第14章
翌日。
康大達はタツヤを探して再び山の中を――
「ZZZ……」
――進むどころか惰眠をむさぼっていた。
尤もこれは康大だけの話で、ほかの仲間たちはすでに起きそれぞれの日課を開始している。
朝の始まりは昨日と全く同じだった。
結局圭阿による嫌がらせが終わった後、自分達から探すのではなく向こうが来るのを待つという結論に落ち着いた。
当然行き違いになる危険を恐れたことも理由であるが、何より安全を重視した結果でもある。
康大はタツヤがどういう人間がこの場にいる誰よりも理解していた。
康大の記憶の中のタツヤは、感情を全く制御できない幼い人間で、突然激昂して強力な魔法をぶちかましても何ら不思議はない。
それを考えれば、抑止力がある城下町でなければ安心して話せない。
康大の意見に反論を唱える者は誰もいなかった。
康大以上にタツヤを知っている人間もいないのだからそれも当たり前だ。
それから康大は侍女にタツヤが帰ってきたら自分に伝えるようサムダイに言伝を頼み、その後深夜まで様々な方針を立て、気づいたら寝ていたのである。
それが分かっていたため、仲間達は今日も無理やり起こしたりはしなかった。
起こすとしたらそれはサムダイの使者が、タツヤの帰還を伝えに来たときだけである。
「起きろコータ、時間だぞ」
体を豪快にゆする婚約者。
つまりその時が来たのであった。
「ん……」
「サムダイの使者が下に来ている。どうやらタツヤが戻ってきたらしい」
「そっか」
康大は特に驚きもせず、大きな伸びをして答える。
いつ来てもいいように心の準備は昨日のうちに終えていた。
完全な寝起きでも取り乱すことはない。
ハイアサースとともに下の階に降りると、使者――リアンがいた。
恐ろしく使者に向いていない彼女がその任に当たったあたり、どうやらサムダイは最少人数の人間しか関係者にしたくないようだ。
面倒な依頼だと思っていたが、サムダイからしてみても危ない橋を渡る依頼だったらしい。
仮想敵国の人間に、異邦人とはいえ自国の人間の対処を任せるのだからそれも当然か。
康大は改めて望まぬ責任の重さを感じた。
「それで、どこにいるんだ?」
「今城に入って行ったところっす。どうするっすか。いきなり不意打ち食らわせるっすか?」
「しねえよ」
学者とは思えない攻撃的な発言を康太は呆れながら否定する。
戦争でも起こさせたいのかこの女は。
「とりあえず遠巻きに様子を見る。万が一別人かもしれない可能性だってあるからな」
「あー、コウタ子爵も顔は知ってるんすね。ってことは異邦人同士知り合いなんすか? まあ良い関係の可能性は低そうっすけど」
「そういう憶測が出るあたり、別人の可能性は低いんだよなあ」
康大は大きくため息を吐く。
やがてハイアサース以外の仲間達もそれぞれ戻ってくる。
康大は彼らにこれからの方針を伝えた。
仲間たちに反論はない。
ただ中には学者同様過激な者もいた。
「確かにコウタ様の考えは兵法にのっとったものといえるでしょう。しかし今は危急存亡の秋。相手が強大であれば、力をつける前に奇襲をするのもまた常道かと」
「できるだけ俺に怪我させたくない人間の言葉とは思えないな~」
「すまない、ケイア卿が活躍していながら自分が何もできないことで無茶を言ってしまって」
「な、なにをおっしゃるのですか!?」
コルセリアが慌てて否定する。
ザルマの言ったことが図星であったことは明らかだ。
とりあえず康大はコルセリアの発言はしばらく無視することに決める。
「さて、あまりここでグダグダしててもしようがないから、さっそく様子を見に行くか。とはいえ相手のスキルを完全に思い出せない以上、大勢で行動するのは危険かもしれない。ここは二手に分けた方がいいかな……」
