第25章
「・・・・・・」
馬車を降りると同時に、康大は我知らず息をのむ。
両国の衛兵には当然情報は伝わっており、入国する際に通った時とは雲泥の差ともいえるほど物々しい空気が国境に流れていたのだ。
国境である以上、当然砦はグラウネシアだけでなく、フジノミヤのものもあり、その中間に緩衝地帯とも呼べる一帯がある。
そこを挟んで向かい合う両国の衛兵は、お互い文字通りにらみ合っていた。
グラウネシア軍は緩衝地帯でこれ見よがしに軍事練習をし、フジノミヤ軍はいつでも対応できるよう弓を番えている。
康大が砦の中に入ってみると、魔術師が何やら呪文を唱えていた。
今回の集団の中で最も魔術に詳しいコルセリアに尋ねると、「おそらく相手に悪運を呼ぶ魔術でしょう。向こうも使っているでしょうから、効果のほどはしれませんが」という話だった。
実際に武器を交えなくとも、戦争はすでに始まっていたのだ。
「しかし戦争かあ……」
周囲を兵士に囲まれ、砦の屋上からグラウネシアの方を見て、康大はため息を吐いた。
グラウネシアに入国する前は、まさかこんなことになるとは夢にも思っていなかった。戦争の当事者になった上、ライゼル隊およびコウタ指揮下に編入された国境守備隊都合500人ほどの司令官になるなどと。
身の丈に合わないとはまさにこのことだ。
「コウタ様。監視ご苦労様です」
階段下からコルセリアに声をかけられる。
康大は振り返り、砦の中へと戻った。
入ってしまえば兵士に護衛してもらう必要もなく、2人だけの話になる。
「別に大したことしてませんよ。ただ見てただけです」
「……しかしあれですね」
「あれって?」
「その、コウタ様の立場が私が想像した以上に高かったので。まさかアムゼン殿下から直接お声をかけてもらえる上、相談までされるとは。その上死神と恐れられたあのライゼン将軍を旗下におくなど、私では一生かかっても無理です」
「殿下に話しかけられるのは、ただ殿下が変わり者好きなだけで、ライゼル将軍の件もその延長上です。才能というより俺が変わり者の異邦人だったという境遇がすべてでしょう」
「ご謙遜を!」
コルセリアは力の限り否定する。
ハイアサースのように表情が豊かではなく、常に真摯であまり変わらないが、内面に関してはむしろハイアサースより激しいのかもしれない。
康大は自分に詰め寄るコルセリアを見てそんなこと思った。
「それで、改めてお願いがあるのですが」
「まあ俺にできることなら」
「その、私に慇懃な態度をとるのは止めてください。いくら何でも序列が無茶苦茶になり、周りの人間達が混乱します。もういっそ奴隷のように扱ってもかまいません」
「その件ですか。答えはノーです。ザルマと約束したんで」
「坊ちゃまとですか……」
コルセリはため息を吐いた。
愁いを帯びたその顔に康大は少しドキリとする。
やはり胸の大きい女性には、どうしても心を動かされてしまう。
「……分かりました。背に腹は代えられません。ジェイコブ様と同等のご身分でいらっしゃるかもしれないコウタ様にこれ以上敬語を使われるぐらいなら、私も坊ちゃまと呼ぶことは止めます。以後、御屋形様というのでどうかコウタ様も……」
「わかりました……いや、分かったよ。あとでザルマに伝えておく。きっと喜ぶぜ」
「はは……」
コルセリアは頬を緩め苦笑した。
しかしすぐにより真剣な表情になる。
「どうかしたか?」
「いえ、ただ私は自分の無力さが口惜しくて。智謀に関してコウタ様に到底及ぶべくもなく、さりとて軍務に関してはライゼル将軍がいる以上、私などにぎやかし程度にしかなりません。ケイアに啖呵を切ったにも拘らず、何もできず恥じ入るばかりです」
「いや、そんなことは――」
「別にそんなことはないだろう」
康大が言いきる前に、別の第三者が彼女の弱音を否定する。
