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第三話:クリス

 素材の全てを活かし、完璧に調理された料理の匂いが狼我の鼻を刺激する。

 意識がないまま鼻をピクピクさせ、その美味しそうな匂いが狼我を睡眠から覚まさせた。


 ベッドに入ったまま瞼をこすり、両腕をピンっと上へ伸して体の硬直を解いていく。


「んっ?」


 そこで狼我は身体の腰の辺りに違和感を感じた。誰かが抱きついている。



(ウマそうな匂いがする。……誰かが調理したと考えるのが妥当だよな。それに先ほどからベッドの下で俺の腰に抱きついて眠っている奴がいる。普通は気づくけどそれほどまでに疲れていたのか)



 狼我は壁に立てかけておいた神狼剣フェルシウスを横目で確認する。剣の柄を右手で握りしめ、左手で布団の端を掴み一気にめくり上げる。その勢いまま剣を突き立てようとして、そのままの姿勢で硬直してしまった。


 なぜなら成熟した大人の女性があどけない表情で眠っていたからだ。その表情は安心しきっており、まるで生まれたての赤ん坊が親の懐で抱かれて眠っているようだった。


「んっ……」



 抱きついて眠っていた女性は狼我が動いたからかそれとも布団が無くなったからなのかはわからないが目覚める兆候を見せ始めた。

 

 慌てて右手に持った剣を離す。しかし、離したことにより、剣は地面へと落ちて大きな音を響かせる。その音に反応して女性は完全に目を覚ます。



 狼我と女性の視線が合う。すると女性は愛しい恋人を見つめるような瞳で薄く微笑み、両腕で狼我の頬を掴み、そのままキスをする。

 突然の出来事に頭がパニックになった狼我は女性を突き飛ばそうと肩に触れる。しかし、女性の体を突き飛ばすことができなかった。



(動かない!! 結構力を込めているのにぴくりともしない)



 狼我は女性を突き飛ばすことを諦めて振り解こうとする。が、頬を掴まれて、固定されているため、それができない。それどころか女性は舌を入れてきて、より深く狼我と繋がろうと体制を変えて狼我を押し倒す。


 その行為はなおも続き、より激しさが増していく。



 女性は狼我の反応などお構いなしに舌を絡めてその行為を続ける。その間、狼我は女性を振り解こうと必死だ。しかし、女性とのキスが長引くほど手に込める力が弱まっていく。



 それは甘美な誘惑。いつまでも続けたい欲求が頭の中を駆け巡る。だが狼我はその欲求を振り払い、全力で女性を押し返す。今度は抵抗しないのかすんなり狼我から離れていった。

 女性と狼我の間には透明の唾液がたらりと垂れており、先ほどまでかなり深く繋がっていたことが分かる。


 女性は懐から出した布で狼我と自分の口元を拭くとベッドから降り、身なりを整えると狼我に向かって挨拶をする。



「初めましてご主人様。私はメイド型ホムンクルスで名前はクリスと言います。末永くよろしくお願い致します」


 お辞儀して微笑む姿を見て、呆けていた狼我だがようやく回復したのか言葉を発する。



「メイド?」

「はい」

「ホムンクルス?」

「はい」



 生まれて初めて見たメイドの登場とそのメイドがホムンクルスだということに頭が追い付いていない狼我。だが、先ほどの行為を思い出してクリスに詰めかかる。



「それよりもどうしていきなりキスなんかしたんだ!」

「ダメですか?」


 クリスはしょんぼりと小さく落ち込む。狼我から見て表情に変化はないはずたが、どこか悲しげなのは気のせいだろうか。


「えっ、い、いや」

「御主人様はそんなにも私とキスをするのが嫌なのですか?」

「それは嫌じゃないけど……」


 狼我は女性の悲しげな雰囲気に押されてつい答えてしまう。



「それでは、何も問題はありません。ご主人様。いろいろお聞きしたいことはあると思いますが、まずは朝食を食べてからにしましょう。すでに準備はできております」

「あっ、はい」


 先ほどの悲しげな雰囲気から驚くほどの変わり身の早さで既にクリスは通常運転に戻っている。そして、なぜか敬語になってしまう狼我だったが、ちょうどお腹も減っていたので、何も言わずクリスについていく。

 



(身長は165センチぐらいか? 女性にしては高い方だな。それにプロポーションもトップモデルよりもすごい。しかもエロい。それにこんな華奢な体のどこにあんな力があったんだ?)