そう考え、康大はメンバーを見回す。
今までならザルマとハイアサースは自分の目の届く位置に置くのが鉄則であったが、最近のザルマはあまり暴走しなくなった。何よりザルマでないとコルセリアの暴走を止められない。
「……俺とハイアサース、ザルマとコルセリアさんで様子を見よう。圭阿は全体を警戒していてくれ」
「御意にござる」
「了解」
圭阿とザルマが頷く。
そして指示通り、圭阿は1人どこかへ行き、ザルマとコルセリアは城の入り口を挟んで、康大とは反対側に待機した。
康太とハイアサースはその場からあまり動かず、ひっそりと物陰に隠れる。
「……それで、様子を見てその後どうするんだ?」
しばらくじっと入り口を警戒していると、不意にハイアサースがそんなことを聞いてきた。
もちろん何の考えもなく、康大も隠れていたわけではない。
「とりあえず文明人として、話せる状況だったら話し合いで解決したい」
「まあそうだろうな。私も同感だ」
ハイアサースは頷いたが、彼女はそこに精神的な暴力の可能性が多分にあることを知らない。
「まあ俺の記憶にある通りの奴だったら中身はどうしようもないから、基本方針はだまくらかす、かな。感情的で頭も悪いし」
「ひどい言いぐさだな!」
ハイアサースは隠れていることも忘れ、声を大にして突っ込む。
その唇に康大は指を当てる。
知らぬ間に問題の人間が城から出ていたのだ。
そして康大は婚約者とはいえ美女相手にこんなことができた自分の成長に、ひそかに感動した。
「(あれが問題の異邦人か……)」
ハイアサースもようやく状況を理解し、声を落として康大に言った。
康大は無言で首を縦に振る。
――振りながら、
(絵面として最悪だな)
まずそう現状を分析した。
タツヤは例によって潰れたカエルのような顔に、挙動不審の目、やたら動く鼻の穴にそこからひっきりなしに噴出される鼻息、脂ぎった汗まみれの顔とオタクの気持ち悪がられるところを凝縮したような容姿だ。
ただそれはいい。
中学時代見飽きた不細工な元友人の顔だ。
問題はその周囲に侍らせている美女たちである。
明らかにタツヤとは不釣り合いの見目麗しい女性ばかりで、ドラマであるような成金のドラ息子が金にあかせて女を集めているシーンを彷彿とさせた。しかも巨乳好きの康大と違い、様々な――もちろん年齢に関しては常識の範囲内であるが――タイプの美女を侍らせていた。
その光景に、康大は心底うんざりする。
それはハイアサースも同じようで、眉をひそめていた。
ただその光景は康大が見ているものと幾分違っていたが。
「確かにいけ好かない男だな。軽薄が服を着て歩ているかのようだ」
「ああ」
「たとえハンサムでも、私は受け入れることなどできん」
「……は?」
ハイアサースのあり得ない感想に康大は絶句する。
一億歩譲って、タツヤにわずかなりとも好意を抱くことは理解できる。ガマガエルを熱狂的に愛する人間は珍しいが、いないわけではない。
ただあの顔をハンサムと認識するのは、いくらなんでも美的センスの崩壊……を通り越した挑戦だ。
康大はハイアサースの目以上に頭を疑い、珍獣を見るような顔をする。
「なんだその顔は?」
「いや、どうすればあれがハンサムに見えるのかと」
「一般的に色白金髪でああいう細面の顔をしていたらそう見えるんじゃないか? まあコータの世界で違うと言われたらそれまでだが」
「色白金髪の細面?」
康大は首をかしげる。
タツヤは色白というより不健康に浅黒く、ぼさぼさの黒髪だ。輪郭もしもぶくれで丸い。
ハイアサースが弱視でもない限り、間違えようがない容姿である。
そして今まで、ハイアサースと視力のことでもめた記憶がない。
(つまりこれはどういうことなんだ?)
