02
三日後、クラン『烈風の戦乙女』の一行は、B級クラン二組を雇って山峰の中層手前へ向かっていた。目指すは命の恩人たる監視官マルの巡回地点だ。そこで数日張り込みをして彼の到来を待つのである。
会って話し、礼を言って、報酬も渡し、出来れば少し御近づきになりたいというのが少女達の願望だった。
「そうなんか。そりゃあ運が良かったなー、嬢ちゃん達」
「本当ですよー」
「今回ばかりは駄目かと思いました」
「だから是非、一度会ってお礼を言いたくてー」
道中、B級クランの男達とも話が弾んでいる。
幸運だった。多忙な筈の数少ないB級ランカーのクランを二組一緒に雇えたのだ。契約金額は少し高かったが、下手をすれば何週間も待つ可能性もあったのを考えれば文句は言えないだろう。しかも、彼等は同じ依頼を受けたことがある経験者だという。待ち伏せに適するキャンプ地も熟知しており、安全に巡回地への道中を進むことが出来た。
これは幸先がいい。これなら直ぐにでも彼に会えるかもしれない。
少女達は内心浮き足立ち、クランを手配してくれた顔と口の悪いギルドの親父を思い出し『なんだ結構いい人なんじゃん』と感謝した。
「いやー、君達は運が良かったよ。実は俺達は別件で都市を出るところだったんだ」
「そうそう。ゴマ砂漠へサンドウォームの討伐に行くところだったんだけど、向こうの天候が悪くてね。戻って来てよかったよ」
「ありがたい巡り合せでしたわ」
「助かりました」
少女達は愛想良く礼を言う。男達も若い娘達に次々感謝されて相好を崩した。
B級クランの総勢十名は全て壮年の男達だ。自分達より能力が上の男達が十人。若い娘としては少しだけ身の安全が気になるが、ギルドの紹介なので問題は起こさないだろう。その意味でも安心だ。
道中で上がる話題は、当然マル・アムルガ・コメッタについてである。
彼は一体何者なのか。
元々、彼が修める『覇王舞踏流』というのは大陸中西部の連峰で生まれた武術らしい。数百年前に起きた魔獣の大襲来「大海嘯」で大勢の戦士が集められて戦ったのだが、その中でも彼等の門下が多大な成果を挙げたそうだ。そのことから、当時の国王が彼等に監視官の役職を要請し、以降覇王舞闘流の一門が連峰の監視官を担っているという。
彼等は高峰の監視所に居を設け、数名で暮らしている。先代の爺さん達は既に引退し、現在の監視官として勤めるのはマル一人。だが監視官の役割を全うするだけではなく、連峰を廻って浸入して来る魔獣達の間引きまでしているそうだ。
「優秀なんですね」
「そうだね。ここ数代の中でもかなり強い方だと聞いてるよ」
その言葉に少女達は更に色めき立つ。コメリー等は露出の多い肉感的な太腿をくねらせて、男性二人に苦笑いされていた。
そういえば、彼はどうやってあの巨体ギガントを頭上から倒したのか。聞けば彼はなんと空を駆けるのだという。標的の上空から襲い掛かり、体重と速度を上乗せした雷の拳を叩きつけるのだ。
「空飛ぶの!?」
「嘘おっ?」
「どうやって?」
「魔具なのですか?」
「魔具といういうより流派にそういう技があるらしいよ。なんでも空中に符を打って足場とする技があり、そこを飛び渡って上空から襲いかかるそうだ」
「俺は見たことあるけど凄いよ。豹みたいに空を掛け回るんだ」
「へーっ」
「すごーい」
少女達の反応は一般の娘と変わらない。頭脳担当のエスティマは特異な武術特性について聞きたいと思ったが、色めき立ったコメリー達が武勇伝を聞きたがり男達も調子よく話すので話題は常に彼の逸話に終始した。
問題なくキャンプ地について設営。全員が冒険者なので要領良く陣を構え、食事を用意する。酒は無理だが人数も多く楽しい晩餐となった。ここでも話題はマルのことだ。
