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脳バニラ

アイスクリームの話です。怪異の方が主人公です。

凍み鬼は、主に飢饉の寒冷地で心身凍えた者が氷りついた人の遺体を喰う等して発生する怪異だった。

明治の頃までは地域によっては比較的多くいたが、人間達が少しずつ飢えと寒さを克服してゆくと数を減らし、戦中と戦後2年くらいは一時的に増えはしたが、その後は急激に減っていた。

・・・赤江町の小規模なオフィス街の裏手の、何もテナントが入っていない様な奇妙な3回建てビルの1角に、この町に唯一棲み着いた凍み鬼がいた。

そこはフロアの7割余りを低温で保たれた厨房に拵えられていた。凍み鬼は和菓子職人の様な格好で、食材達を前に思案顔をしている。

食材は凍えた人の頭部で、額、こめかみ、後頭部と、横一線に切り込みが入り、そこから白い冷気が漏れていた。しかしまだ生きているかの様に口々に呻いてもいた。


「あー、あ~、ああっ!」


「寒い、寒い・・っ」


「スースーするっ、あははっ! プシシッ」


「・・殺して下さい、殺して下さい」


一様に活き締めで悪人の首を狩る怪異から仕入れていた。昔は自分で狩っていたが活き締めは難しく、長くこの世に在り続ける中で蓄えもできたので、専門の業者から仕入れる様になった。

凍み鬼は昭和が終わるくらいまでは単純の凍らせて、それなりにグルメで甘党でもあった為、獲物の脳のみに砂糖や蜂蜜やジャム等の甘味料を掛けて食べていた。

が、平成になると他の食人を好む、より高等にグルメな怪異から、


「それは料理ではない、ダサいヤツだ」


と馬鹿にされ、悔しくて凍らせた脳でかき氷を作って食べる様になった。

だが時代は変わる。先日、何のつもりか家に帰れなくなった徘徊老人等を集めている怪異から勧められ、凍み鬼はとある60代程度の徘徊老人を5万円で購入した。

徘徊老人、野崎英俊はバブル時代、関東では知る人は知る凄腕のグラシエだった。

今では都内に数店アイスクリーム専門店を持つだけだったが、資産はそれなりに残っており、野崎英俊失踪後、介護を施設に丸投げしていた親族は骨肉の争いをしている。

そして、およそ殆どのことは要領が得ないにも関わらず、アイスクリーム製造の指導に関しては極めて意識が明瞭だった。


「何をボサっとしている英輝っ! 食材が温まってしまうぞっ。作業に慣れ切った時が一番食中毒のリスクが高いんだっ」


凍み鬼の背後の車椅子に座り、防寒具で着膨れした野崎英俊は檄を飛ばしてきた。どうやら凍み鬼を自分を見捨て、グラシエ修行も投げて放蕩に走った息子と思い込んでいる様だった。

最初はせっかく買ったのだから食べる前に何体分か脳をアイスクリームに調理させてみようと考えた凍み鬼だったが、いつの間にかアイスクリーム作りの指導を受ける形になっていた。

つまりは凍み鬼が、暇を持て余していたことが大きかった。


「・・温度管理はできている。もう2日、バニラフレーバーばかり作らせるが、そろそろ違うフレーバーを」


「バニラは基本だっ! 馬鹿者っ、英輝っ! だからお前はダメなのだっ。すぐ近道を探すなっ。バニラの鞘の扱いから確りやらないかっ。ふーっ、ふーっ!」


野崎英俊は興奮して顔が真っ赤になってきた。心臓や他の内臓の状態もあまりよくなかった。元々長くはない。


「わかった、落ち着け。復習はしておく。お前達、今日はもういい。野崎英俊を奥の部屋で休めろ」


凍み鬼は手下の凍み小僧達に野崎英俊を暖かい別室に移させた。野崎英俊の体力や癇癪の問題もあるが、誰かに怒られた試しがない凍み鬼は状況に困惑していた。


「さて・・」


凍み鬼は種を取り出したバニラの鞘を手に取った。そのまま煮出したり、ウォッカ等に浸けたり、砕いて砂糖に混ぜ込んだりするのが一般的活用法。

野崎英俊の要求はそこに適切な下処理、品種や個別の鞘のコンディションの見極めを行い、それに伴う感覚頼りの微調整をできろ、わかれ、または食材の仕入れ時の担当者とのやり取りである程度結果も予想しておけ、といったそれなりに高度な物だった。