康大は首をひねった。
そうしている間にもタツヤは美女をつれてどこかへと歩いて行く。
康大とハイアサースは隠れながら後を追った。
康大の見た限り、どこかへ向かうのではなく適当に城下町をぶらついている雰囲気だった。
その歩くさまは尊大そのもので、ずっと下を向いて歩いていた現実セカイの卑屈さは今では全く見られない。
呆れを通り越し「人間変われば変わるものだな」と康大はその豹変ぶりに感心した。
やがて達也とその一行は、おそらくグラウネシアの兵士の一団であろう人間達と鉢合う。
山賊の一団と見間違えるような出で立ちであるが、そんな連中がこんな所を堂々と歩けるはずもない。おそらく山国で文化が洗練されていないために、ああいった出で立ちなのだろう。
そもそもこのセカイの兵士は、ゲーム等のフィクションのように装備が統一されていない。
武器や鎧は何もかもばらばらで、康大のような部外者にはどうやって国を区別するのかさっぱり分からない。
考えてみれば大量生産できる科学力もないのだから、それが当然なのだろう。
現実セカイでも兵装が統一されるのは、せいぜい近世終盤あたりからだ。
閑話休題――。
康大はすぐに両者の関係が友好的でないものだと気づいた。
男所帯が美女を侍らせている不細工を見たら、それは当然かもしれない。
具体的に何を言っているのか分からないが、兵士のうちの1人がタツヤを小馬鹿にしたような態度をとる。
もし康大がタツヤの立場だったなら、せいぜい適当な魔法を見せて軽く脅すか、完全に無視して通り過ぎただろう。
いくら力があるとはいえ、あんなに自由にふるまっているタツヤはグラウネシアのヒエラルキーの外にいるはず。後々の面倒ごとを考えれば、極力暴力沙汰避けるべきである。
ただ当の本人は違った。
「あ――」
――と、ハイアサースでさえ呆気にとられたのもやんぬるかな。
タツヤは右手を差し出すと、問答無用で兵士の一団――当然からかった人間以外も含めて――を吹き飛ばす。
爆発の魔法ではなく、暴風の魔法なのだろう。
即死させるほどの殺傷力はないだろうが、あばらの2、3本は確実に折れたはずだ。
壁にめり込んでいる兵士はもっと被害甚大かもしれない。
そんな彼らに勝ち誇ったような表情をして、タツヤは美女とともに通り過ぎていく。
なんというか。
「馬鹿なのかあいつは?」
「ああ、見ての通りだ」
ハイアサースにさえタツヤは阿呆の烙印を押された。
いくらハイアサースが常識知らずとはいえ、馬鹿にされたからといって問答無用で攻撃魔法を使おうとは思わない。康大は初対面でいきなり切られたが、それは外見がゾンビだったからだ。
シスターであることを差し引いても、そんなことをすれば後々どれほど面倒になるか、十分理解していた。
だが当事者であるタツヤはそれすら理解できていないのだ。
おそらく本人の頭の中では、悪党を蹴散らすヒーローを思い描いているのだろう。しがらみやこのセカイの常識を一切無視して。
どうしようもないお花畑だ。
昔と全く変わっていない。
「正直あの男とまともに話ができるようには思えんが……」
「まあ昔と全く変わっていないと分かった以上、逆にやり様はある」
康大の中で完全に方針が決まった。
康大の知っている通りのタツヤなら、何を求め何を与えれば懐柔できるのか火を見るよりも明らかだ。
康大は隠れることを止め、堂々とタツヤの前に姿を見せ近づく。
ただし、何もせずに近づいたわけではない。
康大は口笛を吹きながら歩いていた。
それは後に続いたハイアサースには聞いたことがない曲だった。
未だ隠れながら様子を見ている仲間たちも同様だ。
ただしタツヤは違った。
「……この曲は!?」
タツヤがはっとし、元から大きく空いた鼻の穴をさらに巨大化させる。
そんなタツヤの反応は康大にとって予想通りのものだった。
そしてこれから自分のことを攻撃も無視もできなくなったことも。
「よう、ひさしぶりだな……」
「だ、誰だてめえ!?」
タツヤが康大を指さし、明らかに動揺した様子で言った。
動揺は予想通りだったが、誰何に関しては予想外だ。
アビゲイルの魔法で外見は以前のままだから、分からないということはないはず。まだ中学を卒業してから一年程度しか経っていないのだ。
旧友の物覚えの悪さに、康太はため息を吐きながら答える。