「ぼっちゃ……いえ、御屋形様」
「へえ、ようやくまともな呼び方になったか」
声をかけたライゼルは、喜ぶより少し照れた。
「交渉が上手くいったようだなコウタ」
「まあな。感謝しろよ」
「とりあえずサンキューと言っておく」
そう言ってザルマはウインクする。
戦闘時の醜態を一瞬で忘れられるほど様になる姿だ。不自然さが一切ない。
そりゃ女も放っておかないわと、康大は素直に心の中で称賛した。
「で、だ、コルセリア。確かにコウタは俺たちが知らない色々なことを知っているが、逆に知らないことだってある。むしろそっちの方が多いかもしれない」
「まさかそのような――」
「そうでもないぜ。そもそも俺は異邦人なんだから、このセカイについてザルマやコルセリアより知らないことがあって当然だろう」
ザルマの言葉を康大は全面的に肯定した。
「次にライゼル将軍だが、あの方の主はあくまでアムゼン殿下だ。場合によってはコウタと敵対するかもしれない。そんな人間が康大の力と言えるか?」
「それは……」
「まあ少なくとも俺の首狙ってる人間が部下になるのはノーサンキューだわ」
「ははは」と康大は笑いながら言ったが、笑い事でないことはほからぬ本人が一番理解していた。
「つまりこいつも色々問題があって、俺たちの力は必要ってことだ。だから余計なこと考えるを前に、まず自分ができることを考えろ。なんというか……その……今のお前の状態は以前俺が通った道で、見ていてつらいというか恥ずかしいというか……」
そう言ってザルマはそっぽを向いた。
おそらくザルマは海賊船での出来事を思い出しているのだろう。
康大は苦笑し、コルセリアは呆気にとられた。
「……とにかくだ! 今のお前がすべきことは康大の身を守ること、だから今はそれだけ考えてろ!」
「は、はい!」
ザルマの言葉にコルセリアは力強くうなずく。
やはりなんだかんだ言ってこの2人は良いコンビだなと康大は思った。
この場の話はこれで終わり。
そう思って再び監視に戻ろうとしていた康大に、さらに第四者が声をかける。
「コウタ様、よろしいですかな」
「え、あ、はい……はいぃ!?」
康大は自分の名前を呼んだ人間を見て絶句した。
それはコウタだけでなくザルマやコルセリアも同様だ。
振り返って顔を見るまで、てっきり伝令の兵士あたりだと思っていた。
けれども。
「な、なんでライゼル将軍が……」
「なぜ、とはどういうことですかな?」
「いや、だからなんで私なんかに敬語を使うのかと」
「ああ、これですか」
さも当然という表情で、黒い死神は苦笑する。
この男の場合、一挙手一投足に親しみがなく、脅威しか感じることができない。
「幕下に置かれたのですから、上官に対する態度として当然でしょう」
「いやでも、今まで虫けらのような扱いだったので……」
「さて、そんなこともありましたかな?」
ライゼルがすっとぼける。
白を切るより脅しているようにしか見えなかったが。
ライゼルにこんな態度をとられても康大としてはうれしくもなんともない。
むしろ精神的な疲労が増えるだけだ。
「将軍、その、普段の対応に戻してほしいのですが……」
「それでは先ほどその女が言ったように、指揮系統に混乱が生じます。部下達にも私より、コウタ様の指示を優先するよう言い聞かせておりますので。しかしそれが命令であるなら、どんなものでも受け入れざるを得ませんが……が!」
そう言ったライゼルの目は、完全にヤクザのそれだった。
余計なことを言えば、命はないと言外で怒鳴っている。
いくら肝が据わってきたとはいえ、本当の死神を前にすれば康大の覚悟など風の前の塵に同じだ。
ただ「ありません……」と体を縮こませて答えることしかできなかった。
「それでコウタ様、あなたに用が会って伺ったのですが」
