1、熊の支配する村
打出郡小槌村。
幹線道路の束をかいくぐり、西に北に迷走した後、目的地を示す標示板に出会う。
山道に恐れをなして車から歩行に切り替えたのがまずかった。
何エーカーも群れ集う雑木林の茶や黄や緑に慣れ切り、悪酔いに近似した感覚を催している。
道路はとっくの昔に地方公共団体の舗装工事事業に忘れられていた。
原始的な砂利道は化粧を怠るだらしない年増女のように恥ずかしげもなくあばた面を晒す。
どこまでも行っても終わりを知らない木々と石ころの無限回廊に飽き飽きすることはや数時間。
おれはやっと、己の任務を果たすため村に着いた。
無意識のうちにM字を象ったバッジを握りしめる。
夏の盛りにふさわしく、おれの耳は空気の粒子を細かく振動させる蝉どもの鼓笛によって穴が開いてしまっている。
じりじりと照りつける日差しは頭蓋骨を熱し、脳みそは圧力鍋で蒸しあがる蒸しパンの仲間になってしまうだろう。
顔の周りで飛び回る蠅の群がうるさくてしょうがない。
ふと道端に視線を外せば日向ぼっこをする猫がいる。
地獄に癒しかと思えば、それは猫の大きさをして道端に傲岸と転がる身元不明の動物の糞だった。
おれの周りにいた小さな黒い点どもが、ただちにおれへの興味を失い、糞にたかって食欲を満たす連中の仲間入りをする。
おれは不快な気分をさらに倍増させられて、肩の辺りがさらに重くなった。
田舎の村には何にもない、というセリフを都会から来る奴らは口癖にしている。
実際、田舎だからといって何もないなんてことはない。
都会では見ることのできない奇怪きわまる育ち方をした巨木、なだらかな丘はどんな人口庭園にも真似できないであろう自然な均整のとれた野原の彩り、吹き渡る風には草の口臭と虫の体臭と石の無臭がブレンドされて決して鼻腔を威圧しない薫香を運んでくる。
見上げれば青空を背景に綿菓子めいた雲が能天気に浮遊している。昼間にも関わらず蝙蝠がおれを監視するみたいに旋回している。
頭痛の由来は照りつける日差し。
虚脱した安心感は長閑な風景を要因とする。
開けきった田園のマス目にはチェス盤の上に配置された駒のような人影がいる。
眺めていると遠近感が狂い、めまいのような歪みを視覚に及ぼす。
ここが、小槌村という場所なのだ。
人の住処と思われる民家は一ヶ所には集まっていない。
この地での近所とは、田んぼ数個を合間に挟んだ先の家を指すのだろう。
村は四方を山々に囲まれたすり鉢状の盆地に位置し、今にも山頂が伸びて天空で合流し、村を丸く閉じ込めてしまうという恐れをいだかせるほど、圧迫感があった。
おれの行く道は山すそに接しており、首を廻らせばすぐに濃色の木々を見ることが出来る。
その真っ暗な奥から、獣のうなりに聞こえる響きが漏れ出てくる。
いや、風が吹く音だろう。おれは神経質になりすぎている。
おれは背中に背負った細長い荷物を抱えなおして、宿泊場所を捜すことにした。




