第29章
森に隠れた康太達は、それからすぐに再び集合した。
そう指示したのは言うまでもなく康太ではない。
バトンタッチされたライゼルの考えで、直接指示をしたのはザルマであった。
さすが貴族の子弟だけあって、その姿は様になり、剣を抜いた時の情けなさはかけらもなかった。
康太はそんな近くでザルマを見ながら、未だ隣に控えるコルセリアに話をする。
「ザルマの助けをしなくていいのか? 戦略的にもう俺を護衛する必要はないだろ」
「いいえ。まだあなたは我が軍にとって欠かすべからざるお人です。それにあの様子では私の助力など蛇足でしょう」
そう言って腹違いの弟を見つめる目は、完全に母親のそれだった。ザルマの成長がよっぽど嬉しいらしい。
「……コウタ様、私は以前自分の無力さを嘆いていましたが、今改めてその考えが間違いであったことを痛感しました」
「その理由は?」
「別に私自身が輝かなくともよかったのです。本当に大事なのは、ぼっちゃ……いえ、御屋形様が立派な領主として成長できるかどうか、その助けができればよかったのです。どうやら昔の頼りない姿に引きずられ、分を弁えぬ勘違いをしていたようですね」
「うむ! その通りだ!」
なぜかハイアサースが力強く、自信たっぷりにコルセリアの言葉を肯定する。
いきなり会話に参加してきたことに、康太は呆然とした。
「人にはそれぞれ神より与えられた運命があり、それを乗り切るための力も合わせて与えられているのだ。故に本人がよほど救いを求めているときでない限り、他人が自己満足で手を差し伸べるべきではない」
「……なんか初めてお前がシスターだってことを実感できた気がする」
「なんだとう!」
「わふいわふい(悪い悪い)」
ハイアサースに両頬を引っ張られながら、康太は平謝りをする。
そんな2人を見てコルセリアは苦笑した。
傍目で様子を見ていた彼女の腹違いの弟も、2人の様子を見てため息を吐く。
「こんな時にお前たちは何をしているんだ。まだ戦いは終わってないんだぞ」
「ああ、悪い悪い」
あまり反省のない顔で、康太は謝った。
ハイアサースはふんと鼻を鳴らし、こちらは完全無視だ。全面的に康太が悪いと思っている。
「ところでこれからどうなるんだ? 俺はタツヤのことにかかりきりで、これから先の事は全く知らないんだが」
「そこは臨機応変にライゼル将軍が指示を出すから、知らなくて当然だ。とりあえずさっき来た伝令によると、どうやらチェリー殿下がパルティナス本隊を率いてこちらに向かっているらしい」
「タツヤが地ならしした侵攻路で、凱旋でもするつもりか。で、アムゼン殿下の動きは?」
「そちらは分からんが、おそらく殿下も同じ情報はつかんでいるだろう。防衛ラインにある程度兵力を残し、こちらに向かって軍を集結させているはずだ」
「うーん、となるとこの戦場に早く到着した方が断然有利か……」
康太は顎に手を当てる。
馬車に乗ってみた限り、この場所からフジノミヤの王都まで、大軍を防げるような砦や城壁はない。防衛のほぼ大部分はタツヤに破壊された砦が担っていた。アムゼン本隊の到着が遅れれば、チェリーパルティナス本隊は最前線のあの砦を拠点に、ほぼ無人の公道を進み、アムゼンの軍も各個撃破されるだろう。
逆にアムゼン本隊が先にここに到着すれば、その兵力でグラウネシアの砦を落とし、チェリーパルティナス本隊の拠点を奪うことができる。それどころか砦が落ちた報を聞けば、本隊は戦わずに帰還するかもしれない。
つまり行軍スピードが勝敗を分けると、康太にも理解できた。
「とりあえず俺的にはここからとっとと逃げて、アムゼン殿下の軍と合流した方がいいと思うんだが」
「気持ちはわかるが、お前らしくもない陳腐で消極的な作戦だな」
「ド素人の俺がそこまで考えただけでも褒めてくれ。それに俺はあらゆることは安全安心簡単な道を選びたいんだよ」
「あそこまで無茶な作戦を考えた人間がよく言う」
「今回はあれ以外方法がなかったの! ていうかライゼル将軍は一体どうしようってんだ?」
「ああ、さっき話した伝令と一緒に指示も来たんだが、どうやら砦を落とすつもりらしい」
「は?」
康太は間抜け面をさらした。
彼我の戦力差は、斥候の情報からこちらの方が少ないことは分かっている。さらに砦攻めは相手より兵士が多いことが大前提だ。兵士の多寡がそこまで重要でなくなったのは、近代的な武器が誕生してからで――。
「まさか特殊な攻城兵器や魔法を用意していたとか!?」