「食材との相性というのもある」


生首の1つ、保険金殺人犯の頭を切り込みからカパっと開き、中のシャーベット状に凍えた脳をスプーンで一掬いする凍み鬼。


「らぱぱっ!」


反応した保険金殺人犯を無視して、掬った脳を口に入れ、味を確認する。やはり、悪人の脳は苦味と癖が強い。がその分、大胆に調理して味を整えることができるから凍み鬼は好んでいた。

善人の脳よりはるかに入手し易い、というのもあったが。


「頭の仕上がりの差も大きい。・・っ! そうか、個別に多数調整する場合、バニラの種だけでは選択肢が足りなくなるんだなっ。なる程、そういうことか」


凍み鬼は思わずほくそ笑んだ。こんな充実した感覚を味わったのは久し振りで、それが他者から与えられたのは初めてのことだった。



それから一週間余り、凍み鬼は脳肉練りのバニラアイスクリームを作り続けた。

人と怪異は味覚が違うはずだが、不思議と野崎英俊は凍み鬼の奇怪なアイスクリームの味と完成度を正確に理解し、厳しく指導した。


「何だ草っぽい下処理は?! 試食する内に素材そのままの方がいいと麻痺してきてんだろう? 指針を見失うなっ! やり直しっ」


「ぶはっ?! 酒かコレは?? アルコール濃度おかしいだろう? 企画物でしか売れない物を一般商品と同じ顔で出すなっ! やり直しっ」


「試食だからといって雑に盛り過ぎだっ! わざとか? 盛り付けで味や印象は容易く変わってしまう。菓子は見た目が99%っ。成形は調理っ! わかったらやり直しっ」


連日のダメ出しだったが、凍み鬼は夢中で脳肉練りバニラアイスクリームの改善を続けた。

その日、朝から野崎英俊は体調が悪そうだった。


「具合が悪いなら今日はいい。この部屋は寒い。奥で休んでいろ。今日はいいアイディアがあるが、整えておく。また明日試食しろ、野崎英俊よ」


「いや英輝っ! 私は今日食べるっ。今日食べるぞっ?! お前に教えねばならないっ。ふーっ、ふーっ!」


野崎英俊はいつになく興奮して調理場からどうしても去ろうとしなかった為、凍み鬼は早めに作って試食を済ませ、早めに野崎英俊を休ませた方が合理的だと了解した。

凍み鬼はアポ電強盗の脳と、職場虐めで後輩を3人も自殺に追い込んだ女の脳と、連続強姦犯の脳を素材に3品のアイスクリームを作った。

ドラッグ中毒だったアポ電強盗の脳は薬物臭を抜く下処理を丁寧にし、その上で薬物の風味を生かし、やや青臭さのあるバニラの鞘と種を利かして中和させ、1段高い風味を獲得させて仕上げた。

虐め女の脳は、長期に渡る加虐の快感で脳肉が少し加熱された様な状態であった為、フレッシュさを補う為に敢えてバニラ鞘は使わずにストレートな種と生サトウキビのエキスを使い、清涼な味に仕上げた。

強姦犯の脳は、華奢な男子高校生ばかり襲った太った男であった為に脂肪分と過剰な性ホルモンでベタベタしており、これはまず京都から仕入れた無香タイプの油取り紙で根気よく余計な油分を除き、屈折した性ホルモンは強姦犯がもっとも嫌った豊満なパリピ熟女の脳汁で滅却し、ホルモンの調和を取る為に身持ちの固いバイセクシャルの乳牛から取った生クリームを使用して仕上げた。


「・・ふむ。どれも悪くはない」


「それは合格ということだな?」


「合格等ということはない」


「何っ?! これだけやってもかっ! おのれっ、図に乗りおってっ! 最初から批判だけするつもりでいたのだろうっ?!」


凍み鬼は逆上しかけ、牙を剥き出した。


「英輝や、客はお前のアイスに感動するだろう。だが、お前はお前の調理に感動し続けなくてはならない。いつかきっと、何も感じない日がくる。その時、お前を助けてくれるのはお前が蓄えた日々の感動だ。だから合格等と言って、そこで区切ってしまうのはもったいないだろう?」


「野崎英俊・・」


「さぁ、次はチョコレートフレーバーだ。バニラだけ1人前でチョコレートをロクに使いこなせないグラシエを私はたくさん知っている。まだまだ学ぶべきことがあるぞ? 英輝、一緒に頑張ろう」


野崎英俊は車椅子に座ったまま凍み鬼に片手を差し延べた。凍み鬼は思わず両手でその手を取ろうとしたが、野崎英俊のぐらり、と身体を傾け、そのまま冷たい床に倒れてしまった。


