第35章
その時康大はグラウネシアの王城にいた。
和平交渉の場にアムゼンに同行を頼んだためである。
珍しく積極的に政治にからもうとする康大の申し出を、アムゼンは二つ返事で受け入れた。
当然、康大はその場で自分の功績をことさらに強調したり、フジノミヤにとって有利な条件を突きつけようと考えたわけではない。
これは圭阿の立てた計画において、必要なステップである。
康大がその場にいなければ、計画の成功はあり得ないのだ。
また、この和平交渉の場において、康大はアムゼンにある条件をグラウネシアに飲むよう事前に進言していた。
それも当然計画の一部で、あまり無茶なものではなかっため、こちらもアムゼンに二つ返事で了承された。
そして康大は今現在、グラウネシア王城広間の重厚そうなテーブルを挟んで、グラウネシアの代表達との交渉の場に立ち会っているのであった――。
フジノミヤの代表は言うまでもなくアムゼンで、康大はその他大勢の外交使節団の1人という扱いだった。
フジノミヤはグラウネシア王ではなくチェリーが代表になり、タツヤもその場にいた。
ただタツヤはひどく自信なさげかつ不機嫌そうで、テーブルの最も目立たない場所に座り、誰とも目を合わせようとしない。
彼が嫌々ここに連れてこられたことは明らかである。
そしてその嫌々を強要したのは康大であり、アムゼンに頼んだ交渉条件の一つだった。
タツヤの立ち合いは考えてみれば当たり前のことである。
彼がこの戦争の張本人であるのだから。
ただチェリーの庇護下にあるため、立ち合いをグラウネシアからの和平交渉の条件に組み込まなければ、雲隠れされる可能性もあった。
それを防ぐために、こうしてわざわざグラウネシアに念を押したのだ。
そのタツヤを一瞥し、チェリーを睨みながらまずアムゼンが口を開いた。
「両国のあらゆる有益な条約を過去のものにする先日の侵略行為について、まずは申し開きを聞ききましょう」
「これは悲しき行き違いです」
チェリーはアムゼンの圧力に飲まれることなくそう答えた。
初めて見るチェリーは名前から想像できるような、いかにもなお姫さまではなかった。
金髪と肌の白さは名前と一致している。ただ年齢は中年、厚化粧でもわかるほど肌はガサガサ、声もだみ声、何よりビア樽が具現化したような体形で、姫というよりおかみさんと言った方が適切な女性だった。
中身も見た目通りなようで、
「しかしそれは当方にとってまったくあずかり知らぬこと」
平然とシラを切る。
あそこまで気に入られながらタツヤがチェリーべったりでなかった理由が、康大にもようやくわかった。男なら誰だってこんな不細工なおばさんと一緒にいたくはないし、タツヤの手におえる人間でもない。
アムゼンはあからさまな溜息を吐いた。
それでもチェリーは眉一つ動かさない。
これは康大が後で知ったことだが、チェリーは「グラウネシアの肉壁」とあだ名されるほどの女傑で、その夢見がちな性格を除けば、打算的で脂肪同様の面の皮も厚く、まさに政治家向きの女性だった。
……その欠点が政治家として致命的ともいえたが。
「では今回の件はどう釈明するつもりで?」
「釈明も何も砦の司令官の暴走だと当方で認識しております。タツヤ様はそれを止めに行ったにすぎません。すべては誤解です」
「(死人に口なしとはこのことだな)」
康大は話を聞きながら内心で溜息を吐く。
どうやら死んだ司令官に全ての罪を押し付けて、この件をやり過ごすらしい。
ただそれで済ませるほど、アムゼンも甘い政治家ではない。
「しかし私が聞いた話によれば、その司令官は貴殿のパルディナスの一員。長としてあなたが責任を取るのは当然でしょう」
「ええ、悲しいですがそれは仕方ありません。ですからここは、あなた方が我が国の村を襲ったことで、清算するのが正解でしょう。むしろ一司令官の暴走に対する応酬としては、あまりにやりすぎではありませんか?」
いけしゃあしゃあとはまさにこのこと。
チェリーはさも当然のように言い放った。
もちろんアムゼンもここで話を終わらせる気はない。
