10、クキノイリヤノミコ
ドンドン! ドドン!
和太鼓の重い音波が空気を突き抜け胃に打ち込まれる。
おれ達が縛られた椅子は広場の外周の線に沿って並べられているので、おれは集まった村人が広場の中央を空けて整然と並んでいるのを眺める事ができた。
異教的な色彩の袴を着込んだ四、五人のおそろしく素朴な楽隊が太鼓や笛を演奏し出した。陰気な音色が低い所を這い進むようにして足元から立ち上ってくる。各所に設置された松明のために境内は明るく、舞い散る火花が透き通る夜空に吸い込まれていく。
そして、いよいよ、クキの登場だった。
クキが明かりの下に現れた途端に助けを求めようと口を開きかけたおれは、瞬間、言葉を失った。
今日、クキは朝から青色の浴衣を身につけていた。彼女には普段のラフな洋服よりも日本的な和服のほうが似合っていると思って見ていたが、おれはその見解を撤回せざるをえなかった。彼女が真に己が魅力を際立たせることの可能な服装は、洋服でも和服でもなく、今の彼女のいでたちこそが一番であると確信できた。
それは、今まで一度も見たことの無いような摩訶不思議な民族衣装で、橙色や真紅や漆黒や純白や黄金色がさざ波を思わせるグラデーションを成し、虹を繊維として織り込んだみたいに揺れる火の明かりを受けてゆらゆらと七色に変化していく生地を、巫女服に類似した衣装に仕立てあげていた。だが、巫女服にしては、いたる所に裂け目が開き、珠のような肌を露出させているなど挑発的な点もあり、やはりこの村の古来よりの伝統が反映された独自のセンスで製作された衣装と言えるだろう。
クキが現れると村人達はいっせいに万歳する格好で両手を夜空に掲げ、
「クキノイリヤノミコ!」
「クキノイリヤノミコ! 熊神様の神官」
「彼方に呼びかけ扉を開く者。輝ける緑白晶よ!」
と口々に叫びたてた。
「うっ……クキ?」
周囲の騒ぎのためか大臼が再度、目を覚ましたようだ。さらに残り二人の捕縛者たちも同様に、衰弱から来る眠りから目覚めた。
「クキだ……」
「クキちゃん……」
彼らは一様にとても眩しい物を見る目でクキを見やっていた。
「あの、クキノイリヤノミコって何でしょうね」
おれは大臼に問いかけた。
「彼女の本名のようですね。…私達が監禁されていた小屋に、時々ですが、彼女も来ました。…その時、村人達が彼女をそう呼んでいるのを何度か耳にしました」
クキノイリヤノミコ。
それが彼女の名前だとしたら彼女には現代日本的な名字など無いということになる。彼女は日本人ではないのか。親族はいないのだろうか。いや、そもそも………。
大勢の人間の注目を一身に従えて、クキはおれ達のもとに歩いてきて、凛と立った。澄み切った大きな瞳が嗤う形に弧を描いていた。
「ぜぇ…クキさん。…私達をどうするつもりですか?」
大臼が精一杯、言葉をしぼり出した。
「もう理解しているはずでしょ」
クキはニコッと微笑み、
「あなた達には熊神様への生け贄になっていただくんだよ」
と予想通りの最悪な返答をした。
すると、これまで黙っていた大臼の隣の男がはじめて口をきいた。三十代くらいで本人は間違いなく自慢したがっている手入れの届いた洒落た髭を鼻の下に持っていた。
「畜生。俺達を監禁したのはそのためか」
「そう」
そこへ、大臼も参戦する。
「私達に…村から出て行かせないために、恋人の真似事みたいなことをしていたのですね…」
「言い方が悪いけど、大体そんなこと」
「最初から俺らに熊どもを始末させる気なんて無かったつうことかよ。全部、罠だったんだなっ」
そして、おれと対極の位置に座った男。見た目では彼が四人の中で最も年を取っていた。声にも長年の飲酒で酒焼けしたらしいザラザラ感がありオヤジ臭い。
「たしかに、私達はどれだけ凄腕の猟師でも退治できるなんてちっとも思ってなかった」
「去年も一昨年も…熊による被害として報告されている事例の真相は、全て村ぐるみの陰謀だったのですね…」
「そう。でも、ちょっと惜しい。私達がこのお祭りをおこなってきた歴史は、もっとずっと古くからなんだよ」