「防衛戦でそんなものは用意しないだろう。あったとしてもあの魔法で砦ごと爆散しただろうな」
「だよなあ。となるといったいどうやるつもりだよ。いきなり知恵を借せと言われたって、今回は無理だぞ。このセカイの軍事に関しては、お前と比較にならないほどの素人なんだから」
「まあその点はお前自身が事前に言っていたし、ライゼル将軍も理解しているだろう。いずれにしろ砦が落ちれば、アムゼン殿下の進軍が遅れてもこちらの不利は大幅に少なくなる。それが狙いだろうな」
「その点は俺も分かるんだけどなあ……」
できるかどうかは別問題、と康太は言外に言った。
康太が釈然としない気持ちで考えているうちに、やがて当のライゼルが姿を見せる。
まだ実際の戦いはなかったのか、その黒い鎧は返り血を一滴も浴びていなかった。
それでも威圧感は少しも損なわれる……というか、緩和されることはなかったが。
「仔細までは知りませんが、この度の戦果、重畳でございました」
ライゼルが恭しく頭を下げる。
指揮権は委譲したとはいえ、上下関係は元のままで、その態度はあくまで慇懃だ。
康太にはそれが逆に居心地が悪く、何よりうすら寒かった。このときにした無礼なふるまいが、その後何倍も膨れ上がって返済されるような気がしてならなかった。
「これで事前に考えていた最善の作戦が開始できます」
「ということは、私が失敗した場合の作戦も存在していたんですね」
「最悪のケースを考えて行動するのが将たる者の責務ですから」
ライゼルはしれっと答える。
康太は遠回しに「お前なんか最初から期待していなかった」と言われているような気がしたが、被害妄想だと思い込むことにした。
「それで、ザルマから砦を攻めるって話を聞いたんですけど、正気……もとい本気で?」
「御意」
ライゼルは全面的に肯定する。
この場面においてはむしろ否定してほしかった。
「どうやらコウタ様はご不満がある様子ですな」
「当たり前です。勝ち目があるとは思えません」
「ではなぜこのような結論に至ったかを説明しましょう。まず彼我の戦力差は以前お伝えしたとおり、当方が劣っています。しかし、それはあくまで個人の資質やそのほか様々な要素を省いた話です。まず敵方には現在正式な司令官がいません。どうらやそこにいる女が切り殺したようです」
「あいつ司令官だったのか……」
康太は今更自分が殺すよう指示した人間の身分を知った。
てっきり太鼓持ちの1人でもつれてきていたのかと思っていた。
それは殺したコルセリアも同様で、突然降ってわいたような武功に呆気にとられる。
「ただ残念ながら、それほど有能な男ではなかったようです。しかしいずれにしろ今あの砦を指揮しているのは、代理の者。おそらく兵士達を完全に掌握できてはいないでしょう。さらに事前の情報では、代々あの砦はチェリーパルティナスとは対立関係にあるパルティナスが管理していたようです。おそらく代理となった者もそうでしょう」
「そこまで調べていたんですね」
「戦いは開戦前には半分は終わっているものです」
そう言ってライゼルは深々と頭を下げる。
これがザルマなら胸を張って自慢しそうな手際の良さだ。
当の本人は場当たり的な自分の無力さを痛感してか、体を小さくしていた。
「そのため、戦功をあげたとしても評価されづらく、戦意も低いでしょう。また現在砦に人を集めているようで、向こうから討って出る気はない様子。奴らは今嵐が過ぎ去るのを待ち、巣穴に閉じこもっているリスのようなもの。一方我が軍はコウタ様が異邦人を打倒したことにより意気軒高、殿下の出馬も重なり、皆名を上げようと目をぎらつかせております」
「そうなんですか……。では具体的にどんな策を用いるんですか?」
「特にはありません」
ライゼルはきっぱりと言い切った。
康太は何か聞き逃してしまったかと思い、もう一度訪ねる。
「奇策みたいなものがあるんですよね?」
「ありません」
更に簡潔なセリフを、今度は聞き間違いの余地がない態度でライゼルは答えた。
康太は「えーと……」と言いながら、上目遣いに見る。
そんな康太にライゼルはさらに詳しく説明する。
「いくつか策は思いつきますが、どれをするにも時間がかかります。それでは結局殿下が到着するのを待っているのと同じです。ならばこの波に乗り、一気呵成に攻めるの最善なのです」
「波、ですか……」
あいまいな表現すぎたため、康太はそれ以上口を挟むことができなかった。
