第11章
サムダイ邸は城を出た城下町の端の方にある古いレンガの洋館だった。
木造ではなくレンガ造りの建物はこの街では珍しい。
男爵という地位はそこまで高くないはずだが、かなり重視されている人間であることはその点からも想像できた。
ただ山地にあるグラウネシアの城下町は土地がないため、規模はインテライト家よりもさらに小さく、こじんまりとしている。満足な庭すらない。
そのあたりの文化の違いを感じながらサムダイ邸に入ると、康大達はすぐに食堂へと通された。
「ようこそいらっしゃいました」
木製の巨大なテーブルに腰掛けていたサムダイが椅子から立ち上がり、表面上は康大達を歓迎する。
また、絶対に断られないと思っていたのか、テーブルにはすでに所狭しと料理が並べられていた。
当然ホスト席にサムダイが座り、その隣に康太、そしてザルマ、コルセリア、ハイアサースと並び、おそらく下座であろう位置にリアンが座った。
円卓の片側だけに人数が集まりずいぶんと不格好であったが、料理がそう配置されているのだから仕方がない。こういった細かな誘導だけで見ても、サムダイが曲者であることは明白だ。
全員が着席すると、、
「まずはこの出会いに乾杯を」
そうサムダイがワインが入ったグラスを取り、音頭を取り晩餐は始まる。
晩餐のメニューはワインに野菜中心の澄んだスープ、パン、野草を使ったサラダ、そしてステーキとオーソドックスなものだった。
できれば温かいものが食べたかった康太は順番に持ってきてほしかったが、そこまでのサービスはしてくれないらしい。
乾杯と同時にハイアサースとリアンがワインも飲まずに肉をかきこむ。
よほど腹が減っていたのか、今回は康大が止める暇もなかった。
とはいえ康太も、宿舎のときよりは警戒心は薄かった。宿舎の場合誰が毒がいれたか分からないが、サムダイ邸ならばたとえ無関係だったとしても、全責任はサムダイが負うことになる。
慎重なサムダイがそんなことをするとは到底思えなかった。
「せっかくだしこれ以上冷めないうちに頂こう」
康大は手を付けないザルマやコルセリアにそう言って、ワインを飲む。このセカイでは要人と同じテーブルに着くと水は出ず、必ずワインが供されたので、さすがにアルコールにも慣れてきた。
安全を確信したのか、やがて2人もワインや食事に手を付け始める。
それからしばらく静かな晩餐が続き、康太がこのセカイに来てからお決まりの薄味のスープをすすっていると、サムダイに不意に話しかける。
「リアンから聞いたところによりますと、どうやらどうしても図書館を使いたいとのこと」
「はい」
スプーンを置き、康大は素直に答える。
2人の会話を察したザルマとコルセリアも、いったん食器を置いた。
口が休まずに動いているのハイアサースだけだ。リアンは自分の名前が出たことでいったん手を止めたが、あくまで一瞬だけだった。
「そのことに関してですが、以前サムダイ男爵はこうおっしゃいましたね、「図書館を使うことはできない」、と。それがいったいこれはどういうことですか? 大司教様と私達、いったいどちらを謀ったのですか?」
「謀った、とは人聞きの悪い」
サムダイは笑う。
ただその目は康大を値踏みし続け、少しも笑っていなかった。
「あの場では確かに私にその権限はありませんでしたよ。しかし、大司教猊下のお口添えがあるというのなら話は別です。それならば私の権限内で図書館の利用を許可することもできるでしょう」
「・・・・・・」
康太たちの誰もが「いけしゃあしゃあと」と思ったが、それを口に出すほど駆け引きのできない人間はいなかった。
いや、1人だけいたが、その人間の口は今食い物で塞がっていた。
「当然私としても無下にするつもりは毛頭ありません。ですが理由も言わずに使われると私の立場も……」
「貴方がどう言おうが、私達はあなたに未だ騙されたと思っています。その償いをする気はないのですか?」
「償い、と言われましても。尤も、大司教猊下から理由を話してくだされば、皆さまの手を煩わせることもなかったのですが、なにやら聖約迄結び、それもできないとのこと。しかもこのリアンまで聖約を結んだとか」
サムダイが呆れたような眼でリアンを見る、
リアンは我関せずと、貴族とは思えぬ豪快さでパンをかじっていた。
「このような状況でこの木っ端役人である私に何が出来ましょう。もしコウタ子爵が考えを改め理由を話していただければ、すぐでも図書館にご案内できますが――」
