貴族達が男爵令嬢に平伏する場面を目撃した僕は、唯一正常な人に話しかけてみることにした
学園の卒業式、僕は魔法機関の代表として卒業パーティに参加している。だが、この会場はどう見てもおかしい。
クリーム色の髪に黄色の瞳が目立つ男爵令嬢ヴィオラが王太子と勝手に婚約発表をし始めた。それだけでは飽き足らず、彼女は『平伏しなさい』と貴族たちに向かって命令をしている。
普通なら誰かが止めに入ってもおかしくないが、貴族達は彼女の言葉に従って膝と額を地面に付けている。僕を除いた全員が。僕が魔法関連の仕事で王都を離れた後の2年間で何があったんだ。
「貴方は確か……ノア様ですよね? どうなさったんですか? 私は平伏しなさいとお伝えしたはずですよ」
彼女の言う通り、僕の名前はノア=ランドール。紺色の髪に金色の瞳を持つ、この学園内では一番と言っていいほど魔力量の多い魔法士かつ侯爵貴族だ。魔力の多さを買われ、学生ながら魔法機関で働いている。学生とはいえ、侯爵貴族である事には変わりない。そんな僕の名前を勝手に呼び、命令するなんてどんな教育をされてきたんだか。僕は目の前の傲慢な令嬢の言葉に返答する価値もないと思い、口を固く閉じる。
「魔法耐性が高いのかしら? 稀にいるのよね、そういう人」
彼女の独り言をよそに僕は思考を働かせる。
この他人を操る闇魔法にかかっていないのは本当に僕だけなのか? さすがの僕でも属性魔法が使える貴族達を正面から相手するのは厳しい。誰かーー
『サーチ』
心の中でそう唱えると、この場にいる人の魔力状態が頭の中に情報として流れ込んでくる。ヴィオラの魔法にかかった人間の魂には黒色をした魔力の靄が纏わりついている。
靄がかかっていない人はーーーー
見つけた!
左端、壁際、前方……紺色のドレスを身に纏い、黒くて澄んだストレートの髪に紫の瞳を持った……あの方はアリス嬢!?
王都を離れた辺鄙な場所にまで届いてきた彼女の悪女としての噂。本当かは分からないが、この場で無事なのは僕と彼女だけ。
僕は左端、アリス嬢のいる方へ足を運び、跪いた彼女の目の前に恐る恐る立つ。
「あの、アリス嬢……」
アリス嬢を見下ろす体勢をしつつ、小声で彼女に話しかける。
「……」
返事は返ってこない。だが、暫く彼女の前に佇んでいると諦めたのかそっと吐息を洩らしてから声を発する。
「話しかけないで」
彼女は依然として頭を下げた状態から動こうせず、僕の顔も見ようとしない。
「あの、この状況はおかし『話しかけないで』」
アリス嬢の話しかけないでという言葉が脳内に響きわたる。これは思念伝達の魔法で、対象が近くにいると誰でも使える魔法だ。
「ノア様、何をしていらっしゃるんですか。こちらへいらして下さい」
明らかに不審な動きをしている僕にヴィオラは近づくよう催促してくる。
「い『従いなさい』」
『どうして』
『この場を乗り過ごしたいならそうしなさい』
「……分かりました」
ヴィオラは言われた通り近づいた僕の頭部に手を当て、直接魔法をかける。
「平伏しなさい」
『従って』
僕はしぶしぶその場に膝をついて座り込み、頭を下げる。
「ふふっ……一度失敗したから少し不安だったけれどちゃんと効いてるみたいね」
不気味すぎるんだがこの令嬢、他人を操って何がそんなに嬉しいんだか。
「レオ様、行きましょう」
「ああ」
瞳の光を失った王太子がヴィオラに返事を返し、僕らに背を向ける。
「皆さんも持ち場にお戻りください」
平伏していた貴族達が一斉に動き出す。まるで軍隊の様に。どうやらヴィオラは自分の魔法が効くかどうか確かめにきただけのようだ。貴族にとって一番屈辱的な体勢をさせる事で本当に従っているか確認したかったんだろう。僕は彼らと同様に地面につけていた額と膝を上げ、立ち上がる。
貴族達に紛れて見えなくなったアリス嬢を探しているとふと誰かに後ろ襟を引かれ、身体が傾く。後ろに背中から落ちると思った瞬間、柔らかいものが頭に当たる。
「重い! どいて」
その声はーーアリス嬢!?
