寒き夜空へ追憶を繋げて
一人で歩く夜道が好きだ。少し肌寒いとなお良い。
私の住む町はほどよく田舎だから、人とすれ違うことも滅多にない。バイパス通りを行き交う自動車の音が乱雑に絡み合うだけで、そんな大通りを避ければ物静かな空間が私を出迎えてくれる。
なんとなしに吸い込んだ冷たい空気を鬱憤混じりに吐き出すと、白い幻想が私を包む。
だけど、その幻想は儚くも一瞬で消え去り、瞬きをするとまたしても私の前には広大な現実が広がっている。
ーー夜は、良い。
「だって、見えにくくなるから」
自動販売機で買った暖かいコーヒーを啜りながら呟いた独り言は、淡く白い現実と共に夜空へ消えゆく。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「冬華? 今の話聞いてた?」
「......ん? ああ、うん聞いてたよ。正弦定理を用いると羽柴秀吉が天下統一するって話でしょ?」
「うーん話が飛躍しすぎだし豊臣秀吉を羽柴の方で呼ぶ人なかなか珍しいけどね」
ざわざわと騒がしい昼下がりの教室。
私の対談相手は、嘆息混じりに唐揚げを頬張っていた。
私は地方の公立高校に通う高校二年生だ。
名前は白雪 冬華。誕生月は十二月であり、つい先日、十七歳となったばかりだ。
私はとことん冬と雪に囲まれた生い立ちをしている。両親の誕生日も冬の季節だし、私自身も冬が好きだ。その上、名前は冬に因んでつけられており、尚且つこの地域はよく雪が降る。
ーーちなみに、趣味は夜間の散歩。
「で、何の話だっけ、夏芽」
「やっぱ聞いてないし」
今は高校の昼休憩の時間。母親に作ってもらった弁当を貪りながら、クラスメイトとの会話に花を咲かせる。
そんなクラスメイトーー立花 夏芽は、私の適当な受け答えにうなだれていた。
彼女はコホンとわざとらしく咳をすると、口を再度開いた。
「......まあいいや。続けるよ。来週、アタシの家でクリパすることになってたじゃん?」
「そだね」
「それで、そのね......」
綺麗な三つ編みを指先で遊ばせながら、夏芽は言葉に詰まる。斜め上へと向けられる彼女の視線を見て、私はとある確信を得た。
「......モジモジしなくても何となく分かるよ。男でしょ」
「......てへ」
「あのねえ」
「ごめん! ゴメンって!! でも、クリスマスなんだよ? しょうがなくない!?」
深いため息と共に、桃色の水筒を机にそっと置く。
夏芽の必死の弁明を右から左へ聞き流し、私は窓の外へ視線を向けながらポリポリと頭を掻いた。
「去年と同じです、か」
「ぴえん」
夏芽とは高校入学からの付き合いなので、かれこれ二年程度の関わりがある。高校の友達の中では最も共にいる時間が長いため、私はいよいよ夏芽の心情が理解出来るようになりつつあった。
一年前。クリスマスパーティの約束を夏芽の方から破棄したことは今でも鮮明に覚えている。
当時の私にとっては衝撃だったのだ。女友達より男を優先したことが。
「や、まあ良いのよ。どうせこうなるだろうなとは思ってたし」
ーー今では、そんな夏芽の性格が心地良い。
「うーん割と心外だけどアタシが悪いから何も言えないや。ホント、ごめんね」
心から申し訳なさそうに両手を合わせる夏芽を見ると、どうも怒る気力が失せていく。仕方ないな、と夏芽を許してあげたくなってしまう。
「去年許したんだから今年も許すって。思い切り楽しんできなよ」
「やっぱ冬華は最高の友だなあ......」
「そんな最高の友を裏切って食う弁当はさぞ美味しそうなことで」
微笑みながら悪態をつき、悪くない雰囲気のまま会話を収める。お気に入りの桃色の水筒を再度手に取り、慣れた動作で水分を体内に流し込む。ホッと一息吐き、何気なしに夏芽の方を見やると、ニヤニヤ顔を浮かべる親友の姿がそこにはあった。
「ーーところでさ」
典型的な切り口で会話を切り出そうとする夏芽。
「......なに?」
何故だろう。
何か、胸騒ぎがする。
「冬華はなんで彼氏とか作んないの?」
「ーーーー」
両目を輝かせて尋ねる夏芽。
確かに、彼女と異性について話すことは思い返すと少なかったように感じる。