「これは異なことを。村を襲ったのはこれ以上我が国を侵略させないための自衛行為。そもそも我が国の兵士達は、そこの異邦人が率先して侵略行動をしていたと証言しています。私はあなたの言葉より兵士達の言葉を信じます」
「フジノミヤの王子ともあろう方が、下賤な者達の言葉に耳を傾けるとは嘆かわしいことです」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
(平行線だな)
無言でにらみ合う両国の王子と姫を見ながら、康大は時間の無駄を確信した。
――いや、むしろその時間の無駄を続けることで、うやむやの内に交渉を終わらせることをチェリーは狙っているのだろう。
だがアムゼンにはそれに付き合ってやる理由も義理もなかった。
「・・・・・・」
不意に康大に視線を向ける。
ここからは康大の出番だ。康大にはサムダイとの約束を果たすだけでなく、この交渉を円滑に進めるというアムゼンから与えられた任務もあった。
幸いにも交渉の場には別パルティナスとは言え取次役であるサムダイもおり、二つのことを同時に解決するのはそれほど難しくもない。
「……――」
康大はアムゼンに耳打ちする。
立場上、公の場でチェリーに対して直接口を利くのはさすがに憚られた。尤も、アムゼンと直接話をするのもまた第三者には望外な話であったが。
康大の話を聞き終えたアムゼンは無言でうなずき、康大を下がらせる。
康大の態度が気になったのか、先にチェリーが口を開いた。
「その者は一体何ですか? 見たことがない凡庸……失礼、普通の顔ですが?」
「この者はあの戦いに実際に参加した司令官です。その異邦人を見たとも証言しています」
「ですからそれは下賤な者の見間違い――」
「――あなたがそうおっしゃると思い、この者はこうも言いました。「では貴国で戦争に参加した兵士達に、実際にいたかどうか、その男の顔を見せて確認すればいい」と」
「・・・・・・」
チェリーは即答しなかった。
裏で打算を働かせているのは明らかだ。
チェリーは康大を値踏みする。
康大はなるべく間抜けそうな愛想笑いを浮かべた。ここで警戒されては計画が台無しだ。
「……いいでしょう」
チェリーは交渉の場で、初めてフジノミヤの提案を受け入れる。
おそらく痛くもかゆくもないと判断したのだろう。
確かにグラウネシア兵が、フジノミヤに有利な発言をするとは考えられない。そんな真似をすれば後で何をされるか分からないし、チェリーがまた下賤云々を理由に否定すればそれまでの話だ。
康大もそこは理解していた。
問題はその方法だ。
「ではすぐに人を――」
「いいえ、その儀には及びません。今回の件で王都には大勢の人間が集まっています。その中には我々が確認したところ、戦争に参加した者もありました。その者達の前に異邦人をさらけ出し、ただ戦場で見たかどうか聞けば、フジノミヤとしてはそれで十分です」
「・・・・・・」
またしてもチェリーは即答を避ける。
そして角で縮こまっているタツヤに視線を向けた。
タツヤはチェリーの視線を感じると大きく首を横に振る。
今の精神状態で不特定多数の人間の前に出るなど、とても耐えられるものではないのだろう。こうして公式の場に出るのでさえ限界近いのかもしれない。
康大はそんなタツヤに対し、あからさまに鼻で笑った。
そして事前に決めていた合図を、他の使節団にも送る。
それを受けたフジノミヤ使節団一行は、一斉にタツヤを嘲った。
発言を許可されていないので態度だけであったが、その意図は誰が見ても明らかだ。
そして、さらにアムゼンが追い打ちをかける。
「ほう、グラウネシア自慢の異邦人も、所詮噂通りの臆病者でしたか。自らの恥の上塗りを恐れるとは。我がフジノミヤでは下賤な者でも、ここまでの腰抜けはおりませぬ」
言いながらアムゼンはわざとらしく笑った。
言われたタツヤは涙目になったが、チェリーの反応むしろ正反対と言えた。
「タツヤ様にそのような侮辱は許しません! いいでしょう、タツヤ様は逃げも隠れもしません! それで自分の発言を後悔なさるのですね!」
そう言って、顔真っ赤にしながらタツヤの手を強引につかむ。
