第24章
康大の覚悟を伴った発言に、アムゼンは表情を変える。
今まで半笑いで試すように話していたが、その精悍な口元を引き結び、今ははっきりと軍人の顔になっていた。
「つまり貴様があの異邦人を殺すということか」
「いえ――」
康大は首を振る。
「先ほども話した通り、あいつの物理的な力は絶大で、しかも不死身のスキルまであるため殺すこと自体不可能です。ただし肉体以外は脆弱そのものと言えます。そこをつこうと思うんです」
「つまり心攻、か。兵法においても常套手段であるが、何よりも問題なのはその状況を作り出すことだろう。勝算はあるのか?」
「あります……が、そのためには多くの情報が必要です。殿下にはその協力をお願いしたいのですが……」
「なるほど。つまり貴様はこう言いたいのだな。自分に今回の戦の全権限を与えろと」
「……は?」
アムゼンの極大解釈に康大は絶句する。
ザルマに至っては思わず口が開き、そのまま塞がらなかった。
「貴様がそこまで自信を持っているのなら、私も無下にはできまい。だが私を差し置いて子爵である貴様を総大将にすることはさすがに無理だろうし、他の者たちも納得はしまい。私兵だけで事足りた王都の騒動とは規模が違いすぎる。そこでこうしよう。貴様は戦争が始まるまでここで作戦の立案をし、開戦後の実際の指揮は私がとろう。それでどうだ?」
「いや、納得というかあくまで情報さえ下されば……」
「謙遜も行き過ぎれば嫌みになるぞ。何より自軍の全ての情報を手に入れるなど、総大将にしか許されん。よし、それではすぐに準備だ! ライゼル、周辺地域のありったけの地図を持ってこい!」
「御意」
勝手に話を進め勝手に指示を出す王子。
康大たちはそれをただ見ていることしかできなかった。
やがてライゼルが従者を伴って大量の地図を持ってくる。
少し煤けている上、返り血が初対面のときより増えているあたり、先ほど落とした砦からかすめ取ってきたのだろう。このあたりは完全に戦国時代だ。
アムゼンは全ての地図を地面に広げた。
どれも現代日本のように精巧ではない上に局地的な地図なので、康大にはいまいち見方が分からない。
ただそれはアムゼンも同様であったらしく、ライゼルに現地の人間を呼ぶよう指示する。
ライゼルに文字通り連行されてやってきたのは、顔中あざだらけで鼻血をたらし、手枷をはめられた中年の男だった。
身分の高そうな服を着ているあたり、ここの領主かもしれない。俯き加減で、アムゼンと目も合わせようとしなかった。
抵抗しているというより、憔悴しきって顔もあげられないようだ。
おそらく今回の粛清は完全に予想外だったのだろう。どんなに堅牢な砦にこもっていても、準備ができていなければ家に閉じこもっているのとさして違いはない。
アムゼンは男に地図の説明をさせる。
もちろん敗者に拒否権はない。
男は命乞いとともに説明を始めた。
男の話によれば、康大が通ってきたような隧道が自領にいくつかあるとのことだった。
ただそれらはサムダイとの密約によって作られたもので、チェリーパルティナスと対立しているサムダイが報告する可能性は、限りなく低い。軍の規模も合わせれば、おそらく主力は公道から、遊軍はジャンダルム登山ルートで襲来する可能性が高い、との事だった。
このあたりの自国軍内で共有されていない情報に康大は相変わらず疑問を覚えたが、もはやそういうものだと自分を納得させることにした。
そして肝心のタツヤのルートだが、これは康大の方がはっきりと予想できた。
「遠藤はまず間違いなく私たちが通った公道からくるでしょう」
「確かにあそこは国境付近で最も広く、総力戦にはうってつけだが、あの男1人で軍隊として成立するならむしろ味方の存在は邪魔になるだろう。戦略的に考えれば、個人での山越えによる奇襲が当然だが」
「関係ありません」
ライゼルの常識的な意見を康大は一蹴する。
「あいつは根性なしですから、登山なんて絶対にできないでしょう。必ず、最も楽ができる道を通るはずです。加えて味方の損害といった小難しいことを考える知能もありません」
「それではまるで子供ではないか」
「はい子供です」
今度はライゼルの言葉を全面的に肯定する。
「そしてそれこそがアイツの最大の弱点です」
「なるほど、乳飲み子が禁呪を使っているようなものか……」
アムゼンの例えは康大にはいまいちぴんと来なかったが、ザルマが納得しているあたり当を得たものなのだろう。
ちなみに作戦中全員そばにいたが、誰も口を挟んだりはしなかった。
康大にしてみればザルマとコルセリアの方が軍の実務に詳しいのだから、遠慮なく口を出してほしかった。アムゼンから話を聞くまで、末端に至るまで職業軍人による常備軍が当然と思っていた自分よりは、はるかに有効なアドバイスもできただろう。
けれど2人とも畏まったまま地蔵のように微動だにせず、何か聞かれても「はい」や「御意」としか言わなかった さらにひどいことに、アムゼンやライゼルだけでなく、康大に対しても同じように対応していた。
