伊吹弥空5
翌日は休日で、朝からうだうだしていたら、突然呼び出しの連絡が来た。指定された喫茶店に行くと、ミソラがアイスコーヒーのストローにシロップやらミルクやらを流し込んでいる姿を目撃した。私に気付くと「何か飲む?」と注文表を見せてくる。
「こういうのもいいでしょ」
にこやかな笑顔で言われ、何に対してかと思ったら、飲み物を奢るつもりらしい。適当な飲み物を頼んで「ご馳走様です」と礼を述べておいた。
「今日ボクは送り迎えだけなんだ。昨日車の運転してた男の人いるでしょ?…あの人マノさんって言うんだけど、今日はマノさんがキミの能力が本当かの確認に立ち会う予定」
ミソラはちょっと残念そうな笑顔を向けてくる。頑張った割に、上手く層が分かれなかったようだ。諦めて全てかき混ぜてしまった。
「ちなみに今日はどんなことをするの?昨日と同じで説明するとか?」
「ウン。詳しい調査内容までは聞かされてないけどね。ボクはキミに助言する可能性が無いわけではないから」
助言があれば能力が無くても説明できる内容なのかと思ったら、ミソラもそう考えると思ったのか「助言できる内容かも分からないけどね」と付け加えた。それ以上聞けることも無さそうで、ちょうどよく自分の飲み物が来たのでそちらに集中することにした。ミソラがストローを啜りながらこちらを妙に意識していることを気にしなければ、静かで、嫌な沈黙の時間ではない。
ちょっとまったりしかけた頃、ミソラの携帯電話の振動で我に返った。画面を確認して「そろそろ」と声を掛けられ、ミソラに付いて店を出る。
外には昨日と同じバンが止まっていて、中に入ると昨日の男の人、マノさんが運転席にいた。車に揺られながら、いつも移動は車なのかと聞いたところ、相手や距離によるらしい。車は昨日と同じ建物に到着して、中でミソラと別れてマノさんに連れられて小部屋に案内された。
「一旦ここで待機します。ついでにモリさんにやってほしいことを説明します」
マノさんは淡々と話しを続ける。表情を見ただけでは、彼が何を目論んでいるか見当もつかない。
「先ず、貴方にはとある犯罪者に会ってもらいます。聴取したところ彼は3人ほど人を殺めているようなのですが、まだ1人しか見つかっていません。残り2人の被害者の所在を彼から得る、ということを行なっていただきます。ちなみに貴方にもしもの事がないよう、彼には目隠しをして、直ぐ近くに4人ほど人を配置していますのでご安心ください」
それだけ言われた。特に質問も無かったので、そのまま無言になる。ほんの少しの時間の後、扉を軽く叩く音がして、別の部屋に案内された。
部屋の中には既に手錠と目隠しをされた男が座っており、彼を囲むように人が4人立っている。どう見ても武器は持ってはいないが、指紋認証で開く壁収納に隠してあるようだ。
正直言うと、マノさんに説明された時点で後悔していた。ミソラの記憶や考えを言い当てれば充分だと思っていたが、浅はかな考えだったようだ。ミソラが今回外された理由と、組織が私をどう使いたいかが分かった気がする。やはり能力の全てを明かさなくて正解だと思った。
「オイ…いつまでこうしてりゃいいんだよ」
目隠しされた男が周囲の誰にともなく語りかける。私は仕方なく、4人にも聞こえるようにわざと大仰な溜息を吐いて男に近寄った。
「被害者達の居場所を教えてください」
それだけ言ってから、男が思い出すのを待つ間にどこにするか考えて、とりあえず額にサッと唇を付けた。男は当然の如く驚いて、頭を振りながら何をされたのかと説明を求めている。私は扉の方に逃げる様に下がり、室内の人達にぺこりと一礼してから退出した。きっと彼等がいいように説明してくれるのだろう。
部屋の外にはマノさんが待機していて、わかりましたか、と聞いてくる。私が頷くと、別室に案内された。そこにはまた別に2人程人がいて、おそらく1人は記録係で、もう1人は資料とかを準備していそうな補助係という雰囲気だ。
「被害者は、3人ではないです。具体的な人数は数えてない様なので答えられません。遺体の隠し場所は大きく3ヶ所に分けているみたいです」
先ずはそれだけ伝えた。余計な記憶まで見ないといけなかったので気分が悪く、軽い吐き気もする。補助係が私の様子から察して、お茶を出してくれた。お茶を飲む気分では無かったが、匂いを嗅いだら少し楽になった。マノさんも記録係の人も、特に急かしたりせず私が話しを続けるのを待っているようだ。
「見つかった1人は、検問でなので、隠し場所に向かう途中でした。ナビに目的地を入れてなかったのは、慣れてるから。目的地の履歴は検問に引っ掛かった時点で削除してました」
