第36章
その後、チェリーは方針を180度転換し、全てタツヤの罪であることを認めた。
ただし自分の非までは認めることがなく、あくまで騙された被害者であると訴えたが。
あからさまな言い逃れであることは明らかであったが、アムゼンはそれを受け入れ、チェリー個人をこれ以上責めることはなかった。
康大の目的がタツヤの完全な破滅だったように、アムゼンもまた同じ目標を持っていたのである。
アムゼンにとってグラウネシアで恐れるべきはチェリーではなくあくまでタツヤであり、その脅威が払拭されれれば、チェリーの処遇などどうでも良かったのだ。
責任の所在を明らかにしたところで、その後具体的な賠償請求が始まる。
この点に関してはアムゼンも譲歩するつもりはなかった。国境の重要な砦一つと数個の村では対価として釣り合わない。
ただ大目的であるタツヤの件は片付いたため、あとは部下に任せ本人はフジノミヤに帰国することになった。
一方、康大達はそのままグラウネシアに残った。
アムゼンと違い康大にはまだこの国でやるべきことがあった――。
「――というわけで約束は守ってもらいますよ」
「……わかりました」
サムダイは康大に対し深く頭を下げる。
康大のみならず、その場にいた仲間達もホッと胸をなでおろした。
この会見は王城ではなく、サムダイ邸で行われた私的なものであるため、彼ら以外に人はなく、また康大以外の立ち合いも許されていた。
サムダイは正式な取次であるが、何も交渉がすべて正式な場で行われなければならないわけでもない。
こうして陰で行われる交渉も重要なのだ。
「今回の和平交渉の条件に非公式とはいえ含まれている以上、我が国としても断ることはできません」
(念には念を押しておいて良かったぜ……)
康大は用意周到な過去の自分を自画自賛した。
サムダイとの交渉に赴く前、康大はアムゼンに最後のお願いとして、図書館の閲覧を交渉条件に含めてもらうよう頼んだのである。
ただ、それをアムゼンに知られるのも色々面倒だと思ったので、それがアムゼンによる承認の保証となる、白紙の許可証を1枚だけ求めた。
この件に関してはアムゼンもすぐには首を縦に振らなかった。
その許可証が悪用されれば、アムゼンもただでは済まないのだから。
そもそも理由を話し、その件についてだけ記した許可証を出すのが本来の手順なのだ。康大の要求はあまりに横紙破りであると言えた。
しかしそんなとき、意外にもその場にいたライゼルが康大に助け舟を出してくれた。
「この者は殿下の害になることはせず、またその度胸もないでしょう。殿下に理由を話さないのは殿下が知るべきでないことか、知る必要もない些末なことだからです」
「……そうか、お前がそう言うのなら俺もこれ以上は聞くまい。今回の褒美代わりにくれてやろう」
一時的な上下関係は失効されたようで態度は元の状態に戻ったが、その際の貸し……のようなものは失われなかったらしい。
そして康大はそれを今有効に使い、サムダイに約束を果たさせたのである。
「これで図書館に入れるっすね。楽しみっす」
『・・・・・・』
康大とサムダイが沈黙する。
なぜかその場にリアンまで同席し、さらに自分も図書館に入れると信じて疑っていない様子だった。
康大としてはゾンビ化の件に関しては部外者であるリアンを一緒に連れていく理由もないし、サムダイも同国人のリアンまで許可する理由はない。
「あれ、どうしたんすか?」
「……なぜお前まで入館を許可する必要がある。お前は留守番だ」
「そ、そんな!? だって自分が今回活躍したからうまく言ったんすよ!」
必死に自己弁護するリアン。
ただその話は必ずしもでたらめとはいえなかった。
圭阿から聞いた話によれば、リアンも大分働いたらしい。
――いや、それどころか圭阿はリアンの指示で動いていた節すらあった。
まずリアンは戦争の準備で浮足立っているグラウネシア国内で大司教と連絡を取り、例のまやかしを破る方法について改めて相談した。その結果、リアンと大司教の考えは一致し、件の圭阿が見えている物を真とした、視界の強制化魔法を使うことになった。
圭阿はリアンの指示のもとその為に必要な道具を集め、リアンは大司教とともに2人にしか判別がつかない薬草を集めた。
なおその大司教説得に際しても、リアンは重要な役目を果たし、本来中立な立場の大司教を、戦争回避と負傷者が一切出ない方法であることを理由に説き伏せたのである。
そして全ての準備が終わったところで圭阿が康大に報告のため戻ったところ、そもそも戦争自体終わっていた……のは先のとおりである。
もちろん話はここで終わらない。
