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第1話  雪の夜、二人は出逢う

 ここは遙か東の地の果て。燃え盛る髪を持つ「炎帝エンテイ」陛下の御世みよにございます。


 ある夜のことです。一本のお茶の樹が、嵐で崖の下へと流されました。


 そこは誰もいない、寂しい、岩だらけの山でした。助けて、と、ひとりぼっちのお茶の樹が叫んでも、誰も来てはくれません。夜になれば真っ暗闇で、寂しい風が吹いてきます。

 お茶の樹は岩にしがみつき、必死に、雨と風に耐えました。されど身体が耐えても心は風の前の塵に同じ、少しずつ、少しずつ削られてゆきます。

 やがて、雪の季節になり、凍えていたときのことです。

 たったひとり、山奥へとやって来た高貴な殿方が、雪に埋もれたお茶の樹を見つけました。




「嗚呼、なんということだ。こんな山奥に人がいたとは……」

 三つ編みにした後ろ髪以外を剃り落とし、精悍な顔つきを露わにした青年が、黒く濃い眉を寄せた。

 外套の中、ゆったりとした長衣の襟や胴着には毛皮があしらわれ、豪華な紋様が織り込まれている。腰に巻いた細帯からは何本もの房飾りが垂れ、じっとりと、溶けた雪に濡れている。

 青年が歩むたびに揺れるそれは、まるで、形見にと切り取った髪のようだった。


 雪をかき分ける手は美しいかたちをし、笛を奏で茶をたしなむ姿が似合いそう。埋もれていた人らしき者を抱き起こし、雪を、払ってやれば、指の動きはぴたりと止まる。

女人にょにん……ではないか」

 声の震えは寒さのせいだけではなかろう。

 雪の下から現れたのは、白々と、白磁のような肌を持つ美しい娘だったのだ。


 雨風に耐えていたのであろう髪はなおも美しく、ゆるやかな、漆黒の波を描いている。艶は烏の濡れ羽を思わせ、睫毛は、閉じられた目蓋を豊かに彩っていた。色の失せた唇からはかすかな息が漏れている。


「たす……けて…………」


 青年は外套を脱ぎ、娘の華奢な身体をくるんで抱き上げた。

 眉を寄せたまま、その顔から懸命に目をそらして。





「ん…………っ」

 パチ、パチ、と、火が燃える音がする。

 茶樹の精はうっすらと目蓋を開いた。青みがかった翡翠色をした瞳には、ぼんやりと、荒れる空ではなく木板で出来た天井が映っている。

(どこに、いるの……?)

 素裸であったはずの身体は何か、あたたかいものに包まれている。


 やがて、自分は横たえられていると分かった。フカフカとしたその中でわずかに身をよじってみる。心地よいくすぐったさに思わず声を漏らし、もそもそとしていると、すぐ傍で声がした。


「嗚呼、やっと気がついたか」

 か細い自分のものとは似ても似つかない、朗々としたよく通る声。茶樹の精が飛び起きると、目の前にいた相手は笑いながら片手で視界を遮った。

「おおっと、そのままでは目のやり場に困る。隣に衣装があるから着なさい、終わるまで後ろを向いていよう」

 くるり、と向きを変えたそのひとは「人間」だろうか。頭の後ろだけに髪があり、一本に編まれたそれはだいぶ乱れている。茶樹の精は首を傾げ「フカフカ」から出て、隣に置かれた布のようなものを手に取った。


「人間」というものはこの、長くてゆったりとした「衣装」を着るらしい。どうも裸では困らせてしまうようだ。最初は頭から被ろうとしたが上手く行かず、次に、正面の合わせを外して袖を通し、背中で留めようとする。

 だがそれも上手くいかず、苦心していると、「人間」が再び笑ってこちらを向いた。

「そのままでいなさい。今から私が手本を見せよう」

 スッ、と立ち上がったそのひとは、衣装の合わせに指をかけ、ひとつひとつ外していった。


「きゃっ……!」

 何故だろうか。露わになった「人間」の肌に、腰から上の「裸」に、茶樹の精は悲鳴のような声を上げてしまった。


 手足と頭があるというのはこちらも同じ。だが、目の前にいる「人間」の胸には、やわらかな膨らみではなく厚く逞しい肉の板があるではないか。すぐ下に並んだ肉は縦六つに筋割れて、何故だろうか。美しい、と、思ってしまう。