でも先に引っ張ったのはそっち!
持たれていた後ろ襟を急に離され、背中から地面に落ちる。
「いてっ! アリス嬢どこへ行っていたんですか! 捜しましたよ」
「捜していたのはこっちよ。それより、貴方はヴィオラの魔法に影響されてないの?」
「ええ、全く。急に皆さんが平伏したんでびっくりしましたよ」
「私は貴方のせいでバレそうになったけれどね」
鋭い睨みに身震いする。怖い、何ならヴィオラより怖い。
「で、これはどういう状況なんですか?」
アリス嬢曰く、ヴィオラは以前から王太子に軽い感情を動かす闇魔法を使っていたらしい。そしてある日を境に精神までを支配する魔法を王太子にかけていたと。それに気づいたアリス嬢は密かにヴィオラから王太子を引き離そうとし、逆に悪女として仕立て上げられたらしい。そこから段々と周りの人間がヴィオラに取り込まれ、先程の様に大多数の貴族を操れるようにまでなったと。
「分かった?」
「それはもう……つまり、アリス嬢が失敗して婚約者奪われたって事ですね」
アリス嬢はヒールで僕の靴を抉るように踏み潰す。言い過ぎでしたねごめんなさい、早くその足を退けていただきたく。
「私だってなんとかしたかったわよ。でも私には彼女の魔法を解除する手段がなかったから」
「……アリス嬢は一般魔法以外使えなかったですよね確か」
「ええ、属性魔法は今も使える気がしないわ」
この国には先程アリス嬢が使っていた特定の近くにいる相手に思念伝達をするような誰にでもできる簡単な魔法、つまり一般魔法とその人の特性に合わせた一般魔法より威力が強く出る属性魔法の2種類がある。属性魔法の種類には火、水、木、闇、光があり、僕の属性は水だ。
僕が使ったサーチも属性魔法の一種で、人に流れている水を媒介に魔力の状態を知ることができる。アリス嬢は魔法鑑定で何の属性もないと鑑定されたため、彼女の属性魔法を見たことがない。ヴィオラは闇属性であるため、それに打ち勝つには光属性を持った者が必須となる。アリス嬢が彼女の魔法を解除できないのは当たり前のことで、それは僕にも当てはまる。
「それにしても、アリス嬢が悪女だって噂を聞いた時おかしいとは思ってたんですよ」
「何がおかしいよ! 本当の事だとでも思ったんでしょ!」
「そんな事は……ないですよ?」
僕と彼女と王太子は幼馴染で、よく僕は胴体を木の枝にロープで吊るされて放置されたり、嫌いな虫を僕の周りの地面に置いて動けなくしたり、かくれんぼで僕だけ隠れたまま探しに来てくれなかったりしたけど遠い昔の記憶だよ、うん。
「その話は置いておいて、これからどうします?」
「そうね……選択肢は二つよ」
彼女が提示した選択肢はこの国を捨てた上で隣国へ行くこと、もう一つはヴィオラを倒す事だった。
前者は自分達にとっては堅実だが、この国の影響が他の国に及ばないとも限らない。その間にヴィオラが力を強くすると誰も手出しができなくなるかもしれない。
後者は簡単そうに聞こえるが、最悪の場合、操られた貴族達全員を2人で相手にしなければならならない。その上こちらには闇属性に対抗できる光属性の魔法士がいないため、物理的に倒す事は不可能に近い。
「基本は後者でどうしようもなくなったら逃げましょう」
「あらそう、貴方なら逃げるを選ぶと思っていたわ」
「そうですね。それが一番楽そうです。ですが、今回ばかりは逃げると碌な事にならなさそうなので」
「いいわ。ただし動き出す時間は私が決めるわね」
僕が首を傾げていると、アリス嬢は口を開き、自信ありげに続きを話し出す。
「ヴィオラに関わらず、意識がない時は魔法の効果が切れるわ。つまり、彼女が眠っている間は一番無防備なのよ。だからその間を狙う」
「ですが、対策をされていたらどうします?」
「その時は貴方が何とかして」
無茶振りだが、そのくらいのリスクを取らなければ勝てない気がする。僕は渋々了解し、夜が来るのを待った。
「何ですかこの服」
「侍女の服よ」
膝丈の黒いワンピースような服に白いヒラヒラのレースが周りについたエプロン……どう見ても女性用の服……。