これが無能な軍人であったなら、自分の安全のためにも力の限り反論しただろう。
しかしライゼルはその名を知られた名将だ。さらに元グラウネシア軍人であり、敵国のことはよく知っている。
そのライゼルがいけると判断したことを、素人で部外者の康太にどうして反対できよう。そもそも指揮権を委譲した時点で、その拒否権はほぼ失われたのだ。
「それじゃあ私もまた前線に?」
「まさか。万が一コウタ様がここで討たれては、こちらの士気が阻喪します。もはや役目は十分に果たされた、これよりは後方へ下がり、アムゼン殿下と合流して吉報をお待ちください」
「・・・・・・」
口には出さなかったが、命の危険が去ったことに康太はホッと胸をなでおろす。
ハイアサースに治してもらったとはいえ、傷はまだ痛む。さらにこの疲労困憊な状態で戦えば、いつ殺されても不思議ではなかった。
タツヤとは違い、康太には常に死が身近にある。そして戦場ではその距離が目と鼻の先まで近接することをよく理解していた。
「それでは女、お前は引き続き護衛としてコウタ様とともに街道を戻り、アムゼン殿下と合流するがいい。女騎士も同様だ」
「御意」
「わかりました、婚約者のことはこのハイアサースに任せてください!」
「そしてアビ家の小僧も下がれ」
「しょ、将軍!?」
素直に支持を受け入れた2人と違い、ザルマは衝撃を受ける。
「今まで微力ながら兵士たちを指揮してまいりました。それにもかかわらず私1人下がれなど、兵士達に面目も立たずあまりに非道ございます!」
「・・・・・・」
康太からすれば、戦わずに済むのならそれに越したことはないのだが、ザルマにとっては違うらしい。自分の命より騎士としての体面を損なわれることの方が、はるかに苦痛なようだった。
ただ、後ろに下がるように言ったライゼルの言い分も、康大にはよく理解できた。
「では貴様は戦場で役に立てるのか? 人が平気で殺せるのか? 私にはお前の腰に帯びた剣が、ただの飾りにしか見えてならない」
「そ、それは……」
ザルマは口をつぐむ。
ライゼルの言っている通り、康太にもザルマが人を殺せるようには思えない。時に尊大で、気に障る態度をとることもあるが、基本的に戦士として根が優しすぎるのである。
皮肉な話、ザルマと自分を比べれば――。
「お前と違い、コウタ様は他人を殺すことに一切の呵責はない。必要なら誰でも殺せる。お前にはそれができるか?」
「・・・・・・」
ザルマは口をつぐむ。
康太も別の意味で口をつぐんだ。
さすがにそれは言い過ぎではないか。
確かに相手が司令官であることも知らずに殺すようコルセリアに指示したが、それは戦場では当たり前のこと。あのまま好きにしゃべられていたら、こっちがタツヤに殺されたかもしれないのだ。シリアルキラーの様に殺人に快楽を覚えているわけではない。
……そう割り切って殺人ができることこそ、ライゼルが康大を評価している点だとも気付かずに。
「よろしいですか閣下」
不意にコルセリアが口を挟む。
ライゼルは一瞥しただけで、ほぼ反応しなかった。明らかに下賤な者は黙っていろと目で言っている。
実際、陪臣が上司を飛び越えて直接意見するなど、不遜もいいところであった。ライゼルが傲慢なのではなく、アムゼンと直接話せる康太のような存在が異常なのだ。
「ライゼル将軍」
仕方なく事情を察した康大が口を利く。
こうなればライゼルも黙殺することはなく、康太に一礼してからコルセリアに「話せ」と許可を出す。
「ありがとうございます。どうか此度の戦いに、我が主ザルマを同行させていただけないでしょうか」
「ほう、お前なら私の意見に賛成すると思っていたがな。お前は確かこの男の腹違いの姉なのだろう?」
「(そんなことまで知ってるのか)」
康太はライゼルの情報網に舌を巻いた。
ライゼルにとってはコルセリアどころかザルマでさえ取るに足らない存在だというのに、情報だけはしっかり入手していたらしい。一緒に旅をしていた自分でさえ、本人から聞いて最近知ったばかりだというのに。
ライゼルの言葉にコルセリアは少し驚いた顔をした。
康大同様まさか自分たちの関係まで知られているとは、予想外だったのだろう。
ただ、変えたのは表情だけで、話は逸らさずにそのまま続ける。
「はい。ですが今は関係ありません。以前のザルマならば閣下のおっしゃる通り、戦場では物の役に立たないかもしれません」
「・・・・・・」