「おいっ?! 野崎英俊っ」


凍み鬼は慌てて駆け寄り野崎英俊を抱き起こしたが、呼吸は弱く、目は虚ろだった。

凍み鬼は初めてしっかりと、人体を見通す怪異の目で野崎英俊の健康状態を確認した。

野崎英俊の内臓も脳ももはや限界で、つい先程まで意識がはっきりしていたことの方が不思議であった。

さらに解せないのはよくよく見通してみると、野崎英俊は嗅覚も味覚も口の触覚等と衰えており、とても繊細な味の判定等できる状態ではなかった。


「どういうことだ?」


ただの妄言にしてはどれも正確だった。野崎英俊から怪異と同じ様な力も特には感じない。

それでも正しく指導を受けた。その事実があるだけだった。

数日後、野崎英俊は1度も意識を取り戻さずに亡くなった。

凍み鬼は自分の作った怪異の食べ物を食べ続けた野崎英俊が死後、怪異として復活することを密かに期待したが、野崎英俊が怪異となることは決してなかった。



数ヵ月後、赤江町の小規模なオフィス街の裏手の3階建てのビルが改装され、1階で完全予約制でテイクアウト不可のアイスクリームレストランが開店した。

その刺激的な味と、塩対応気味の中年ながら屈強なイケメンの経歴不詳のオーナーシェフ北崎英輝が主に女性客と男色の客達の評判となり、大繁盛となった。

その日も盛況な営業を終え、北崎英輝はエレベーターでチーフウェイターと調理アシスタント2人と共に広大な調理場のある二階の廊下に出てきた。


「・・添えた飴菓子が硬いとクレームがあったようだ。担当は誰だ?」


「わ、わたくしですっ」


調理アシスタントの1人が油汗をかいて名乗り出ると、北崎英輝は一睨みし、睨まれた調理アシスタントはたちまち凍り付いて砕け散った。

北崎英輝は洋風の調理服のまま凍み鬼の本性を表した。

合わせてチーフウェイターともう1人の調理も凍み小僧の姿に戻った。こちらは身長や体型が違い過ぎる為、ウェイター服を着た凍み小僧と調理服を着た凍み小僧の姿だった。


「片付けておけっ!」


「はひぃっ」


調理アシスタントの方の凍み小僧は大急ぎで掃除用具の入ったロッカーへと走った。


「予約が変更になった。明日の天気も昨日までの予報と変わった。刷新する! 3番の倉庫から使えそうな物をリストアップしておけっ!」


「畏まりましたっ!」


ウェイター凍み小僧は倉庫の方へと走っていった。

凍み鬼はうんざりとため息を吐いて。調理場へと入っていった。

中は冷凍庫並の低温だった。片手を軽く振って電灯を点けると、調理台の1つに数十個の呻き声を上げる悪人達の頭部が生前と並べられていたが、凍み鬼はそれを素通りした。

向かったのは部屋の中央に置かれた大きな四角い氷塊の前だった。置いてあった椅子に座る凍み鬼。

氷塊の中には洋風の調理服を着せられた椅子に座る野崎英俊の遺体があった。


「全く話しにならないことだっ! お前の助言に従って店の名物になるメニューとして季節のフルーツのヴァシュランを売り出したら、客はそればかり注文してくるっ!! 飽き飽きだっ。ああ、まぁお前はそう言うがな、野崎英俊よ。しかし脳肉の濃度がわずか3%というのは臆病過ぎないか? 私はせめて4%は攻めるべきだと・・何っ? お前はいつも言いくるめてくるなっ。チッ。それに客どもがいちいち私に色目を使ってくるのも不愉快だっ! 大して用も無いのに何度もホールに呼び付けおってっ。私はグラシエであってホストではないっ。もっと醜い姿に変化すべきだった。大体な、野崎英俊、いや笑いごとではない。ん? ああ、まぁ確かになっ。ハッハッハッ!」


営業日の日課となった凍み鬼と氷の中の野崎英俊の仕事終わりの雑談は、それからたっぷり2時間も続くのであった。

野崎老人のテイスティングの確かさは経験の記憶と、現実を脳内で再構成してそれを脳内の現実として認識する創造力と思われます。幻覚と見るか共感覚と見るか微妙なところですが。ちなみに私が一番好きなアイスクリームフレーバーはやっぱりバニラですが、パンケーキに乗せてメープルを掛けるのも好きなので硬派な思考ではないですね。基本、軟弱ですっ!

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