「ありません」
康太は即答する。
今のところ、サムダイはこのセカイで最も秘密を知られてはいけない人間だ。
その風貌と相まって、信頼感が1ミリもない。
「……でしょうな。さて、この話をこのまま続けても堂々巡りでしょうし、ここで少し趣向を変えましょうか」
サムダイは手を叩く。
すると、メイドたちが食堂に木の皿……というよりどんぶりに乗った料理を持ってきた。
最初に用意された料理でもそれなりの量であったが、まだメインではなかったらしい。
康太は目の前に置かれたその料理を見て首をかしげる。
――いや、正確には料理と一緒に用意された2本の棒だ。
「これは"ハシ"と呼ばれるものらしいです。どうぞ」
「どうぞと言われても……」
ザルマが困惑する。
それは康大とサムダイ以外すべての人間に共通し、誰もが箸を持てあましていた。
このセカイでは箸は一般的な食器ではないのだ。
「・・・・・・」
唯一康太だけが箸を正しく持ち、その料理に手を伸ばす。
近くで見てみればこちらの料理もこのセカイでは異質だ。
ただし、元のセカイでは異質どころか月に1回ぐらいは食べるものである。
(かつ丼……だよなこれ)
あげられたカツらしきものを卵でとじ、その下にはごはん。この料理のかつ丼以外の呼び方を康太は知らない。
そもそもこのセカイは麦作中心で、米自体珍しい。ここまで旅をして、康大はつい先日それを知った。
口に含むと味もかなりかつ丼に近かった。
醤油と出汁がないこのセカイでどうやってこの味を作れたのか不思議だが、それは料理人が死ぬ気で頑張ったのだろう。
器用に箸を使う康大を見て、学者肌で好奇心が強いリアンが真似て使おうとしたが、全くうまくいかない。
それは他の仲間たちと同じで、ハイアサースに至っては素直にナイフとフォークで食べ始めていた。
「さて、コウタ子爵はその道具の使い方もその料理も知っているようですな」
「……はい、かつ丼ですね」
「さよう。私めもそう聞いております」
サムダイは頷く。
「この料理もその"ハシ"の使い方も、すべて我が国にいる異邦人がもたらしたものです。まあ、"カツドン"を作るために、多くの料理人が死ぬような目に遭いましたが。それが使えるということは、つまりコウタ子爵も我が国にいる異邦人と同郷ということで間違いありませんな?」
「異邦人であることは認めますが、同郷かまではわかりません」
康太は少し考えてからそう言った。
この料理が出た時点で、サムダイが自分が異邦人であるという情報をすでにつかんでいることは察していた。王都襲撃事件の関係者なら、むしろ当たり前と言えるだろう。
ここでしらばっくれても時間の無駄だ。
それにしても、サムダイはその事実を今までおくびにも出さなかった。
本当に抜け目ない男だなと、康大は痛感した。
「なるほど。しかし近しい立場にあることは間違いないでしょう。そこで理由を話さない代わり……と言っては何ですが、コウタ子爵にお願いがあります」
「お願い……」
お決まりの現代日本の叡智でもよこせというつもりか。
そう康太が身構えていると、予想だにしなかった話を振られる。
「ご存じかと思いますが、我が国にもコウタ子爵と同じような異邦人がおります。さらにその異邦人とは、今の食べ方からコウタ子爵と同郷でもある様子。そこでぜひコウタ子爵に彼を何とかしてほしいのです」
「なんとか……とは具体的には?」
「・・・・・・」
サムダイは即答しなかった。
その様子は、はぐらかしているようではない。彼にしては珍しく迷っているようであった。
ここまでお膳立てをしながら言うのを迷うとは、よっぽどのことらしい。
康大のみならずザルマもそれに気づき、2人は目を合わせて頷く。
やがてサムダイは口を開いた。
「お恥ずかしい話、我が国も一枚岩ではありません」
「そうでしょうか。私には素晴らしい国だと思われます」
康太ではなくザルマが心にもない世辞を言う。
先ほどの目配せで、康大は話の主導権をザルマに渡すことにしていた。政治の分野に話が及びそうなら、ザルマに任せた方がいい。
サムダイはゆっくりと首を横に振る。
「見ての通り、私は平和を愛しております。貴国とも過去のことはお互い水に流し、友好的な関係を築いていきたいと。ですが、我が国には武力による侵略を考えている一派もいます。その中心にいるのがあの異邦人、タツヤです」
「・・・・・・」
康太はその名前を聞き、これはまず間違いなく同じセカイの日本から来た人間だなと確信する。
