プロローグ
ぬるま湯に浸かっているようなそんな感覚。
ぐるぐると回る意識がそうさせるのか、瞳を開けるような些細な動作でさえ億劫に思う。依然として意識の覚醒はないがなんとなく眠っているわけではない理解できるだけの働きは見せている自身の脳に、
「張り切って働いてくれよ。まったく」
そう言って引き金を絞る。
確かな感触が掌、肩を通し全身へと響く。
「はい、ヒット」
男の声はあまりに冷たく、その軽快さとは相いれぬものだった。
褐色の肌に、細く無駄のない肢体。
必要最低限の筋肉のみを鎧とするその体は、今は分厚いアーマーに隠されていた。
乗り心地の悪いバンに辟易としつつ小さく吐息を漏らす。
目深にかぶったフード付きのローブがこんなに嬉しく思ったことはない。
荒い、麻特有の布目が肌に当たると不快だが今はそんなことよりも不快なことがある。荒野を走る四人乗りバンのドライバーだ。
「もうすぐ指定されたポイントだ。準備は怠るな」
しわがれた声を発するそれに一言も言葉をくれることなく腰を少し浮かせる。
窓を最小限開き、そこに長大な鉄筒を構える。
「ふっ……」
呼吸が止まる。
全てがゆっくりと流れだす。
足の高い草が視界にゆれる。
体に伝わる振動はいつしか鼓動にのまれ、意識は静寂に包まれる。
唐草の帆の間にちらりと見える黒い頭髪。
素早く引き金を絞る。
減音されることのない音の炸薬が破裂した。
それと同時に、一発の弾丸は何にも阻まれることなく対象に直撃する。
体液の噴出と奇怪な雄たけび。
来る。
「エリス!このまま北上!後続を排除しつつ撤退だ!」
エリスと呼ばれたドライバーは一気にアアクセルを踏み込みギアを駆け上がらせる。
窓から銃を引き抜きバイポッドを立てつつ車体の上面をあけ、南へと構える。
銃から薬莢を排出しスコープを覗き込む。
そこに映るのはまさしく異形。
人の四肢に腰からは何本もの腕や鞭のようなしなやかな突起がつき、瞳に当たる部分にはくすんだ水晶が存在している。
(数は多くはねぇ。ここで、狩りつくす!)
先ほどのような張り詰めた空気とは打って変わり、怒涛の如く連続して弾丸が打ち出される。
そのどれもが異形の体を貫き、抉りその動きをひるませる。
マガジンを交換し、残ったものへとダメ押しを放つ。
そして、時速200㎞はくだらない速度のバンに走って接近していた異形は沈黙した。
「上空警戒!」
エリスの声が鼓膜を揺らす。
すでに両手は背中に回り、同一二丁の拳銃が握られていた。
至近距離に迫る二頭の獣に対し、同時に二つの発砲音が響いた。
バンの中へと転がり込むようにした二つの異形には等しく三つの弾痕が刻まれた。
手早く三丁それぞれの銃を収納し、車内に戻ると言いようのない悪臭が漂っていた。
「お見事だ。オリオン」
「わかったからさっさと走ってくれ。臭いがきつくてたまらん」
オリオンと呼ばれた男は顔をしかめ、行きと同じようにフードを目深に下した。
漆黒の瞳とその頭髪を隠すように。