嫌な部分を思い出さないように、遺体を捨てに行く時の記憶だけに集中しようと男の行動を話した。1つ目の隠し場所は、建物の名前とかは分からないので、道々にある目印を元に説明し場所を特定してもらうことにする。残りの2つの内の片方も建物の名前は地図上にあるようなものではないので、そちらも同様に男の記憶にある目印になりそうな物や建物を挙げて説明した。補助係と記録係で目印の確認を行ない、マノさんが携帯電話で捜索を行なっているらしい誰かへ指示を出して隠し場所を探索していく。もしかして警察官が捜索しているのだろうかと少し気になる。
一通り説明し終わり、マノさんが場所を指示した誰かからの報告を待つ。補助係の人は気を利かせてお茶を取り替え、お菓子を出してくれた。この人は気の利く人なのかもしれない。食欲はあまり無かったが、待っている間手持ち無沙汰だったこともあり、申し訳程度に手を伸ばしておいた。
数時間の後、隠し場所の1つから遺体発見の連絡が入った。それから数十分すると、他の隠し場所でも見つかったという連絡がきた。最後の隠し場所も大して間を開けずに連絡がくる。一通りの報告を受けたマノさんは、驚きと疑心の眼差しで私を見つめる。まさか私を犯罪者の仲間だとか言い出すのではと不安になったが、彼は何も言わずに視線を外した。
記録係が一部始終の記録を終えると、私は部屋から解放されて、ミソラと合流してから家まで送ってくれた。ミソラは今日何をしたかは特に聞いてこず、「疲れたでしょ」と労いの言葉をかけてくるのみである。車を降りる際にふと気になって、明日もまた呼び出されるのかと聞くと「必要だと判断された場合には」と言われた。彼等はこの後、今日の一件を整理して、私についての報告資料をまとめる作業が残っているらしい。この組織には就業規則なんてものは無いのかと疑問を感じてしまう。
翌日は特に呼び出されはせずに、ゆっくり過ごすことができた。ミソラから連絡があり、その時聞いた話しでは、昨日私が能力を使って進展した事件の処理を行なう関係で2~3日程度放置されるようだ。更に、河原でミソラに会うことも無くなった。今後はわざわざ待ち合わせずとも連絡を取り合うことができるからである。
結局次の呼び出しがあったのは4日後で、また同じ建物に連れて行かれた。ミソラとマノさんから、とりあえず信じるという形で、能力があるものとして私は扱われることになったという説明を受けた。その上で、今日は組織についての規則等々を説明されるらしい。なんだかんだで私は自分の能力を活かせる場を手に入れたという事だろうか。そんな事を考えて、つい感慨深いものを感じてしまう。
建物に着いて、今回もまた別の部屋に案内された。
「ボク等はここで一旦外すから。この後の説明は他の人がするんだ。今回は…ボクの父が説明に当たるって。ちなみに組織の幹部だから、変な態度はしない方がいいよ」
ミソラはそう言って、私だけを残しマノさんと部屋を出た。気のせいか、少し元気が無いような感じがする。
去り際、私の口元をなぞって「コレだけでも分かるのかな」と物欲しげな顔をされ、むしろしなくても分かると答えたいのをグッと堪えて「どうも」と適当にミソラの手を払った。背筋に変な汗が流れる。口唇同士でなくてもいいと聞いたのかもしれない。
2人が去った後、暫く待っていると不意に扉を叩く音がして、初老の男性が入ってきた。ミソラの記憶を見た時も思ったが、パッと見ると祖父かと思うけれど、彼がミソラの父親である。
「初めまして。貴女がモリ ヒスイさんだね」
そう言いながら、こちらを値踏みするように見つめてくる。私は気圧された感じがして声が出てこなくて、慌てて直立しペコリとお辞儀を返す。パッと見は普通そうなお嬢さんだと思っているようだったが、口には出してこなかった。
「これから当組織について説明させていただく。まあ、分からないことは質問してくれれば、可能な限り答えよう。それと、ミソラは私の息子でね。だから…と言うのも何だが、少しでも質問しやすくなれば嬉しい」
そう言ってニコリと微笑んだ。私が畏まってしまったのを、和ませようとしている。なんだか申し訳ない気もして、私も強張った頬を無理矢理引きつらせて笑顔を作り「ありがとうございます」と返した。年齢や顔つき、肩書きも相まって物凄く貫禄を感じる。イブキさんは終始笑顔を崩さないようにして、組織についての説明をしてくれた。
「ヒスイさんの能力は、私は勿論、組織でも全く前例が無くてね。簡単には信じられないが、とりあえずは在るものとして扱う方針になった。今後はその能力の信憑性の確認も兼ねて、犯罪者の調査業務を手伝っていただきたい」
質問待ちなのか、ほんの少し間を開けてから「それと」と言って付け加える。
「基本的に本名を名乗ることは無く、秘匿名を使うことになると思っていい」