「どうかしましたか? ご主人様」


 視線を感じたからかクリスは振り返り問いかける。澄んでいる青々とした瞳に見つめられた狼我は妙に落ち着かなかった。



「い、いや、何でもない」

「そうですか。ご主人様はそちらの部屋でお待ちください。すぐに料理を運んできます」



 クリスに言われた通り部屋の中に入ると一つのテーブルに二つの椅子が用意され、下にはカーペットが、壁にはタンスや花瓶、肖像画などが置かれてあった。



「確か昨日は何もなかったはずだよな? 昨日の内に用意したのか?」



(昨日の内にアナザールーム内の部屋を見たはずだけどこんな家具はなかったはずだけどどこから持ってきたんだ?)



 料理が運ばれてくるまで椅子に座って待っている狼我だったが、面接前の就活生みたいに落ち着かずソワソワしていた。



「それにしても何者なんだろう。あのクリスって人は? それにいきなりキスをするなんて……」



 そう言ってから狼我はクリスという美女とのキスを思い出し、顔を真っ赤にして、頭をぶんぶんと振る。




「やばい! どんな顔をして話せばいいのかわからない。絶対に反応しちゃうぞ俺!!」



 コンコンと扉をノックする音が聞こえる。ビクッと体が硬直したが、何とか返事をする。



「どうぞ」

「御主人様。失礼します」


 クリスは料理を高級ホテルなんかで使われてそうな手押し車に載せて運んできた。丁寧で優雅な所作で料理をテーブルの上に並べていく。



「これ全部が朝食?」

「はい。ご主人様に食べてもらうのですから当然です」



 テーブルに並べられた料理の数は10を超える。間違っても朝に食べる量ではない。



「悪いんだけどたぶんこんなに食べきれないと思う」

「かまいせん。ですがその心配は無用だと思います」



 何故? という思いを込めてクリスを見つめる狼我。



「ご主人様の体は急激なレベルアップにより栄養を求めています。それにレベルアップしたことにより、食事を摂取する量も上がっているはずです」



(確かにたぶんレベル1からだとしたら一気にレベル99以上だからな……)



「じゃあ、いただきます」


 狼我は一番近くにあった料理に手を付ける。その料理は肉料理のようで、2~3回咀嚼してから飲み込む。



「うまい!!」

「よかった――ご主人様のお口に合うか心配でしたが、この様子では大丈夫そうですね。遠慮はいりません。全部食べてください」

「えっ、いいの? クリスはどうするんだ?」

「私のことなら心配いりません。それにご主人様と一緒の食卓で食事するなんて恐れ多い」

「俺としては一緒に食べて欲しいんだけど……わかった。先に食べるよ」




 クリスの反応から一緒に食べることを諦めた狼我は、テーブルに並べられた料理を見て、お腹を鳴らしながら平らげていく。

 時折、クリスの方をちら見して反応を窺うが、その表情に変わりはない。ただ静かに狼我を見つめるだけだった。



 狼我は容易く全ての料理を完食した。それどころかあと牛丼大盛り5杯はいけるだろうと感じていた。



「ごちそうさまでした。おいしかったよ。クリスの料理ならいくらでも食べられそうだ」

「ありがとうございます。それでは片づけを済ませてきますので、お話の方はもう少しお待ちください」

「ああ」


 クリスが食べ終わったお皿を部屋の外へと運んでいく。その後ろ姿を見て狼我は警戒するのをやめる。今までの態度からクリスは敵じゃないと判断するほど狼我は気を許していた。



 クリスが戻ってくるまで暇となった狼我は解析・分析の魔法を自分にかけて自分の体のことについて考える。



【名前】ロウガ・カムイ

【年齢】17歳

【性別】男

【称号】異世界から召還されし者、フェンリルスレイヤー、レベルを極めし者、限界突破、クリスのご主人様、大食い野郎

【レベル】99↑

【装備】精霊の衣服、シルフェンブーツ、魔導王のマント、魔導王のネックレス、神狼剣フェルシウス、次元鳥の収納袋

【スキル】なし

【魔法】ファイアーボール、フレイムランス、クリムゾンフレア、ウォーターボール、アクアトルネード、ブルーオーシャン、ウインドカッター、タイフーン、ロックレイン、メテオストライク、サンダーボルト、サンダーソード、アイスニードル、ライトアロー、レイ、ヘブンズゲート、ダークエッジ、ブラックボール、ホーリアロー、ブラッドクロス、デーモンゲート、ヒール、マジックシールド、マジックバリア、マジックシール