一度は不要になった作戦であるが、圭阿の提案でタツヤを完膚なきまでに破滅させ図書館を利用できるようににするるため、再び活用することになった。
大綱は圭阿が作り、具体的な行動や詳細は結局康太がすべて考えた。
計画上どうしても康大がチェリーと命がけの交渉をしなければならなくなったのは、康大にとって痛恨であったが。
完成した計画の内容はこうである。
魔法を成立させるためには、まず対象となる人物――ここではタツヤを、見せたい人間の前に引き出し、タツヤの真の姿が見える人間――ここでは圭阿と同時にタツヤを見せければならない。
しかし、今絶望に打ちひしがれ、城の奥にこもって現実逃避しているようなタツヤが、おいそれと姿を見せるとは思えない。また、身分の低い圭阿が、王城でタツヤを直接見ることも難しい。康大ならそれも可能だったが、すでに魔法は圭阿用に設定され、今更変えることは不可能な状態であった。
そこで康大が使節団の一員に立候補し、タツヤを王城から一般市民の前に引き出すことになった。
その間仲間達は、「今回の会談ですわフジノミヤと全面戦争に突入か」という風説を広め、民衆を広場に集めるよう仕向けたのである。
最初圭阿はチェリーの視界だけ変えればいいと思っていたが、康大はそれでは不十分だと思っていた。この時はまだチェリーがあんな人間とまで知らなかったが、伝え聞く噂からそれだけでは完全に信じ込ませることは難しいと踏んだ。
そこでチェリーだけでなく他の人間達にも見せられるか圭阿を伝令にしてリアンに聞き、それが可能と分かると、グラウネシア国民を利用することを思いついたのである。フジノミヤの人間でない多くの賛同者の意見なら、チェリーも信じるだろうと。
これらの準備とアムゼンに対する交渉でほぼ丸一日費やし、なんとか和平交渉当日の朝に全てを完了させることができたのである。
そしてタツヤとチェリーが現れた瞬間、リアンと大司教は術式を込めた花びらをばらまき、魔法を発動させた。
風に乗った花弁は広範囲に広まり、その場にいるほぼ全員は圭阿が見ていたタツヤの姿を見ることになった――。
これがあの出来事の真相である。
これを踏まえれば、確かにリアンの働きは小さくない。
圭阿も今回の件に関してリアンに多大な無理を強いたことに責任を感じてか、「できれば……」と康大に耳打ちした。
(まあ、書物が難解な言語で書かれていた場合、それを読める人間はリアンしかいないだろうし……)
そして康大も考えを改め始める。
「サムダイ卿。今回の件においてリアンはほぼ私の指揮下にありました。ゆえに我がフジノミヤとしては、彼女を閲覧者に加えることに異存はありません」
「た、大将!」
「誰が大将やねん」
リアンの言葉に康大は思わず突っ込む。
サムダイはため息を吐いた。
今回康大がしたことを考えれば、たいていの無理は聞き入れざるを得ない。
そもそも戦争自体、グラウネシアに完全な非がある。さらにあの後継者争いだ。ここで自分が強硬な態度をとれば、最悪取次解任をフジノミヤから要求されるかもしれない。
取次とは両国の信認があってようやく務めることができる。アムゼンがあの事件の黒幕にサムダイがいることを知っていても黙しているのは、まだ利用価値があると思っているからで、それこそがサムダイの生命線である。
完全にグラウネシアの立場にしか立てない人間と思われれば、アムゼンはグラウネシアにサムダイの解任を要求し、グラウネシア王にそれを拒む理由はないだろう。
つまり今の彼の立場は、アムゼンから正式に指名された康大の掌の上にあった。
「……分かりました、リアンの入庫も許可しましょう。ただし書類の持ち込み、および写しは禁止とします。よろしいですね?」
「はい」
康大は頷く。
自分1人なら「そんな無茶な!」と文句を言っただろうが、今この場には圭阿とコルセリアがいる。
2人は事前に康大に「必要な情報程度なら完全に記憶する自信がある」と断言していた。
2人とも康大には及びもつかないような記憶術を習得していた。紙が高級品で、電子的な記憶媒体が存在しない2人のセカイでは、記憶力は何をするにも必須スキルで、幼少の頃から鍛えていたのである。
ただ、この2人が協力し合うとは到底思えなかったが。
「それではすぐに行きましょう、私もあまり時間がありませんから」
康大はサムダイに余計な画策をされないよう、有無を言わさず椅子から立ち上がった。
仲間達も康大に倣い椅子から立つ。
サムダイはため息を吐きながら、最後に立ち上がった。
それからその場にいる全員で、王城の地下にあるという図書館へと向かった……。




