第5章
国境を抜けても、周囲の様子が劇的に変わるわけではなかった。
視界に入るのは畑ばかりで、農村がちらほら、そんな牧歌的な光景が続く。
ただし、康大達を見る村人たちの目は微妙に違っていた。
誰もかれもが、奇異の視線で見ている。
何があるかわかないからと窓から注意して外を見ていた康太は、それに気づいた。
現在の両国家の緊張関係を、村人レベルの人間たちが知っているとも思えない。
また、馬車にあるインテライト家の家紋を知っているとも思えない。
おそらく他国からの往来者自体が少なくなっているのだろう。
自国の馬車なら、普段見かけるのでさすがにわかるはずだ。
康太は農民たちを見ながら、そんなことを思った。
――と呑気に田園風景を眺めていると、小高い丘の向こうで突然爆炎と、そののちけたたましい轟音が沸き起こる。
予期せぬことに馬は暴れ、コルセリアは必死でなだめようと手綱を絞った。
その際に魔法も使い、馬はなだめられたものの空気のタイヤは効果を失う。
康大は馬車の揺れにより、強かに尻を床に打ち付けた。
「いつつ……。何があったんだよ!?」
康太は急いで馬車を降り、辺りの様子をうかがった。
他の3人もそれに倣う。
煙はまだもうもうと立ち上っていた。
周囲に森はないので火事にはならなそうだったが、それでもかなりの大事件だ。
……そう康大達は思ったが、村人達に全く変化は見られない。
彼らは一瞬爆発した方を見ていてたが、すぐに視線を戻し、また農作業に戻る。
慌てる者は誰もおらず、子供がはしゃいでいるだけだ。
「圭阿」
「とりあえず様子を見てくるでござる」
康太の意図を組み、圭阿は爆発が起こった方へと走っていく。
それを見送りながら、康大は近くにいた人に話を聞いてみることにした。
別に他国の人間と話すことは、昨日のガンディアセの講義で止められていない。
「あの」
「へ、へえ……」
日焼けした肌に粗末な布の服、そして土で汚れた顔と、どう見ても農民にしか見えない中年の男が応える。
男はあの爆発より、康大に突然話しかけられたことに驚いたようであった。
「向こうで起こった爆発について何か知ってますか?」
「え、あ、へえ、あれは勇者様がやったもんですだ」
「勇者様!?」
突然聞いたファンタジーにしかない役職に、康大は興奮する。
後ろで様子を見ていた3人は康大の反応が、いまいち理解できなかった。
「なんだその"勇者"っていうのは?」
「ハイアサースは勇者を知らないのか!? 俺的には世界で一番有名な職業とさえ思ってるんだけど……」
「知らんな。修辞的な意味なら理解できるが、職業としては聞いたこともない。ザルマとコルセリアはどうだ?」
「俺も知らん」
「寡聞にて私も……」
2人とも首を横に振った。
(このセカイって、魔物もいて魔法もあるのに、勇者はそこまで有名じゃないのか……)
意外な事実に、康大はかなり驚いた。
このあたりの価値観はそっち系の人間ならではだ。
「そこの者、勇者とは何者なのだ?」
考え込んでいるコウタの代わりに、ザルマが男に続けて話を聞いた。
あまり話し慣れていないのか、男はつまりながら答える。
「へえ、えっと、異邦人の偉い方が自分は"漆黒の勇者"だって言ってますだ」
「異邦人……この国にも生きた異邦人がいたのか」
「へえ」
男は首を縦に振る。
勇者は知らなくとも、この男の返答にはほかの3人も驚きをみせた。
康太だけはその目をそむけたくなるようなひどい自称も気になったが。
「コウタ、ひょっとしたらお前の知り合いかもしれないぞ」
「……ん、ああ、でもケイアのこともあるし、基本的には別セカイの人間なんじゃないか。それにこの人の話だと、自称してるだけの恥ずかしい人間らしいし、そういう奴とはあまり関わりたくない」
康大は自分の恥部をこれ以上ないほど見せられている気がした。
康大が問題に思っているのはオタクであったことではなく、現実と空想の区別を意図的に曖昧にしていたことだ。高校に入学してからそういう人間達とは、距離もとってきた。
それはこのセカイに来ても変わらない。
尤も、このセカイに重度の中二病患者などいないが。
いないと思っていたが……。
それから農夫の男に色々聞いてみたが、先ほど聞いた以上の情報なかった。
結局は圭阿の偵察報告待ちだ。
コルセリアは「せっかくなので置いていきましょう」と言っていたが、さすがにそれは無視した。
