――プロローグーー
これからの目的地はグラウネシアに決まってしまった。
とはいえ、そもそもグラウネシアの国境を越えられるのかすら分からない。
ただその前に、康大達にはやるべき事があった。
言い出しっぺであるハイアサースはすっかり忘れていたが、康大はしっかりと覚えていた。
そこで晩餐会の後、康大はハイアサースを伴い自室に帰ったジェイコブを訪ねる。
「晩餐の席でも言ったが改めて言おう、ご苦労だった」
「どういたしまして」
康大は礼儀無視したような言葉で、ジェイコブの労いに答える。
それがおかしかったのか、ジェイコブは腹を立てるどころか微かに笑った。
しかしその笑いにはあまりに力なく、もはや今日明日死んでもおかしくないほどであった。
そもそも、康大との話もベッドで寝ながらしている。
晩餐の席では座っていたが、そこで体力を使い果たしたかのように。
「ここに来たのは報酬の件だな?」
「はい」
康大は頷く。
それこそが、康大が忘れることなく、あえて病床のジェイコブを訪ねた理由だ。
しかしハイアサースは未だ思い出すことが出来ず、康大は呆れながら説明してやった。
「ほら、お前が大司教様と面会を報酬替わりに頼んだだろ」
「あ、そういえば……」
ハイアサースはようやく思い出す。
康大はあのときはその申し出に感心したが、今はただの偶然だったのかなと思うようになっていた。
「確か大司教様は他国にいっらしゃるんでしたよね?」
「ああ、今はグラウネシアの王都におられる」
「そんなことだろうと思ってましたよ!」
康太は思わず叫んだ。
結局グラウネシアに行くのは決定事項だったらしい。
「でもグラウネシアとなると、さすがに大司教様も会ってはくれませんよね」
「その点は案ずる必要はない。大司教猊下と私の関係は、国の存在を挟まない個人的なものだ。かつて私は大司教猊下の愛犬の治療をしたことがあってな、それ以来の親交だ。そもあの方はどの国にも属さず、権力者に阿ることを良しとされない高潔な聖職者であらせられる」
「なるほど」
「とりあえず紹介状を書いてやろう。ただこれはあくまでシスターの報酬だ。お前自身は何を望む? そろそろ"その時"というのが来たのだろう?」
「それなんですけど……」
康太はなんとも言いにくそうな顔をする。
その様子を見て、ハイアサースは「城が欲しいとでも言うつもりか?」と勘繰った。
「ずいぶんと言いにくそうだが、たとえ無茶な要望でも言って損はあるまい」
「……では言わせてもらいます。正直ここまで来るのに、私とハイアサースだけの力ではどうにもなりませんでした。圭阿とザルマの助けがあったからこそ、ここまで来られたと思います。つきましては、これからも2人の協力が欲しいのですが……」
「つまり2人をよこせ、というのがお前の要求というわけだな」
「そこまでは。ただこれからも一緒に旅をしてほしいと」
康太は慌てて訂正する。康大が必要としたのは部下としての2人ではなく、対等な仲間としての2人だ。
ジェイコブは康太の要求に対しイエスともノートも言わず、枕もとの呼び鈴を鳴らす。
間髪入れず、といっていいほどのタイミングで、外で待機していたマクスタムが室内に入ってくる。
相変わらず、いるだけですさまじい威圧感だ。
ライゼルといいマクスタムといい、どうすればこういう人間になれるのか、康大には想像がつかない。
ジェイコブはマクスタムに何やら耳打ちし、マクスタムは一礼すると再び部屋を出ていった。
「――さて、お前の要望についてだが」ジェイコブは唐突に本題に戻る。
「先に結論から言っておくが、圭阿に関しては好きにするがいい。あれはマリアの護衛につかせた際に、もはや亡き者と思っている。ただザルマの方はいささか面倒でな。しかしその話をする前に、そもそもなぜお前は圭阿だけでなくザルマも必要と思ったのだ?」