「これを着ろと?」
「ええ、その為に用意したのだから」
「面白がってません?」
「そんな事は……無いわよ」
何ですかその歯切れの悪い間の入れ方は。
「早く着なさい」
生地が多い服は初めて着るので手間取ったが、何とか見た目侍女風にはなった。なお、アリス嬢には容赦なく笑われた。納得がいかない。
理不尽だとは思ったが、この格好のおかげでヴィオラがいる部屋の近くまで来ることが出来た。部屋の前には騎士と見られる銀の鎧を着た男性が2人立っている。
「あの……すみません、私、新人侍女なんですが、道に迷ってしまって」
初めて出した女声に自分の方が死にたくなってきた。
今までは全部アリス嬢が話をつけてくれたから声を出さずに済んだけど、今回は僕が囮役なのでそう楽にしてはいられない。
「……」
目の前の男2人は微動だにせず、遠くを眺めてこちらを見ようともしない。
……もしかして僕が男だってバレてる? いや、今まで気付かれなかったことの方がおかしいんだけど。
「あの……」
「……ここから絶対に離れるなと命令を受けています」
「でも私も困っていて、少しだけでも道を教えていただけませんか?」
「できません」
この堅物本当頑なだよな……全然靡こうとしない。こうなるとどうしようもないが、どうにかしないといけないよな。
「そうですか、それは残念です」
僕は騎士2人の腕に触れ、自身の魔力を循環させる。
彼らの血液の流れを停止させ、一時的に動けなくした。おそらく異常を察知した奴らがここへ集まってくるだろう。僕のサーチに多数の魔力魂が引っかかる。この感じだとヴィオラは起きている……
「アリス嬢行ってください!」
「分かったわ!」
彼女は騎士がいた扉をそっと開き、一人で中に入っていく。
アリス嬢だけで行かせるのは不安だが、この人数を相手にするのは属性魔法以外に不可能だ。だからせめてこれを片付けるまで彼女にはヴィオラが逃げ出さないよう足止めをしてもらう。
1人ずつ相手をするのは厳しい。だから、大量の水を廊下に流し込み、僕を起点として川を作った。水の流れは操作できるので、開いている窓から水が溢れたりすることはない。水の勢いに負けた人間は屋敷の外まで流れていく。それでも泳いで抵抗する人間は体内の水を操作して動けなくしてから流した。
アリス嬢がヴィオラの部屋に入ってから約20分が経った頃、このフロアに靄のかかった魔力魂の気配が完全に消えた。それと同時に扉の先での物音が聞こえなくなった事を不自然に思いながら僕は勢いよくヴィオラの部屋の扉を開く。
そこには頭から血を流し、壁を背に座り込んだアリス嬢と黒い紐のようなものを多数背中から出したヴィオラの姿があった。
「アリス嬢!!」
「あら、遅かったわね。彼女、結構頑張っていたけどだめね。」
僕はアリス嬢の元に駆け寄り、彼女の肩を手で掴んで精一杯揺らす。
「アリス嬢! しっかりしてください」
「……っ……」
「アリス嬢!!」
「う……るさい」
強がっているようだが、彼女の息は絶え絶えだ。とてもじゃないが戦闘を続行できるとは思えない。
「仇は取りますから休んでてください」
僕は彼女を抱えて部屋の隅に移動させ、ヴィオラと向かいあう。
「あら、どうしたのかしら、そんな顔をして。言っておくけれどこれは正当防衛よ」
僕は水の球を無数に創り出し、ヴィオラに放つ。しかし、それを黒い紐で叩き落とされる。
「無駄よ。貴方の魔力がどれだけ強くても、闇属性には勝てない」
ヴィオラの背丈より巨大な水球を創り、彼女に向かって投げる。
だが、それも黒い紐が合わさって長方形の盾を作ることで防がれる。
僕の属性は水、闇に勝てないことは分かっているが……なんだ、この違和感は。
水球をすり抜けて来た紐が僕の頬を掠め、薄らと血が垂れる。
「死にたく無かったから逃げた方がいいわよ」
なぜ僕はヴィオラの魔法にかからなかったのか。それはおそらく僕は属性魔法の威力がヴィオラに匹敵するほど大きく、魔法に対する耐性が誰よりも高いからヴィオラの魔法には掛からなかった。
だが、アリス嬢は?
