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河牢

衰退した住宅街で暮らす元専門学校生が主人公の話です。浦島太郎味あります。

雲雀丘は赤江町の中でもっとも大きな住宅街だった。かつては子供達の声が数多く公園にこだまし、希望に満ちた若い夫婦達が日々の暮らしを営んでいた。

現在においては見る影も無くなったが、そこに帰り、訪れ、暮らしを営もうと煩悶する者もいないではなかった。

・・・角井明日香は朝の散歩で河川敷を見下ろす土手まで来ていた。

安易に入った東京の専門学校の想定を超える厳しい座学と実習についてゆけず、学校を中退し、すぐに生活できなくなり、彼氏にも見切られ、2ヶ月前に赤江町に帰ってきていた。

平日は引き籠っていたのだが息がつまり、早朝にふらふら散歩してコンビニで朝食を買って帰るのが習慣になっていた。

家族はむしろ気を遣ってくれていたが、最近は食欲が無くなり、朝食と言ってもココアや高校時代好きだった苺牛乳を買う程度だった。

昼も夜も大して食べないのですっかり痩せてしまったが、どうとでもなればいい、という気分だった。


「ん?」


暗い早朝らしからぬ明かりを感じ顔を上げると、川面が何やらキラキラしていた。


「ダイバーが何か撮ってるのかな?」


「違う」


不意に背後で女の声がし、濃密の川の臭気と化粧の臭いがした。振り向くと、大正モダン風の格好をした映画や舞台から飛び出してきた様な女がいた。

顔立ちのはっきりした美しい女だったが、額に底が見えない空洞があった。


「ひいっ」


「仕事が無いのだな? 仕事が欲しいか?」


「・・仕事??」


「仕事が欲しいか?」


「私、そんな、最近お腹が痛いから・・」


一瞬を視線を落とすと額に空洞を持つ女は鼻先まで近付いていた。


「仕事が、欲しいか?」


「ほ、欲しいですっ!」


額に空洞を持つ女は薄く笑った。口に牙があった。女の目は妖しく輝いた。


「100年の安泰をやろう」


角井明日香は目が回り、渦の中にいる様な感覚の中、激しい水の音を聴いた。



気が付くと角井明日香は人魚になっていた。川の人魚だった。川面に顔を出すとそこは見たことも無い大河だった。

岸の向こうは様々な時代が入り雑じっていて、奇妙で危険に見える者達の姿が見えた。


「・・痛いっ」


突然尾を引っ張られ、川の中に引き戻された。片手に銛を持った大柄な半魚人だった。

水中で何事が喚いていて、どうやら自分を叱責しているらしかったが、まるで何を言っているのかわからなかった。

だが、しきりに水底を指差すので見てみると、自分と同じ様な人魚達が何かを探しているらしかった。


「あれが・・仕事、ですか?」


半魚人は否定も肯定もしなかったが、銛を振り回して喚きながら角井明日香を水底に追いやった。

それから、角井明日香の労働の日々が始まった。時計等どこにも無かったが、夜明けから日が完全に落ちるまで何か、を水底で探す日々だった。

ねぐらは苔むした岩を水中に積み上げた岩山の中だった。食事は1日1度、藻と泥を捏ねた様な苦い饅頭が主食で、おかずは川の生き物を締めた物だった。

多くはグロテスクで味付けされていなかった。たまに調味料や果実等が添えられたりすると人魚達が喜び、食堂は大騒ぎになった。

休日は一切無く、1日働くとなると食欲不振等と言ってられず、角井明日香もいつか締められた大きなゴカイにかぶり付く様になっていた。

監視する半魚人達だけでなく、人魚同士も全く言葉は通じなかった。文字を読み書きする能力も全員失っていた。

だが画や記号、身振り、声色等でおおよそのコミュニケーションは取れる様になった。

人魚の大半は角井明日香と同じ若い娘だったが、中には男や子供や年寄りもいた。全員元は人間だったらしく、しかし連れてこられた時代や場所は違う様でもあった。

労働は厳しく、特に冷たい冬、水が温んで作業が辛い夏、豪雨の時、漂流物が多い日、川の攻撃的な奇怪な生物達の強襲を受けると命懸けだった。

希に半魚人達を引き連れ、額に空洞を持つ女が様子を見に来ることもあったがその時は下半身はとぐろを巻く鰻の姿を取っていた。

逃げ出そうとする人魚や半魚人達に反乱を起こそうとする人魚達もいたが、ほぼ上手くはゆかず、逃げおおせてもその後は行方が知れず、何体か半魚人を倒しても替わりの半魚人が現れるだけだった。