ハイアサースはどうせ自分は用がないだろうと、勝手にどこかへ行ってしまった。おそらく食事か近くの村の協会にでも行ったのだろう。この辺りはすでにアムゼンが完全に非支配下に置いており、康大に構っている余裕もなく、そこは好きにさせた。
主に3人だけの作戦会議は夜通し行われた。
この場所に留め置かれた点で、康大もそれは覚悟していた。
今日明日にも攻め込まれるかもしれないのに、呑気に寝ている場合ではない。疲労で猛烈な睡魔に襲われてもおかしくないのに、この時ばかりは康大も居眠りすらしなかった。
時間が経つにつれ様々な情報も入ってくる。
まず、侵略されるフジノミヤは、アムゼンパルディナスではなく、全軍で当たることになった。
グラウネシアにおいてはチェリーパルティナス独断の作戦であるが、攻め込まれるフジノミヤに関しては、アムゼンパルティナスだけの話には収まらない。国境に面している全ての領主は攻め込まれる危険があるのだ。
これがサムダイの所属するパルティナスなら話は違ったが、チェリーパルティナスでは戦争は避けられない。
そのためフジノミヤ軍には決戦以外選択肢がなく、アムゼンの要請のもと、国王によって支配下にある領主全てに招集がかけられた。
ただ、末端の兵士はほぼ全員農民で準備に時間がかかり、いきなりでは傭兵もそう簡単には集まらない。さりとて国王より指定された人数が揃うまで待っていては、あまりに国境が手薄になるため、兵士の逐次投入という愚策を用いる羽目になった。
また、中には理由をつけて領地から出ようとしない領主もいた。もちろん、彼らは戦争が終結した際、一番鶏が鳴く前にアムゼンに首をはねられたこの土地の領主と同じ運命をたどることになるだろう。
一方、攻撃側のチェリーパルティナスであるが、こちらも足並みがそろっているわけではなかった。
グラウネシア王宮にいる間者からの情報によると、今回の出兵を決めたのはチェリーの独断で、そのチェリーにしてもタツヤの説得だけで出兵を決断したということだった。
結局フジノミヤ同様グラウネシア貴族たちにも寝耳に水であり、さらにここ数年平和だった分、軍の招集はフジノミヤ以上に進んでいないようだった。
まったく進まない進軍にタツヤはかなり苛ついているようだが、さすがに客分であるタツヤだけの侵攻は、チェリーの後ろ盾があっても、国王が許可しなかった。
もしそれを許可すれば、占領した地域はタツヤのものになり、グラウネシアにうまみが全くなくなってしまうのだ。あくまで占領はグラウネシア軍がしなくてはならない。
「でも結局グラウネシア王は戦争自体は認めているのですよね?」
「認める、というより、認めざるを得ないのだろう。あの王にはここまで事態が進んでいながら、はしごを外す力はない。もし拒否すれば、おそらくチェリーパルティナスはグラウネシアからそのまま独立するだろう。あの王にできるることは、目に見えているグラウネシアの崩壊を避けることぐらいだ」
「なるほど」
ライゼルの説明で、康大はグラウネシアという国の状況をおぼろげながら理解し始めた。
つまり、フジノミヤ以上に中央集権が進んでいない、ある意味で民主的な国であるらしい。もしフジノミヤで同じことが起こったら、アムゼンなり国王なりが断固として首を横に振った上、独断専行に対する相応の処分を下しただろう。
その点を踏まえると、タツヤに好き放題させているのも必然と言えるかもしれない。
やがて日の出とともに、近隣の領主や王都の常備兵たちが集まってくる。
まだ全兵力の半分すら集まっていないが、それでも1000人を優に超える人間達がいた。
装備は統一されていないものの、全員が人を殺せる準備を完了させている。
その様子を見て、康大は今まで自分が体験したのがすべて局地戦であることを痛感した。
軍を率いてきた領主達はひっきりなしにテントに訪れた。
たいていは自己紹介と意気込み程度だが、中には今すぐ攻め込むことを許可してくれと願う者もいた。
どうやらこのセカイでも一番槍は名誉なことらしい。
だが、今回の戦いをフジノミヤとグラウネシアの戦いではなく、あくまでチェリーパルティナスの暴走という形に収めたかったアムゼンは、それをすべて却下した。
ここから先はアムゼンが言わなかったため康大も知らなかったが、アムゼンはグラウネシアに対して領土的な野心がなかった。あまりに国土に山地が多く、中央と離れているため、占領する価値が少なかったのがその理由だ。彼の野心は西へ向き、グラウネシアは外征ができないほど適度に混乱している状態が最善だったのである。
しかし、フジノミヤ軍から国境を侵せば、たとえ心情的に戦争反対派のグラウネシア王も、全軍を招集せざるを得ない。
そうなればことはチェリーパルティナスだけの問題ではなくなる。
そんな、いつ終わるとも知れない総力戦など以ての外だった。
あくまでこの戦いは、チェリーパルティナスに対する防衛戦でなければ理が通らないのである。
アムゼンは矢継ぎ早にグラウネシアの侵攻地点と思われる場所に、集まった戦力を派遣していく。