「はははは、男の身体がそんなに珍しいか? まじまじと見つめる女人も珍しいぞ、皇宮こうぐうの女たちなら悲鳴を上げて逃げるところだ」

「え、あ、あの、その……」

「気にするな、ここでは身分も男も女も関係ない。さ、袖をこう通して……」

 首から肩、二の腕そして手首までの線もなんと逞しいことか。茶樹の精は見とれつつも、見よう見まねでようやく衣装を着終えたのだった。


「しかし貴女を見つけたときには驚いた。女人がひとりで山奥にいるとは思わぬだろう? いずれにせよ、助かってよかった」

「はい……ありがとう、ござい、ます」

「礼には及ばぬ。寒い夜でも、こうして誰かと語らうときはあたたかい」


 よくよく見れば美しく、精悍な顔立ちをした「人間」の「男」だった。きりりとした眉は濃く、意志の強さを感じさせ、杏仁きょうにんに似たかたちの目も同じである。しかし唇に浮かべた笑みはやわらかく、穏やかで、まなじりには甘さが滲んでいる。

 まずは腹ごしらえをしようと、彼は粥をよそってくれた。


 人間の食べ物は初めてだった。茶樹の精が戸惑っていると、さじでかき混ぜすくって口元まで運んでくれる。

「熱いゆえ気をつけて。ふぅ、ふぅ、とするといい」

「ふぅ、ふぅ……?」

茶樹の精が首を傾げると、彼は一瞬目を丸くする。

「あははは、さてはそなたさぞかし高貴な生まれだな? よしよし私がしてあげよう」


 よく笑うひとだ、と、茶樹の精は思った。人間の男は匙を自らの口元に寄せ、言葉の通りに息を吹きかけて、再び茶樹の精に差し出す。おそるおそる口にすれば初めての甘みがとろりと広がって、飲み込めば、あたたかさが喉をゆるゆると伝う。


「如何かな? 我が友直伝の味は」

彼の唇の端がきゅ、と上がり、茶樹の精は頬を染めた。

「美味しい、です……身体が、ぽかぽかと、します」

「それは良かった。さあ、今度は私に食べさせておくれ」

「え……」

 何故、だろう。

 彼の、言葉に。

 匙を差し出し浮かべた笑みに、今度は、顔が熱くなった。


 茶樹の精がふるふると、両手を震わせていると、人間の男は驚いたような顔をした。彼の戸惑ったようでもある表情に、急に恥ずかしくなってしまい「フカフカ」に逃げ込み丸くなる。

 火照りは静まるどころか更に広がって、身体中を熱くした。それだけではなく目の奥がじんじんと痛む。悲しみとは異なるはずであるのに、じんわりと、涙が滲んでくるのが分かる。


「ああなんということだ! 私を許してくれ、本当にすまないことをした。美しくかわいらしい、世を知らぬであろう娘をからかったつもりが……」

 人間の男はうろたえている様子だった。てっきり、笑われると思っていた茶樹の精は、「フカフカ」の隙間から彼の顔を見ようとる。しかし勇気が出ず、繭にこもったままで答える。

「世を知らぬのは、ほんとう、です……」と。


 しばしの沈黙が流れ、二人の間にも隔たりが保たれる。


 人間の男は近づいてはこないまま、離れた場所から茶樹の精を見ているようだった。今度こそと「フカフカ」の隙間から覗き見ようとするが、やはり、勇気が出ず、丸くなったまま無言になる。

 茶樹の精は思った。

 もし、この人間の男に、人ではないと知られたら、と。


 ここでは身分も男も女も関係ない、とは彼の言葉だ。人か人ならざる者か、それも気にしないのだろうか。自分を世間知らずの「娘」だと思っている、それは当たっているのだが、もし、人ではないと知られたら。


 茶樹の精はずっとひとりぼっちだった。山の上にいた頃から、崖の下に流されてからも変わりはしない。

 誰かと会い、こうして言葉を交わすことなど初めてだった。まして相手は木々の精でも動物でもない「人間」だ。言葉を交わす、ただそれだけで、こんなにも顔が身体が熱くなるものなのか。


 茶樹の精は自らの胸に手を当てた。

 そこは、今まで生きてきた中で、最も熱く高鳴っていた。


「…………貴女は、不思議なひとだ」

 ふと聞こえてきた声に、一瞬、心を奪われる。

「貴女を見ているとどうしようもなく懐かしい気持ちになる。だが、どこか遠い存在に、触れてはいけないひとのようにも思えるのだ。初めて見たときはお茶の精かと思った」

 思わず「フカフカ」ごとびくついてしまう。

 しかし彼は、人間の男はどこか遠くを見ているのだろうか。心ここにあらずといった声で語りかけてくる。


「私は、とある方をお助けするために、お茶の精を探しにきたのだ。たった一本の茶樹にのみ宿る精霊……『美しく、汚れを知らない、心優しいその存在から作るお茶には万病を癒す力がある』と。我が友もお茶の精を探していた」