やがて圭阿が戻ってくる。
その表情は、どうも釈然としなかった。
「で、どうだった?」
「それなんでござるが……」
康太の問いかけに、圭阿は珍しく少し考えてから説明しだした。
「爆発の中心に、おそらくそれを引き起こした者はおりました。服すら焦げでおらず、その力は破格と言えるでしょう。しかし、なんというか……」
「なんというか?」
「……薄いのでござる」
「薄い?」
今度は康大が首をかしげる番だった。
薄い、とはどういうことなのか。
かつての幽霊船の女主のように、霊的な何かという意味だろうか。
「もっとわかりやすく言え。相変わらずニンジャという生き物は脳も体格も足りんな」
「・・・・・・」
コルセリアの揶揄に圭阿は一切反応しない。
まるで言葉が通じないかのような対応だった。
コルセリアは瞬間的に剣に手を伸ばしたが、さすがに抜きはしなかった。
彼女とて他国における抜刀の意味ぐらいは理解していた。
「……例外なく強者にはそれに見合った空気があります」
少しして圭阿は説明を再開する。
「いんてらいと家のお二人は言うに及ばず、飄々としているふぉっくすばーど殿とて、一手間違えれば首を切られるのではないかという、危うさがあります。それがその男には全くなかったのでござるよ」
「つまり強いわりに薄っぺらい人間だった事に違和感があると?」
「如何様。修練し、修羅場を踏めば人間おのずと風格が嫌でも身につくものでござる。それが全くないのは、こう、解せぬことでした。あと……」
再び圭阿が口をつぐむ。
言いにくいことなのだろう。
だが聞かないわけにもいかない。今までの経験から、いつ自分たちにもとばっちりが来るか、わかったものではないのだから。
「あとどうしたんだ?」
「……何やら雰囲気が康太殿に似ていたのでござる」
「俺に?」
「つまりコータが薄っぺらい人間ということだな!」
こんな時だけ理解の早い婚約者。
康太はもっと贔屓目があってもいいんじゃないだろうかと、悲しくなった。
「いえいえ、そこまでは。いずれにしろ、拙者たちと今すぐここで事を構えるような様子ではありませなんだ。触らぬ神に祟りなしで、ここは疾く移動すべきかと」
「そうだな。コルセリアさん、馬車はもう動かせますか?」
「え、あ、はい。馬も今はだいぶ落ち着いているので問題はありません」
「それじゃあ出発だな」
そして再び馬車に乗り込む4人。
だが、最後にハイアサースが乗り込もうとしたとき、コルセリアは彼女の腕をつかんで止めた。
「どうした?」
「いえ、その大分顔色が悪いようなので、大丈夫かなと」
「ああ、そういえば今までしてなかったな……」
馬車に揺られグダグダしていたら、知らぬ間にハイアサースのゾンビ化がかなり進んでいた。
荷車の中は暗く、康大達は見慣れているのもあってその変化に気付けなかったが、太陽の下、初対面のコルセリアはしっかりと気づくことができたのだ。
ハイアサースはすぐに回復呪文を唱え始める。
その様子を台車から見ていた康太は、ある問題に気づかされた。
「……コルセリアさんにどこまで話したらいいだろう」
――そう、コルセリアには今ところゾンビ化のついて一切話していない。
彼女がどういう主義の人間で、またどこまで旅を共にするか分からない以上おいそれと話せることではなかった。
これから長い間旅をするなら、黙っているわけにもいかない。
しかし、言ったいったでさらに面倒なことになりそうな気もする。
悩んでいる康大に事情を察したザルマが言った。
「例の件については黙っておいてほしい」
「やっぱり言ったらまずいか」
康太の内心を察し、ザルマが密かに声をかける。
このあたりの空気を呼んだ対応は本当に成長したなと、康太は思った。
「ああ。多分それを知ったら、コルセリアは何をするか分からない。あれの過保護は異常だ。当時それを不思議に思わなかったことが、今は何より恐ろしい」
「なるほどね」
ザルマの言うとおり、知りあって間もない康大ですらコルセリアがゾンビ化を聞いて平然としていられるとは思えない。
何よりこのゾンビ化は感染するのだ。
今まで意図的感染しかなかったので気にしなかったが、ひょんなことから感染る場合もある。そんな危険な状況を、コルセリアは絶対に認めないだろう。
――そう、感染する怖さがあるのだ。
「・・・・・・」
「どうした、いきなり間抜け面をして?」