(あっ、称号が増えている。クリスのご主人様はまだわかるけど。大食い野郎って……)



 そこまで考えて魔法を解くとクリスが部屋に戻ってきた。



「お待たせしました。ご主人様」

「全然待っていないよ。クリスも立っていないで椅子に座って話そう」

「しかし……」

「さすがに俺だけが座っていたらちょっと気が引ける」

「わかりました。では失礼します」



 クリスがテーブルを挟んで狼我の目の前の椅子に腰かける。



(こうやって改めて正面から見るとやっぱかなりの美人だよな。俺はクリスよりも美人な人間を見たことないかもしれない)



 狼我がぼーっと見つめているとクリスから声がかかる。



「ご主人様?」


 慌てて姿勢を正す。しかし、正面に座っているため、どうやってもクリスの顔を見てしまう。下に視線をずらすと今度は露出の低いメイド服に隠された豊かな胸が目に飛び込んでくるため、狼我はどこを見ていいのかわからなくなってきた。




(クリスがいきなりキスをするから意識しちゃうじゃないか! くそ! 何だあの胸は。服の下からでも膨らみがわかる分露出のある服よりも数倍エロい)




「いや、何でもない」


 狼我の様子があまりにも可笑しかったのか、無表情だったクリスがわずかに微笑んだ気がした。




「では、何から話したらいいでしょうか。そういえば魔法の気配を感じたのですが、ご主人様は既に魔法を使えるのですか?」

「ああ、結構な数の魔法を覚えていると思うけどまだ2~3回しか使ったことはない」

「解析・分析の魔法は使用可能ですか?」

「使えるけど……」

「見せてもらってもよろしいでしょうか」

「いいよ。<アナライズ・スキャン>」



 透明なボードが狼我の目の前に出現し、それをクリスに差し出す。



「さすがご主人様です。人間の中では最高クラスのステータスです。これは? ご主人様一つ質問をしてもよろしいでしょうか」

「何?」

「称号欄にある《異世界から召喚されし者》というのに心当たりはありますか?」

「ある。フェンリルにも言ったことだけど俺は地球というこことは別の世界から来たんだ。原因は不明だけど」




 クリスは少し表情を曇らせて考えるふりをする。




「何故ご主人様が別世界からこの世界に転移したのかは気になります。しかし、それは今考えてもしょうがないこと。それよりも考えなくてはいけないのは……失礼ですがご主人様は戦闘経験はありますか?」

「いや、ないよ。俺が居た世界にも戦争はあったけど住んでいた場所は平和なところだった。武器すら持ったことはない。この神狼剣フェルシウスが初めてだ」

「そうですか。それでは魔法も使用した経験もありませんね」

「ああ。というか魔法自体。俺の居た世界では空想上の産物としてしか知られていなかった。魔法があることに驚いたほどだよ」

「では今後、魔法を使用する際には注意をしてください。それに上級魔法、最上級魔法はまだ使わないでほしいのです」

「なんで?」



 クリスは今まで以上に真剣な表情で狼我の問いを答える。



「ちゃんとした訓練もなしに最上級魔法を放てば暴走して死ぬからです」



 その答えに狼我は唾を飲み込み、喉をならしてほっと溜息をつく。



(よかった。まだ解析・分析の魔法しか試してなくて、一度最上級魔法ぽいのを使おうとしたけど。そしたらその場で死んでいたわけか)



「もし使用したい場合は私が居る傍でお願いします。多少はサポートできるので死ぬことは無いでしょう」

「わかった。今後、クリスの許可がない限り、できるだけ上級魔法、最上級魔法は使わないようにする」



 自爆する趣味は無い狼我はおとなしくクリスの言うことを聞くことを了承する。



「それでこれから俺はどうすればいいんだ?」

「ご主人様のお好きに動かれてよろしいかと。幸いこの近くに商業都市オルガスタがありますので、そこで冒険者ギルドに登録して活動するのも良いと思います」

「いいのか? てっきり、クリスには目的があって俺に近づいてきたと思っていたんだけど……違うのか?」



 クリスは申し訳なさそうに狼我の問いに答える。



「確かに私にはとある目的があります。しかし、私はいずれ現れるフェンリルスレイヤーに仕えると決めておりました。どうかこのクリスをご主人様のメイドとして傍に居ることをお許しください」

