隻角
動画配信者と雷の怪異の話です。結果的にコミカルな話になってしまいました・・
片岡憲吾は動画配信者だった。月収は80万前後。一般的社会人の基準からすると高収入だが、アマチュアはともかくプロ配信者としては下位の部類になる。
プロダクションには籍を置いているものの、動画制作に掛かる費用は基本的に自費で、月当たりの本数も少なくない。
また職業的に住所を特定され易く、同業の迷惑動画配信者に襲撃されるリスクもある為、自由に使える生活費に対してセキュリティの強い物件に住む必要もあった。
故に、片岡憲吾は常に追われる様に暮らしていた。
・・・森の中の開けた場所で、プロダクションスタッフの松田が汗だくで物資用テントに荷物を運び入れ終わった。小柄な女性だが柔道経験者で片岡憲吾より体力があった。
「機材を濡らさないことと、途中太らないこと、ゴミとトイレの始末、マムシに注意すること、火事も。後は山の東側は地権者さんの許可取れてないんで気を付けて下さい。じゃ、私は一旦帰りますんで」
「ども、お疲れッス」
松田は汗をタオルで拭きつつ、スマホで事務所と連絡を取りながらさっさと林道の方へと降りて行った。
動画の設定は某山奥、とする予定だが実際にはよく整備された林道のすぐ側で、徒歩10分足らずで赤江町の端にある農地エリアに出られた。
そこに出てすぐ、国道沿いに建つローカルチェーンのファミレスと3階建ての貧相なラブホテルも見える。
片岡憲吾は撮影用の小さなテントを確認し、カメラ越しにはわからないので自分やテントに汁気を感じる程改めて虫除けスプレーを施し、臨場感を出す為に暫くスクワットして一汗かいてからカメラ片手に導入の撮影を始めた。
「はい、というワケでケンティーの日暮しTVっ! 今回はちょーと険しい某県の山奥まで来ちゃいましたぁっ!! え~、前回の予告通り、久し振りにバナナ一房シリーズということでね・・」
軽妙に、程好くアンニュイな加減で解説をする片岡憲吾。断熱BOXに入れたバナナ一房で何日山で過ごせるか、という企画だった。
地味な企画だが、バナナネタと脱力系アウトドアネタは片岡憲吾の定番企画。
数日、栄養剤と塩分、水分のコントロールを上手くして引かれない程度に痩せて薄汚れて無精髭を生やせば手堅いバラエティー動画素材が出来上がる。
編集、画像や音声の加工、テロップ、効果音、BGMはプロダクションに任せてある。撮影後の片岡憲吾の仕事はナレーションの文章作りとアフレコのみ。作業として確立していた。
問題があるとすれば、閲覧数も登録数も横這いで、目新しいアイディアがまるで思い浮かばないことだった。
数年もすれば30歳になる。国立大学を出て自分は何をやっているのか? 片岡憲吾はカメラ片手にわざと自生している茸を踏んで滑って転倒してみせながら、そんなことを考えていた。
初日の撮影を終え、片岡憲吾は撮影用とは別の就寝用の広いテントで、おからクッキーをツマミにカロリーoffの発泡酒を飲みながら初日の録画映像を確認したが、導入以外はイマイチだった。
衛星写真の拡大図と地権者に描いてもらった地図、他にも得ていたこの山の情報を元に2日目のルートを改める必要を片岡憲吾を感じた。
「画を変えた方がいいよな? 沢の方に行ってみるか」
2日目、片岡憲吾は夜に続いて朝もボディシートで念入りに全身を拭い、下着も変えた後、手、顔、首等をやり過ぎない程度に汚しメイクして、コンディションを整え撮影を再開した。
「あ~、沢がありますねっ。フィルターで濾せば水の補給ができそうですっ!」
沢での撮影は快調だった。片岡憲吾はこれまでのキャリアで川系のロケを散々やってきたので、川でのキャッチーな戯れ方を心得ていた。
「・・これくらいにしとくか。主旨変わっちゃうからな」
片岡憲吾はカメラ片手に今までハイテンションで戯れていた沢蟹をゴミの様に沢に放り捨てた。カメラも止める。
冷静になって周囲を見回し、GPSで確認してみると沢に沿っていつの間にか許可されてない山の東側に近付いていた。
このまま行くと撮っても映像が使えなくなるどころかお蔵入りになりかねない。昔はスレスレの動画でも投稿できたが、今はコンプライアンス基準が厳しくなっていた。
もう学生の遊びやモラトリアムじゃない。片岡憲吾は歩き易い沢に沿って引き返そうとした。と、
「ギューーーーンッ!!!」
奇妙な鳴き声が響いた。
「鹿?」
奈良ロケで嫌という程聴いたので間違いないと思ったが、途端に空が暗くなりゴロゴロと稲光りが始まった。
「水辺はヤバいっ!」
片岡憲吾は慌てて水辺から離れようとしたが、
バリリィッ!!!
