第3章
「お・・・・・・」
暗闇の中でミーレの姿を見つけ、康大は声をかけようとし、一瞬ためらう。
彼女の様子がいつもと違っていたのだ。
まずいる場所が屋外で、いつものオフィスではない。
周囲にはきれいな花壇や城がある。
こちらのセカイにいるのかとも思ったが、その城は現実セカイのどこかで見た気がする。
少なくとも、ミーレがかぶっている耳付き帽子は、このセカイには存在しないはずだ。他、観覧車もジェットコースターも、ポップコーンを売ってる売店も絶対に存在しない。
そしてダサい私服の女神は、今まで見たことがないほど浮かれていた――。
《何よー、プライベートは気を使ってよー。今日休日よ!》
康太の視線に気づいたミーレが、眉間にしわをよせ文句を言った。
「いや、休日とかどうでもいいんだけど、女神のセカイにもそういう場所はあるんだな」
《ううん、舞浜だけど》
「それめっちゃ東京ディ……!」
康太は言いかけて止める。
何か最後まで言うと色々問題がありそうな気がした。
(ていうか――)
康太はネズミ云々以上に、もっと重要な問題が他にあることに気づく。
「なあミーレ。俺のセカイはもう遊園地で遊べるような状態じゃない。舞浜だってすごい被害だ。けど俺が見た限り、そこは平和そのものだ。これは一体どういうことだ?」
ミーレの周囲はゾンビどころか、死体すらない。あるのはアトラクション、いるのは暢気な来園客だけだ。
康太の記憶では、日本中どこも血と炎に包まれ、のんきに遊園地で遊んでいる人間など1人もいなかった。そもそも、遊園地などとっくの昔に運営を止めている。
《ああその話ね、えっとちょっと待って》
ミーレはそう言うと、カバンからスマートホンを取り出し、耳に当てる。
着信があった様子ではないのだが……。
《こうしてれば普通に誰かとしゃべってるように見えるでしょ。アンタの存在は女神以外には見えないし》
「なるほど」
ミーレにしてはうまいことを考えたと、康大は素直に感心する。
ミーレにしては。
《何か不快な空気を感じたんだけど……。まあ待ち時間の暇つぶしに、アンタの話には付き合ってあげるわよ》
さらによく見れば、ミーレはアトラクションの列に並んでいた。
自分が今まで死ぬ気で王国の陰謀に立ち向かっていた時に、我関せずと休日を満喫していたことを知れば、康大も殺意がわいてくる。
《あれ、何か怒ってる系?》
「憎しみで女神が殺せたら多分100回ぐらいお前死んでるぞ系」
《マジか。ていうか、私だって毎日ちゃんと仕事してるんだから、たまの息抜きぐらいいじゃない》
「・・・・・・」
少なくとも康大には今までまともに仕事をしているようには見えなかった。
せめて上司にその無能さを叱責されている姿を見せていたら、多少は共感もできただろうに。
《……まあいいわ、なんかこれ以上話すとこっちの立場が悪くなりそうだし。で東京ディ――》
「某遊園地!」
《……このセカイの某遊園地が何で普通に営業してるかって話よね。簡単よ、ここはアンタのいる世界とよく似てるけど、ゾンビパンデミックが起こらなかった、アンタから見たら異セカイなんだから。むしろアタシには何が原因でそんなバイオなハザードが起こったのか、想像すらできないんだけど》
「そいうことか……」
ミーレの説明は康大を納得させるには十分なものだった。
圭阿のセカイがあまりに現代日本とかけ離れているため、異セカイという感覚であったが、考えてみればあれも地球だ。
ゾンビが存在せず、人々が普通の日常を送っている日本が別の次元にあっても不思議ではない。
《聞きたいことはそれだけ?》
「あ、あと一つ。そもそもこっちが本題だ。あのさ、こっちのセカイの現地病とか大丈夫なの?」
《今更それを聞くか。ていうか前も話さなかった?》
「いや、今になって気になって。まあ今更だとは俺も思うけど」
康太は我ながら呆れた。