まるでイタズラがばれた子供を叱る母親のようだ。
タツヤはいやいやと首を振っていたが、チェリーは一向に顧みない。
自分のする行為が正しいと信じて疑わない、いかにもな特権階級の振る舞いだった。
それからチェリーは、タツヤを無理やり王城の外へと連れだした。
康大はアムゼンに目配せすると、グラウネシアの人間とともにその2人についていく。
途中顔を合わせたサムダイに、「これから面白いものが見られますよ」とひそかにささやきながら。
王城前の広場ではアムゼンの言葉通り、大勢のグラウネシア国民が野次馬で集まっていた。これから戦争が激化する可能性があるのだから、気になるのも当然だろう。
尤も、事実はそこまでひっ迫しているわけでもなかったが。
ただ、少なくとも彼らはそう思って、思い込まされていた。
チェリーとタツヤが姿を見せると同時に、王城の前を数多くの花びらが舞う。
チェリーはそれを単純に従僕達が気を使ったものだと思った。
「国民たちよ聞きなさい! 先ほど国境沿いで戦いがあり、フジノミヤの王子がその責任が私達にあると、訴えてきました! しかもその中に我らが勇者、タツヤ様がいたと! ですがそれは明らかな出まかせ! この中にもその戦いに参加したものがいるでしょう! ここにいる者の中で、このタツヤ様の姿を戦場で見た者は遠慮なく言いなさい!」
そのよく通るだみ声は、おそらくこの場にいない遠くの人々にも届いただろう。
それは康大にとって好都合だ。
この計画は、その場にいる人間の視線が多ければ多いほど効果が高い。
チェリーの問いかけに、広場はしばらく静まり返った。
おそらくチェリーはそれを正直に話すべきかどうか悩んでいる、と考えただろう。
だが事実は違う。
もう歯車は回り始めており、国民たちの困惑には全く別の理由があったのだ。
「いないのですか!?」
チェリーは責めるようにそう怒鳴ったが、顔は笑っていた。
静まり返った国民達を自分の圧力に屈服したと思ったのだ。
チェリーは振り返り、家来たちに勝ち誇ろうとする。
しかし、彼らの顔を見て疑問符を浮かべた。
彼女の家臣たちは一様に、チェリーでない一点を見ていたのだ。
チェリーはその視線を追う。
そこには康大が中学時代毎日見ていた、どうしようもなく持てない不細工な少年がいた。
「ぎゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
チェリーは鼓膜が破れるかとも思える悲鳴を上げ、タツヤを握っていた手を振り払う。
その瞬間タツヤはすぐにその場から逃げ出そうとしたが、その前に康大が立ちふさがった。
「どこへ行こというんだ。まだ話は終わっていないぞ」
「う……」
力的には蟻と象以上の差があるというのに、精神的なマウントを先の戦いで決定づけられたため、タツヤは逆らうことができず体を硬直させる。
「こ、これはどういうことだ!?」
チェリーは叫んだ。
もちろん答えられる家臣はいない。
今まで美男子であったタツヤがいきなり元の顔に戻ったのだ、驚くだけで理由など分かるはずもない。
そんな彼らの代わりに、理由どころかその張本人である康大がチェリーの前にどさくさ紛れに伺候する。
ここからがクライマックスだと、自分を奮い立たせながら。
「どういう、とは?」
「貴様は確か戦場にいたとかいう。見て分からないのか! タツヤ様がいきなり顔を変えたのだ!」
「顔を変えた? はて、私には戦場で会った時から、全く変わっていないように見えますが」
「変わっていないだと!? では貴様にはどう見える!?」
「恐れながら申し上げます。まるでつぶれたヒキガエルのようかと」
「・・・・・・」
チェリーは絶句した。
自分だけがタツヤが変わったように見えている思ったのだろう。それならばフジノミヤによる幻術魔法によるものと納得がきでる。
だが康大の言った姿は、まさに今自分が見ているタツヤの姿そのままであった。
自分以外の、それも同じ国の人間にも魔法を使ったは考えづらい。
チェリーの疑問はさらに深くなる。