おれは三人の男とクキとの間で交わされる応酬を脇から傍観するだけだったが、ふと疑問が湧いて彼らのやりとりに割り込んだ。
「なあ、クキ。左端の空席には誰が座るんだ?」
クキは初めておれに目を向ける。が、その目はつい先刻までの無邪気な可愛らしい印象はどこにもなく、北極の氷原のごとき冷徹な光を宿していた。
「何? 何か用? 朝田」
彼女はもうおれをヒルとは呼ばない。
「いや、だから、空席が……」
「あなたね、自分が恥ずかしくないの?」
底なしに軽蔑した身も凍る口調。
「自分と他の人たちを比べてみなよ。まがりなりにも彼らは猟師、標的と戦い、負傷して、それでも抵抗の意志を見せた、まさに男。対して、あなたときたら最初の狩りの失敗ですっかり怖気づき、あとは旅館から出ないでゴロゴロしてばっかり。本当にそれでも猟師? 朝田比留夫の輝かしい噂も、ふたを開けてみればこんなもん。がっかり」
クキの吐き捨てた言葉の一つひとつが心に突き刺さった。なにより、彼女がおれにそこまで負の感情を抱いていたことに相当なショックを受けた。
「ま、最後だし、教えてあげる。毎年、生け贄は五人必要。今年はあなた達四人とあと一人、灰神楽に決定していたんだけど、あいつ、見た目に似合わずなかなか用心深くて容易には捕まえられなかった。しかも、一昨日を境に行方不明になったものだから、急遽、予定を変更することにして、仕方なく最後の生け贄は村人の中から選ぶことにした。それで、自分から立候補したのが彼女だよ」
クキの横に出てきた人物を見ておれは息を飲んだ。
「お、女将さん……」
そう。その代役の生け贄とは鼠御殿の女主人、蟹山さんだった。他の三人も彼女と面識があったらしく、おれと似たり寄ったりな反応をした。
「今日の儀式でね、おばさんの祖父が天に昇ることになってる。だけど、生け贄が揃わなきゃそれも叶わない。というわけで、この人は一も二もなく自分の命を差し出すことを引き受けたわけ。立派だよね」
「何も立派なことじゃないわ。私はただ、おじいさんと一緒にいろいろなものを見に行きたいだけよ。それに、このままじゃ私も遅いか早いかのことだしね」
「いやいや、素晴らしいことだよ」
村長の猿柿さんも話しに入ってきた。
「どんなに偉大な仕事だと言われても、命を懸けることなど、そうそう、出来るものじゃない。蟹山さんの愛族心には真に感銘を受けるものがある。我々は誇りに思うよ」
「ありがとうございます。そんな風に言ってもらえるなんて光栄ですわ。私、なんだか涙が出て来て……」
目元にハンカチを当てる蟹山さんを、クキと村長は肩をさすって慰めている。
おれは隣の三人の様子を横目でうかがってみた。案の定、誰もがその目に理解不能であると示していた。大臼は眉をしかめて嫌悪の念を込めていたし、他二人も表情筋を強張らせていた。
家族のためとはいえこんな得体の知れない祭儀に自らの命を嬉々として捧げ、他の人々もそれを褒め称え、いかにも素晴らしい決心だと本気で考えている。現代に生きる彼らにはそのことがとてつもなく野蛮で卑しむべき思想だと考えているのだろう。
それでは、おれは? おれは彼女らに対してどのような感情を抱いているのだろう。
心の中を探ってみたが、たしかに何か思うところはあるものの、正直、よく分からない。ただ、嫌悪や拒否や反発などはないと思う。かと言って自殺にも等しい行為に賛同ないし推奨する気持ちもない。
それは胸を突く悲しみにも似て、夜の砂漠のごとく寂莫としているが、諦観とも距離を隔てる受容の心であり、とげとげしい痛みのただ一点に母と父が子に向ける温もりとも喩えられそうな光があり………
いやいや、おれは何を考えているんだ。
場をわきまえず物思いに耽っていると猿柿村長の穏やかだが力強い声が飛んだ。
「さあ、そろそろ彼らを呼び出さなければならないな。ほら、私たちも持ち場に戻ろう」
彼ら? 何だそれは? おれは素早く現実に立ち返り、さらなる不穏な予感に背筋がビリビリと痺れた。
二人の女性は猿柿村長の指示通り、蟹山さんは残りの最後の椅子へ、クキは村長と一緒にやぐらへと向かった。
今度は何が始まるというのか。おれは戦々恐々とした。