夏芽の恋愛は癖が強くてこちらから触れる気にはなれなかったし、私にはそんな相手はいなかった。
いなかった、はずだ。
「......なんで、ってのは?」
「ホラ、冬華って正直言ってめっちゃ可愛いし、愛嬌あるし、優しいし。モテる要素満載なのに、何でなのかなーって」
「そりゃ、何でかって言ったら......。言ったら?」
言葉に詰まった。
夏芽からの問いに、何故か上手く答えることが出来なかった。突然喉にフィルターがかかってしまったかのように、声が声として世界に放たれない。放つことが出来ない。
なんだ、この違和感は。
なんだ、この胸騒ぎは。
なんだ、この痛みは。
なんだ、この苦さは。
『ーーなあ、外歩かね?』
「ーーーーッ!?」
突如脳裏に響いた声に、頭が揺らいだ。
脳みそを内側から力に任せて揺らされる感覚に酔わされ、私は視界が朧気になる。いつの間にか目には涙が浮かんでおり、私は頭を両手で抑えつけながら歯を思い切り食いしばっていた。
ーーこれは、記憶だ。
私の人生の中で、最も深く、最も苦く、最も濃い。
まさに彼が好きだった、コーヒーのような。
ーーそんな、冬の記憶だ。
「......たの!? ねえ!! ......ゆか!!」
親友の焦燥に塗れた叫び声が、最後だった。
私は、教室の中で気絶した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ーー大好きだった。
ーー大好きだった人がいた。
ーー大好きだった人は、夜間の散歩が大好きだった。
「ねえ。なんでそんなに歩くの好きなの。しかもこんな寒い真冬の夜中に」
「なんでだろうな。わっかんねえや。好きなモンは好き。それで良くね?」
「......風邪引きそうになるくらい寒いから、それで良くはない」
記憶だ。これは、二年前の記憶だ。
全てを忘れ去りたくて、一年前に蓋をしたはずの、蕩けるほど甘く、砕けるほど苦い、そんな冬の記憶。
「なんかさ。この時期の夜って独特な匂いあるじゃん?」
彼は分厚いジャンパーのポケットに手を突っ込みながら問うた。彼の口からは白い蒸気がフッと溢れ出ていた。
「え、分かんない。匂いとかある?」
私は彼の問いに首を傾げた。
「あるだろ。なんかこう......懐かしくなる匂いっていうかさ」
「......ホント、不思議なこと言うよね。出会った時から」
「ま、それが俺の持ち味みたいなとこあるしな」
そう言ってあっけからんと笑う彼の横顔を、じっと見つめた。というより、彼の横顔に視線が吸い込まれた。
本当に、美しくて、儚くて。
端的に言えば、大好きな表情だった。
冬の寒さも忘れるくらい、その横顔に見惚れてしまった。
気がつくと、彼は暖かい缶コーヒーを私の頬に当てていた。じわっと広がる暖かさに、そして彼の気遣いについ頬が緩む。
「......好きだなあ、やっぱ」
「ん、嬉しいこと言ってくれるね。俺も」
「......うん」
幸せだった。
幸せとはこのことを言うのだと、人生で初めて理解した。
彼が好きな冬の匂いも、いつの間にか好きになっていた。
冬が、好きになっていた。
私はこの時間を手放したくなかった。
手放すつもりなど毛頭なかった。
でも、現実は残酷だった。
ーー彼は、その二日後に事故に巻き込まれて亡くなった。
大好きで、大嫌いな。
冬という季節に、私は愛されている。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ーーーーっ!」
悪夢にうなされたような気がして、私は勢いよくベッドから起き上がった。右頬には汗の感覚があった。
「ここ、は......保健室、なのかな」
高校に二年間通った私だが、保健室で休んだことが一度もなかったため、この場所に確信が持てないでいた。
しかし、その疑惑は開かれた目の前のカーテンによって払拭される。
「冬華! 目、覚ましたんだね、大丈夫?」
「夏芽......」
焦りと安堵を顔に浮かべる親友がそこにはいた。
「ここ、保健室......?」
「そう。急に冬華が教室で気絶しちゃったから、ホントもうアタシ心配で......!」
