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11、三賢獣

 気の滅入る音楽と、人々の異様な熱気と、頭のおかしい幽霊のように踊る焚き火の明かりに支配された三口神社の境内をぐるりと睥睨して、クキはやぐらの上に立った。


 誰もが口を閉ざし押し黙った。境内にはパチパチと燃える薪のはぜる音以外にどのような物音も、クキが落とした厳粛な空気に飲み込まれるようだった。


 彼女は手に何かを持っている。目を凝らしてみると、それが本で、大まかな外観からあの胡散臭い歴史書『熊神縁起』であることが認められた。


 ピカソの抽象画みたいな色をまとった女はそれを両手で開き、大声で朗読を開始した。




 熊神よ

 緑白の河に誉れあれ

 脅威なる庇護の御業を現されんことを

 そは光を滑り千なる樹脈に湿潤するもの

 恵み給う炎が身を寄せる時も

 奥ゆかしき氷が身を引く時も

 一族の安寧を殊に約束されたし

 村に豊穣の実り尽きやらぬことを

 我ら千古の長

 空と地と地下の森に恋われし緑白色

 熊神よ




 クキの喉も張り裂けんばかりの絶唱。村人達はそれ以上の勢いで彼女の唱える祈祷文を輪唱する。


 おれはこの場がとてもこの世のものとは思えなかった。


 一般常識の世界から外れた普通の健全な規則がいっさい通じない異界に迷い込んだのだと思った。それくらい現実感のない光景だし、そうとでも思わないと、この得体の知れない不気味さから来る絶対的な戦慄に心は溺れて、おれの気を狂わせていただろうから。


 それにしても、あのどう高く見積もってもファンタジー作家の空想としか取れない頭のイカレた書物が、この地では聖書のごとき扱いをうけていることに、おれは呆れ返ってしまった。こんな世迷言の茶番に自分の命が奪われようとしている事態に、悲壮感もあいまって乾いた笑いが込み上げてきた。


 おれはその発作を喉下で食い止めた。今、感情を爆発させてしまったら多分おしまいだと思った。


 あまりに狂騒的な儀式の光景にしばし呆然としていたおれ達は、次の瞬間、うぐっと苦い汁を飲み込まなくてならない物を目にした。


 森の奥より、三つの黒い影が四つん這いで姿を現したのだ。村人たちはそれらに道を開けて、まさしくアイドルに群がるファンといった感じでしきりに黄色い歓声を送っていた。


 それら三匹の獣は間違いなく、おれ達が標的と定めた人食い熊であろうと思われた。


 しかし、おれがその時に感じた事と言えば、ついに仇敵を目の当たりにして闘志を燃やすという勇ましさではなく、理解の及ばない不可知の存在が現れたことによる心底からの恐怖だった。


 こんな熊、この地上では絶対にありえない。そもそも、それらを熊と呼ぶこと自体、正確ではないと思う。


 その三匹にはたしかに墨汁色の濃い体毛を全身にまとっていたが、体型には熊特有の脂肪がなく、不健康なほど痩せており、手足が長かった。いや、それは三匹が熊だと仮定した場合の話で、おれにもっと違うことのように思えた。


 そうだ、例えば、人間に黒い毛を植えつけたら、ちょうどこいつらみたいになるだろう。


 しかし、その容貌は人間とも熊とも似つかない、あえて言えば、人と獣のモチーフを下手くそな彫刻家がヤケクソ気味に融合させて作り上げたと言う感じの、ひどく不自然な一体感をかもし出していた。


 額から眼窩にかけては人というよりも猿面に酷似した霊長類だが、鼻筋から口元、特に顎にかけてはグンと前に突き出ていて、先端には人の鼻孔が獣らしくおさまっていて、無性に気味が悪かった。


 手足には指が五本あり、鋭利な爪と照り返る黒い毛が密生してた。耳朶は頭の両脇についているが、やはりそこも毛で覆われていた。


 ことさらにおぞましいのは、三匹が三匹とも、知性を有する動物みたいに周囲を目視で観察し、自らの行動がどのように影響するのかを理解したうえで、どことなく気品が漂う優雅な足取りで歩を運んでいることだった。


 獣が現れた途端、大臼や他の二人が体を飛び上がらせ、傍目にも哀れなほどガタガタと身を震わせていた。



「あ、あれですよ…私達はあれにやられたのです…おお、なんとおぞましい……」



 大臼は恐慌状態になったように歯を打ち鳴らしていた。


 気になったおれは体を傾げて左端に座った蟹山さんをのぞいてみた。彼女は笑顔を浮べて瞳を輝かせ、



「ああっ、おじいちゃん、良かったわね。今晩いよいよ渡航できるのよ」



 と、謎めいたことを言っている。



「おじいちゃんってどいうことですか?」



 おれは蟹山さんに質問した。



「ほら見てよ、あのタテガミの立派なのが私のおじいちゃん。ふふっ、あなたには見分けつかないと思うけどね。小槌村の住民はね、歳をとると段々、獣みたいになるの。普通の人なら加齢に伴って足腰も弱るけど、私達はそうはならない。むしろ、歳をとり、獣に近づくにつれ、体力も肺活量もどんどん増加していくの。その代わり、人間の発声器官は退化して発語は困難になるけれど、もうその頃には言葉なんて無用の長物と化す。寿命も飛躍的に延びて何百年だって元気に生きられるわ。そして、完全に変身した者は、儀式によって開いた回廊を抜けて熊神様の世界へ行き、熊神様に付きしたがって幾多の星星の森を渡り歩き、永劫まで旅を続けるのよ」



 蟹山さんはそんな戯言を夢見る表情でうっとりと語った。おれはもう、小槌村の住民がどんなに現実離れした話をしても驚かなくなっていた。やはり、ここは狂っている。


 おれは嘆息と共に夜空を見上げた。光の粒を散りばめた暗幕を背景に蝙蝠らしき無数の影が飛び交っていた。



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