プロローグ1
「諸君は“子ども部屋おじさん”といった言葉をご存じだろうか?
成人後も実家に住み続ける中年独身男性を指す造語だ。
ひと昔前にはパラサイトシングル等という言葉で呼ばれた時代もあった。
俺はこの言葉が嫌いだ。
男性たちの部屋には、学習机や漫画やゲームといった子供の頃に買った、あるいは買い与えられた物が今もそのまま部屋に置いてあるのが特徴だ。
そういった部屋の内装を揶揄し人間性を貶める“子ども部屋おじさん”等というワードを俺は決して認めない。
学習机があったからなんだというのだ。
漫画やゲームがあったからなんだというのだ。
物持ち良くて結構なことじゃないか。
俺は……」
「たかしー、ごはーん」
自室のPCの前で配信活動に勤しむ1人の中年独身男性の魂の叫びは、彼の母親の言葉によって遮られる。
彼のPCの画面には「おまえも子どもおじさんやんけww」「たかしごはんだってよw」といった文字が流れていた。
男の名前は冴内 孝。
会社勤め30歳独身実家暮らし。
孝は焦っていた。
彼は生まれてこの方女性とお付き合いした経験がない。
しかし彼の同世代の知人のほとんどが、お付き合いどころか結婚しているし子供もいる。
つい先日、中途採用で入ってきた同世代の男。
孝のことを「先輩」と呼び、慕っていた男は孝より先に出世した。
別に現状に不満があるわけではない。
実家暮らしのおかげで少ない給料ながらも無理なく貯金ができ、休みも取れて残業もほとんどない。
上司は頼りになるし、同僚たちとは仕事終わりに呑みにいく程度にはうまくやっている。
ブラック企業に勤め、過労死寸前で働いている者達からすれば何を贅沢なことをいっているんだと言われるだろう。
不満はない……が、どこか満たされていない日々。
このまま一生自分は独身ではないか? 出世も遅れている、親だっていつまでも元気なわけではない。
漠然とした不安に孝は押しつぶされそうになっていた。
いろいろ諦めるにはまだ早い、しかし残された時間が多くないのも事実だった。
不満がそれほどない環境故に大きな行動を起こせない、そんな飼い殺されているかの様な閉塞感が今の彼を支配していた。
「うおー!! 子ども部屋おじさんって言うんじゃねーッ!」
「ちょっと! たかし! 何度も呼んでるでしょ! 片付かないからはやく来なさい!」
「……はい」
独り吼えていた子ども部屋おじさんはPCの電源を落として食卓へと向かっていった。