ザルマは何も言わず、コルセリアの言葉を受け止めた。
沈痛そうな表情をしているが、コルセリアを睨んだりはしない。
驚きの目で見たのは康太だ。
ライゼルの前でザルマの恥なるようなことを言うとは、今までコルセリアからは想像すらできなかった。
「私にその役立たずの面倒を見ろと?」
「いえ、いえ、恐れながらそうではありません! これはあくまで以前の話。今のザルマは、コウタ様との旅を通じ、閣下の信頼にこたえるだけの成長を遂げました。きっとご期待に沿えるかと存じます。もし信用できないなら、一兵卒として扱ってもかまいません! ですから、どうか、どうかご同行の許可を!」
「コルセリア……」
この言葉にはさすがのザルマも驚きを隠せなかった。
いままでのコルセリアは過保護の権化のような存在で、極力ザルマを危険から遠ざけてきた。
それが、より危険な場所へ送るよう進言するなど、ありえないことだ。
だが、そのことをザルマは非難する気はない。
むしろ、危険を冒させてでも面目を重視した腹違いの姉の姿に感謝すらした。
「しかし、死んだらアビ家はどうするつもりだ。こいつの父親と兄どもはもう追放されたのだろう」
これはザルマの知らないことであったが、直参の話はとっくにアムゼンに退けられ、その上処遇は完全にジェイコブに一任されていたのだ。
当然泥を塗られたジェイコブの怒りはすさまじく、身分をすべてはく奪したうえ、国外追放処分を下したのである。
コルセリアが王都に来ていたのは当主の引継ぎだけでなく、その際の証言を求められたこともあった。
ザルマを軽蔑してきた実父や兄達との関係はザルマ以上に険悪で、彼女は弁護をするどころか、逆に肉親をあしざまに罵った。
この件に関しては感情的な部分も当然あったが、それ以上にコルセリアはザルマの障害となる親族を排除したかった。
当主になったザルマを父や兄が追い落としにかかることは想像に難くない。その際、心優しいザルマは自ら当主を降りるかもしれない。
それはコルセリアにとって絶対に受け入れられないことだ。
しかし、今回の当主交代は意味合いが全く違う。
「……その場合は私が跡を継ぎます。問題がありますか?」
「そこまで言うのなら私にも異存はない」
コルセリアの進言は最終的にライゼルに聞き入れられた。
ザルマは興奮とともに顔が赤くなり、思わずコルセリアの手を取る。
「姉上ありがとう! これで私の面目も立ち、アビ家の家名も汚さずに済む!」
「……それはようございました」
そう答えたコルセリアの顔は心の底から喜んでいるわけではなかった。
当たり前だ。
最愛の弟を自ら死地へと送るのだから。
それでも彼女はザルマの当主としての誇りを重視したのだ。
もう彼女には無事を祈ることしかできない。
それでもこの場ではそうせざるを得なかったのだろう。
康太はコルセリアの複雑な胸の内を慮り、その立場に同情した。
「それでは我らは出発します。コウタ様もどうかご武運を」
「コウタ、いえ、コウタ様。これで最後かもしれないから言っておきます。貴方は私の真の友でした」
そう言ってザルマは康太の手を握ろうとする。
康太は慌てて手を引っ込めた。
「・・・・・・?」
「いや、感染る可能性があるだろ」
「ああ、そうだったな」
ザルマは苦笑する。
血で汚れた康太の手を握れば、そこからゾンビウイルスが感染するかもしれない。
すでに感染しているハイアサースや、チートスキルであり得ない耐性を持つタツヤならいいが、それ以外の人間においそれと触れさせるわけにはいかなかった。
やがてザルマとライゼルは、兵士を引き連れ森の中へと消えていく。
コルセリア同様、康太も彼らの無事を祈ることしかできない。
「……行きましょう」
コルセリアが背を向けて言った。
「いいのか? 戦場から離れるし、別に私達だけで戻ってもいいのだろう?」
ハイアサースが気を使ってそう言った。
康太にしても異論はない。
ただ、当のコルセリアが首を横に振る。
「確かにグラウネシア兵の危険は少ないでしょう。ただ火事場泥棒を狙った野盗がいるかもしれません。私も私でライゼル将軍の期待に応えないといけませんから」
「そっか……」
ハイアサースもそれ以上無理強いはしなかった。
コルセリアのかすかに潤む瞳が、ハイアサースにも決意の強さを感じさせ、それ以上何も言わせなかったのだろう。
康太は美しくも儚い女戦士の横顔を見ながら、そんなことを思った……。