「急に、気絶......」
ーー気絶した理由は、なんとなくだが分かっている。
先程見た夢がその全てだ。
私は、大好きだったあの記憶の処理方法を間違えていた。
あの記憶には、蓋をするのではなくーー。
「ーーそっか、そうだよね」
「......? どうしたの、冬華」
「いや、何でもないよ。一つ、分かったことがあっただけ」
そう言い切り、私は夏芽に手を伸ばす。
彼女は困惑を示しつつも、その手を優しく取った。
そんな彼女の様子に口を綻ばせながら、私は問う。
「なんで彼氏作らないか、だったよね」
「う、うん」
「教えてあげるからさ。ーーーーねえ、外歩かない?」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一人で歩く夜道が好きだ。少し肌寒いとなお良い。
一人ならあの記憶を思い出すこともないし、寒さも少し程度ならば、あの日の肌がひりつくような寒さを想起することもない。
でも今は、二人で凍える寒さの中、夜の散歩をしている。
「ごめんね、こんな寒い時に連れ出して」
「ホントだよ。冬華がなんか今までと違う雰囲気出してたから流れで着いてきちゃったし」
「まあまあ。私の自己満に付き合ってくださいな」
ーーずっと、悩んでいたことがあった。
それは、彼への執着から逃げられないことだ。
彼との記憶には、しっかりと蓋をしたつもりだった。
だから、つい先程までその記憶を思い出すこともなかった。夏芽と彼氏について話をした、あの時までは。
でも、記憶とは違う、私の心の奥底につっかえる何かが、彼を完全に忘れることを許さなかったように思える。
例えば、彼氏を作らないのもその為だった。
私は心の何処かで彼への執念に囚われている。
だから、彼自身の記憶は薄れていたとて、私の本能が他の異性を拒絶していた。というより、彼以外の男性を異性として見ることがどうしても出来なかった。
ーーそして、もう一つ。
「こうやって寒い日の夜中にさ。私もよく彼氏と散歩したんだ」
夜間の散歩をする時には、必ず彼の幻影が見えていた。
私は無意識下にソレを無視していたが、今思うととても不自然だ。
ゆらゆら蠢く彼の幻影は、何か言うわけでもなく私をそっと見守っていた気がする。私はソレを直視したくなくて、自分の吐く白い息で隠していた。
ソレの存在を認めてしまったら。
世界に空いた、そして私の心に空いた穴を認めてしまうことになるから。
「え!? 彼氏いたの!?」
「うん、隠しててごめんね」
「え、いやまあ別に謝ることもないんだけど......」
ーーでも、それは間違っていた。
良いのだ。別に、彼が死んだことから目を逸らす必要など、一つも無いのだ。
そんなことをした所で事実は揺るがないし、私も前へは進めない。そして、それ以上に私にはやるべきことがある。
「この夜の散歩さ。彼氏が大好きだったのよ」
「あー、そうなんだ? 不思議な趣味してるなーとはアタシも思ってたけど、彼氏さんからのだったんだね」
「そうそう。私も、最初は変だなーって思ってたんだけどね。いつの間にか好きになってた」
「具体的に、どういうとこが好きなの?」
「ーー懐かしい匂いがするところ、だね」
「匂い? 何ソレ、アタシ分かんないや」
私の答えに首をかしげる夏芽を見て、つい微笑みが溢れる。溢れた感情を噛み締め、その後夏芽に向かって優しく私は告げた。
「良いんだよ、それで」
夏芽の背後には、過去の私の幻影が見える。
そして私の背後には恐らく、彼の幻影が佇んでいるのだろう。それも私の大好きだった、無邪気な笑顔を携えて。
ーー大好きだった彼の意志をこうやって繋げていくことが、彼への手向けになるのだ。
二人で歩く夜道が好きだ。とても寒いけれど、その寒さを吹き飛ばすほどの懐かしい匂いが私たちを包んでいると、なお良い。
「だって、彼を忘れずに済むから」
親友と買った缶コーヒーが鳴らした乾杯の音が、寒空の下に快く響き渡った。
お読みいただきありがとうございました。
後半、ちょいと展開に困って曖昧な表現が増えちゃったかな?と反省してます ; ;
評価頂けると泣いて喜びます。