「はい。自分のような役立たずにできることならなんでも」
「……たいしたことではないのですが、この砦にいる兵士の中に料理が得意なものがいて、是非コウタ様に振舞いたいと」
「料理?」
珍しい話もあるものだなと康大は少し驚いた。
戦争が日常茶飯事的なこのセカイでは、最前線でもそんな悠長なことが行われるのだろうか。それとも腹が減っては戦はできぬという、古今セカイ問わず絶対的な法則によるものか。
なんにせよ康大に断る理由もない。
「わかりました、すぐ行きます」と答え、2人とともにライゼルのあとについていく。
砦の食堂らしき部屋には、すでにハイアサースが着席し、料理もテーブルに置かれていた。
食い物のことになると誰より鼻が利く。
「ていうかこれは……」
用意された料理を見て、康大はわずかに表情を変えた。
別に見るからにまずそうだったわけではない。
それどころか現実セカイにおいて今まで何回も見てきたものであり、味の想像さえついた。
おそらく料理を作ったであろう兵士が、少し緊張しながら説明をする。
「この度は私の招待を受けていただき、誠にありがとうございます! あの誉れ高いライゼル将軍とコウタ子爵に料理を提供できるなど、生涯の誉れになるでしょう! 本来槍働きでお役に立つべきなのですが、残念ながら私など兵士としては下の下で……。ですがその分料理は大の得意で、今日は腕によりをかけて作りました。異邦人の料理人から教わったこの"ぴっつぁ"は自信作です!」
――そう、兵士が用意したのはまさにピザだった。
発音はネイティブに近いが、円盤状でトマトの上にチーズ、そして何枚かの葉っぱが乗っているその見た目は、完全にピザ――もっと正確に言えばマルゲリータである。ただ大きさは普通のピサの何十倍もあり、およそ1枚でこの場にいる人間の腹を満たせる量だった。果たしてどんな窯を使ったのか、康大には想像すらできない。
それから兵士はピザを切り分け皿に盛っていく。
立場上率先して康大が口をつけると、果たして味もピザそのものだった。現実セカイのものより多少味は薄かったが、本場の味がそうだと言われたら納得できる程度ではある。
康大が口をつけたのを皮切りに他の仲間達も食べ始める。
いうまでもなく最も多く、また早く食べたのハイアサースで、コルセリアあたりが半分食べたかどうか分からないうちに、おかわりに手を伸ばしていた。
「私は初めて食べましたが、コウタ様は以前に食べたことがあるご様子ですな」
「え、あ、はい」
不意に話しかけてきたライゼルに、康大はしどろもどろに答える。
命の危険は感じなくなったが、そう簡単に慣れる人間ではない。
「異世界というのはこのような旨い食事ばかりのご様子。うらやましい限りです」
「そうですね。まあ私からすると、その料理をこのセカイでここまで再現した件の料理人がすごいんですけど。それにしても運がないというかなんというか……」
「それは一体何の話ですかな?」
「ああ、いえ。ライゼル将軍も知っているように、私の仲間はあと1人いるんですが、彼女が何の星の巡り会わせか、私のセカイの料理を食べる機会に悲しいほど恵まれていないのです。その場にいなかったり、食べようとしたらすでに空になっていたり。本人は死ぬほど食べたがっているのが余計哀れで」
「なるほど。まあ、間の悪い人間というのはどこにでもいるものです」
「はい」
康大は頷く。
今の自分が圭阿にできることは、間が悪かったことを本人に気づかせず、そのまま無かったことにするぐらいだ。
しかし中には、意図的に悪意を持って行動を起こす人間もいる。
コルセリアは常に康大の会話に耳をそばだてているのだが、圭阿の情けない話を聞いた瞬間、わずかにその頬をにやりと上げるのだった。
そして戦場にいるとは思えないほど、のんびりと食事の時間は流れていった……。