「俺だ、仁木だよ」
「仁木だと!? ゾンビじゃねえのかよ!?」
「あー……」
どうやらタツヤには自分の本当の姿が見えているらしい。
ゾンビになった姿が見えているのなら、誰か分からなくても当然だ。
「色々あってこうなった」
「色々……まあこのセカイで魔法少女プリティーサンゲリアなんて糞どマイナーアニメの挿入歌知ってる奴が、お前以外いるとも思えんしな……」
――そう、康大が口笛で吹いていたのはかつて深夜に放映されていたマイナーアニメの挿入歌だった。
人間嫌いのオタクでも、自分の好きなものに関してはとにかく語りたがる。
そして現実セカイではネットを使えば賛同者を得られるが、ここにはどちらもない。
たとえどんな力を身に着けようが、共通認識を持つ理解者までは得られないのだ。
そこで康大は話し相手としての価値を見せつけることによって、タツヤを交渉のテーブルに着かせたのである。
後ろで話を聞いていたハイアサースには全く理解できなかったが、とりあえず会話の糸口ができたようなので良しとした。
「ていうかマジで仁木だったとして、なんでテメーがこのセカイにいるんだよ!?」
「それはお前も同じだろう。何か不慮の事故があってこっちに来たんだよな?」
「はっ!」
タツヤが鼻で笑う。
相変わらずの癇に障る態度で、未だに慣れることができない。
付き合いがあった頃も我慢していた。
「俺はあんなくだらないセカイに自分から別れを告げてやったぜ!」
そう言って両隣の美女の肩に手を置き、大声で笑った。
一方の康大は絶句する。
(こいつ自殺したのか……)
タツヤの答えはそうとしか受け取ることができなかった。
そういう小説をかなり読んでいるタツヤのこと、おそらく自分からトラックに当たりに行ったのだろう。
運転手からすれば死ぬほど迷惑だ。死ぬならどこぞで首吊ってのたれ死ねと言いたかっただろう。
ただ、納得もできた。
妄想癖があり、何のスキルもないタツヤにあの絶望的な世界を生きぬけるとは到底思えない。
早々に見切りをつけて自殺を選んでも、何ら不思議はなかった。
むしろ、生に執着がないと日ごろから思っていた自分が、あそこまで醜くあがいたことが不思議だった。
そしてそれは今も変わっていない。
たとえゾンビになり、命を懸けた行動の数々を取ってきたとしても、簡単にそれを捨てる気になどさらさらなれなかった。
「まあお前ならそう言うことするとも思ってた。あのパンデミックの中生きてけるとは思えなかったしな」
「パンデミック?」
タツヤが怪訝そうな顔をし、首をかしげる。
ハイアサースが同じ仕草をしたら何とも可愛らしかったが、このブ男では気持ち悪いだけだ。
――それはそれとして、タツヤの態度に当然康大は違和感を覚えた。
まさかパンデミックの意味が分からないという事はないはず。
ニュースや新聞を見なくても、ネットを開けば嫌でも目に付く言葉だ。
となると考えられるのは。
「……なんだよ、まさか海外で自殺して、日本のゾンビのこと知らないとか言うんじゃないだろうな」
「待て。なんだよそのゾンビって? お前こっちの世界でゾンビ化したんじゃないのか?」
「マジ……で言ってるんだよな」
「あ? お前何言ってるのかわけわかねえ」
「・・・・・・」
康大はすぐには何も言わず、いったん自分の頭の中でこの状況を分析する。
まずゾンビ化は日本だけではなく世界中で起こったことだ。
いくらネットに知識が偏っているタツヤでも、知らないわけがない。
だが今目の前にいるタツヤは本当に、しらばっくれているのではなく知らないようだ。根が単純なので嘘をつけばすぐにわかる。
「あの……」
そう声をかけたのは、康大でもタツヤでもなかった。
「さっきからゾンビって、近くにいるんですか?」
おびえながらタツヤに聞いたのは、取り巻きの美女の一人である。
一際臆病そうで、他の美女たちと違いあまり積極的にタツヤに近づいている風ではなかった。
「知らねえよ。ていうかゾンビなら目の前にいるだろ」
「どこに?」
美女は首を左右に振る。
その視界には当然康大も含まれていたが、全く反応しない。
やはりゾンビ化を見抜けるのはタツヤだけのようだ。
(あれ、ってことは逆に考えると……)
「あの、ちょっといいですか?」