男達は依頼主の機嫌をとる為にも、彼の逸話を話して褒め称える。中でも一番盛り上がったのが、二年前に起きた災害級魔獣ゴライア襲来の話だ。
マル達の監視領域外の南西の山脈から、大型魔獣が数体が越境して村落三つを壊滅させ北上。小砦を破壊しつつ城砦都市スベェンデールへ現れた。その中にA級を超え災害級と呼ばれる程に成長した老生体の魔獣ゴライアが確認され、都市は大パニックになったのだ。
そのゴライアは全高二十m、全長なら三十mを超える超大型甲殻獣、鎧猪型の魔獣であった。動く山と言っても過言ではない。進む先の全てを屠って踏み潰し、去った後には残骸と肉片しか残らない。これまでも多くの村や町、都市迄が壊滅させられてきた。
立ち向かったのは都市内全ての冒険者B、C級クラン勢と都市守備隊だ。五日に渡る戦闘で、なんとか取り巻きのB級魔獣を倒すも、ゴライアに対しては手も足も出なかった。なにせ矢も魔術も全て奴の硬い外殻に弾かれ傷さえつけられないのだ。最後には超重量の突進を止められず、多くの死傷者を出して敗退となった。
残ったD級以下のクランでは相手にならず近づくことさえできない。ついには城壁へと辿り着かれ、ゴライアの突進が始まった。
たった一度の突進で強固な城壁に亀裂が走る。城壁上から雨の如く恕弓が放たれるが、これも老生体ゴライアの外甲殻は弾き飛ばす。硬過ぎるのだ。
無理だ。どうすればいい。城壁上の兵達は皆絶望の声をあげて叫ぶ。避難令が出た。都市内では逃げ出す市民達で大騒ぎとなり、反対側の門では我先にと避難する市民達で混乱が起きていた。
更にゴライアが城壁に激突する。壁の一角が崩れ始めた。兵達の悲鳴が響く。もう一度食らえば城壁は完全に崩壊し、奴が都市内に雪崩れ込むだろう。そうなれば都市は壊滅だ。多くの家屋が蹂躙され犠牲者が出るのは必死。兵達は泣き喚きながら、無駄だと知りつつも矢を打ち市民に避難を呼びかける。数百年に渡って異邦の魔獣達からこの地を守ってきた城砦都市が滅びようとしている。誰もが絶望の声をあげた。
――――そこへ、彼がやってきたのだ。
西の峻嶺から驚くべき速度で光が空を渡る。両拳に紫電を纏った男が空を駆け抜け、中空からゴライアの天頂に踊りかかった。
雷が落ちたかと思う様なまばゆい光が弾け、轟音と共にゴライアの甲殻の一枚が砕けた。あれ程の攻撃を防いでいたゴライアの外甲殻が、彼のたった一撃で砕かれたのだ。
「グモオオオオッ!」
ゴライアの悲鳴が初めて城砦都市に響き渡る。
兵士の誰かがマルを確認し彼の名を呼ぶ。高峰の監視官だと。拳士マルだと。
マルがゴライアを叩く。叩く! 叩いて叩き潰す!
彼の紫電を帯びた一撃ごとに甲殻が吹き飛び、ゴライアは痛みの咆哮をあげ走り回る。しかし空を駆けるマルの拳からは逃げられない。怒声をあげて巨体を震わせるも己の背中に立つ敵に攻撃手段が無いのだ。
城壁の兵士達は大騒ぎ。皆が歓喜の声を上げ武器を突き上げ応援し泣き叫ぶ。甲殻が砕ける度に声も枯れよと歓声が沸く。
ついには十数度目の突撃でゴライアの頭蓋を砕き、更なる一撃でその首を地面に叩き落とした。
城壁で大歓声が上がった。あのゴライアを倒した。それも一人の戦士が。己の拳だけで。いつまでも兵士や市民の歓声が鳴り止まない。誰もが彼を英雄と称え、自分達の無事を感謝したのだった。
彼はこの功績でA級冒険者となった。
「凄ーい!」
「うわー。見たかったなあ」
「凄かったぜー。巨体に何本も雷柱が登る様は、まるで雷が雨の如く振ってるようだった」
「あれだけ苦しめられたゴライアが、何の反撃も出来ずに一方的に叩きのめされたんだ。もの凄く痛快だったよ」
「うわーっ! うわーっ!」
少女達は大小の差はあれど、みんな目がハート型になっている。それを見て男達は苦笑いをし合う。自分達で盛り上げたと分かってはいても、腕自慢の同じ冒険者としては少々複雑な気分だった。