そして何の因果か自分がよく知る人間と同じ名前と性格をしていた。
「タツヤ自身が戦争を望んでいるわけではありません。ですがアレはコウタ子爵と違い、軽薄浅慮で他人に流されやすいくせに、無謬論者でもあります。そのくせ力は絶大で、もし戦争が正義だと錯覚すれば、今すぐにでも貴国に攻め込むかもしれません」
「はた迷惑な……」
ザルマは大きく息を吐いた。
「しかし同じ故郷、もしくは似たような故郷の人間であるコウタ子爵なら、あの者も話を聞くかもしれません。どうでしょうか、ぜひあの者を改心させてはいただけないでしょうか?」
「・・・・・・」
ザルマは即答せず康大を見る。
この件の判断はさすがに自分がするわけにはいかなかった。
とはいえ、判断を任された康太もすぐには答えられない。
まずタツヤに会ったこともないし、何を置いて改心と言えるのかもわからない。
基準も目的もあまりに曖昧過ぎる。
ここは一端断り様子を見るべきだろうと結論を出した時、
「わかった、やろう。戦争など絶対にさせん」
黙っている2人に成り代わって、知らぬ間に食事を平らげたハイアサースが承諾の返事をした。
康太とザルマはぎょっとしたが、言ってしまったものはもうなかったことにはできない。
サムダイも康大が責任者と知っていながら、「それはよかった!」と既成事実のように扱う。
こうなっては康太も腹をくくるしかなかった。
「……わかりました、協力します。その代わりちゃんと約束は守ってくださいよ」
「もちろん。なんなら聖約をしますか? そちらにはどうやらシスターもおられるようですし」
ハイアサースを横目で見ながらサムダイは言った。
明らかな騎士の格好をしているハイアサースを見てそう言えるあたり、康太以外の情報も事前にしっかり入っているようだ。あのリアンがいちいちハイアサースの話をサムダイに伝えているとも思えない。
康太はハイアサースに視線でできるのかと聞いた。
今回はハイアサースも康大の意図を察し無言でうなずく。
(そこまで言うなら聖約を結ばせ……)
――ようとして、何かが心の中で引っ掛かり、口には何も出さなかった。
「どうしたコータ?」
何も言わない康太に不信感を抱いたのか、ハイアサースが話しかける。
康太はハイアサースに対して何を言おうか悩み、とりあえずなんとなく頭に浮かんだことをそのまま口に出した。
「あのさ、聖約って万能なのか?」
「言ってる意味が分からん」
「いや、その、なんだ、なんて言ったらいいか。偶然破った時のペナルティ……はそもそもあり得ないんだよな、本人にその気がないと破ることはできないんだから……――あ」
自分で言って、胸のつかえの理由に気づく。
「如何されましたかな?」
「いえ、なんでも。それでは宣言通り聖約を結びます」
「了解しました。それでは何を宣誓すれば――」
「いえ、結ぶのは私です。サムダイ男爵は何もしなくて結構です」
「貴方が?」
サムダイは首をかしげた。
それは仲間たちも同じだ。
なぜわざわざそんな真似をしたのか、康太以外の誰にも理解できなかった。
そんな仲間達のために、康大が理由の説明を始める。
「サムダイ男爵、貴方は非常に頭がいい。だから聖約を結んでも、必ず聖約の死角をついて約束を反故にすると思うるんです。たとえば、図書館は見せるが本には一切触れさせない、とか。しかし、そんな詐術であろうと、それを本人が聖約違反でないと心の底から信じていれば、たとえ他人が何を言おうが、破ったことにはなりませんよね?」
「・・・・・・」
サムダイは何も答えなかった。
本当にそういう約束の破り方を考えていたのかもしれない。
康太は苦笑する。
「だからといって、水も漏らさない聖約を全部結ぶのも大変です。私自身、そこまで思いつく自信がありません。だからこうします。ハイアサース―ー」
康太はハイアサースに耳打ちする。
康太の話を聞いたハイアサースは怪訝な顔をし「本当にそんなことをするのか?」と聞き返した。
それに康太は頷き、ハイアサースもあきらめたように口を開く。
「……仕方ない、ではやるぞ。大いなる空の女神よ。ご照覧あれ――」
ハイアサースがあの時大司教がしたのと同じ行動を、康大に対して行う。
どうやら型は完全に決まっているようだ。
それからハイアサースは康大に今言われた聖約を実行する。
