第四話:気功術
商業都市オルガスタに向けて出発してから今日で十日目。
狼我たちは未だ森の中を彷徨っていた。しかし、森の出口には近づいてきたのか、出会う魔物の強さが弱くなってきた。
森の奥に存在していた魔物は最初の頃の狼我なら死んでいてもおかしくないほど強く、また人語を理解していないため、聖竜や帝虎のように話し合いを通じる相手でもない。
そのため狼我は死に物狂いでクリスの特訓を受けた。そのおかげなのか初日に比べると見違えるほど顔つきの変化も見て取れる。
「クリス。森の出口まであとどれくらいだ?」
狼我は後ろについてきている自分のメイドに向かって声を掛ける。
「距離にして、およそ一キロぐらいだと思います。この様子ですと今日中に商業都市オルガスタに着きそうですね。ご主人様」
「そうだな。早くベッドのある部屋でゆっくり寝たい。それに……」
言葉を途中で切った狼我を不審に思ったのか、「どうしました?」と
首を傾げて、狼我の表情を窺おうと顔を近づけてきた。
「いや、何でもない」
(言えない。見張りをしているときにクリスの寝顔を見て、襲い掛かりそうになったなんて――しかも、何で俺が寝るときに限って、クリスの膝枕なんだ? そのおかげで寝不足だった。断ろうとすると悲しそうな表情で『私の膝では寝れないということですか?』言うもんだから断るという選択肢がなかった)
クリスとそんなやり取りをしていると森の出口が見えてきたのか、木々の葉などで隠されて久しく拝めなかった太陽が見えてきた。
「そういえばここら辺には魔物がいないのか? さっきから一体も遭遇していないんだけど……」
「さすがに気づきましたか。聖獣の神域の入り口付近とはいえ、これは明らかに異常事態です。初日に私が言ったことを覚えていますか? 今のご主人様ならできるはずです」
狼我は初日に何て言われたか思い出そうと頭の中にある記憶を探る。
「ご主人様にはまず気功術の使い方を覚えてもらいます」
「気功術? 最初はてっきり魔法を覚えるのだと思っていたよ。どうしてその気功術を先に覚えないといけないんだ?」
クリスは遠慮なくきっぱりと決定的な事実を言い放つ。
「生き残るためです。この聖獣の神域の魔物のみならず、他のところに生息している魔物と対峙するには、まず一番最初に覚えることが気功術なのです。正直、初歩的な気功術を覚えていない冒険者など一般人と同じ、つまり雑魚です」
「なるほど……ってつまり今、俺はやばいんじゃないか! 早く教えてくれよ!!」
狼我の慌てる様がそこまで可笑しかったのか、クリスにしては珍しく声に出して笑う。
「ご主人様。そんなに慌てなくても大丈夫です。今は私が周囲の気配を探っています。幸いこの周囲に魔物の気配はありませんので、気功術について一通り教える時間はあるでしょう」
(クリスが少し恍惚な表情を浮かべているのは見間違いであってほしい。やっぱり、Sなのか? ドSなのか?)
狼我はよからぬ考えを振り切り、今は気功術の説明に耳を傾ける。
「気功術とは体内にある生命エネルギー、つまり気ですね。それを高めて、循環させて、留める。簡単に言えばそれだけの技術です」
「言葉にすると簡単にできるように聞こえるけど実際は結構難しいんだろ?」
「それはYESともNOとも言えます。気功術は冒険者として必須の技術であるように発動させるのは簡単です。しかし、それを極めるのが非常に難しい」
「……どうしてだ?」
「気功術は気を高めること、循環させること、留めること、そのいずれかも未熟ではいけないのです。極めるとはそういうことなのです」
「なるほどな」
「ちなみに私が今、周囲を探っているのは気功術の応用です。気配を探るには二つ方法があります。一つは自身の五感を強化して、物音や匂いを探る方法、もう一つは気をレーダーのように飛ばして、周囲の気を探ることです。前者はそれほど難しくはありません。しかし、気配を消すことに長けた人物には通じないでしょう。後者は難易度は高めです。しかし、いくら気配を消そうが、自身の生命エネルギーでばれてしまいますから効果は高いです。しかし、これも気功術の応用で対処は可能ですけど」
「それじゃ、俺が気功術を極めるのには時間が掛かるんじゃないか? もしかすると気功術自体覚えることが出来ないかもしれない」
狼我の言葉にクリスは首を左右に振るうって否定の意思表示をする。
「それはありえません」
「何でだ?」
「気功術を使える人間が見たら一目でわかるぐらいご主人様の体から気が満ち溢れています。そんな人間が気功術を使えないはずがないのです。それにここからは推測ですが、ご主人様はフェンリルを倒した際に体に激痛が走りませんでしたか?」
「よくわかったな。あのときは死ぬかと思ったよ」
「やはり……おそらくご主人様の体はそのときに一度、徹底的に破壊されて再生されたの
だと思います。一言でいえば一種の転生と言っていいでしょう。より強靭な体に生まれ変わったのです。フェンリルの力を受け継ぐのにふさわしい体に」
「へぇ~、それでか道理で体の調子がいいと思っていたんだ」
「下手すればレベルアップした時にその場で死ぬ可能性もありましたよ」
「えっ……マジで?」
「はい」
洒落にならないクリスの言葉に狼我は絶句していると。
「ご主人様。レッスン1です。まずは気を高めてください」
「あ、ああ。どうやるんだ?」
正気を取り戻した狼我は手ほどきを受けていく。
「それはですね……」
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狼我はクリスの言葉を思い出し、実行に移す。
目を瞑り、静かに瞑想をしていく。自身の五感を高めて周囲の気配を探っている。
しかし、木々が風で揺れて起きる葉っぱの音しか聞こえない。
(おかしい。少なくとも一体ぐらい魔物が居てもおかしくないのに……)
狼我は五感を高めて気配を探る術からもうひとつの気配を探る方法に切り替える。気を爆発的に高めて、それを自分を中心に放射し、反応が返ってくるまでじっと待つ。
すると狼我たちが居る場所からおよそ五キロの地点に大勢の気の反応があることがわかった。
「さすがです。わずか十日の間にここまで気を使いこなすとは……それにそんな遠くまで探ることが出来るのはご主人様ぐらいだと思います。普通の人間だと気の放射だけで枯渇してしまいます」
「世辞は後だ。魔物に誰かが襲われている。急いで向かうぞ!」
「畏まりました」
そういうと狼我は次元鳥の収納袋から一本の槍を取り出す。それをクリスに差し出して受け渡す。
「これは?」
「一応、クリスには必要ないと思うけど丸腰だから武器を渡しておく。フェンリルの財宝の一つで、魔人槍ヴォルガノムだ。俺からのプレゼント」
よほど嬉しかったのか、感極まった様子で国宝を扱うような手つきで受け取る。
「ありがとうございます。死んだとしても手放さず大事に扱います」
「大げさだな。そこまで気負う必要もないさ」
狼我の言葉は聞こえてないのだろう両手で胸元に抱え込んで、本当にうれしそうに微笑んでいる。
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
狼我とクリスは大勢の気の集まる場所に、周囲の風景が霞むような速さで向かっていく。