「ほっとけ。あのさ、以前盗賊を倒すために、ゾンビ化の病原菌をばらまいたことがあったんだけど、今更ながらやってしまった感が……」
「お前そんなことしてたのか。まあ、当時の事情を知らない俺からはとやかくは言えんが……」
あの時は生きるのに精いっぱいで、周囲の生態系など考える余裕などなかった。
もしこれが映画なら、そこから動物を経由して人間に感染し、パンデミックが始まっていただろう。
「・・・・・・」
一時気になると、それが頭から離れない。
そんな神経質なところも康太にはあった。
そんなとき、彼方の方から1羽の鳩がやってくる。
鳩は全く、何の躊躇もなく、康大の肩に止まった。
「それはふぉっくすばーど殿の伝書鳩でござるな」
横から圭阿が言った。
伝書鳩をフォックスバードが使っているのは知っていたが、実物を見るのは初めてだ。
インテライト家のように水晶玉のような設備があればいいのだが、これが一番手っ取り早いのだろう。
康太は反射的に伝書鳩の足を調べた。
こういう場合、書簡を入れる筒などがついているものだ。
しかし、フォックスバードの伝書鳩にはそれらしきものは何もなかった。
康太が首をひねっていると、
【やあ、ご苦労様】
当の伝書鳩がしゃべる。
あまりに直接的すぎる行動に康太は思わずその場に尻餅をついたが、仲間はそんな康太を笑うだけで、驚いたりはしなかった。
そんな仲間たちに康大は思わず叫んだ。
「なんで鳩がしゃべってんのに驚かないんだよ!?」
「いや、伝書鳩はそういうものだろう」
ハイアサースが呆れながら言った。
他の人間ならまだしも、ハイアサースにそう言われると精神的ダメージが大きい。
唯一康太の気持ちがわかる圭阿が、苦笑しながら2人をなだめる。
「まあまあ。拙者や康太殿のせかいでは伝書鳩は書物を運ぶだけで、しゃべらないものでござる。康太殿、この世界の伝書鳩は実際にしゃべって用件を伝えるのでござるよ」
「ボイスレターみたいだな……」
康太はその常識外れの高性能っぷりに、感心しつつも呆れた。
とはいえ、現実セカイのように通信網がいきわたっている世界では、あまり意味のない能力だ。
ただ、それがないこのセカイでは、かなり効果的だ。鳩が技術的特異点になってるとさえいえる。
康大はそんなことを考えながら、鳩に向き合った。
【インテライト邸じゃジェイコブに用もあって詳しく話せなかったけど、必要な薬草についてもっと詳しく話しておかなくちゃね】
「そういえば詳しく聞いてなかったな。場所が場所だけに」
【まあ君の状況を考えればやむなしだろう】
「双方向なのかよ!? もう携帯電話じゃねえか!」
予想をさらに超えた伝書鳩の万能性に、心底驚く康大。
おそらくこのセカイの住人は携帯電話を見ても初めは驚くが、すぐに慣れるだろう。
【そこまで驚かれるのは僕としても久しぶりで嬉しいよ。残念ながら言葉の意味は分からないけどね。それはさておき本題に戻ろう。必要な草の名前はトーガ草と言って極彩色の小さな花なんだ。ただ残念ながら詳しい場所は分からない】
「今も調べてる途中なんですか?」
【いいや、そもそも書物には場所まで記載されていなかったんだよ。ただ、以前グラウネシアの行商から、たまたまもらったことを覚えていてね。だから最悪グラウネシアにない場合もある】
「うへ……」
康太はため息を吐いた。
文字通り完全に無駄骨になる可能性もある。
ただフォックスバードは【とはいえその可能性は低いだろう】と付け加えた。
【その時他にも色々もらったんだけど、それらはすべてグラウネシア産の薬草だった。だからトーガ草だけが違う可能性は低いと思うよ】
「その行商の人がどこにいるかは?」
【残念ながら分からないね。顔なじみじゃなくて飛び込みで、それ以来会っていないから。トーガ草はその時のおまけとして押し花にしたのをくれたのさ。しおりにでも使ってくれって。ただそれはすぐにボロボロになったから捨ててしまったけどね。それでも名前と形状は覚えていて、図書館の書物にその名前があったのを見つけたのさ】
「具体的にはどういう効果が?」
【体内にいる邪悪なものを浄化する効果があるらしい。その書物によると、ゾンビとして復活したした人間が、その草を使ったら生きた人間として甦った、という話もあったんだよ】
「なるほど……」
それなら確かに効果があるかもしれない。
たとえなかったとしても、それはフォックスバードではなく書いた人間の責任だ。