「この者、ニキコウタは以後サムダイ・ワイアラードが約束を反故したと判断したならば、必ずサムダイと、その主であるグラウネシア王に手段を選ばずその命を持って償わせることを天におわします貴方に誓います。然らばせめてわずかばかりの慈悲と寛恕で見守ってくださいませ。ご照覧あれ、ご照覧あれ……」
『――!?』
康太の聖約にハイアサースとその場にいるほとんどの人間が絶句する。
内容があまりに過激すぎ、またそれがサムダイが約束を守る枷になるとは全く思えなかった。
だが、そのほとんどに唯一当てはまらないサムダイは違った。
彼だけはすぐに康太の意図に気づく。
「……なるほど、私の聖約なら、私自身の解釈次第でどうとでもごまかすことができますが、こと貴方の主観の問題ともなれば、私もそういった真似は一切できない、と。そうですな、私もこんな聖約を破ったと知られれば、グラウネシアにおける立場はないでしょう。いや、想像以上に頭が切れる方だ」
サムダイは全く笑っていない目で、盛大に笑った。
康太も同じような目で愛想笑いを返す。
(とりあえず牽制にはなったかな)
康太は心の中では安堵の息を吐いた。
相手の思い込み次第で簡単に破られる約束をしたところで、たいした意味はない。それが有効なのは大司教やリアンのような、真面目か友好的な人間に対してだけだ。
こういう手合いには、むしろ暴力的な威圧の方が効果が高い。
サムダイは自分が王都での事件の中心人物と知っている以上、アムゼンとの関係も知っているはず。ならば、この脅しは即戦争に繋がる可能性が高いと思うだろう。実際はただの小間使いなのだが、この男なら最悪のケースを前提に物事を考えるはずだ。
そう予測しての聖約だった。
「やれやれ、人のよさそうな顔をされているが、さすがアムゼン殿下が一目を置くだけあって、食えない方だ。慎重に過ぎるきらいもありますが」
「買いかぶりすぎです」
案の定アムゼンの名前を出されたが、特にどうということもない。
……ザルマやハイアサースは普通に驚いていたが。
「まあ私としてはこれから忌憚なく話が始められて願ったりなのですがね。それではよろしく頼みますよ。私もできる限りの協力は致します」
「はい」
サムダイが差し伸ばした手を康太は握り返す。
そのとき、サムダイは怪訝な顔をした。
理由は明らかだ。
手のひらに肉球があったのだから。
このことで即自分のゾンビ化が知られるとは思えない。
そもそもどこの人間が肉球とゾンビを結びつけることができるというのか。
むしろどう思うのか確認するため、康大はあえて自分からは手は離さなかった。
サムダイはしばらく康太の手を握りしめる。
大した握力もないので痛くもかゆくもない。
その間康太の顔をしきりに観察していたが、むしろ康太の方が自分を観察していることに気付くと、そっと手を離した。
「何か?」
「いえ、ずいぶん手の皮が厚い方だと。どうやら剣もなかなかの腕前のようですね」
「・・・・・・」
一般の人間にはこの肉球はそう見えるらしい。
尤も、サムダイが合理的すぎたせいもあるが。そう現実的な結論を出さなければ、自分を納得させられなかったのだろう。
「別にそれほどでは。それで、問題のタツヤは今どこに?」
「え、ああ、彼は街道沿いの村々を好き勝手に動き回ってますよ。助けを呼ぶ声が聞こえる、という幻聴を頼りに。ただ野宿は嫌いなようですから、街にいればいずれ戻ってくるのではないかと」
「なるほど」
サムダイのとげのある言葉に康太は頷く。
どうやらよほどサムダイはタツヤを嫌っているようだ。
現実――異セカイではあるのだが――セカイでは、有能な主人公が味方の全ての人間から好かれるわけではない。
むしろ目障りだと嫉妬や警戒する人間の方が多いだろう。
だからといって安易に追放などもできない。皆そこから生じる問題の責任など取りたくはないのだ。
康太はそれをこのセカイに来て身をもって理解していた。
「……最後にもう一度言っておきますが、私は貴国との戦争は望んでおりません。平和こそ両国の繁栄の礎になると思っております。そのためなら、どんな手段も選びません」
「それは我が国で内乱が起こってもですか?」
康太は鎌をかけて見る。
するとサムダイは迷うことなく首を縦に振った。
「少数の犠牲で、多数の平穏が守られるなら私は判断を迷いません」
「……なるほど」
ザルマはあからさまに表情を変えたが、康大はただ頷いただけだった。
話の規模があまりに大きすぎると、むしろ感情的にならずに済む。
それから康太たちはサムダイ邸を後にし、宿舎へと戻っていった――。