《アタシだってそこまで医学に精通してるわけじゃないから詳しいことは言えないけどさ、とにかくアンタは大丈夫よ。病気どころか毒に対しても無敵なんだから。下手な考え休むに似たり、よ》
「うーん、やっぱりそれでいいのかなあ……。まあ、よくわからないことを考えてもしようがないか」
《その通り》
ミーレは大きくうなずく。
この女神は大事なことも考えないようにしている気がしたが、康大は黙っていた。
「ところで今の話聞いてて思ったんだけど、このセカイは言葉が通じすぎる気がすんだよな。たとえフォックスバードさんに翻訳の魔法を使ってもらってても、そのセカイの常識に基づいた故事成語とかあるじゃん。そこらへんがうまい具合に変換されすぎな気がする」
《……いきなり真面目な話になるけど》
ミーレの表情が不意に変わる。
康太もそれに反応し、思わず背筋を伸ばした。
《集合的無意識って言葉知ってる?》
「聞いたことがあるようなないような……」
《まあアタシも詳しく知ってるわけじゃないんだけどさ。簡単に言うと全人類が共通で持ってる無意識みたいなもんよ。で、言葉が通じすぎるのは、その無意識が次元を超えて働いているせいもあるかもってこと》
「いきなり規模がでかい話になったな」
《環境が違っても同じ無意識から発展した人間は、結局同じような文化やものの考え方を持ったりすんじゃないかって。そのセカイだって、アンタが想像するファンタジーの世界にかなり近いでしょ》
「まあそうだな」
《それも、その集合的無意識がそっちのセカイの現状をくみ取って、アンタらのセカイにおいてファンタジーはそういうものだと、思わせてるかもしれないって可能性もあるわけよ。まあ究極的には卵が先か鶏が先かって話になるんだけど》
「・・・・・・」
珍しくミーレとした学術的な話に、康大の頭は少し混乱した。
ただ言いたいことはわかる。
ミーレとしては――それが女神の総意かどうかまでは分からないが――異セカイも同じ地球である以上、言葉が通じるのも不思議ではない、と言いたいのだろう。
「分かったような分からないような……、まあ聞きたいことはこれぐらいかな。休日に邪魔して悪かった」
《ふふ、アンタでもそういう殊勝なことが言えるのね。まあアタシもいい暇つぶしができたし。それじゃ最後に一つだけアドバイス。アンタは私がいる舞浜が自分のセカイだと思ってたけど、実際は違って瓜二つの別のセカイだった。そしてアンタが今いるそのセカイには、転送者がまあほぼ即死しているとはいえ、結構来ている。だから気をつけなさい、自分の知人や家族と全く同じ姿かたちをした、赤の他人がいる可能性を》
「赤の他人……」
よく似たセカイから来た転送者。
確かに今までその可能性を考えたことは一切なかった。
「わかった……けど今立ってはいけないフラグが、壮絶に立てってしまった気が」
《そこまでは責任持てないわよ。それじゃあまた会社でねー。……って強風のため急遽アトラクションは中止だと! ふざけんな! 何時間並んだと思ってるのよ! 金返せ! ・・・・・・》
ミーレの見苦しい罵詈雑言が始まったところで、康大は眼を開く。
これ以上彼女と会話を続けていても、意味のある話ができるとは思えない。
どうせ愚痴を聞かされるだけだ。
康太はベッドに寝そべり、改めてミーレが言ったことを考えてみる。
今まで圭阿以外に転送者とは会ったことがない。
そもそも送られた人間はほとんどが即死するのだから、それも当然だ。
しかし、もし康大の様に何らかの理由で生長らえた人間がいた場合、果たして彼もしくは彼女と協力できるだろうか。
知っている人間と思っていたら、全く別の、異星人のような人間と。
「結局対応的には現地の人と変わらないんだよな。まあ誰に恨みを買ってるわけでもないからいいけど」
「なにがいいのでござるか?」
「おおを!?」
