14、三浦製薬会社の野望
「まずはこいつを没収させてもらうよ」
杭沢さんはクキの手にしていた『熊神縁起』を取り上げた。
「何する気! 返せっ」
クキが一歩前に出ようとすると、灰神楽が猟銃の銃口をクキの鎖骨の辺りに押し当てた。杭沢さんはその様子を余裕しゃくしゃくと眺め、肩に止まった蝙蝠の頭を撫でていた。
「クキ!」
猿柿村長はじめ村人たちが気色ばんだ。
「おっと、誰も動かないほうがいいですよ」
杭沢さんが大声で村人に呼びかけた。
「この灰神楽って男はひいき目に見てもかなりキレている部類のようです。おかしな真似をして、あなた達のお姫様に無残な風穴が開いてしまったら、誰が責任をとるというのでしょうね?」
この脅しの効き目はてきめんだった。勇み立っていた村人の戦意を完全に喪失させてしまった。
「みんな、私は大丈夫だから。誰も手出ししないでよ」
クキには一片の動揺も見られない。
「はっ。さすが神官様だな。銃が怖くないのか?」
クキは灰神楽を憎しみを込めてにらみつけた。
「あんただから怖くないだけ。それに、あんたのヘボな腕じゃ私は殺せない」
「なんだと? さっきの俺の狙撃技を見ただろうが。三発とも急所に命中だったぜ」
「もう喋らないで。あんたのくっさい息には吐き気がするから」
「ちっ、あんまりナメた口聞きやがるとただじゃすまねぇぜ」
一触即発の雰囲気を杭沢さんがやんわりとりなす。
「まあまあ、お二人さん、落ち着いて。お嬢さん、自分の立場をわきまえてもう少し静かにしなさい。灰神楽、君、私が今回の作戦に誘わなかったら他の猟師と同じ運命を辿っていたことを忘れたのか? ここは大人しく、女性を不快にさせるようなことは控えるように」
「俺のどこに女を不快にさせる要素があるって言うんだよ?」
「その顔とかさ」
灰神楽は二の句も告げられず口をパクパクさせていた。誰に対しても強気を崩さないクキも珍しく口をつぐんだ。杭沢さんの朗々とした声音には人に心に直接作用する効果があるのだ。
「さて、作戦も無事に成功したし、首尾は上々、社内の私の成績も伸びる事は確実だろう。というわけで、各々、疑問に思っていることに一つずつ答えていっても良い」
杭沢さんは、持ってろ、といって灰神楽に書物を預け、一呼吸置いて続けた。
「まずは、こいつ、君達がマタギ・朝田比留夫だと呼んでいたこの男は本物の朝田比留夫じゃない」
クキと灰神楽は仰天した面持ちでおれを見た。
「じゃあ、こいつ、一体誰なんだよ?」
灰神楽が極太の指でおれの額を指す。
「それを説明するには少し、我らが三浦製薬の歴史について話さなくてはならないんだ。そんな嫌な顔をするなよ。なあに、すぐに済むちょっとしたお話だ」
…………三浦製薬はいまや国内で出回っている薬品の特許取得率において日本第一位を誇る大企業だ。その歴史は古く、創設されたのは江戸時代の後期、あの徳川幕府も御用達だった老舗の薬屋だった。
しかし、時代と共にそんな名声も廃れ、先代までの財政状況は破綻寸前だった。
それを立て直したのが現在、社の総取締役を務める三浦業造なんだが、企業経営の苦心惨憺、サクセスストーリーはこの際、省略して本題に入ろう。
この三浦業造という男、家が名家というだけあって幼少期から甘やかされて育った真性のお坊ちゃんだ。もちろん、商才なんて欠片もなく、毎日遊び惚けるばかりの跡取りの姿には家族の者にさえ、とうとう三浦製薬は終わりだという風潮を蔓延させるに十分だった。
そんな折、三浦は、金目の品を求めて、古くから継承された伝統品などが収容されている倉の中を物色していたのだが、彼は思いがけなく、世にも素晴らしい書物を見つけ出した。
その書物には『霊験転写法』と題字され、古来の日本、まだ蘭学の文化が到来する以前のこと、大陸由来の漢方でも針術でもない、また、シルクロードを経由したあらゆる異国の知識とも違う、邪馬台国よりもさらに昔の、日本列島の先住民族が残した医学体系を江戸の考古学者が調査・編纂し、子細に記述した物だった。
その内容はといえば、現代の医術に照らせばとても医学とはいえない非科学的な戯言の数々で、今で言うところの心霊療法にその概念の末裔を見出せるが、良心的な現代のオカルティストでは裸足で逃げ出すくらいの馬鹿馬鹿しい概念だった。
なにせ冒頭から、霊界の植物を現世に転写して利用する術の解説が載っているくらいだ。
しかし、三浦はこの書物にとり憑かれ、寝る間も惜しんで徹底的に調べ出した。そして、あろうことか、彼は本当に書物に書かれた技術を我が物として会得してしまったんだ。
それから、彼の快進撃が幕を開けた。異界の生命体を利用して新規軸の薬品を作成し、その画期的な効果のためにまたたく間に大衆の信頼を勝ち得ていった。当代一の道楽者は三浦製薬をお家の歴史上空前の大会社に成長させたのだ。
やがて、三浦は『霊験転写法』の知識だけでは飽き足らず、世界中のさまざまな未知の領域へと好奇心の触手を伸ばしていった。その意志を実行するのが我ら外事課特殊別働隊というわけだ。
…………ところで、先ほどこの106号が朝田比留夫ではないといった理由だが、正確にはこいつの正体は朝田比留夫という男のクローンだ。
我々の会社では大分以前からクローン技術を研究していたのだが、未知への探索として考案された『餌役』という新規軸にその技術を活用することにした。
概要は単純だ。目標となる土地にクローン体を差し向け、わざと被害にあわせる。その際に出現した怪異を分析・捕獲するというシンプルな作戦だ。
ちなみに、朝田比留夫という英雄的な猟師はかつて確かに実在したが、自然環境をなにより尊ぶ朝田は三浦製薬を敵視して何かと妨害していた。そこで会社は邪魔者を秘密裏に始末し、かつ、その細胞を採取してクローンを作り上げ、朝田の名声に引っ掛ってくる怪事を根こそぎ釣り上げようという企画が立ち上がったんだ。
106号はその106体目の個体というわけだ。
…………あっ、それから、今言ったことは全て冗談だから。間違っても誰かに言い触らしたり、マスコミにリークしようなんて考えない方が身のためだな。マスコミ関係社の上層部はうちの手駒だし、こんな埒もない阿呆話を真面目に話したところで自分が損をするだけだからな。