「お前にはそう見えるのか? いや、以前からそう見えていたのか!?」
「御意」
「では戦場で見たタツヤ様の姿というのもこの醜い……」
「御意」
タツヤはチェリーの質問をすべて肯定する。
チェリーは魂が抜かれたような顔した。まるで100年の夢からさめたような。
そんなチェリーにさらに康大は追い打ちをかける。
「私は以前から疑問でした。何故チェリー殿下のような方が、こんな気持ち悪く醜く、そして幼稚な者を厚遇するのかと。もしや私めのような下賤な者には理解できない、高貴な方ならではの美的感覚があるのではないかと」
「な、貴様ぁ!」
チェリーが持っていた鞭で強く地面を叩く。
さすがに康大も言いすぎたと反省した。
ただ、相手が他国の人間だという理性は健在だったようで、直接叩かれることはなかった。
「……タツヤ様。これはいったいどういうことで?」
康大から視線を外し、チェリーはタツヤに向き直る。
ただし、すぐに視線は逸らした。
やはり、彼女がタツヤを重視するのは、その外見にも大きな理由があったようだ。
――そうでなければ、この計画は根本から破綻していたが。
チェリーの問いかけに、タツヤ何も答えない。
それどころか「あっち行け」と子供のような駄々をこねた。
それが美青年のセリフなら許されただろうが、このような不細工な人間ではチェリーの許容範囲内に収まることはできない。
「……フジノミヤの使者よ。聞きたいことがある。お前は幻術などが使えるのか?」
「使えません。どうやら殿下は幻術を気にしてられるようですね。むしろ私としては、殿下だけが幻術にかけられていたように思えるのですが……」
「・・・・・」
チェリーは何も答えなかった。
だが、未だ疑っており、何より不快であることは確実だ。
あまり高圧的に言えば、逆にこちらに矛先が向くかもしれない。だから圭阿から作戦を聞いた時、うんざりしたのだ。
康太は慎重に言葉を選びながら、話を続けだ。
「どうやら殿下は私の言葉が信じられないご様子。ではこういうのはどうでしょう、ここには大勢のグラウネシア国民がいます。彼らが見たものを聞けば、どちらが幻術にかかっているか分かるでしょう」
「そうか……そうだな……」
深く息を吐きながらチェリーは頷いた。
そして、罪人の様にタツヤを自分の前に引きずり出し、叫んだ。
「わが愛すべきグラウネシアの民よ。皆よく聞くがいい。ここに1人の男がいる。皆の目にこの男がどう見えるか、率直に話すがいい!」
『・・・・・・』
広場が静まり返る。
皆どう答えていいか分からないようだ。
このまま沈黙が続けば、状況は康大にとって悪い方に変わっただろう。
もちろんその点に関しては、圭阿もしっかりと考えていた。
「ひどい不細工ですわ殿下!」
少女と思しき声が答える。
それは康大のよく知った――ありていにえば圭阿の声であった。
圭阿の声が切欠になり、次々に「ブ男」、「醜い」、「気持ち悪い」といった否定の大合唱が巻き起こった。
圭阿としては他の声音も使える準備はしていたが、結局最初の一声以外はすべてグラウネシア国民が言ってくれた。彼らもタツヤにはよっぽど不満が溜まっていたのだろう。
国民の声を受け、チェリーの顔は激昂でどんどん赤くなっていく。
やがて、それが限界に達すると、ひねくれた視線で自分を見るタツヤに向かい、大きく鞭を振り上げ、
「この詐欺師が!」
力の限り振り落とした。
だが、鞭はタツヤのスキルで触れる前に粉々に砕け散った。
やっぱりこいつと真正面から戦うと、命がいくつあっても足りないなと、康大はそれを見て心の底から思った。
「去ね! この醜い豚のなりそこないが!」
「う、うっせえババア! 死ね!」
タツヤはそう捨て台詞を吐くと、人の波をかき分けて走り去っていく。
このとき、康大だけでなくこの場にいるすべての人間が、遠藤達也のグラウネシアにおける人生が終わったことを理解しただろう。
「……約束は守ってもらいますよ」
一部始終を呆然と見ていたサムダイにそっと近づいた康大は、その耳元で囁いた。
サムダイは恐る恐る康大を見る。
その顔はこれ以上ないほど笑っていた……。