突然圭阿にそばに立たれ、康大はベッドから転げ落ちそうになった。
「あ、焦った……」
「康太殿は少し気を抜きすぎでござるな。これからは訓練のため、積極的に不意をついていこうと思うでござる」
「金輪際やめてくれ」
康太は恨みがましい目で圭阿を睨む。
「それで、回収に行ってたみたいだけど、なんか変わったことはあったか?」
「結論から言えば、きれいさっぱり跡形もなくなっていたでござる。状況的に、恐らくあむぜん殿下の手によるものでござろう。念のため調査を続けるでござるか?」
「いや、アムゼン殿下が関わってるならもう放っておいた方がいいだろう」
康太は首を横に振る。
問題があったらあとで嫌でも追及されるのだから、放っておかれている現状に越したことはない。
「それより何やら邸内が騒がしい様子。拙者が留守の間、何かありましたか?」
「あー、そうだな、しいていえばコルセリアさんが来た」
「げっ」
圭阿がはっきりと、年相応の少女の顔で表情を変える。
こんな分かりやすい嫌そうな顔を見たのは初めてだ。
これだけで、圭阿とコルセアリアの関係が康大にも容易に理解できた。
「そりゃまあザルマを溺愛している腹違いの姉と相性が悪いのは当然だよなあ」
「会ったことは一度しかありませぬが、それで十分でした」
本当に疲れた顔で、大きく息を吐きながら圭阿は言った。
最低の出会いだったことは想像に難くない。
「あの姉にしてあの弟、というか、ざるまは確実に間違った教育を受けてきたようでござる」
「間違った……?」
「間違いだと思うことが間違いだという、もうその時点で進退窮まっているような」
「確かに完全に間違ってるな」
康太は初対面の時のザルマの傲慢さを思い出し、苦笑する。
ひょっとしたらザルマの生来の善性があったために、そこまで曲がった人間に育たなかったのかもしれない。
つまりあれでかなりマシだったということだ。
実際今では大分反省し、更生も進んでいるので、なおさら一緒にいたくはないのだろう。
「それであの気違い女……もとい、こるせりあはなんと?」
「ついて行く気満々らしい」
「然らば今すぐ出発し、あの女は置いて行きましょう」
「まあザルマもそれを聞いたらそうしてくれと頼むだろうな……」
「ちょっといいかコウタ!」
ふいに部屋の扉が開かれる。
圭阿は反射的にノックもなく開けた無礼者の顔面を苦無の柄で殴った。
ただし殴られた方も、いつも通りあまり苦悶の表情は浮かべず、むしろ少しうれしそうだった。
「礼儀をわきまえろ愚か者!」
「失礼しました!」
無礼者――ザルマは器用にも扉を閉じながら倒れる。
そしていつものように一瞬で立ち直った。
「ケイア卿がいたなら都合がいい。コウタ、どうにかしてコルセリアの目をごまかして出発できないか?」
「あー今ちょうど圭阿とその話してたんだ」
「なんと! やはり私とケイア卿は心の底で繋がって――」
「去ね!」
「言いすぎましたぁ!」
気持ち悪いセリフをほざいたザルマを、今度は苦無の刃で引っぱたく。
さすがに先のとがった部分ではなく腹の平らな部分を使ったが、それでも痛いものは痛い。
ザルマでなければ鼻ぐらいは折れていただろう。
しかし当のザルマは鼻血すら流さず、ハイアサースの回復魔法を必要とするレベルですらなかった。
尤も、こんなどうしようもない理由のケガを、ハイアサースが治したかどうかは分からないが。
「まあ貴様の言うとおり、こるせりあは本当に面倒だ。出発は明日だが、今日の深夜の内に出るべきだろう。康太殿からも許可は得ている」
「許可を出した覚えはないけど、まあ状況が状況だしな。ハイアサースは寝てたら圭阿がおぶればいいだろう」
「背に腹は代えられんでござる」
「ふう、これで私も一安心――」
言いかけたザルマの顔が一瞬で凍り付く。
つられたわけではないだろうが、圭阿の表情も剣呑なものに変わった。