山側に上がろうとすると、目の前に細い稲妻が落ちた。
「どぉおおっ?!」
更に続けて近くに2本稲妻が落ち、驚くべき幸いで地面を伝って感電はしなかったが、片岡憲吾は転げる様に走ってその場を逃れた。
結果的に沢沿いに東側に向かって走ることになった。可能な限り水から離れるが、山側はどこも険しい傾斜や木々や岩で上手く上がれそうにない。
空は未だゴロゴロど稲光りを蓄えていた。
「くっそぉ~、さっきからカメラ回してりゃ絶対バズったっ!」
カメラを再び録画にして、走り続けると少し先の山沿いの岩にまた落雷があり、岩が砕け散った。
片岡憲吾は引き返すか迷ったが、岩が砕けた所から山側に登れそうでもあった。
既にかなり走っていた。後方には既に3本雷が落ちており、確率的に大差無いと片岡憲吾は思った。とにかく水辺から離れるべきであった。
「行ってやるっ!」
片岡憲吾はカメラ片手に、帯電ではなく熱を感じる砕けた岩の傾斜を一気に駆け上がり、沢から離れることができた。
林の中に入ってもなるべく大木の側を避けて歩いた。空は暗くゴロゴロと音を鳴らし続けていた。
盛ってコメントし続ける余裕がなく、ここはテロップやナレーションで処理するしかないと割り切って、義務感だけでカメラを回しながら移動した。
落雷の影響か? コンパスもGPSもデタラメな表示で漠然と山の東側にいる、としかわからなかった。
「撮っても許可無いから使えないか・・さっきの岩が砕ける所だけでも使わせてくれないかな? 岩にも著作権あったっけ??」
どこまで移動すれば安全なのか? 或いは既に安全なのか? 見当もつかないまま早足で歩き続けた。
そのまま進み続けると、
「ええっ?」
森の中に小さな御堂があった。時代劇で素浪人や渡世人等が休んだり悪巧みをするイメージくらいしか片岡憲吾にはなかったが、現実に、忽然と目の前に御堂が現れた。
御堂の入り口には念入りに札が貼ってあったが、経年劣化でボロボロにはなっていた。
ただ、事前に確認していた衛星写真の拡大図ではこんな物は山の東側どころか山の何処にも無かったはずだった。
困惑していると、
バリリィッ!!!
背後に落雷があった。
「嘘だろっ?!」
片岡憲吾は飛び上がる様にして御堂の入り口まで駆け上がり、振り返った。すると、
「いっ?」
落雷の痕の煙が燻る向こうの林に、それがいた。
すぐカメラを向けたが、電流に包まれた何か、としか映っていない。
肉眼で見直すと、それは馬程の大きさの毛足の長い牡鹿であったが、顔は骨となっており、背中には若木が数本生えていた。
そしてその角は片方しかなかった。身体は僅かに帯電していた。
「・・幇間ヨ、堂ニ入リ我ガ角ヲ取リ返セ。オ前ノ欲スル願イヲ1ツ叶エテヤロウ」
それは骨の口で話し掛けてきた。
「喋るのかっ?! え? 角? えっ? ドッキリ??」
バリリィッ!!!