「そんなに憧れるもんかねえ」
「そりゃそうですよー」
「格好良かったですもんー」
「まあ、あんなに強ければ憧れるのも分かるけどねえ」
「そうでしょう。そうでしょう」
「凄いですよねえ」
「――そうかねえ、あんなハ……」
隣の男が慌てて彼の口を塞ぎ、小声で諭す。
「止めろ馬鹿」
「!!」
「……ハ、何?」
「なっ、何でもねえよ」
「そうだよ、ハハハ。ちょっとおぢさん嫉妬しちゃったんだよ」
「そうそう。俺もあんなに強かったら、こんなに若い娘達にモテモテだったのかなあ、なんて」
「やだー!」
「「アハハハ!」」
「……?」
引っかかったエスティマが、突っ込もうとするも他の男達が彼の新しい武勇伝を話し始めてしまう。あっさりエメリー達が乗ったので聞くことができなくなった。まあ、考えてみれば若い娘達が全員一人の男に熱を上げているのだ。壮年とはいえ荒くれの男性冒険者としては面白くないのも当然だろう。エスティマはそう考え、男が面白可笑しく話す武勇伝に聞き入り始めた。
そのまま待つこと四日。残念ながらマルはやってこなかった。契約は会える会えないに関係なく日数契約だ。会えなかった不運を嘆きながらも、彼について色々な逸話を聞けたと喜びながら少女達は城砦都市に帰還する。
そこで諦めるかというと、そんなことにはならなかった。
武勇伝に感動し更に熱を上げたエメリーとコメリーが中心となって、彼女達は討伐報酬を稼いではギルドに護衛依頼を出し、再びマルを探しに出かけたのだ。豪遊を控え、節制に励み。食事も酒も最小限。掛け声は『一目会う為に』だ。
しかしマルは現れなかった。何度出向いても会う事は叶わず、ついには資金の方が底をついてきた。これでは次回巡回路へ行けるのには数ヶ月後となるだろう。しかし、一度火が点いた若い娘の情熱はそんなに待ってはいられない。ギルドのドムス親父に相談すれば絶対に自分の進めるB級クラン以外と行くんじゃねえと止められる。でも待てない。かといって自分達だけで赴く程無謀でもない。ではどうするか。
かくして、コメリーが捜して雇い入れたC級クラン十四名と再び山峰へと赴くことになったのだ。道順はもう自分達でも熟知しているので、魔獣が現れた時の戦力さえ確保できればなんとかなると考えたからだ。リーダーのリセリナとエスティマは一度は反対したのだが、結局押し切られるような形で決定してしまう。内心彼女達も早く会いたかったのである。
◇
こうして再び山峰へと赴いた一行だったが、時折悶着が起きる。なにせ今度の護衛は若い男ばかり十四人で、こちらはうら若い女達五人なのだ。美醜についてもそれなりに自信はある。冒険者は基本荒くれ者。態度も悪ければ口も悪くて馴れ馴れしい。こちらも相手が同格なので、度々腰に手を回そうとする輩には本気で手を叩いて言い返す。
「ちょっとコメリー。なんとかなんないのコイツ等」
「礼儀がなっていませんわ」
「えー。仕方ないじゃん。これでもマトモそうなの選んだんだよー。皆だって待ってられないって言ってたじゃん」
「それはそうですが……」
男性経験豊富なコメリーとしてはこの程度は許容範囲なのだが、生真面目なリセリナや潔癖症のカタリナは終始ご立腹だ。こんな時ばかりは、男性陣に囲まれ笑ってる調子のいいエメリーが少し妬ましい。
「なーに言い合ってんのー。楽しくやろうぜー」
「オレが楽しませてやるよー」
「お前じゃ無理だよ」
「うるせえよ!」
品無くゲラゲラ笑う男達。B級クランの紳士達とは違って欲望を隠し切れない粗暴さに少女達は顔をしかめる。
確かに時折現れる魔獣達に率先して立ち向かってくれるのはありがたい。しかし、終わった後にどうだったと自慢してくるのはかなりうっとうしかった。自分達でも倒せるっつーの。
