05:家庭環境? 普通でした。
煌びやかだ。
凛の感想としてはそれに尽きる。
公立魔法魔術学院オケソーノス、正式名称はそれだ。学院というだけあって学び舎であるのだが、凛からすれば中世ヨーロッパの城を思わせるようなつくりに玄関全てが水晶を用いているようにしか見えなかった。
きらきらと磨かれて傷ひとつ無い、それでいて透明のようなダイヤモンドのような輝きを放つ床は眩しくてなんだか居心地が悪い。通路部分には絨毯が敷かれ、壁にはランプのようなものや絵画、美術品が並んでいる。看板がところどころ浮いていて――これには凛も驚いたがよくよく見れば、ランプも中身がない――今は観光客も多いからなのか、こちらの大陸言語だけではなく主だった“こちら”側の言語も記されていた。
「まあこの辺りは観光客も入れる部分だけど、奥のほうの学舎はこっちから行く。関係者だけだから離れないように。アイツは自分の研究室からは出ないし問題ないとは思うけど、君はあくまで客人だからね。」
「はい……。」
「ニホンとは随分雰囲気が違うし、ここに来た経緯もあるから緊張するとは思うけど悪いところじゃないさ。」
アリューゼが慰めるように声をかけてくるが、凛は曖昧に頷くだけだ。
もし彼女が上流階級の出自であれば、こんな煌びやかな場所でも臆さずにいられたかもしれない。だが凛は正真正銘、普通の両親から生まれた一般人であって、こういった場所に憧れがなかったわけでもないが観光でもない状況で楽しめるほど図太くもなかったのだ。むしろ泣きたいくらいだ。
「アイツって誰なんですか・・・?」
「ん? あー…説明すると面倒だから本人にさせるんだけど、まあ例の件のエキスパートって言うか。あんまりこの国でもおおっぴらに説明できる相手でもないんだ。ところでキミ、魔法使える?」
「………まあ、使えるか使えないかで言えば使えるけどまったくもってこの能力が嬉しくないって言いたいわけで…。」
「え? 何?」
「いいえ、魔力はありますけど使いたくないので制御装置を利用しています。」
「そ、そう…あれ、なんか俺、もしかして嫌なこと聞いた?」
「アリューゼさんの所為じゃないです。」
「どうしてか聞いても?」
「……子供の頃、好きな男の子がクラスにいたんですけど。」
「ああ、初恋ね! 俺も同じクラスの子が気になってた!」
「そこはどこでも共通なんですね。で、その頃クラスメイトの中でも魔力が出始めた人が増えてきて…。」
「成長とともに表面化してきたってやつか。そこはもうあっちもこっちも変わりないんだね。」
「そうですね。」
生まれもって強大な魔力を発するのか、肉体の成長と共に魔力も増大していくのかは資質だと言われるが、多いのは後者であることを多くの学者が発表している。それ故に発現率が多いのは学生時代、とりわけ幼少期であるということから子供たちを守るという理由で学校にはそれぞれ対策が講じられているらしいと凛も聞いたことがあった。実際にそれがなんなのかと問われれば、彼女の記憶に残っているのはけたたましいアラーム音くらいだったけれど。
「それで、クラスの女の子が精神系の能力が発現したらしくて。私が好きな子っていうのがわかっちゃったんですよね。」
「……へ、へえー。」
「で、それを皆のバラされて。からかわれて。私はいやになって泣いちゃうしその男の子はおろおろするだけでなんにもないし、皆は無責任にくっついちゃえとか泣かせるなんてサイテーとか言い出して。私もとにかくいやだって泣いちゃって魔力は暴発するし、相手の女の子は見えちゃうんだからしょうがないでしょって言い出すしでもうカオス。」
「それで魔法が鬼門になった?」
「まあそんな感じです。」
正確にはその問題の相手であった少女が、ことごとくこの件以降も腐れ縁とも言えるべく小学校、中学校、高校、果ては大学まで一緒になってしまって衝突が耐えなかったことから嫌気がさしたのだけれども。
そこまでアリューゼに説明する理由も無くて、凛は話を切り上げた。苦手であるということを語らないよりも語ったほうが現状良い気がしたからこそ話したが――特にここは魔法を大切にする国だから、彼女が魔力を持っていてもそれを活用したいと思っていないときっぱり言っておかなければならないと思ったのだ。
彼もそこまで意味があって質問したわけではないのだろうけれどもと思いながら、それでもアリューゼという青年について凛もまた何も知らないのだと改めて思った。
「アリューゼさんは?」
「俺は魔力が極端に少ないタイプ。父親は魔法使いで母親は魔法が使えない一般人。兄がいてここの教員をするくらい魔力が強いから、俺は母親に似たんだろうってよく言われるよ。」
「辛かったりするんですかそういうのって。」
「いや、昔はそういう風潮もあったみたいだけどね。魔法第一主義って言うのかな……でも今はそういうのもないよ。なんせ国である以上魔法使いだけじゃ生活はできないさ。パン屋がいたり牧場やってくれる人がいたりしないと暮らせない。そういう人たちが魔法使いでなきゃあいけないって理由もないだろう?」
「はあ、なるほど。」
「兄は今回の件に関わらないけど、後で紹介するよ。キミの暇つぶしになる本くらいは提供してくれるかもしれない。…俺はそういうのまったくもって疎くってさ。体力馬鹿ってよく兄貴に馬鹿にされたんだけど今は否定できないなあ。」
苦笑しながらにっこりと笑いかけるアリューゼの表情は朗らかで、少なくともウソで塗り固められているようには見えない。こんな時、あの腐れ縁の女のような能力があれば楽に判別できたのだろうか、自分の能力を育てて活用できていれば良かったのだろうかと思わなくは無いが凛はその考えに蓋をした。
「さ、ここだ。おいカナン! 入るぞ!」
くだらない世間話が功を奏したのか、緊張を忘れていた。けれども悪いことも思い出した。
アリューゼはそんな凛に気がつくわけもなく、ノックをするだけして返事を待たずにドアをやや乱暴に大きく開ける。そして開いた先にはスーツ姿の男が立っている姿が見えて、その傍らに肌も露に今にも男に迫っている、という東洋人の女の姿があって。凛とアリューゼを唖然とさせるには十分だった。
「おいおいアリューゼ、せめてノックから私の返事を待ってもらいたいものだ……だが助かった、さあお嬢さん短期留学生とはいえもういい加減オイタは止める事だ。」
「そんな! 私カナン先生に憧れて……!!」
「おいカナン、俺は今日“客”を連れて行くと言っておいたはずだが……?!」
「わかってる、こっちのお嬢さんが出て行ってくれないだけだ。私が自ら招くようなことが無いのは知っているだろう――そしてそちらのお嬢さんが今回の問題の、だろう?」
「え、ええと。」
「ちょっと、…まさかアナタ、波瀬さん…?」
「へ?」
食って掛かるアリューゼをいなすようにして見てくるハンサムな男は、それは似合わぬしゃがれ声だった。それにびっくりしていると妙に優しげに見てくるものだから、つい愛想笑いをへらりと浮かべたところで随分きつめに睨まれているなと思っていた女の口から自分の名が出て凛の口からは間抜けな声が出たのだった。