 茶樹の精は「フカフカ」の中で面を上げる。


 彼の声に先ほどまでの色はなく、ほのかな寂しさが香っていた。こっそりと、隙間から覗いてみれば、壁に身体をもたれさせ目蓋を閉じた姿がある。

「遂にお茶の精を見つけた、そう思ったがゆえに貴女を助けたのだと思った。だが、どうやら、それだけではな……う、ぐッ」

 ゴホッゴホッ、と不穏な音が彼から漏れる。


 胸を押さえ、苦しそうにした人間の男であったが、茶樹の精が顔を見せると大丈夫だ、と笑ってみせた。しかしまた不穏な音がし、立ち上がろうとした瞬間に床に崩れる。

「大丈夫、です、か……!」

 駆けつけた茶樹の精は、赤らんだ男の顔と呻き声に悲鳴を上げた。また、大丈夫だ心配するなと言う彼だったが、優しげだった唇からは苦しそうな息が漏れている。よくよく見れば寒そうに震えているではないか。


 茶樹の精は自らがあたためた「フカフカ」を懸命に引きずり、男の上にかけた。何かあたたかいものは、と部屋の中を見回すが、あるのは粥がこびりついた鍋と消えかけの火、粥の具を刻んだ包丁、水瓶くらいである。

「大丈夫だ……心配は要らぬよ。少し、疲れた、だけ……」

 茶樹の精を心配させまいとしているのだろう。人間の男は必死に笑みを作ろうと、必死に、語りかけようとしている。髪を剃り落とした頭に額に汗が滲み、目は赤くなり、潤んでいる。

 そして。


 涙が一筋、頬を伝ったではないか。

 茶樹の精は彼をしかと抱きしめた。


「な、何を、どうした、のだ……?」

 男の。「人間」の「男」の戸惑う声がする。

 己の火照りをそっくりそのまま捧げるように、細い腕を、岩にしがみつく根のよう絡めて。茶樹の精からは青く清らかな芳香がし、おとなしかった黒髪が魂を得たかのよう、炎のよう、黒い龍たちが天に昇ってゆくかのように揺らめく。


 二人はしかと見つめあった。


 男は、初めて、その目をしかと見たのだろう。青みがかった翡翠の色はこの地では、人ならざる者、妖魔か精霊であることの何よりの証である。豊かな黒髪に隠れていた、濃い緑色をした、茶の葉で出来た翼のような耳も。

 あまりに白すぎる、白磁そのものの肌の色も。


 人ならざる者だと知られた。それは茶樹の精にとって、もはや何の意味もなかった。

 ただ目の前のこのひとを、自分を助け、世話をしてくれた心優しい人間を。例え「お茶の精」が目当てであろうとも、そうでなければこの雪の夜に見捨てられていたとしても。

 ただ、助けたいと思ったのだ。


「炎……炎はありませんか」

 か細い声に閉じかけられた男の目蓋がひく、と動く。


 彼は腰に下げた房飾りたちをまさぐり、ひとつの、燃え上がる炎のような色をした房を握りしめた。そして粥がこびりついた鍋を舐める、消えかけた火の方を見る。

「これは炎帝陛下の髪……火に、くべれば、たちまち紅き炎となる……」

房を、受け取った茶樹の精は、かすれた声が終わるか終わらぬかのうちに立ち上がった。


 鍋に水瓶から水を汲み、頼りない火の上に吊し、囲炉裏に紅い房飾りを投げ入れる。すると火は、紅い翼を広げたよう燃え上がり、水を一瞬のうちに煮えたぎる湯に変えたではないか。


 茶樹の精は震える手を包丁に伸ばした。もう片方の手は揺らめく髪を一房捕まえ、そこに、鈍く光る刃が近づいてゆく。

「な、貴女、何を……」

 人間の男は止めようとした。茶樹の精は、思わずそちらを見てしまいそうになったが、ぎゅ、と目を閉じ。美しい黒髪をひと思いに切り落としたではないか。


 彼が、驚愕に息を呑む顔が。絶句する顔が浮かぶ。


 固く握られた手からこぼれるは髪ではなく、龍のようにうねり、烏の濡れ羽のように艶めく茶葉であった。なんと麗しい色かたちだろうか。男に背を向けたまま、茶樹の精が鍋に放れば、先ほどとは異なる芳香が。濃く、甘く、力強い香りが部屋を支配する。

 粥がこびりついた碗によそられたのは紛れもない「茶」であった。茶樹の精は炎に負けぬほどに顔を火照らせ、差し出したが、男が手を伸ばそうとした途端に引っ込める。


「『さあ、今度は私に食べさせておくれ』……そう、おっしゃい、ましたね」

「あ、ああ…………」

「わたし、言われた、通りにします。だからお願いです……ひとりに、しないで、ください。わたしを、置いて、いかないでください……」


 あなたと、一緒に、いたい。


 人間の男は、彼は確かに微笑んで、頷いた。

 そしてゆっくりと目を閉じた。

 茶樹の精は言葉にする代わりに、匙ですくった茶を口に含み、彼と唇を重ねたのだった。




烏龍ウーロン

 それは、初めて言葉と口づけを交わした人間の殿方が、茶樹の精に授けた名前にございます。

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