まあ、子供が格好良いところを見せようと発奮してるのだと思えば我慢できなくもない。でも報酬とばかりに肩や腰に手を回してくるのは少しいただけない。憧れのマルをたいしたことない。俺だってそのうち勝てると大言を吐くのはもっと気に入らない。でもここで我慢しなくては目的を果たせないのだ。
少女達は鬱屈を溜めながらマルの巡回場所を目指す。このまま進んでも、ろくなことにならないのではと思いながら。
そして、その予想は当然の様に当たったのだった。
◇
「ちょっ、何すんの!?」
「嫌だってば!」
寝静まる筈の夜半、男達が夜這いを掛けてきたのだ。否、男達全員の姿が見えた以上、これは集団による強姦が目的と言っていい。
「あんた達、契約違反する気なの!」
「大丈夫だって、護衛はもちろんするよ」「守ってやるって」「でも盛り上がって合意の上で致しちゃうのは自由だよな!」「そうそう乱暴なんてしないって」「合意合意」「直ぐに合意になるって」
宵闇に欲望にギラついた目が浮かんでいる。駄目だコイツ等、完全に犯る気なのだ。
「俺、貴族さまのカタちゃんー」
「ふざけるんでないですわ!」
「俺リセちー」
「触るな!」
「ま、待って待ってよ。落ち着いてよ皆」
「うるせえよお前」
「お前も後でちゃんと相手してやるって」
「くっ……!」
コメリーは唸る。自分が甘かった。しばらく紳士のB級クランと一緒だったので警戒心が鈍ったのだ。
コメリー個人としては、揉めるくらいなら一人二人くらい相手をしてもいいと思うが全員は無理だ。倒れてしまう。なにより仲間達が危ない。エメリーは男慣れしているので大丈夫だろうが、貴族出身のカタリナとお嬢さんのエスティマ、生真面目なリセリナは未だ生娘の筈だ。コメリー自身としても、憧れの男に会おうとしているこの時に、粗野な男達の相手をする気になどなれない。
どうすべきか。ここはもうアレしかない。
【閃光!】
目潰しの閃光が放たれる。身の危険を感じたカタリナが、杖なしで無理矢理法術を放ったのだ。
「うあああっ!」「ぎゃあ!」
【爆風!】
「うわああっ!!」「なんだあっ!」
続けてエスティマが爆風を巻き起こし、男達を吹き飛ばした。若い娘である自分達が自衛の為にあみ出した無詠唱の連携技だ。閃光と同時に下がった少女達は荷物を掻き集めその場から走り出した。リセリナが叫ぶ。
「全員いる?」
『おう!』
「一度森に入るよ!」
殺り合うのは人数的にも不利だ。ここは一度森に隠れて身を隠しながら逃げるしかない。
ゴメンみんなと謝罪するコメリーに、またですわ、いつものこと、今度オゴレと次々罵声を浴びせながらも五人は森へと駆け出す。
「逃がすな!」
「追え!」
定番の台詞が追ってくる。少女達は固まって逃げ出した。
逃げるといっても森の奥に入ればそこはもう中層だ。自分達では敵わない魔獣達がいる魔窟となる。少女達は森の入り口沿いを隠れながら、進んできた道をひた戻る。
しかし、何度か来て知っているといっても、新参の自分達と違いここは彼等の地元だ。しかも見通しのきかない夜中である。時をおかずして追い立てられ、朝日が登り始めたなかで、少女達は四m程の岸壁が塞ぐ袋小路に追い詰められた。
「もう逃げられないよお~っ」
「糞ったれが」
「手間掛けさせやがって」
「うへっへ~っ」
男達は囲んで舌なめずりをする。気が逸ってベルトを弛め始める男までいる始末だ。対するクラン『烈風の戦乙女』の少女達の目は座っている。逃亡中の話し合いで妥協なしの戦いを既に選んでいた。
不用意に一人が近づく。そこを迷わず飛び掛かったエメリーが、相手の咽を突き刺した。相手の人数が多い以上、先手を取って数を減らしておく必要がある。
「ガフッ……!」
「てめえっ!」「何しやがる!」