賭けてみる価値はあった。
そしてこの話には生臭い続きがあった。
【いやあ、実は他のやり方も書いてあって、そっちは手持ちだけでできそうだったから色々試してみたんだけど、全部だめでさ。参ったよ】
「試した?」
【うん。実験台はそこら中にいたからね。ほら、村にゾンビが出ても困るから、そのついでに】
「・・・・・・」
つまりフォックスバードは康大に感染させられ、その後生き延びた盗賊を捕まえ、彼らを用いて非人道的な人体実験をしていたようだ。
しかしこれは感染拡大防止のために必要な行為でもある。
何よりフォックスバードがそうしてくれるのなら、自分がこれ以上心配する必要もないだろう。
彼は有能かつ冷酷かつ非常識だ。
緊急時にこれほど頼りになる人間もないだろう。
……そう自分を納得させ、康大はこの件を頭から追いやった。
【納得してもらえたかな?】
「ええ。嫌というほど。つまり、トーガ草がどこにあるかのヒントは、現状これ以上ないんですね」
【いや、そうともいえない。その行商人の居場所は分からないけど、薬草の手がかりがありそうな場所には心当たりがある】
「本当ですか!?」
【ああ。実はグラウネシアの王都には薬草学に特化した図書館があるんだ。あの国は薬草が豊富で、その学問も発展しているからね。ファジール草を兵器として、有効的に調合することもできたようだし。その規模は智と死の図書館以上だよ。数十年前から進歩していないあそこと違って、グラウネシアの方は毎年改定されてるみたいだしね】
「それはすごいですね……」
康太はあの図書館の光景を思い出し、素直に感心する。
【ただ問題は、君たちのような部外者がおいそれと入れる場所ではないんだ。その点に関してはいつもの機転を利かせて、どうにかしてほしい】
「ああ、最終的には人任せなんですね……
【そういうこと。それじゃあまた何かわかったら連絡するよ】
その直後、「くるっぽー」と鳩らしい鳴き声を上げ、伝書鳩はどこかへと飛び去って行った。
康太はそれを見送りながら、これからについて考える。
「結局、その図書館に行くのがこれからの目的というわけだな」
「ああ」
ハイアサースの短絡的かつ正しい結論に康太は頷く。
問題はその方法だ。
今のところ、康大にグラウネシア要人のツテはない。
いったん王都に戻り、母方がグラウネシア人のアムゼンに頼るのが最善なのだろうか。
――康太がそう結論を出そうとしたとき、ハイアサースが思いもしない提案をした。
「ならば大司教様についでに頼んでみたらどうだ?」
「大司教に?」
「ああ。大司教様ほどの人ならば、グラウネシア王家にも顔が利くだろう。うまくいく保証はないが、試す価値はあると思うぞ」
「そうだな……」
康太はハイアサースの提案に素直にうなずく。
断られたところで失うものなど何もない。
アムゼンにこれ以上貸しを作るのも問題がある気がするし、了承が得られる保証もない。
反対する理由はなかった。
「そうだな、その時はお前に任せるよ」
「大船に乗った気でいろ! 尤も、今の状態で会えるかどうかの保証はないが……」
そう言ってハイアサースが乾いた笑いを浮かべる。
唯一事情を知らないコルセリアだけは不思議そうな顔をした。
「大司教猊下もあなたのようなシスターならば、会うことを断りはしないはず。なぜ問題が? 過去に粗相でもされたのですか?」
「いやそれは……」
ハイアサースは言葉に詰まる。
ゾンビ化の件を隠すと、話が色々面倒になった。
しかしコルセリアは深くは問い詰めず、逆に恐縮する。
「申し訳ありません。下郎の分際で出過ぎた口をきいてしまいました、どうかお許しを」
「いや、いいんだ」
ハイアサースは曖昧な顔で答えた。
相手が下手過ぎればそれはそれでやりづらい。
これからコルセリアを加えていくとこういう機会が山ほど増えるのだろうなと、康大ははたで見ていてうんざりした。
(コルセリアも余計な線なんか引かずに、折れてくれればいいのに)
ただザルマのことをぼっちゃまと呼ばなくするだけで解決する単純な問題、康大は心からそう思えてならなかった。
「さて、いつまでもこんなところにとどまっているわけにもいくまい、出発するぞ」
ザルマが皆に声をかける。
今回ばかりは誰も反対せず、全員馬車に乗り込んだ。
そして馬車はわだかまりを残したまま、一路王都へと向かうのだった……。