第2章
翌日――。
それぞれがそれぞれのすべき行動をとる。
まず康大とハイアサースはグラウネシアまでの道程をインテライト家の人間――具体的にはマクスタムに確認に行った。
国境を通行できるといっても、徒歩で行くのか馬車で行くのかさえまだわかっていない。
康太たちの身分が国賓のような立場なら当然馬車だし、ただの通行手形なら自前の馬車を用意するか徒歩だ。
確認の結果、移動手段は公的な馬車で、ということであった。
今回の件の功労者――グラウネシアにとっては全く逆の存在であるが――が康太であることは、グラウネシアに知られている可能性が高い。
その場合、体面的にも安全的にも徒歩では色々と都合が悪いための馬車であった。
さらにマクスタムから
「グラウネシア国内でいきなり皆殺しに遭わないとも限らない」
という最悪のケースまで伝えられた。
徒歩でもグラウネシアに行くまでなら安全だが、グラウネシア入国後、盗賊を装ったグラウネシア兵に襲われる可能性がある。だが、家紋付きの馬車ならグラウネシアもおいそれとは手は出せない。もしそんなことをすれば、責任問題から戦争にまで発展する可能性がある……というのがその理由だった。
康太はその話を聞いた直後、「よく分からないけど楽できてとにかくよし!」と話を聞かなかったことにした。
その後、街で必要な物資を買い集め、2人の準備はおおむね順調に進んでいった。グラウネシアの王都まで馬車なら半日もあればいけるので、必要なものも少ない。
圭阿は1人ジャンダルムに件の仕掛けの回収に行った。
自分の補助があったとはいえ、康大でさえ越えられたあの仕掛けを、そのまま放置しておくわけにもいかないとのことだった。現状、王都に忍び込む理由もなく、むしろ放置すれば敵に利用される可能性が高いので、回収は必須らしい。
ただ別れ際、「次はもっと目立たず有効な仕掛けを作るでござる」と、不穏なことも言っていた。
そしてザルマは何をしていたというと、言うまでもなく昨日言っていた代官との引継ぎだ。
唯一彼だけはインテライト家に滞在したままで、中年の頭の薄い代官の男と、テーブル越しに向かい合い、厳しい顔をしていた。
康太がハイアサースと買い物に行った際はそんな光景であったが、2人が部屋に返ってくると状況は一変していた――。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
2人の人間がテーブル越しに向かい合っているという構図は変わらない。
その一方がザルマであることも同じだ。
しかし片方は、康大達が出かけている間に、中年の男から20代後半ぐらいの凛とした美女に変わっていた。
康太はぶしつけと思いながらも、その美女を観察してしまう。
青い長めのショートヘアで、前髪だけは妙に長く、片目が少し隠れている。いわゆるメカクレというやつだな、と康太は心の中で妙に感動した。
目の色も青く切れ長で、彫が深く、肌の色も含めどころなくザルマに似ているような気がした。
身長も同様で、平均的な男子高校生の康大より高くすらっとしている。
ただ胸は大きい。
素晴らしく大きい。
ハイアサースほどの規格外ではないにせよ、巨乳と言って差し支えないレベルだ。
隣で婚約者が白い目をしていたが、この眼福があれば代償としては十分だ。
しかし、そんな美女と相対しているにもかかわらず、ザルマの表情はすぐれない。
あのむさくるしい代官と面しているときよりもさらに、苦しんでいるような顔をしていた。
巨乳好きの康太には、考えられない状況である。たとえ文句を言われても胸をずっと見続けていれば、心は平穏を保てた。
「その2人は誰ですか?」
青髪の美女が、康大達を咎めるような眼でにらむ。
巨乳美女とはいえ、初対面の人間にそんな真似をされれば康太もさすがにいい気はしない。
ハイアサースなど、売り言葉に買い言葉で早くもけんか腰になりそうだった。
そんな彼らを見て、ザルマはため息を吐く。
「その2人は私の仲間だ」
「仲間……ですか」
そうザルマが言っても、美女の視線は一向に和らがない。