仲間を殺された男達が怒声を上げる。しかし、即座にエスティマによる火炎の防壁が展開され、近づいていた男がまた一人倒される。男達は慌てて武器を持ち直し警戒を強めた。彼等も思い出したのだ。相手はそこらの町の小娘ではない。自分達と同じ武器を持った同級の冒険者なのだと。
「それはこっちの台詞だよ!」
「ただで済むとは思わないことね!」
「お前等! どうなるか、分かってんだろうな!」
「いいからかかってきな!」
「全員潰してさしあげますわ!」
「囲め!」
『おう!』
一度死人が出れば、もうどちらも後には引けない。少女達は岸壁を背にして警戒を強める。ここからは読み合いが勝敗を決めるだろう。相手の魔術士や弓士は何処だ。相手はどうくる。
互いに手口を伺い先手を取ろうとしたその時だった。
「ぐああっ!」
突然、後ろにいた男が悲鳴を上げて倒れる。
「なんだ!」「どうした」
周囲を見回した男達が、倒れた男の傍に影を発見する。よく見れば周囲に幾つもの影が。気づかぬ間に囲まれていたのだ。影が声を漏らす。
「グルルル……」
その場にいた全員の顔色が変わる。
自分達が声を上げて戦っている音が、魔獣を呼び寄せたのだ。
◇
魔獣はD級魔獣ヴェアウルフの群れだった。十体近い魔獣が男達に飛び掛る。
「チャンスよ。後ろ登って!」
少女達は背にした岸壁を登り始める。男達には悪いが、殺し合いを始めようとしていた相手だ。ここは盾になってもらう。
一切の躊躇なく、リセリナはその場からの撤退を決断した。
「くそっ、あいつ等っ」「逃げるんじゃねえ!」「手伝えよ!」
背中に飛んでくる罵声を無視し、エスティマの風魔法の助けも借りて少女達は岸壁をよじ登る。振り向けば魔獣達と交戦している男達。一応数的には数の多い冒険者達が優勢に見えた。ならばここは逃走するしかない。生き残った連中は確実にこちらを追って襲ってくるだろうからだ。リセリナは崖壁越えを急かす。
「急いで!」
なんとか崖壁を越えて、降りている最中。今度は新たな魔獣の声を聞いた。
「ブオオオッ!」
「なんだオイ!」「ヤバイ!」「陣形保て!」
男達の声が切迫している。新手だろうか。もう岸壁越しなので。こちらから向こうの状況は見えない。エスティマが判断を仰いできた。
「リセリナ?」
「分かってる。いいから急いで」
かといって今更戻って加勢する気も無い。
聞こえてくる剣戟が激しくなり、いくつもの悲鳴が上がっている。劣勢のようだ。ならば余計に遠くまで逃げないといけない。十名以上の男達が劣勢になる魔獣達なのだ。自分達五人ではおそらく手が負えないだろう。
ドッドッドッ……
地響きが聞こえる。なんだ。大物がいるのか。
「うわあああっ!」「なんだこいつ!」「逃げろ!!」
『!?』
地響きと共に男達の声に悲壮感が混じりだした。やはり大物だ。向こうにヴェアウルフよりも大物がいる。
「リセリナ!」
「いいから降りて!」
「違う。前!」
エメリーが指差す前を見て心臓が跳ねる。仲間の三名も声を失ったまま硬直していた。その先は更に大きな崖で囲まれた行き止まりだったのだ。これでは逃げられない。
「な……」
「うそ」
高い。三方の絶壁はほぼ断崖となっていて、とても自分達の装備では登れそうになかった。
どうするか。戻って加勢するか。男達は劣勢の様だ。加勢するなら早く戻らないといけない。しかし、ここで隠れていればやり過せる可能性もある。リーダーのリセリナは焦った表情で岸壁を睨みつける。そこへ――。
ゴバッッッ!!
衝撃が彼女達を襲った。登ってきた背後の岸壁が爆発したかのように砕けたのだ。
『キャアアアッ!』
砕けた岩と共に、五人は吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。
(――?)