魔法に対する耐性があるとは聞いたこともないし、彼女が属性魔法を使う所を見たことはない……
だがもしーー
僕は一縷の望みをかけてアリス嬢の元へ駆け出す。
「アリス嬢! 手を!」
彼女は何がなんだか分からない顔をしながらもこちらへ手を伸ばす。
二人の手が重なった瞬間、溢れんばかりの光がアリス嬢を中心に広がり、部屋中を満たし始めた。
「良かった! 成功しましたよ!」
「これは……光の属性魔法?」
アリス嬢の属性は元から光で、ヴィオラの闇に対抗できる唯一の属性だった。だが、アリス嬢の魔力自体が弱すぎて表立って魔法を使うことは出来ず、鑑定にも引っかからなかった。それを僕の魔力で補填することで今の光を生み出すことが出来た。
「……ゔっ……」
声が聞こえたので振り返るとヴィオラはアリス嬢の光魔法の影響でその場で左膝を地面に付き、今にも倒れそうな状態だった。
「……こんな……はずじゃ……」
「もう貴方は終わりです。負けを認めて魔法を解いてください」
「……」
「ノア、ちょっとそこどいて」
「アリス嬢何を! 貴方は今怪我人なんですよ!」
アリス嬢は膝をついたヴィオラの頬に強力な平手打ちを2回お見舞いした。彼女は真っ赤に腫れた両頬を両手で抑えながら絶句している。
「貴方は私から婚約者を、立場を、時間を、その他多くを奪ったわ。だからこれはけじめよ!私はこれからも貴方に左右されたりしない」
そう言い切ったアリス嬢は力が抜けたのか、その場に座り込んだ。
「お疲れ様でした。帰りましょう」
僕は彼女の両膝に右腕を入れ、背中を左腕で支えるように抱えると水浸しの廊下を通って歩き出す。
「……ノア」
「何ですか?」
「……その……ありがとう」
彼女は僕の服を掴みながら顔を僕の方へ埋めてそう呟いた。
僕は照れた口調でお礼を言う彼女を見て、急に自身の鼓動が激しくなった事に気付く。
どうしたんだろう、心臓が……悪いのかな?
そうして僕は初めての感覚に戸惑いながらアリス嬢と共に後処理をしに行くのであった。
☆
「ゔぅ……皆どこ? アリスちゃん……レオ……」
「……はぁ…はぁ…やっと見つけた」
水球で身体を覆い、一番遠くの川の中に隠れていた彼をやっとの事で見つけることが出来た。
3人でかくれんぼをして遊んでいたが、レオが鬼をして私を見つけてから別の遊びをしようと言ってきた。
私はノアがいない事をレオに言ったが、そんな人はいないといった知らん顔でノアがいる場所を探そうともしなかった。私は一般魔法しか使えなかったので、属性魔法で隠れているノアをなかなか見つけることが出来ず、結局夜までかかってしまった。
「アリスちゃん?」
もう、レオの奴……こんな可愛いノアに意地悪ばっかりするんだから。今も金色の幼い瞳をこちらにむけて首を傾げている。
「さあ、帰りましょう」
「うん!」
元気よく返事をするノアの笑顔は本当に眩しく、夜の月より輝いて見えた。
お読み頂きありがとうございます!初投稿ですので感想等くださると嬉しいです!