人魚達は苦しみ泣くことが多かったが、恋や友情や趣味を楽しむことも少なくなく、環境に適応し、半魚人達の手下になる人魚もまた珍しくはなかった。

それでも何も生み出すことはなく、老いることもなく、命を懸けて、何かを探す毎日だった。

やがて100年の年月が過ぎる頃には人魚達の数は半分程度に減っていた。生き残った人魚達は作業の手練れになっており、もはや半魚人達に多くは口出しさせない様にもなっていた。

人魚達は半魚人達が示した範囲の水底を殆ど調べ尽くしており、残る範囲ほわずかだった。

その日、生き残っていた角井明日香は予感があった。単に全体の状況を自分の事と錯覚しているだけかもしれなかったし、ある種の自慰的なセンチメンタリズムなのかもしれなかった。

それでも、今日、何かを見付ける、と角井明日香は確信していた。


「おはよう、行ってくるね」


角井明日香は老いずとも傷付き病み、労働に参加できなくなった人魚の内、引き取ることになった岩のベッドに横たわる2人を労った。

 同居人は他にもいた。


「あなた達、今日はあなた達同士3人一緒にいなさい。何があってもよ?」


自分の子供として一緒に暮らしていた3人の幼い人魚達に言葉はわからないなりに言い聞かせた。

 作業前に立ち寄りたい場所もあった。


「さよなら皆っ!」


岩山の中にある、人魚達の墓で別れを告げた。友人も、恋人も、敵対した者も、よく知ることもなかった者達もたくさんいた。


100年生きた人魚の角井明日香は最後の作業ポイントに向かった。途中気心の知れた仲間とハイタッチしたり、未だ敵対する人魚グループを牽制したりしながら、鋭く泳いでいった。

また、川面の上を雲雀らしき影が滑り去ってゆくのも見た。吉兆なのか凶兆なのかは判然としなかった。

目的の場所までくると、角井明日香は口から歌う様に音波を出して反響で探った。


・・・あった。丸い物だった。知りたくはなかったが、よく知る輪郭だった。


水底の岩の隙間から取り出すと、それは鈍く輝く硬質な目玉だった。


「見付けたか」


件の女の声が響き、周囲に凄まじい渦が起こり、角井明日香も他の人魚達も半魚人達も巻き込まれた。目玉は激流に絡め取られ、見失ってしまった。

渦は水底も水面も砕き、全てを泥水の混沌に還してしまった。角井明日香はその中心に引き寄せられた。

そこにいた、件の女は既に目玉を額の穴に嵌め込んでいた。何倍も力が増した様だった。


「よくやった」


「あのっ! 私と暮らしていた子供達と、私の部屋で引き取っていた2人は・・」


件の女は応えず、ただ妖しい3つの瞳で角井明日香を見詰めていた。通じない、と了解するしかなかった。

階位ではなく、人が大河に話し掛ける様な物で、通じる道理がなかった。相手の気紛れに従うしかない。


「褒美にお前だけは戻る時代を選ばせてやろう。いつに戻りたい?」


「時代・・」


楽しかった高校時代か? 専門学校を最初からやり直す? いっそ小学生の頃から? 或いはあの日から未来に行ってみた方が気楽かもしれない。角井明日香の思いは交錯した。


「・・・私を、元の時代に戻して下さい」


角井明日香のありきたりな回答は、件の女を冷笑させた。



ざぶり、角井明日香は両足を水底で踏ん張って川面から上半身を出した。大きく息を吐いてから岸へとよろめきながらゆっくり進む。足場も悪いが歩くのは100年ぶりだった。

周囲を見回すと今となっては懐かしい衰退した雲雀丘の川面だった。朝陽が明るい。もたもたしていると、登校や通勤が始まって目立ってしまうだろう。

腹が鳴った。酷い空腹だったが、防水でもなんでもない安いボディバッグは完全に水に浸かっており、財布もスマホも水浸しであるはずだった。


「・・トーストか、冷や御飯。ジャムか、インスタント味噌汁。どうしよっかな?」


呟いて、正直余り気乗りはしなかったが、実家へと河川敷に上がった。



雲雀丘は赤江町の中でもっとも大きな住宅街だった。かつては子供達の声が数多く公園にこだまし、希望に満ちた若い夫婦達が日々の暮らしを営んでいた。

現在においては見る影も無くなったが、そこに帰り、訪れ、暮らしを営もうと煩悶する者もいないではなかった。

河牢はカワロウと読みます。女の怪異は真淵太夫といい、呪いで失せ物を見付ける力を失っていました。荒神の類いですね。でも蒲焼きにするとたぶん美味しいですっ!

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