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12、聖餐

 やがて、人々の輪の中心に移動した三匹の獣に、やぐらの上よりクキが呼びかけた。



「おお、勇気ある旅人達よ、待ちに待ちし出立の時は来たれり。今宵、緑白の扉は開き汝らを栄光満ちたりし旅路へと導かん。さて、汝らへ捧ぐ貢物を五つ、用意した。この地に熊神様の玉座へと通じる回廊をつくるため、その研ぎ澄ました爪と牙で真紅の印を刻みつけよ。また同時に腹を満たし、存分に宴を楽しまれると良い」



 威厳あるクキの宣言にわーっと歓声が上がる。彼女は民衆の女王といった風格でその様子を高みより見下ろしている。


 三匹の獣はゆったりした意地の悪い速さで四足を動かし、こちらに移動してきた。



「く、来るな…来るなーっ」



 大臼が椅子をガタガタさせて暴れた。おれと蟹山さんを除く三人は極限の怯えを行動に示していた。


 獣どもは、獲物と捕獲者という立場の入れ替わったおれ達を、人に似ているが思考の読めない目つきで観察していた。突き出た鼻先がクンクンと動き、おれ達の味を嗅覚から推測しようとしているようだった。願うならばおれの肉がドブの味でありますように。


 と、一匹の獣が明確な反応を示して蟹山さんを見つめた。おれはなんとなく、蟹山さんが自分の祖父だと言った「タテガミの立派」な獣ではないかと直感した。


 獣が蟹山さんににじり寄る。



「ああっ、おじいちゃん。見違えたわ。本当に立派な姿。これなら熊神様の御前に出ても全然恥ずかしくないわね」



 慈愛と優しさのこもった声音。おれの推測は正しかったらしい。


 獣は蟹山さんの言葉を理解しているのか、じっと聞き耳を立てている。



「私ね、小さい頃から熊神様が棲む世界に行っていろいろな場所を旅するのが夢だった。私もお話のなかの上田具門みたいになりたかった。それで、おじいちゃんの斧を山に勝手に持っていって木を切ろうとして、おじいちゃんに見つかって拳骨されたこともあったっけ。おじいちゃんは怒りながら『時間が過ぎればいずれ行けるんだから、それまで待てばいいだろう』と半分苦笑いしてた。忘れたことのない、いい思い出…」



 彼女は昔話をとうとうと語る。蟹山さんの幼年時代をまったく知らないおれでさえ、人生における最も喜びの多い時代に思いをはせる彼女の言葉にはノスタルジーを感じる。



「おじいちゃんに教わったその時から、大人になっても、結婚しても、旅館の営業を始めても、子供が出来ないと判ったときも、夫に先立たれても、私はその憧れを捨てなかった。憧れだけが私を生かしていた…………でも、最近、体の調子が悪くなってるって、前に言ったよね。病院で診察を受けたらガンだって言われて…。私、悔しくてやり切れなくてどうしようもなかった。だから、今回、生け贄が揃わなかったと聞いて、私、すぐに手を上げたわ。だって、このまま何も出来ず、どこにも行けず、小さな世界でみじめに死んでいくよりは、熊神様の扉を開く鍵になって、おじいちゃんの血肉になって、魂になっても、夢に見たたくさんの世界を歩いてみたかった。……だから、おじいちゃん、遠慮しないで、私を食べて。それが、今の私の最高の幸せなのよ」



 蟹山さんは涙ながらに訴えていた。


 子供っぽい夢物語の裏側に刻まれた多くの傷。膿み、腫れあがり、それでも手離せない遠き日に約束された救済のしるべ。ぎっちり握りこんだ手のなかの綿菓子で作られたチケット。熱に耐える夜に訪れる生命の炎のその向こうから呼ぶ声……



「……馬鹿なことです」



 話を聞いていた大臼がぽつりと呟いた。



「たしかに、死んだらどうにもならないですよ。しかし、あなたは、夢、魂。そんな都合の良い単語を言い訳にして自殺を正当化しているに過ぎない。おじいさんの血肉になって旅をする? そんな馬鹿げたことを本気で信じているのですか。現実を見てください。あなたは単純にこのケダモノの餌になろうとしているだけなんですよ……うっ、げほっ、ごぼっ」