唯一康大だけが取り残される。
「何があった?」
「……コルセリアの気配がする」
「右に同じく」
「・・・・・・」
康太は2人の探知能力に舌を巻く。
今まで一度しか会ったことがない割には圭阿もかなり敏感だ。
よっぽど最悪の初対面だったのだろう。
そこまでひどいと、むしろ興味が引かれる。
「康太殿、お静かに……」
「・・・・・・」
戦場にいるときのような顔の圭阿に言われ、康大も言われた通りにする。
しかし残念ながら、その行為に意味などなかった。
「ぼっちゃま!」
3人の努力をあざ笑うかのように、扉が勢いよく開かれる。
誰が開けたか分からない人間はその場に1人もない。
「話はまだ終わって……お前は!?」
「久しぶりだな」
圭阿だけでなく、コルセリアの反応もあまり芳しいものではなかった。
「お前まだぼっちゃまのそばに……」
「拙者がついてきたのではなく、勝手にざるまがついてきたのだ。勘違いするな」
「抜かせ!」
コルセリアは室内にも拘らず、問答無用で抜刀する。
……康太にはただ抜刀しただけに見えたのだが――。
「相変わらず剣の腕だけは恐ろしいほど冴えてるな。無駄に」
「坊ちゃまの手前手加減してやったのだ。1人だったらその首切り落としていたわ」
そんな2人の会話が終わった瞬間、はらりと圭阿の服が横一文字に切られる。
つまりコルセリアは居合をしていたのである。
そのあまりの速さに、康大にはただ剣を出しただけにしか見えなかったのだ。
「コルセリアは俺の剣の師でもあるんだ。あいつは血筋に対する劣等感を払しょくしようと、それこそ幼少のころから血のにじむような研鑽を積んできた。俺も剣の腕に関しては、あいつ以上の人間を知らない」
「それが教え子には反映されなかったようだけどな」
「ほっとけ。あいつの教え方は直感的な上妙に甘いから、実質自己鍛錬中心だったんだよ」
女性2人が今にも殺し合いを始めそうなその脇で、男性2人はのんびりと世間話をする。
火の粉が降りかからないよう、完全に他人事を決め込んでいた。
ブレーキ役がいない状況で、圭阿とコルセリアのやり取りはよりエスカレートしていく。
「貴様の国では腹を切るのが名誉の死なのだろう。今すぐその名誉に肖ってみてはどうだ。その方がぼっちゃまの、ひいてはこの国のためだ」
「拙者、おぬしの死に顔を確認するまで生き続けるという、命よりも重い盟約を立てたので。それよりいい加減故郷に帰ってはどうだ。その胸があればせんずりの役ぐらいには立つだろう」
「言ったな雌犬が!」
「ぬかせ牛女!」
「いい加減にしろ!!!」
さすがにこれ以上無視を決め込めなくなったのか、ザルマが大声で怒鳴る。
さらにその声を聞きつけ、この時たまたま館にいた禿た山賊のような執事、ガンディアセまで部屋に現れる。
「が、ガンディアセ殿!?」
「ほう、お前ら面白そうなことをしているな」
そう言ってガンディアセは、あまりに危険な笑みをその場にいた全員に向ける。
康太の立場からすれば完全なとばっちりだ。たまたまそこにいただけで、女2人の争いに巻き込まれたにすぎないのだから。
圭阿はもちろんのこと、コルセリアにとってもガンディアセは恐怖の対象なのか、「あの、その……」と今までの殺気を収め、しどろもどろな対応を見せる。
そうしていると、年の割に可愛らしいのだが。
「今のままお前らをグラウネシアに行かせたら、インテライト家の家名に傷がつきそうだ。いいだろう、俺が出発までの間、きっちりと礼儀作法を叩きこんでやろう」
笑顔のままガンディアセは言った。
しかしその瞳には一切の冗談がなく、むしろ人殺しの方法を教えられそうな気さえした。
こうなっては彼らに拒否権などない。
結局ガンディアセに出発の直前まで、インテライト家流の礼儀作法を叩きこまれ、コルセリアを置いていくという3人の目論見は完全に水泡に帰すのだった……。