康大は右往左往している美女に話しかける。
美女は康大がそのゾンビ本人だとは夢にも思わず、「はい」と少し引きつった笑顔で答える。
タツヤは美女が康大と話していることに心底驚いている様子だった。
「今あなたの目には、そこにいるタツヤはどう見えますか?」
「タツヤ様がですか? その、いつもどおり流れるような金髪で白く美しい肌をした――」
「あ、もう結構です。分かりました」
康大は美女の話を途中で遮る。
これ以上この男に対する見当はずれの賛辞は聞きたくなかった。
「おい遠藤」
「なんだよ」
「お前も俺みたいに、魔法かなんかでテメーの外見ごまかしてるみたいだな」
「な――」
タツヤが絶句する。
本当にわかりやすい奴だなと、康大は心の中で苦笑した。
つまりハイアサースがタツヤを美男子だと言ったのも、美女たちが抵抗感を見せずにタツヤの周りにまとわりついているのも、全てそれが原因なのだ。
ハイアサースの審美眼が絶望的だったわけではなかったのだ。
とはいえこちらの説明はできても、未だゾンビについての説明はできていない。
同じセカイの人間なら知らないことはあり得なかった。
――そうありえないのだ。
「……まさかお前がいたセカイじゃパンデミックが起きてないのか?」
「は? 当たり前だろ。知らねえよそんな話」
「ということは――」
考えられる可能性は一つしかなかった。
「――どうやらお前と俺は顔見知りに見えて、赤の他人。実際は別のセカイから来てたようだ」
ため息交じりに康大は言った。
一方のタツヤはぽかんとした顔をしている。
見た目は変えられても、やはり頭の中身までは変えられなかったようだ。ステータスの「かしこさ」は所詮ステータス内の話にすぎない。
「なんだ、そいつはお前が知っている旧友ではなかったのか?」
タツヤの代わり……というわけでもないだろうが、今まで聞き役に徹していたハイアサースが問いかける。彼女の方がはるかに呑み込みが早かった。
康大もタツヤと話すよりははるかにマシだと、婚約者の質問にすぐに答えた。
「見た目も中身も同じだが、俺が知ってる遠藤とは違うセカイの遠藤だったよ。多分違う次元に、俺がいた地球と本当に酷似したセカイがあったんだろう。それこそ人間関係も当てはまるぐらいの」
「そんなことがあるのか?」
「さあ。ただそうとしか考えられない。お前もそう思うだろ遠藤?」
「・・・・・・」
タツヤはすぐには答えなかった。
おそらく頭の中でこの混とんとした状況の答えを求めているのだろう。
康大は急かさないでそれを待つ。
どうせ急かしてもすぐに答えが出るわけではない。機嫌を損なうだけだ。
そして数分かけて出した答えは、
「つまりお前は俺の知ってる仁木じゃないってことか?」
ハイアサースが言ったことのほぼオウム返しであった。
康大は内心で深く呆れながらうなずく。
「そういえばお前、ゾンビ化してるみたいだけど髪黒いしな……」
「俺の人生の中で髪染めたことは一度もない」
「じゃあお前、俺と同じ加須高校じゃないんのか?」
「ぶふぉっ!」
康大は思わず噴き出した。
タツヤの行った加須高校とは県内で最も偏差値が低く、アルファベットがすべて言えたら優等生と呼ばれるほどのド底辺校である。
康大なら利き手とは逆の左手で試験を受けても合格する自信があった。
そんなカス高とも言われている加須高校に、まさか別のセカイの自分が入学していたとは。
元のセカイのタツヤの学力も、さすがにそこまでひどくなかった気がする。
(あ、でも俺のセカイと違うなら偏差値も違うかも……)
まだその可能性は残っていた。
「ちなみにその加須高は"埼玉の最終処分場"といわれた俺の知ってるカス高とは別だよな?」
「・・・・・・」
タツヤは何も答えなかった。
どうやら駄目な学校は別のセカイでもだめらしい。
そりゃ髪も染めたくなるよなと、康大は別セカイの自分に同情する。
「でもお前中身は変わってねえな。こっちのセカイにいても綺麗な女とつるみやがって。ホントムカつくぜ、お前もお前みたいな奴にぎゃーぎゃー群がる尻軽女どもも。まあこっちの世界じゃ俺の方が上だけどな!」
そう言ってまた鼻息を荒くするタツヤ。
そんなタツヤの勝ち誇りより、康大にはタツヤの自分に対する評価が気になった。
女とつるんでいる?