「それは全然かまわない。俺としては、料理の旨いメイドさんが傍に居ることは大歓迎だ。でもその目的は話してくれないのか?」

「はい……でもいずれその時が来たらお話することを誓います」



 懇願するクリスの顔をみて狼我はこれ以上この話題を掘り下げることをやめた。


 自分に関係することとはいえ、わざわざ関係を悪化させてまで、今、聞くことじゃないと思ったからだ。



「わかった。いずれクリスから聞かされるまで待っている。それよりもこの世界のことをもっと詳しく聞かせてほしい」

「はい。畏まりました。では、この世界の地理から……今、私たちが居る場所は聖獣の神域という立ち入り禁止区域にいます。ここは誰も近づかない場所で有名で冒険者ギルドでも認められた者しか入れません」

「ということは危険な場所なのかここは?」



 狼我の言葉に頷いて答え、クリスは説明の続きをする。


「聖獣の神域の危険度はSSランクです。世界でも一、二を争うほどの危険地帯です。聖獣の神域は狼王フェンリルをトップとして聖龍(セイントドラゴン)帝虎(カイザータイガー)から一番雑魚のハイゴブリンですら並みの冒険者では歯が立ちません」

「マジで……?」

「はい。今のご主人様ではハイゴブリンですら集団で来られたら死ぬ可能性があります」

「そんなにやばい場所だったのか。んっ? ちょっと待って、さっきクリスは俺のステータスは人間の中では最高クラスと言ってなかったか? そうなるとほとんどの人間がハイゴブリンよりも劣ることになるけど……」

「いいえ。そんなことはありません。Cランクの冒険者のパーティならばハイゴブリンぐらいなら倒せるでしょう。しかし、ご主人様。うぬぼれてはいけません。確かにご主人様は最高クラスのステータスをお持ちです。ですが、ご主人様は戦い方を知らないド素人。ここまで言えばあとはわかりますね?」



 それでも狼我はあきらめずに最後の悪あがきのような反論をする。



「いや、でも俺には魔法があるし、ハイゴブリンぐらいなら倒せるんじゃ……」

「甘いです!! 敵を軽んじるのはおやめください。身を滅ぼすのはご主人様自身なのですよ」



 今まで以上の大きな声で小さい子に言い聞かせるようにクリスは人差し指をピンっと立てて狼我の目の前に持ってくる。 



「うっ! 分かった。気を付けるよ」



 体を丸めて小さくなる狼我を見て、クリスも溜飲を下げたのか、咳払いをする。



「ゴホン。今、私たちが居る場所は聖獣の神域の中でも中心部です。そのため神域の外へ出るまでに10日はかかります。そして東に商業都市オルガスタが西にはテリオス王国があります。テリオス王国はあまりおススメしません。人の住む場所に行くのなら商業都市オルガスタがよいかと」

「そこはクリスにまかせるよ。でも何でテリオス王国はおススメしないんだ?」

「それは……かつてのテリオス王国は大国と言ってよいほど素晴らしくそしてその軍事力は強大でした。ですが、今のテリオス王国は長く続いたことで貴族共が好き勝手やり、腐敗しきっています。それにここ100年ほどでマリア教という宗教が広まってきました。そのマリア教というのが徹底的な人間主義。人間以外の種族、獣人、森の民、ドワーフ族などは家畜と同じ、奴隷以下の存在として広まっています」

「そのマリア教というのは狂信的な奴らの集まりなのか? 普通はそんな宗教、広まる前に潰されるか、国の方で何とかするものだと思うけど……そうか国の上層部が腐っているから賄賂とか送って宗教を大きくしたんだな」

「おおよそご主人様の推測通りだと思います。ただあまりに大きくなるのが早過ぎる。何者かが後ろで手を引いているのは間違いないかと」

「あえてそんな危険な場所に行くことはない。商業都市オルガスタに決定だな」

「はい。さっそく出発の準備をしましょう。それとご主人様。今回の移動の際アナザールームを使用するのをやめましょう」

「えっ、何で?」



(聖獣の神域は危険な場所だと聞いていたからこのアナザールームは便利だと思っていたのに)