それの角が放電してすぐに御堂すれすれの目の前に落雷が落ちた。
「ひぃっ」
「クダラヌ。角ヲ、取レ。我ガ角ダ」
それは機嫌が悪くなったらしくバリバリと肉眼でもハッキリわかるくらい全身を帯電しだした。
「わ、わかったっ。取ってくりゃいいんだろ?」
戸に貼られた札が目に入り、一瞬気が引けたが、やらなければ謎の怪物に今度こそ黒焦げにされかねなかった。
片岡憲吾は御堂の引き戸を開け、札を破り、中に入った。
御堂の中には簡素で古びた仏像があり、その前の四辺を注連縄で囲った四角い台座に抱える程に大きな鹿の角があった。
どう考えてもバチ当たりだった。片岡憲吾は振り返った。
「お前、これ渡したら何か悪さするのか?」
「早ク、取レ」
それには強い怒りが有る様に感じられた。
「返してやるけど悪さするなよっ」
「ソレガ己ノ願イカ? 我ノ力ヲ以テ何時如何ナル時モ雷ヲ落トシテヤレルノダゾ?」
「雷が落とせるのかっ?!」
「容易イコト」
そんなことが出来れば動画配信者としてトップになれる。いや新興宗教の教主にでもなれば国レベルの権力者にすらなれるかもしれない・・。
片岡憲吾はカメラやバナナ等が入った馬鹿げた荷物を置き、震える手で、注連縄を越しに重いそれの角を抱え上げた。
吸い込まれる様にふらふらと、御堂の前までいつの間にか来ていたそれの前に角を抱えて歩み寄った。それは骨の顔で嘲笑の表情を作った。
「幇間ヨ、願イハ何トスル?」
「俺は・・」
もうヒット数や登録者数に悩まされる事がなくなる。
「俺は・・」
親族や羨ましがりつつ見下しているのが透けて見える知人達の白い目ももう問題じゃなくなるだろう。
「俺は・・お前の力で」
雷を落とす、この一芸だけでいい。もう配信ネタを考えなくていい。何も考えなくてよくなる。超能力者だ。
ちゃんとした芸能界の仕事もあるだろう。芸能人とだって付き合えるかもしれない。
いやそんなことより何よりも、もう、ネタを考えなくていい。
学校でちょっと面白く、ちょっと要領も良かった。それだけの自分が、別に芸人にも役者にもサブカルクリエイターになりたいワケでもなかった自分が、もう7年あまり『面白いかどうか』で苦しみ抜いていた。
何の罰なのか? この終わらない苦しみの螺旋から逃れられるなら雷だろうが化け物だろうが、どうでもいいではないか?!
片岡憲吾は痺れてきた様な頭で角をそれに差し出そうとした。その時、それは嗤ったまま呟いた。
「己モコレデ評判トナルダロウ」
これ、で評判となる?
「・・違う」
「ン?」
片岡憲吾はそれの角を握り締め引き戻した。
「何ヲ・・」
「俺は元々面白いんだよぉおおーーーっ! こぉぉおの野郎ぅうーーーーっ!!!」
絶叫した片岡憲吾は唖然とするそれに、改めて角を差し出した。
「ほれ、持ってけ。但し何か知らんが悪さはするな。それが俺の、このケンティー様の願いだっ! 約束守れよ? 化け物っ」
「・・・・フンッ」
それはつむじ風を起こし、風で角を巻き上げると、角を御堂の台座に乱暴に戻してしまった。
「ええ~? 何やってんの? お前の角だろ?」
「コノ我ガ幇間ゴトキノ指図ヲ受ケルト思ッタカ!!!」
それは風と雷を纏いながら浮き上がった。
「阿呆ニ構ッテ時ヲ無駄ニシタッ! オ前ノ評判ガ落チ没落シテモ我ハ二度トハオ前ト約定セヌッ。阿呆メッ、阿呆メッ、我ハ一切口惜シクハ無イッ! 阿呆メッ!!」
それは一通り罵った後、雷雲の彼方へと消えてゆき、雷雲その物も南の空へと流れ去って行った。
「何だ、アイツっ。あほあほ言いやがってっ! すげぇ悔しがってるしっ」
この後、何とかコンパスとGPSの利く所まで出た片岡憲吾は野営地に戻ったが、動画は沢蟹と戯れる所までしか撮れていなかった。
片岡憲吾はストレスで気が狂ったと思われたくなかったのでこの件は黙っておくことにした。
さらに2日後、ロケを終えると、物資等を回収にきた松田にメモリを納めたが、山で多発したはずの落雷が全く撮れていないことをこっぴどく叱られることになった。
さらにさらに数日後、全ての作業を終え、今回の動画を片岡憲吾が配信すると、その2時間程前に別の新進気鋭の若いイケメン動画配信者がバナナ一房でお遍路をどこまで踏破できるか? というより引きの強い動画を配信していたことが発覚し、片岡憲吾は恐怖と絶望のズンドコに落とされることと相成った・・・。
隻角はセキズミと読みます。元山神ですね。シリアスな話を書く予定がケンティーが楽しくて、じゃない感じの話になってしまいました。