そう言って私がこれから名乗るべき秘匿名を教えられる。私はまた犯罪者に口付けして殺しの記憶を見ないといけないのかとげんなりした。彼等に明かすチカラも、発動条件の決め方も完全に間違えたのかもしれない。マノさんから聞いているのか、私のそんな様子を見て「組織に関わると決めたなら、嫌なものも見る事も、覚悟しないと」と厳しい言葉を告げた。
彼はミソラ達からの報告で、私が望んでこの組織に関わろうとしていた事も分かっているようだ。組織についての一通りの決まり事と、秘匿名を説明され、もし判断に困ったら、緊急時以外は必ず同じ任務にあたっている仲間かイブキさんに相談するよう指示された。
前にミソラの記憶で見た様に、基本的には国防を目的としており、国軍としての派兵に加わり他国の情報収集や戦闘への参加、国内の犯罪調査を行なっているが、その一環として国防とは直接関係の無い警察組織の捜査にも協力しているらしい。実際にはボヤかして説明されたが、この組織は軍の一部でもあり、警察組織の一部でもあるという立ち位置になっているようだ。そうすることで、それぞれに割り当てられる予算をどちらも使って運営しているようで、代わりにどちらの手伝いも必要なのだという。そもそもそんな予算の割り当て方は有りなのかの方が気になる。
組織では個人や関わった案件の特定を避ける為、必要に応じて秘匿名が使用される。特に秘匿名に関しては、階級に関係無く自ら話す事は禁止されているらしい。私の秘匿名はイブキさんが決めたので、現時点で知っているのは私とイブキさんのみだが、彼と同じかそれ以上の立場の人なら、情報を閲覧する権限を持っているから、そもそも当人に聞くことも無いと言われた。
また、秘匿名は使い回されていて、私が貰った名前も誰かが昔使っていたらしい。これで、所属時期から担当案件も探りにくくなるのだそうだ。私の様な他の人にないチカラを持っている人間でも誤魔化せるものなのかと思っていたら、犯罪者から情報を聞き出す作業を担当する人間は他にも沢山いるので問題無いらしい。他にも細々と説明されたが、一度で覚えられる訳がないので、都度都度聞くことにした。
説明が終わると、徐に携帯端末を取り出して私に差し出す。
「仕事に関する連絡用にこちらを渡しておく。ヒスイさん個人の物と上手く使い分けるといい。…ちなみに使い分けと言っても、はっきり2分させるのはオススメしないがね」
それだけ言うと、今度は別の端末を取り出して誰かに電話をした。数分も待たずにマノさんとミソラがやって来る。携帯端末の初期設定を済ませてミソラ以外の連絡先も登録した後、家まで送り届けてもらった。
「今後についてだけど、ボクやマノさんはキミの案件に直接は関わらなくなるから。でも、個人的な付き合いが制限される訳ではないし、こうやって合間合間で会えるようにするよ。それと、護身術程度から始めて有事の対応ができるように訓練する事になるから、ボク等はその辺りでは付き合えると思う」
移動中、ミソラが少し心配そうな面持ちで言った。
「モリさんは有名ですから、素顔では仕事に支障が出ますので、対策も必要でしょうね。とは言え変な被り物では余計に怪しいですから、化粧とコンタクト、それからウィッグ等でどうにか印象を調整することになりますか…」
マノさんは横目にこちらをチラ見して、ブツブツ悩んでいる。犯罪者の記憶を見るなんて事をしなければ、その辺りは考えなくて済むのにとつい思ってしまう。
帰宅後、夕飯を済ませてぼんやり宿題と向き合っていたら、イブキさんから今後の予定を作成したので確認するようにと連絡が来た。見てみると、休日はほぼ埋められていて、平日も多くはないもののいくらか予定が入れてある。化粧の講座も何件かあったが、これは最低でも数回受講しろということらしい。鍛錬に関しては、仕事の無い休日に入れてあった。彼曰く、私への配慮として、休日でも半日以内に終わるように予定を作成したそうである。また、月に1度面談日が設定されており、イブキさんから何か不都合は無いか等の聞き取りがあるらしい。
翌日は流石に予定を入れてきてはいなかったので、学校が終わった後はいつもの様に河原で、1人で過ごした。なんだか久しぶりに自由な時間を過ごした様な気がして、少し解放感があった。
その次の日から、組織内で執り行なうよく分からない化粧講座や初心者向けとは到底思えない難度の戦闘訓練、夢見の悪くなる様な犯罪者調査が始まった。1日2日経過した段階で既に気力が限界に達しそうである。休み明けの授業が特に辛かった。訓練や任務の休憩時間に会いに来たミソラが何を期待しているのか、ピッタリ隣に座ってじっと顔を見つめ「大丈夫?」と言いながら手を握ってくるのも若干面倒くさい。その割に最近は口元には触れようとしないので、ミソラの事には関わらなくて良いのだと考えられる分多少楽ではある。