なに。何が起きた。連中の魔術にも戦っているヴェアウルフ達にも岸壁を砕く程の力は無い筈だ。首を曲げて背後を見る。岸壁が崩れる奥に魔獣の影が見えた。魔獣が頭突きで粉砕したのか。自分達の匂いを追って。そんな。
魔獣は大きかった。人よりも大きい。しかもあの影形は。
「ブポオオオオッ!!」
「そんな……」
「ゴライア……」
少女達は倒れたまま唖然とした声を漏らす。
それは魔獣ゴライア。
成体となれば全高十mを超える大型甲殻獣、鎧猪型の魔獣である。全身を鎧の様な甲殻で覆われ並みの剣では歯が立たない。先日のヴェアアントの外甲殻なんて比較にならず、自分達の中で最大の攻撃力をもつコメリーの戦斧でさえ傷もつかないだろう。
男達はこいつと戦っていたのだ。苦戦するのは当たり前だ。C級ランカーで刃がたつ相手じゃないのだ。
ゴライアは等級が変化する魔獣である。幼体は全高一m程で纏う甲殻も戦斧やメイスが効く。C級の準成体になると三m程になり落とし穴等で足を止めるか転がして下腹を狙わないと危ない。成体のA級は全高十mを超える。こうなると鎧甲殻も頑丈で普通の武器では敵わない。攻城兵器や魔剣が必要になる。更に年数を重ねると災害級の老成体となる。これと戦うには軍隊が必要だ。
こうして対峙すれば、以前マルが単独で撃破したという話がどれだけとんでもない話か分かるというものであった。
そして、眼前に立つゴライアの全高は六m近かった。……B級だ。
「ぎゃあああ!」「うわああっ!」
ゴライアの向こう側で、全高三mを超えるC級ゴライア達が男達を襲っていた。最悪だ。こいつらは群れで襲ってきているのだ。
「やめっ、やめろっ!」「助けてくれえっ!」「嫌だアアッ!」
男達は一方的に踏み潰され喰われている。射った矢も飛ぶ火炎も、硬い外甲殻に傷一つ負わせることが敵わない。巨体の突進に次々と押し潰され、四肢を噛み砕かれている。
逃げなくては。
そう思うが岩を浴びて地面に叩きつけられた自分達は、激痛でろくに立ち上がることさえ出来なかった。このままでは一方的に喰われて終わりとなる。
「え、エスティ起きて! 奴の目を。なんとかして時間を!」
「ぐっ……ううっ!」
「動けっ……」
リセリナは恐慌状態になりそうな自分を必死に抑えながら仲間を呼ぶ。
なんとか時間を稼ぐんだ。なんとか立ち上がって。こいつさえ。目さえ潰せばなんとか。なんとかっ……!
前回のギガント戦で学んだのだ。心が折れたら終わりだ。最後まで勝機を諦めてはならない。
それなのに。
ズン……
更に大きな地響きが伝わって来た。左方の崖の影から……のそりと新たな敵が現れる。
最初は目の錯覚かと思った。なにせ大きさが小山程あるのだ。側面の山が崩れて動いたのかと思ったがそうではない。大きいのだ。外殻に草木を根付かせる程の巨体なのだ。
「ブッ、フッ、フッ……!」
「うそ……」
「……成体」
「A級?……」
それは見上げる程の巨体だった。全高にして十mを超え、全長なら十五mは下らない巨体。その眼球は自分達の顔より大きく、開かれた口は自分達の身長程もあった。
「は、はは……」
無理だ。アレはもう無理だ。リセリナは引き攣った笑みを浮かべる。もう笑うしかなかった。
仲間達も悲壮な声を漏らす。
「うそぉ……」
「そんなっ……」
逃げ惑う男達もA級ゴライアを見つけ、絶望の悲鳴をあげる。抵抗する気力を失って、噛み付かられるままに餌と化す者までがいた。気丈に逃げる者達も次々C級ゴライアに吹き飛ばされ、四肢を踏み潰された末に、内臓を噛み砕かれ悲鳴を上げていく。もう全滅は必至だろう。まるで地獄絵図だ。
そして、次は自分達の番なのだ。
身体は吹き飛ばされた痛みでろくに動かない。仮に眼前のB級ギガントの目を眩ませて背後の岸壁を登ったとしても、A級ギガントの高さからは逃げられない。
どうしよう。どうすればいいのだ。 ――どうしようもない。
眼前のB級ギガントが迫ってくる。ギガントの巨大な顎が迫る。覗く犬歯は自分の腕よりも太い。一口で自分の四肢は砕かれるだろう。
「ああっ」
「ひいいっ!」
仲間達が絶望の悲鳴をあげる。
自分達は馬鹿だった。危険も顧みず欲に目がくらんで当てにならないC級クランなんかを雇った所為で、こんな報いを受けるのだ。せっかく彼に救って貰ったのに、こんな自業自得で命を落とすのだ。
「ブオオオオオオオオオオオオッ!!」
「いやあああっ!」
少女達はせめて一緒にと、身を寄せ合って手をつなぎ合う。彼女達の頭上に影が差す。視界の全てが巨大なあぎとで覆われた。
そこへ――――ずっと捜し求めていた雷の光が、少女達の前に舞い降りた。