というかハーレム状態?
このセカイに来て、康大は今までの人生で話した以上の女性と話をした。
そんな自分が現実のセカイでハーレムを築けたなど、到底思えない。
頭の悪さも女癖の悪さも、想像の範疇を越えていた。
(というかここまで状況が違っても、根っからのオタクでこの男と知り合いという事に業の深さを感じる……)
その点は人生においてかなりのマイナスに思えた。
「ていうかお前いきなり俺の前に現れて何の用だよ。まさかその女の自慢でもしにきたか? だったら無駄だな。俺にはこいつらがいる」
そう言ってタツヤは周囲の美女たちを強引に引き寄せる。
皆幻術に惑わされているせいか、そこまで嫌な顔はしていなかった。
それを見せられる康大には不快以外の何物でもなかったが。
「別にそういう話をしに来たんじゃない。お前の噂を聞いて、な」
「噂……へえ、お前にも俺の武勇伝が伝わったか。まあお前みたいなゴミステータスのやつから見ればそりゃ気になるだろうな」
「ステータス?」
聞きなれた聞きなれない単語に、康大は思わず首をひねる。
転生物のフィクションでは当たり前のようなこの言葉も、実際にこのセカイに来てからまったく見ても聞いてもいない。
そもそも人間の能力を、そんな形而上的に完璧に当てはめることなど不可能なのだから当然だ。それが意味を持つのは、せいぜいチートスキルをもらった女神の前だけである。
ハイアサースもこいつ何を言っているんだという顔をしていた。
しかし、タツヤはそれが当然のように言った。
まるで見えない康大がおかしいかのように。
「ていうかなんでゾンビ状態解かないんだよ。ステータスの文字真っ黄色じゃないか」
「解けないんだからしようがない、もしといてくれたらここで土下座してもいいぞ」
恥も外聞もなく康大は答える。
異セカイにおけるこれまでの経験で、康大は無駄なプライドが何の役にも立たないことを身に染みて理解していた。
一方、全て自分の思い通りに振舞ってきたタツヤは、勝ち誇った顔をする。
「へえ。元のセカイじゃあんだけ俺のことを馬鹿にしていたお前が土下座か。いい身分だな!」
「繰り返しになるがお前の知ってる俺と、今ここにいる俺は完全に別人だぞ」
「う、るうせぇ! それぐらいわかってる! 同じカス高の分際でグダグダ言うんじゃねえよ!」
「いや、俺加須高じゃないし」
「じゃあお前どこに行ったっていうんだよ!?」
「埼玉南高校」
「サイナン!?」
タツヤが絶句する。
部外者であるハイアサースには相変わらず何が何やらさっぱり分からない。
ただ、話の流れから康大がタツヤより優秀であることは理解できた。
「お前サイナン第一志望で落ちたんじゃねえのかよ!?」
「そっちのセカイの俺は落ちたみたいだけど、こっちのセカイだとちゃんと受かったから。ていうかなんで県内トップクラスの高校受ける人間が、落ちたとはいえ最底辺の高校に入学するんだよ。コーヒーがなかったからって泥水すすってるようなもんだぞ。まあその代わり彼女はできなかったけどな」