圭阿に関しては、必要な人材であることは誰の目にも明らかだ。
しかしザルマの方は、康大の視点で見れば別にいてもいなくてもいい存在といえる。ジェイコブの疑問ももっともだった。
ハイアサースでさえ、「そういえばなんでザルマまで?」と康太に耳打ちした。
康太は少し考えて、内容をまとめてから口を開く。
「確かに戦いの場や日常生活ではびっくりするほど役に立ちません。多分ここで働いてるメイドさんの方が役に立つでしょうね、目の保養にもなりますし」
「お前は本当にどうしようもな――」
「――ですが、王城の端々で見たザルマの姿は本当に輝いていました。マナーはもちろんのこと、常識とか腹の探り合いとか、そういったもろもろのスキルがアイツにはあるように思えます。グラウネシアに行ったら、大司教猊下だけでなく、貴族連中とも接する機会があるでしょう。そういう時にアイツの力が必要になるかもしれません。そして何よりあいつは人間として信用できます」
「……なるほどな。どうやらお前はザルマという人間を本人以上に理解しているらしい。理由は分かった。だがここで私が結論を出す前に、当人たちに話を聞いてはどうだ?」
そう言うとジェイコブは、再び鈴をならず。
すると、少ししてマクスタムが当人達を部屋に連れてきた。
先ほどの指示はこれだったらしい。
「ザルマ、そしてケイア。どうもここにいるコウタはこれからもお前たちの力が必要らしい」
『――――!?』
康太の助力要請に、2人は明らかに驚く。
まさか圭阿にまで驚かれるとは予想外だった。
一方、驚かれることは予想されていたザルマはすぐに理由を問い詰める。
「お前は私のことを役立たずと思っているのだろう? ケイア卿だけなら理解できるが、なぜ私まで?」
「そりゃまあ、色々って感じだよ」
「いや、意味が分からん」
「コータ、先ほどジェイコブ様に言った話を今すればいいではないか」
「いやそれは……」
ハイアサースの勧めに、康太は困ったように頬をかく。
あのときジェイコブに話したことは事実だが、それを本人の前で言うのはどうにも照れ臭い。
さらに、もし言った瞬間ザルマに勝ち誇った顔でもされたら、かなり腹が立つ。
――といった色々な理由から、本人の前では口が裂けも言いたくなかった。
「つまりコウタはお前以上にお前を買っているということだ」
そんな康太をあざ笑うかのように、ジェイコブが端的に理由を説明する。
それを聞いたザルマは増長するのではなく、少し涙目で「コウタ……」と康太を見つめた。
予想外の素直なザルマの反応に、康太は色々な意味で、自分が恥ずかしくなる。
「――と、本人も乗り気ではあるが、先ほども言った通り、今は少し状況が複雑でな。今回の事件前であったら喜んで貸してやったのだが……」
「状況……ですか?」
康太は恥ずかしさを紛らわすかのように、ジェイコブの言葉に反応した。
ジェイコブはゆっくりと頷く。
そして、ザルマの方を見た。
「ザルマ、今日からお前はアビ家の当主になれ」
「……は?」
そう答えたのはザルマ本人だった。
あまりに突然の指名に、ザルマはその端正な顔から締まりをなくす。
若き新当主の醜態に、まだそばに控えていたマクスタムが、咳払いをして注意を促す。
そこでザルマも自らのミスに気づき、威儀を正し、礼に則った態度でジェイコブに聞いた。
「恐れながら申し上げますが、なぜ私めに? 現当主の父も兄達も健在で、確かに独断でアムゼン殿下と交渉し、コアテル陣営から寝返りはしましたが、元よりインテライト家は殿下の陣営。鞍替えしたとしても、父も兄達もそこまで問題はないはず……」
「・・・・・・」
そこで初めて康太はザルマがいるアビ家の現状と、何故あのときジェイコブがザルマをアビ家の名代にしたのかを知った。