ただ詳しく見てみれば、その視線は康大ではなくハイアサースの身に向けれていることが分かった。
それがよくわかっているらしいザルマは再び溜息を吐く。
いったいこんなやり取りを今まで何度させれたか――康太にはそう目が語っているように見えた。
「言っておくがその2人は婚約者同士だ。私と乳おん……彼女はあくまで友人だ」
「なんと、そうでしたか!」
突然、あからさまに美女の顔が和らぐ。
まだ硬質な印象はあったが、それでも今にも切りかからん様子だった初対面の時に比べればマシだ。
どうやらハイアサースとザルマとの関係を勘繰られていたらしい。
だとしたら、彼女はザルマの恋人か自分たちのような婚約者なのだろうか。
そう思っていたが。
「ならば自己紹介をせねばなりますまい。私の名はコルセリア、幼き頃よりザルマ様の傅役をしております。以後良しなに」
「もりやく……」
康太の予想は大分外れていた。
さらに聞いたことがない単語に首をかしげる。
それはハイアサースにしても同じだった。
「教育係のようなものだ。まあ小さいころからの付き合いで姉のような存在だがな。血縁的にもそうだし」
「血縁的?」
康太はさらに首をかしげる。
恋愛関係にない2人の様子は、どう見ても主従だ。
姉弟のようには見えない。
そう言ったザルマをコルセリアは信じられないような眼で見ていた。
「ぼ、ぼっちゃま――!?」
「いい加減それは止めろ。どうせお前が来た以上知られることになるのだ。こいつは傅役であると同時に、俺の腹違いの姉だ。母親の身分が奴隷同然のため、アビ家の人間としては扱われず使用人として育ってきたがな」
「・・・・・・」
重大な真実を世間話でもするかのように話すザルマ。
これには言った本人より、言われた康太の方が深刻な気持ちになる。
腹違いの姉弟でありながら、肉親としてではなく主従として生きなければならない。
それだけでドラマになるような家族関係だ。
しかし、そう思ったのは康大だけで、ハイアサースはたいした衝撃は受けていないようだった。
「まあ貴族の家に生まれれば、そういうこともあるか。うちの教会にも厄介払いされた修道女がいたな。気位が高いだけの、どうしようもない役立たずだったが」
「現代日本以外じゃそんな深刻な話も日常茶飯事なのか……」
康太はカルチャーギャップに愕然とする。
そして自分が本当に平和なセカイで育ってたんだなあと痛感させられた。
「あの、いくらなんでもその話は……」
唯一、コルセリアだけは話されたことに抵抗があったようだ。
いくら主とはいえ、自分の出生の関することを平然と言われたのだからそそれも当然だろう。
さすがにザルマのデリカシーがなすぎた。
しかし、ザルマに反省の色はない。
「さっきも言ったが、俺とこいつらは命を預けた仲だ。そんな奴らに隠し事はしたくない」
「ぼっちゃま……」
「だからそれはやめろ!」
ザルマの言葉に感動するコルセア。だがその呼称は一向に変わる気配がない。
実はザルマは物心ついてからそれをずっと注意し、その回数を合算すると1000回は越えているのだが、本当にどうしようもないほどの糠に釘であった。
「ぼっちゃまにこのようなお仲間ができるとは! てっきり美女の色香に惑わされ、美人局にたかられているとばかり……。しかし幼少の頃から心無い者たちに馬鹿にされ、兄君達からも疎まれ、それで意固地になり人と打ち解けることさえできなかったぼっちゃまにご親友が……。は、まさか!?」
そう言うと、コルセリアは突然康太の手を取り、顔を近づける。
会ったばかりの美女にそんなことをされれば、康大も冷静ではいられない。
しかし、その次に彼女が言った言葉が、そんな康太を一瞬で冷静にさせた。
「わかりました、あなたたちはぼっちゃまに金で雇われたのですね。いいでしょう、これからは私が支払いをします。払えない分は、借金してでも――」
「コルセリア!」
ザルマの我慢が限界に達し、ついに怒鳴る。
康太はコルセリアに強く手を握られたまま、乾いた笑みを浮かべた。
さすがにこの時ばかりは、ハイアサースも嫉妬したりはしない。
(つまりこのコルセリアさんは……)
とても。