今いる場所は康大が通ったトンネルぐらいしか侵攻ルートがなく、そのトンネルも既に塞いだたため、あまり軍を置く必要はない。ただ想定される防衛ラインのちょうど中心にあり、指示を出すには勝手のいい位置にあった。
派遣される際、大部分の領主はその指示に従ったが、中には反論を唱える者もいた。
彼らの主張は異口同音であり、
「自分をグラウネシア国境の砦に配置しろ」
というものだった。
一番の激戦地が公道の砦付近になることは明らかである。
激戦になればなるほど危険も多いが、その分手柄を立てる機会も多い。
さらに襲来が予想されるタツヤの首を取れば、とてつもない功名だ。
彼らも名前は西洋風でも、中身は戦国時代的戦闘民族であった。
ただ、すでに康大が総司令官としてそこに割り当てられることが決まっていたため、その全てはアムゼンによってい退けられた。もちろん、康大の名前では誰もが不服に思うことは明白であったので、アムゼンは代わりにライゼルの名前を出し、領主達を諦めさせていた。
説得するためだけに名前を使われたライゼルもいい迷惑だろなと、康大はそれを他人事のように聞いていたが――。
「――というわけで、以後ライゼルはコウタの指揮下に入ってもらう」
「御意」
そう答えたのはライゼルだけで、康大は目が点になった。
まさかこの死神が自分の部下になるとは予想だにしていなかった。
「いや、その、別にライゼル将軍の力まで必要なわけでは……」
「お前は公道における戦いが異邦人だけで終わると踏んでいる節があるが、それはあり得ん。まともな軍隊なら、異邦人の力に頼ったしてもそれなりの兵力を割くだろう。たとえお前があの異邦人をやり込められたとしても、その後にグラウネシア軍に蹂躙されては元もこうもあるまい。ライゼルはその抑えだ」
「はあ……」
釈然としなかったが、康大はとりあえず頷いた。残念ながらこれ以上反論するための材料が、康大の手持ちにはない。
アムゼンはコウタから視線をライゼルに移す。
「ライゼルよ。以後コウタの命令は絶対遵守だ。裸踊りをしろと言われたら、考える前に服を脱げ」
「御意」
「いや、口が裂けてもそんな命令しませんけどね」
「またコウタが万が一敵前逃亡した場合、遠慮なく首を切れ」
「御意」
「あーなんかそんな気がしてました……」
康大は乾いた笑いを浮かべた。
ようやく目だけは動き始めた――泳いでいるともいうが――ザルマとコルセリアの2人は、残念ながら何のフォローもしてくれなかった。
「まああまり厳しいことを言うのもなんだ。実を言うとお前があの異邦人を挑発してくれたことは、むしろ好都合と思っていた」
「好都合……ですか?」
「ああ。あの異邦人は今までどんな力があり、何を目的とするのか全く分からず、危惧すべき存在だった。お前が言ったように幼児的な精神の持ち主なら、いつ暴走してもおかしくはない。それがこうして方向性をもって我が国に向かい、しっかりと準備する期間も持てたのは、重畳と言えよう。何よりこの国にお前がいる状況でな」
「なるほど。そういう考えもできたのですね」
「もちろん切欠を作ったお前には責任は取ってもらうが、協力は惜しまん」
「御意」
康大は頭を下げる。
多くの人間にとっても不測の事態と思われていたこの状況でさえ、アムゼンにとっては好機であるらしい。
本当に食えない人だなと、康大は心の底から思った。
「それではお前にもそろそろ持ち場に向かってもらおう。間者の報告ではまだだいぶ猶予はあるようだが、現地の準備は必要だろう。最後に言い残すことはあるか?」
「何か不吉な言い回しな気もしますが、もし私の予想が外れて遠藤が別の場所に姿を見せたら、絶対に手を出さないで私を呼んでください。たとえ深く侵入されたとしても、アイツにたいしたことはできませんから」
「わかった。情報網を密にし、領主達にもそのように動くよう指示を徹底させよう」
「御意。これ以上は私から言うべきことはありません。遠藤以外の対処は殿下の好きなように」
「ならば行くがいい。吉報を期待しているぞ」
「御意」
そして康大達一行は、ライゼル率いる一軍とともに公道を通って国境の砦へと向かう。
また、康大は出発の際にある土産をアムゼンに頼んだ。
それはアムゼンどころか多くの人間にとってもはや何の価値もないものであった。
だからといって理由なく渡せるものでもなく、アムゼンがそれを聞いたところ、
「旧友もどきと手ぶらで会うのもなんでしょう」
と答えるだけで、要領を得なかった。
「まあ貴様の好きにしろ。枝葉末節まで俺が知っていてもしようがあるまい」
最終的に面倒だと判断したのか、生ものであったそれは防腐処置が施され康大に渡された。
なお、今回の戦いに際してはハイアサースをこのまま陣地に置いていこうかとも思ったが、知らない間に戻ってきたうえ、当然のように移動用の馬車に乗り込んでいた。
こうなると康大の婚約者はてこでも動かない。
そしてグラウネシアから帰国した翌日の昼頃、一行は砦に到着した……。




