00:新しい世界で
西暦XXXX年。
人類は機械文明に長じ新たなる進化の道を辿るとばかり思われていたが、それは突然変化した。
ある日、唐突に観測された『時空の歪み』から別世界との接触が開始し、それは数日で融合へと変化したのだ。これには世界中がパニックになった。
異世界の魔獣や空飛ぶ国家、魔法騎士、魔法の絨毯、果てはドラゴンまで。それに適応するかのように今まで日常生活になじみの無かった魔法が空想ではなく現実に浸透した。逆に彼らの世界に、機械文明が混じっていった。その結果、少しばかり世界地図と勢力図というものが複雑化したが、共存という道で合意に至ったのである。互いに未知のものに対して恐怖はあったようだが、その恐怖からどんな被害がくるかわかったものじゃないという結論になっただけでもあるが平和解決万歳と世論は沸いた。魔力というものも適合者には表面化してきて、今では魔術師は人気の職にまでなったのだ。
お陰で互いに友好をと取り決めを交わした日は、世界中で祝日と定められるようになったものであった。
『続きまして次のニュースです。先日東京都で発生した連続放火魔は魔法を利用したものであると――』
「ええーまた魔法がらみだってさあ!」
「あらあら最近物騒ねえ。」
「うちは魔力の顕現が無いからいいが、お前らも気をつけるんだぞ。」
ただし生まれ持った魔力を制御していく術を学ぶのとは別に、唐突に魔力に目覚めるケースも発生する事故が多発した。そうした魔力を宿した人間とその周囲の人間を守る為に、『魔力検査』を住民は定期的に受けることとなった。これは受けるも受けないも自由だ。
なぜならば検査料が無料の代わりにある一定ラインを超える魔力を検知した場合、専門機関へと進み魔術師となって自己防衛できるようになるか或いは制御装置を身につけて押さえ込むか選択を迫られる。いつ魔力というものが発現するかは誰もまだ解析できておらず、検査そのものもできる人間が限られるが故に高額であるのでそれを負担する国としても有益な人材を確保しつつ国民を保護するという一石二鳥の策なのだ。
だがこの魔力検査で専門機関に進む魔術師への道は基本的に国の補助を受けてという経緯があるため、国のためにという誓約がなされるのが今のところ問題視されている。戦争や紛争が起こるたびに、魔術師たちは駆り出されるのでいやがる人間が増えたのだ。結果として制御装置が高額になろうともそれを望む人間が増えているのが現状である。
「お母さんいってきまーす!」
「急いでるからって加速の魔法使っちゃだめですからね! 車には気をつけてね!」
「はあい!」
『――…イルギナール皇国第二皇女がイギリス皇室に嫁ぐという世紀のウェディングに両国だけでなく世界中が喜びに――』
「まあ素敵なドレスねえ、私とお父さんの結婚式を思い出すわねえ!」
「おれたちはそんな豪勢なモンじゃなかったし空中式なんてもんはなかったけどな。」
そして世間は、両方の世界が融合した新しい世界を謳歌したのだ。
その中で暮らす1人に過ぎなかった女が、おかしな事態に巻き込まれることもこの状況では些細なこと、に過ぎなかったのだ。
だが本人からすればそれはもう、とんでもない話だったのだ――波瀬凛からすれば。
普通に生まれ、世界の融合を目の当たりにした辺りは普通ではなかったものの、何事も無く進学し卒業し、そして大きくはないものの堅実な会社に就職して――とまあ順調で平凡な生活を送ってきた彼女だったが、事件は帰宅途中に起きたのだ。
その日は残業をして少しばかり遅くなってしまった。
凛は1人暮らしなのでその点は迷惑をかける家族もいないし気楽なものだが、繁忙期となると頻繁に残業になるのでくたくただ。時にはおかえりと癒されたいなあなんて思いながら夜の街を抜けて、閑静な住宅街にあるアパートへと向かって帰る途中だった。
月明かりで照らされた夜道が、ふと暗くなった。
雲が出たのかと思うものの、それは一瞬だ。そして気がつけば、目の前の歩道いっぱいを塞ぐ黒い影。影は月明かりに照らされて、艶やかな毛並みを見せていた。
それは、小山ほどもあるのではないかと思わせるような巨体の獣だった。
ぎょろりとした目が彼女を見下ろす中、凛は「あ、死んだ」とどこか冷静に思った。というよりは本能がそう思った。
獣は彼女を見下ろし、ふー、ふー、と息をするだけだ。だがその口元には牙も見え、大きすぎる以外は狼に似ていると思う。だがそんなことをパニック状態の凛が思えるはずも無く、ただ彼女はカタカタと逃げることも思いつかずそこに立ったまま、ぎゅぅと知らず知らず肩にかけていたバッグを握り締めてその巨体を見上げていた。
『おまえさん、イーィ匂いがするなあ。』
「ひっ、えっ?」
『甘ぁくて、イイ匂いだ。おれが好きな匂いだ。』
「に、におい?!」
頭の中に響く声に驚愕した凛を無視して、巨大な獣がにんまりと目で笑った。
この獣が語りかけてきたのかと思うと、ただの獣ではないと凛は改めて恐怖を感じる。
匂いとはなんだ、ちゃんと風呂も入っているし今日は甘いものなんて持っていないはずだとまた要らぬパニックに陥る彼女を他所に獣は巨大な顔を近づける。その口は巨体に似合うだけの巨大さで、彼女の上半身などひと口で攫っていきそうな大きさだ。ゆっくりと開けられたその口内は夜ということも相俟って真っ黒に見える。
食われるのか、“いいにおい”だから。そう思って硬直した彼女に気がつくことなく、これまた巨大な舌がべろりと彼女の頬を掠めるように舐めて行った。
『柔らかくて、イイぜ…気に入った、気に入った。あんたがいい! ……ってオイイイイィ?!』
高らかな宣言の意味などわからないまま、凛は意識を手放した。けれどそれを誰が咎められるだろうか。
だけれど不思議なことに、彼女が倒れるその瞬間にはとにかく驚いてた獣の声のようなものが聞こえた気がした。
そしてパトカーのサイレンの音が聞こえていたのは、覚えていた。
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