とても、残念な人なんだと康太は嫌というほど思い知らされた。
ハイアサースにしても俗にいう残念美人ではあるが、コルセリアはそれ以上だ。
そしてザルマの今の人格形成に大いに影響し、またザルマがここまで嫌がっている理由も理解できた。
「だから私はお前と会うのが嫌だったのだ……。父上や兄上達が留守にしている間、領地の管理をお前がしていたことは知っている。右も左も分からない私の代わりに、代官と引継ぎをしてくれたことも感謝している。だが、なぜそのまま代官と一緒に領地に帰ってくれなかったのだ。お前が補佐すれば、より円滑に進んだだろう。そもそもなんでここまで来たのだ!?」
「ぼっちゃまが晴れて当主になれてたというのに、じっとしていられますか! ぼっちゃまがインテライト家に奉公に出た日からこのコルセリア、ぼっちゃまを心配しない日はありませんでした。あの人付き合いが絶望的で臆病なぼっちゃまが、世間の荒波にもまれ、果たしておねしょもせずに生活できるのかと」
「何年前の話をしているのだ!」
「・・・・・・」
まるでお母さんと思春期の子供だなと、康大は見ていて思った。
いくらクール系の美女では、こんな扱いをされてはさすがに同情する。
そしてコルセリアが来たタイミング的に、ザルマの当主就任がとっくの昔の決定事項だということも理解した。当主より先に部下に伝えられるあたり、全幅の信頼とまでは言えないようだ。
「とにかくお前はもういいから帰れ」
「いいえぼっちゃま」
コルセリアは強い決意とともに首を横に振る。
「引継ぎに関して、私ができることは全てしました。もう代官様も出発されましたし、私があれこれ口をさしはさむ前に、まず実務に当たられるべきでしょう」
「それではお前はこれからどうするつもりだ」
「決まっています! 留守居役という肩の荷も降りた以上、ぼっちゃまのお供をします!」
「ああ……」
予想はしていただろうが、実際に面と向かって言われると絶望も一入である。
ザルマは天を仰いで彼女の同行を嘆いた。
まあ大の男が保護者同伴――現実セカイで言えば母親同伴で会社通勤するようなものだから、それも当然か。
康太はザルマに心底同情する。
「帰れ」
「帰りません」
「帰れ」
「帰りません」
「帰れ!」
「帰りません!」
「――!!!」
「――――!!!!」
それから案の定必死で返そうとするザルマと、意地でもついて行こうとするコルセリアの口論が始まった。
康太はハイアサースをつれ、そっと部屋から出る。
姉弟争いに巻き込まれるのはごめんだ。
「しかしザルマにあんな姉がいたとはな」
廊下に出たハイアサースは、さっそくコルセリアについて話し始めた。
「あー、まあなんというかとてもパワフルというかはた迷惑というか、表現に困る人だった」
「とりあえず愛情は豊かなのだろう」
ハイアサースの言葉に康太は頷く。
「私は今現在一人っ子だからうらやましくもある。康太は?」
「俺もだ」
「そうか、お前も成長する前に姉弟が死んだか」
「いや、死んでないし……」
何かいきなり厳しい異セカイの生活環境の話をされ、康大は冷水を浴びせられた気になった。
今まで文化の違いや知的水準のレベルについて考えることはあったが、出生率や幼児死亡率まで考えたことはなかった。
このセカイの住人にとって死は本当に身近な存在なのだろう。
ザルマのように繊細な方が珍しいのかもしれない。
康大自身も、ゾンビになっていなければ風土病にかかり死んでいたかもしれない。
ミーレの言う通り、転生なり転送した現代人にとっては、むしろ目に見えない危険の方が厄介だったのだろう
康太は今更ながらその点に気づかされた。
「どうしたコータ?」
「ん、ああ、ちょっと気になることがあって。ハイアサースはこれからどうする?」
「教会に行く。神父はああなったが、それと私の信仰心とは別問題だ」
「そっか。じゃあ俺は先に部屋に戻ってるよ」
それから康太はハイアサースと別れ、1人部屋に戻った。
部屋には康太以外未だ誰も帰っていない。
「やっぱ、病気のことははっきりさせておきたいよな」
康太は目を瞑り、久しぶりにあの能天気な女神を呼ぶことにした――。