 大臼は、無理をしたためか肺を引っ搔くいやな音の咳をした。唾液と血液の飛沫が服を汚した。



「それでもいいの。たとえ、気休めやまやかしでも、それが私にとっての真実だから。……こんなことは言っちゃいけないのでしょうけど…ごめんなさい」



 大臼はもちろん、おれ達の誰も言い返さなかった。別に殊勝な気持ちになったのではなく、三匹の獣が蟹山さんの前、横、後ろに陣取り、口からダラダラと涎が尾を引くのと荒い息遣い、それらの凶悪さにすくみ上がっていたからだった。



「みなさん、さようなら。さようなら、おじいちゃん……」



 蟹山さんが静かに目を閉じる。


 その瞬間、後ろにいた獣が人の名残のある後ろ足で立ち上がり、鋭い爪を生やした手掌で彼女の顔面をがっちりつかみ、毛深い二の腕に筋肉を盛り上げ、反動をつけて首の根ごとねじり切ってしまった。


 おれ達は驚愕よりも呆気に取られた。さっきまでそこにあった蟹山さんの頭部は、獣の手によって通常ありえない高さの空中に浮かんでいるのだから。


 断面をさらした頸部からは脳に輸送されるはずだった動脈血が鮮烈な赤色の軌跡を描いてぶわっと噴き上がった。火の明かりに照らされていっそう赤みを増した液体は雨となって降り注ぎ、獣とおれ達を染色し、神社の地面に染みこんでいった。



「あ、あ、あぁーっ!」



 蟹山さんの隣に座った男が絶叫する。



「ぐぅおお!」



 歓喜に震える獣どもの吼え声。付随する村人達の殉職者を悼むため息。


 それら外界の音は確かに聞こえていたが脳内部の感音中枢は機能停止を余儀なくされ、大きな音がぐわんぐわんと鳴っているとしか認識できなかった。


 まさか、いきなり首をねじり取るとは思わなかった。あまりに突然だったので一瞬、時間の流れから置き去りにされる感覚に陥ったほどだった。やっと、意識が現在の時間に追いついても、身に浴びているのは蟹山さんの体を源泉とする血液の驟雨である。とうてい信じられる状況ではない。


 おれは口の閉じ方も忘れて顔を横に向けると、赤く染まった大臼が地面をジッと凝視していた。おれは大臼の視線の先を追い、さらに忌まわしいものを目撃するはめになった。


 降り落ちた血液は、地面に水溜りをつくる暇もなく、スッと消えていった。たとえ土に染みこんでも色まで消えるはずはない。どうもそれは、血が何かの存在によって一成分も余すとこなく吸引されているようだった。


 ここの土地は、人間の血液を啜っているんだ。


 獣どもは蟹山さんの頭部を一旦、地面に転がし、椅子に留まる首無し死体にむしゃぶりついた。


 それ以降のことはとても正視に堪えられない、残酷極まる地獄絵図だった。一つだけ言えることは、蟹山さんの体が椅子から消え、無数の骨だけになって椅子の下に積み上げれることになるまで、それほど時間は掛からなかったという事である。


 それから先に行われたことに関しても、深く言及したくはない。蟹山さんの隣にいた奴が次の犠牲者となり、そのまま横並びに順繰り、阿鼻叫喚の地獄を演出していっただけであった。


 大臼の番になったとき、彼は獣やクキ、村の住人に向かって、彼特有の丁寧な言葉遣いで思うさま罵詈雑言を吐き散らし、最後に「お母さん……」と漏らして首を取られた。


 とうとう生け贄はおれ唯ひとりになってしまった。


 辞世の文句でも言わせてくれるつもりなのか、獣どもや村人たちは沈黙しておれが話すのを待っている。クキもやぐらの上からおれを見つめているのを知覚する。


 おれも蟹山さんや他の皆みたいに最後に言い残すことのできる半生や思いを持っていれば良かった。生憎、青二才のおれは彼岸への進水式に何も言う事はなかったし、何も思い浮かばなかった。


 おれは唇を固く結んだ。が、毅然とした態度をきめたのにどうしても涙目になる。


 おれが何も言わないつもりだと悟ると、ついに獣どもがおれの周りの所定の位置についた。背後の首筋を獣のくさい息がくすぐる。喉を鳴らす危険な音が心拍数をダイレクトに揺らす。髪の毛がチリチリと逆立つのを感じる。


 そして、おれの顔面に、獣とも人ともつかない冷たい掌が押しつけられた。


 その瞬間、それが起こった。



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