「ご主人様はあまりに未熟。最初の内から楽をしてはご主人様のためになりません。商業都市オルガスタに着くまでの10日の間に私が徹底的に鍛えます」

「は、はい。クリス。少し活き活きしているよね。ひょっとしてS?」



 クリスの明らかな態度の変化に狼我はオルガスタに着くまでの10日間、生きていられるか心配になった。

 狼我の問いに答えず、クリスは意味深な表情をして微笑む。



「わかった。アナザールームの鍵はクリスに預ける。じゃあ、よろしく頼むよ先生」 

「そんな、ご主人様の先生など恐れ多い。私はメイドです。今まで通りクリスと呼んでください」



 さっそくオルガスタに向かおうと狼我は立ち上がる。そのまま部屋の外へ出ていき、家の玄関の方へ足を進める。クリスもそんな狼我の後を付いていき、常に斜め後ろを維持した。


「クリス。このままアナザールームを出ても大丈夫なのか?」

「はい。基本的にアナザールームから外に出ることは自由です。しかし、外からアナザールームの中に入るには所有者の許可が必要になりますが……」

「そうか。いや、でもクリスは勝手に外から入ってきたよな? どうなっているんだ?」

「少し裏ワザ的な手を使いました。とりあえず私のことを許可していただけますか。鍵を握りしめて許可をすると宣言するだけで大丈夫です」



(裏ワザか。普通は無いよな。そんなの……)



 狼我は次元鳥の収納袋(アイテムボックス)からアナザールームの鍵を取り出す。そして握りしめて宣言する。



「クリスの出入りを許可する」



 ……何も起こらずその場の空気がしーんとなった。



「何も起こらないけど? 本当に許可されているのかこれ?」

「おそらく大丈夫だと思います。鍵の中の記録にちゃんと私の名前が刻まれてあるはずです」

「それならいいけど……」



 クリスと狼我はそのままアナザールームの外へ移動する。外はすでに太陽が昇っており、動き出すには絶好の時間帯だ。



「ご主人様。鍵をあの鍵穴に差し込んで開けた時とは逆に捻ってください。それであの光の扉は消えます」



 クリスに言われた通りにすると映し出されていた光の扉が元の石の壁になった。



 狼我はそのまま鍵をクリスに手渡す。それを両手で恭しく受け取ると大事そうに懐にしまう。


「確かに受け取りました。オルガスタに出発の前に少し寄り道をしたいのですがよろしいでしょうか?」

「それは構わないけど。どこに行くんだ?」

「友人に挨拶をしたいのです。しばらくの間、この聖獣の神域を離れることを報告しておきたいのです」



 こんな危険地帯に人がいるものなのか、狼我は少々嫌な予感はするもののクリスに了承の返事をする。



「ありがとうございます。私の友人ですが、一人はセラ、もう一人はサクヤと言います」



(名前から察するに二人とも女性か? こんなところに住んでいるんだ相当な実力者なんだろうな。きっと)



「クリスの友人なら俺も挨拶しておかないとな」

「セラもサクヤも喜びます。では案内しますので、ついてきてください」



 クリスの後をついていく狼我。木々の間を生えている草をかき分けるように進む。クリスの友人はそう遠くない場所に住んでいるらしく、遠目から見える一際成長している木の下に2人そろって生活しているとのことだ。



「長年待ち望んでいたご主人様を紹介できるなんて、少々気が高ぶってしまいます」

「クリスには悪いけど俺はそんな大した存在じゃないよ。フェンリルを倒したのだって偶然だったんだぞ」

「そんなことはありません。フェンリルを倒したという事実が考えられないことなのです。もう少し自信を持ってください」



(そんなことを言ったって牛丼を貢いだら死んだ。なんて言えるわけがない。このことは墓まで持っていこう)



 

 クリスの言葉に狼我はそんなことを思いながらセラとサクヤの待つ木を目指す。



「ご主人様は堂々としていればいいのです。さぁ、あの木をの奥に二人が居るはずです。……セラ、サクヤ!! あなたたちに紹介したい方がいるのです」




(クリスの友人は一体どんな人なんだろう? 名前の響きから女の人だと思うし、きっと美人なんだろ……う?)




 狼我の瞳に映ったのは、おそらく五メートルいや十メートルはあるだろう巨大な竜と同じくらいの大きさの虎が悠然と佇んでいた。


 狼我は確信に近い直観でこの竜と虎がクリスの言っていた聖竜(セイントドラゴン)帝虎(カイザータイガー)だということを。それほどまでに圧倒的で見事な姿をしている。


 聖竜は緋色の鱗に聖なるオーラと言うべき光が辺りを照らしており、鋼鉄でさえもかみ砕いてしまいそうな牙がその強さを物語っていた。


 一方、帝虎は聖竜と同レベルの牙に爪、そして引き締まった体、筋肉が、狙った獲物は逃さないと言っている。




(は、ははは。なんか嫌な予感がしていたんだよな。そもそもこんな危険地帯に人が住んでいるはずがないんだ。事前にもっと詳しく聞いておくべきだった)



