笑って空気を変えた。
「ホントだね」
肩の力が抜けていったかのようにストンと肩を落とし、僕と同じ顔を見せてくれた。
苺恋さんは、楽しそうに生きてる。苺恋さんと一緒にいるとき、苺恋さんは9割近く笑顔でいる。どんな辛さでも吹き飛ばましてくれるような笑顔だ。周りの人もきっとそこに惹かれてる。だから自然と人が寄ってくるんだ。移動教室のときとかに苺恋さんのいるクラスを覗いてみれば、いつも周りに人がいて楽しい時間を周りに共有している。苺恋さんが僕にも楽しさや喜びを共有してくれることが嬉しい。
「そうだ、今日帰り零も一緒でいい?」
「いいけど…どうして急に?」
「それね、聞いたら『なんでも!』って言って教えてくれなかった」
零さんの真似をしながら苺恋さんは首をかしげた。一体どこで僕たちが一緒に帰っているところを見たのだろう。零さんは、ちょっと怖いところがあった。ぐいぐい来るところとか、問い詰め方とか、苦手とか嫌いとかそういうのじゃないけれど。
「まあ、小学校一緒だったし、話したいんじゃない?」
卒業アルバムを見たとき、苺恋さんを見つけることに集中しすぎて、他の人なんて見向きもしなかった。故に零さんがいたことに気づけなかった。
「久しぶり…だもんね」
僕は偽りの記憶で苺恋さんと過ごさなければならない。もちろん零さんのことなんて覚えてない。僕にしてみればつい最近まで苺恋さんだって初対面だった。
「覚えてるの?零の事」
「…ちょっとなら」
まさか問いただされるなんて思ってなかったから、曖昧に返した。
「隠さなくてもいいんだよ」
「え?」
「紅葉に記憶がないって私知ってる。時雨さんから聞いたから」
真っ直ぐな視線で見られ、僕は一歩引いた。そういえば
『紅葉は…覚えてないよね…』
初めて零さんと会ったとき苺恋さんはそんなことを言っていた。そうか、時雨が苺恋さんと話してたっていうのはそのことを…。だから苺恋さんは、僕が覚えてないってことも軽々受け入れて今も話しかけてくれている。確かに疑問に思うところはあったはず。なんで気が付かなかったんだろ。
「最初会ったとき、ショックだった?」
「もちろん。すっごいショックだった。あんなに遊んで話したのに。そんなに記憶に残らない存在だったのかなって思っちゃった」
「ごめん」
端的に述べられた言葉は質量が多くて一人じゃ抱えられないほどの重みがある。忘れるわけがない。もしも記憶があったなら、話しかけられたときもっと笑ってたはずなのに、あんな無責任な1言で海の底へと沈めてしまった。
「謝らないで。紅葉が何も悪くない。だって昔のわたしたちを見てくれたんでしょ?修学旅行の写真とか」
「うん。時雨、結構言ってるんだね」
「まあね」
どうやら時雨はあのときのことを全て話したらしい。いくらなんでも話し過ぎな気がする。僕にプライバシーはないの?
なんだか心が楽になっている。今までは記憶という偽りを被って苺恋さんと関わってきた。もちろんこれからも記憶がないというのはつきまとうだろう。でも僕には理解者ができた。苺恋さんの前ではありのままの僕でいられる。