「・・・・・・」
やはりタツヤはすぐに状況が理解できず、すぐには何も言えなかった。
疑うべきなのか信じるべきなのかの疑問すら、まだ頭に浮かんでいない様子だ。本当にただ呆然としている。
明らかにこのセカイの経験が頭の肥やしになっていない。
そりゃカス高行く羽目になるわなと、康大は深く心の中で納得する。
「……嘘だろ!?」
そしてようやくひねり出した答えは、予想通りのひどく凡庸なものだった。
康大はため息交じりに用意していた言葉を言う。
「信じられないのも無理はないが事実だ。だから、俺にお前のセカイでの関係を持ち出されても正直困る。俺のセカイじゃカス高に知り合いなんて男女含めて一人もいない。お前のことを軽蔑している仁木康大は別人だ。それでも土下座したぐらいで治してくれるなら、俺はそうする」
もちろん本当はしたくないし軽蔑もしているが、嘘も方便だ。
「そ、そこまで言うなら……」
「じゃあ治してくれ!」
本人の気が変わらないうちに康大はタツヤに強引に詰め寄る。
どんなに力をつけていても、タツヤの中身が全く変わっていないことは分かった。
それならば現実セカイ同様、考える暇を与えず強引に首を縦に振らせればいい。
果たしてタツヤは康大の圧力に押され、首を反射的に縦に振る。
タツヤのふがいない態度に、取り巻きの美女たちは皆一様に驚いた顔をした。
今までよっぽど高圧的な態度をとってきたのだろう。
女性たちの中では唯一ハイアサースだけが誇らしげな顔をする。
「そ、それじゃあ……偉大なる癒し!」
あまりひねりのない呪文とともにタツヤの手が淡く輝く。
まさかこんなところで治るとは。
康太は人生塞翁が馬だなと、つくづく実感した。
しかし、彼を庇護する女神はそんな安易な展開は許さなかった。
「……だめだ。わけわからないイベント系の特殊状態異常みたいで、普通の回復魔法じゃ治しようがない」
「まあそんなことだろうと思ってたけどね! 予想通りだったから全然残念じゃないけどね!」
――そう最大限の強がりを見せながら康大は涙目で答える。
「ちなみにどうすれば治るか分かるのか? 教えてくれたらこのまま泣いて土下座するぞ」
「……知るかよ。俺のイベントじゃねえし」
「・・・・・・」
「使えねえヒキガエルだ」という言葉を頭の中だけで言い、表面上は無言でタツヤの言葉を受け止める。
「……用はそれだけか?」
無言に耐えられなくなったのか、タツヤはそう聞いた。
康大が何も言えなかったのは、表面上平静を装っていても内心でかなり大きなショックを受けていたから。絶望はその前に希望があった方がより大きく作用する。
「え、ああ、そうだ、それは別件だ。お前、えーと……」
そこで康大は言葉に詰まる。
今までずっと同じ国にいたため気づかなかったが、こうして他国に出ると、自分が今まであることを完全に失念していたことに気づかされた。
(そういえばあの国なんて名前だったっけ?)