「んっ? おお、クリスではないか! 暫く姿を見せないから心配したんだぞ。まあ、貴様のことだから死んだはずはないと思っていたがな」

「お久しぶり。クリス。貴方の後ろにいる人間は誰だ? さっき紹介したい方がいると言っていたけどまさかその人間のことなのかい?」



 聖竜のセラと帝虎のサクヤが続けざまにクリスに向かって話しかけ、興味深そうに狼我を見つめる。聖獣の神域の実力者、現在のトップワン、トップツーに見つめられて、狼我は内心かなりビビッていた。それどころか衣服の下は冷や汗でびっしょリ濡れている。



「ええ、この方が私のご主人様である狼我(ロウガ)・神威カムイ様です。今日は二人に紹介と挨拶をしに来たんです」



 狼我は聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)の姿、迫力に完全にビビってしまい、声が震えて腰が抜けてしまった。



狼我(ロウガ)神威(カムイ)です。よ、よろしく」



 狼我が答えると聖竜と帝虎は興味を失ったかのように侮蔑の目を向けて、クリスに問いかける。



「本当にこの男がお前のご主人様なのか? とてもじゃないがあのフェンリルを倒したようには見えないぞ。何かの間違いというわけじゃないだろうな」

「セラの言うとおりです。私たちにビビッている者がフェンリルを倒せるわけありません。今からでも遅くはありません。考え直した方が良いのではありませんか」



 説得力のある聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)の言葉に狼我は見るからに落ち込み、ちらっとクリスを見る。情けない姿を見せた狼我はもしかして見捨てられるんじゃないかという思いが、一瞬、頭をよぎる。



 しかし、そんな心配は無用だったようだ。



「いくらお二人でもご主人様を侮辱するのは許しません。発言の撤回をしてください」



 クリスの静かな怒りが聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)にも伝わっているのだろう渋々ながら要求に従う。



「わかった。先ほどの言葉を撤回する」

「私も撤回します」


 

 撤回の言葉を聞いたクリスは怒りを収め、聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)に告げる。



「確かにあなたたちの言うこともわかります。今のご主人様は弱い。あなたたちからすれば一瞬で倒せるでしょう。ですが、人間があのフェンリルを倒したことに私は感銘を覚えたのです。それに今のご主人様は戦うことを知らない赤ん坊のようなもの。これから私が鍛えればいいだけのこと」



 納得はしていないものの漠然としないという感じで引き下がる聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)


 クリスは狼我のすぐ近くまで近づくと。



「ご主人様。聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)には挨拶を済ませました。ここにはもう用はありません。商業都市オルガスタに向かいましょう」

「あ、ああ」



 クリスと狼我はオルガスタを目指すべく森の中へ入っていく。森に数歩踏み入れたところで狼我は立ち止まり、振り返る。そして宣言する。



「今はまだ頼りない男だけど、いつか必ず、クリスが俺のことを誇りに思えるぐらい強くなってみせる!!」



 聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)に聞こえていたのかはわからないが、銀髪の美しいメイドには狼我の決意が聞こえていたみたいで、嬉しそうに心を震わせていた。


 そして狼我は先に進んでいるクリスに追いつこうと慌てて走っていく。


 

 

 ◇◇◇




 狼我とクリスが森へと消えてからしばらく経ったあと。



「フン! あの男。我らに向かって生意気な口を聞きおった」



 気に入らなそうに聖竜(セラ)は吐き捨てるようにつぶやいた。そんな友を見つめる帝虎(サクヤ)は苦笑しながらどこか上機嫌だった。



「そんなことを言って、貴方も気分が良いのではないですか? でも悪い奴には見えなかったので良かったではないですか。少なくても手に入れた力を悪用する輩には見えなかったですよ」

「力を悪用するような輩だったらクリスが止めようとも口を開いた瞬間、殺しておったわ。それはお前も同じだろう?」

「それは……そうですね。あの男は狼王フェンリルの力を受け継いだと言っても過言ではないのですから」



 聖竜(セラ)帝虎(サクヤ)は狼我とクリスが消えた方向をじっと見つめる。



「私たちは人の世がどうなろうと知ったことはありませんが、友人の旅路が幸あらんことを祈りましょう」

「そうだな……」



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