ザルマを蔑ろにしていた彼の父兄は、どうやらジェイコブの家来でいながら、ジェイコブの指示もなく独断で鞍替えしていたらしい。
ザルマはそれを結果的に問題なしと判断したようだが、康太から見てもそれはあり得ない話だった。
それに気づかないほどザルマは政治に疎くはない。むしろ康太より優れいている。
小さなころから家族に植え付けられた劣等感が、この程度の判断も妨げているのかもしれない。狼狽しているザルマから、康大にはそう思えた。
「それはあくまでアムゼン殿下の立場での話だ。お前の父と兄は主筋であるわがインテライト家軽視し、保身のためにアムゼン殿下に取り入り、私に後ろ足で砂をかけたのだ。貴様もそれが分からないではあるまい」
――そう、これはアムゼンとアビ家の問題ではなく、インテライト家とアビ家の問題だ。
ジェイコブの立場からすれば、結果的に同じ陣営だったとしても、決して許せるものではない。
「……確かにジェイコブ様のおっしゃる通りです。ですがそれを差し引いても、私に当主としての力があるようには思えません。父も兄達も個人的には鼻持ちならない人間ですが、私よりははるかに優秀です。それはジェイコブ様も理解されているはず。父と兄達が心を入れ替え赦免に来れば……」
「無理だな。奴らはすでにアムゼン殿下に直参の申し出をした」
「――――!?」
ザルマは絶句する。
まさかそこまで動いているとは、予想だにしていなかったのだろう。
これでは後ろ足で砂どころの話ではない。最悪自分が首を切らなければ収まらないぐらいの不忠だ。
ザルマは父と兄の暴挙に、顔が真っ青になった。
一方、傍で話を聞いていた康太には、そこまで深刻なことには思えなかった。
少なくともジェイコブはザルマを当主にすると言ったのだ。
ザルマが責任を取る可能性は現時点でほぼ0である。
果たしてジェイコブは、ザルマに対しその土気色の顔を和らげる。
「ザルマよ、私はコウタ同様お前も買っているのだ。確かにお前は騎士としては二流もいいところだ。だが、王城では周囲の誹謗中傷や、家族からの讒言に流されず、常にインテライト家のために動いたと聞く。もとよりお前の忠誠心には目を見張るものがある。最近ではそれに見合うだけの力もついてきた。今がいい機会だろう」
「ジェイコブ様……」
ザルマは涙目のまま、深く頭を下げる。
付き合いの短い康太ではあるが、ここ最近のザルマの成長は身近でずっと見てきていた。
だからこそ、必要な人材としてザルマを求めたのである。
ザルマが来られなくなるのは残念だが、仲間が出世するならそれは祝うべきことだ。
「本来ならお前にはすぐにでも領地に戻って正式に当主に就任してもらいたいのだ。だが、先ほどコウタの頼みがあってな。約束も破るわけにはいかず、どうしたものかと。ザルマよ、お前の自身はどうしたいのだ?」
「私は……」ザルマは最初言葉に詰まり、それでも次ははっきりと言った。
「私はまだコウタと旅を続けたいと思います。私はこの短い間で、自らの非才さを痛感しました。より良い当主になるためにも、これからの旅も私の人生にとって必要なものかと」
「ザルマ……」
ザルマの返答に、康太は少し感動する。
ハイアサースもうんうんと納得したようにうなずいていた。
ただ一人、部屋に来てからっずと無言の圭阿だけは無表情で、喜んでいるのかストーカーにまた付きまとわれ鬱陶しく思っているのかわからない。
「そうか、それがお前の答えか。ならば旅を続けるがいい。領土に関しては一端全てインテライト家で没収し、私が代官を差配しておくことにしよう。再び戻ってくるその日まで、精進するといい」
「は、ありがたき幸せ!」
その時ザルマは床に頭がつくのではと思うほど、深く頭を下げるのだった――。