だいたい話の中では「我が国」とか「国」としか言われなかったため、知らなくともそこまで不便はなかった。
しかし、グラウネシアに来た以上それでは通用しない。
ここで我が国と言えばそれはグラウネシアのことだ。
康大はそっとハイアサースに耳打ちする。
ハイアサースは初め神妙な顔で話を聞いていたが、すぐに呆然とした顔に変わった。
そして――
「お前あほか?」
率直な感想をそのまま口に出す。
これには康大も反論できず、ただ恥ずかしそうに視線を逸らすだけだった。
「なんだ、どうした?」
「いやなんでもない。こっちの問題だ。というかこっちの国というか……」
「国……そういえばお前どこから来たんだ。直接グラウネシアに転生したわけじゃないだろ。だったらさすがに俺が知ってるはずだ」
「・・・・・・」
ハイアサースが康大に目配せする。
正直に答えていいかどうか尋ねたのだ。
ハイアサースにしても、今ではこれぐらいの分別はつくようになっていた。
ハイアサースの問いかけに康大は首を縦に振る。
ここで嘘をついてもすぐにバレることだし、余計な警戒心を持たせるだけだ。
「私たちはフジノミヤから来た」
「フジノミ――」
「ふじのみや!?」
突然出てきた聞きなれた言葉に、康大はタツヤが反芻する前に思わず叫ぶ。
今まで地名から人命まで明らかにヨーロッパ風であったのにもかかわらず、いきなりの日本語名だ。
しかもその地名から、地理が得意な康大にはここがだいたいの辺りか察しもついた。
(富士宮って言ったら焼きそばが有名で富士山のふもと、静岡の東側だから、それを踏まえるとこのあたりはだいたい甲府あたり。スタート地点を逆算すると……)
康太は頭の中でルートを描き、だいたいの目安をつける。
その結果、
(ほぼ間違いなく現実の埼玉あたりからスタートしてるな……)
転移した場所とされた地点が、だいたい同一座標上にあることに気づいた。
もちろんこのセカイの成り立ちは現実セカイと違うため、地形も完全に一致するわけではないが、それでも参考にしていいはずだ。
(となると巨人が壊した道があったのは小田原あたりで、伊豆半島を船で大回しで行ったのかな。それにしてもかなり時間がかかったから、伊豆半島が現実セカイよりだいぶ大きくなってるのかも)
「コータ」
地理的分析の森に迷い込んだ康大の脇腹を、ハイアサースがつつく。
頭脳労働及び交渉部門の責任者がこれでは、話が進まない。
康大も気を取り直し、そもそもの本題に入った。
「遠藤、一応俺はフジノミヤの人間ということでこの国に来ている。お前の噂も国でよく聞いた」
もちろん大嘘だ。
少なくとも康大たちは、タツヤの存在はグラウネシアに来て初めて知った。
ただそう言った方が本人が気分が良くなり、これからの交渉もしやすいだろうなと、あえて康大は言った。
果たしてタツヤは今まで失った自信を取り戻すかのように尊大な態度をとり、鼻息を荒くする。
本当に扱いやすい。
フォックスバードから見た自分もこんな感じなのかなと思いながら、康大は苦笑する。
「俺が――フジノミヤが知りたいのはこの国の、いやお前の動向だ。お前にその気がなくてもお前の行動は周囲をムカつか……警戒させる。だからえびで……保証が欲しい」
タツヤ用に本音や難しい言葉を直しながら、康大はそう説得する。
そばで話を聞きながら、よくそうペラペラ出まかせが言えるなとハイアサースは感心した。
もちろん咄嗟に言ったことではなく準備していた内容だが、それでもハイアサースには絶対に言えない内容だった。
「保証……んなこと言われても……」
「まあ難しいことじゃないさ。サムダイ卿あたりにフジノミヤに対して敵意はないって言えばいいから」
重要なのはサムダイが納得するかどうかだ。
少なくとも本人からそう言われれば十分なはずである。
その後タツヤの気が変わろうが、それはグラウネシアの問題だ。
尤も、サムダイなら口八丁で聖約を結ばせるだろうが。
ここまですんなりいくとは予想外だったが、障害なく進んで嫌なことはない。
そんなことを考えてしまったせいだろうか。
康大は予期せぬ落とし穴にはまった。
「……サムダイだと」
タツヤの表情が変わる。
その瞬間、「しまった」と康大の表情も変わった。
「なんであんな奴に言わなきゃいけないんだよ」
「え、あ、そりゃ、あの人がフジノミヤの窓口だからだろ」
この点に関しては嘘ではない。
しかし、問題はそれが嘘か真実かなどではなかった。
「お前あいつと仲いいのか?」
「別に良くはない。フジノミヤの人間として仕事上付き合ってるだけだ」
「……俺はこんな世界まで来て下らねえ人間関係に縛られたくねえ」
そう言うと、タツヤは踵を返す。
ハイアサースはとっさに止めようとしたが、それを康大が手で制した。
この状態で話しかけても意味はない。
それどころか逆効果だ。
やがて達也は美女をつれてどこかへと去って行った。
康大たちはそれをただ見送ることしかできなかった……。