ディオスタシアの苦悩
――騎士団に一人、絶世の美女がいる。名をディオスタシア・アナシアという。
深緑の瞳は艶やかで長い睫毛は色気をみせ、きめ細かな白い肌は男の欲情を誘う。長い黒髪を結わえ背に流し、剣を振るうその姿は優雅な精霊のようだ。
凹凸の少ない体つきは残念であるが、特上の美女であることには変わりないので、紅一点の彼女を騎士団の面々は密かに崇拝していた――、そのうちの一人が俺なのだが。
2つ年下の彼女は外見とは裏腹に男勝りな性格で、剣技においても他の連中と遅れをとらない、――どころか大抵の連中より強い。しかし、それを傲ることなく鍛練を重ねるその姿に、憧憬を覚えたのは俺だけではあるまい。 更に二ヶ月前、剣の才能の無さを嘆き、騎士団退団を考えていた俺を励ましてくれたのも彼女だ。
明るく快活で優しく強い彼女。高嶺の花だと分かっていても俺は恋してしまったのだ――。
―――
「……ディオスタシアを俺にくれないか」
眼前の男は一瞬固まり、それから気まずそうに酒を啜った。
「ディアはやめたほうがいい」
「いや、俺は諦めない。ディオスタシアにどんな欠点があったとしても俺は愛し抜ける自信がある! だから、義兄さん頼むよ」
「義兄言うな! 気色悪い」
奴はディオスタシアの兄で俺と同期であるファリス・アナシアだ。ファリスには美形の弟と妹がいるが、奴は決して美形ではない。可哀想な兄者だ。
「ドイル、同期のよしみで言うが、やめたほうがいい。ろくなことないぞ」
あぁ、やはりか。反対されるとは思ったさ。
何ていったって美人の妹だ。ファリスにとって可愛いに違いない。俺が兄だったら、虫が寄ってこないように四六時中ついて回るシスコンになっていただろう。
ファリスは彼女の短所を言って俺を幻滅させようとしているのだろう。しかし、俺は彼女が鬼畜だろうがドMだろうが、露出魔だろうが、犯罪者だろうが愛することができる!! まぁ、さすがに後半二つはないと思うが。
「ふっふっふっ、俺の愛を舐めるな、ファリス。俺と彼女の間にどんな困難が立ちふさがっていようと俺は乗り越えてやる。たとえ、それがお前だとしてもな!」
顔を苦くするファリス。俺の覚悟の程をしったのだろうか。
少し優越感に駆られていると、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「あれ、兄さん? ドイルもか」
コンマ三秒で振り返ると愛しい想い人が立っていた。
「ディア!」
「二人して飲みか。私も入ろうかな」
願ってもない申し出だ。すぐさま了承の意を示そうとした――が、
「い、いや、ディア。俺は酔ったから帰るよ。うまく歩けそうにないから手伝ってくれないか」
焦ったような声のファリスに邪魔された。
「ちぇっ、つまんないな」
そう言いながらディオスタシアは肩を貸す。じぃーと羨望の眼差しをファリスに向けていたら、ふと気が付いた。
ファリスの奴、いつもの半分も飲んでいないじゃないか。それで、うまく歩けないだと? どういうことだ。
「じゃあ、ドイルまた」
にこりと笑うディオスタシア、そして傍らのファリス――、俺の中で全てが繋がった。
ファリスめ、兄の欲目で、俺とディオスタシアを近づけさせないようにしているのか。そうはさせるか。
いずれは、と思っていたが、ファリスの妨害が入らないうちにディオスタシアに想いを伝えるしかない。意を決して、ディオスタシアを呼び止めた。
「待ってくれ、ディア」
不思議そうに振り返ったディオスタシアに、青ざめたファリス。
「ディア、とりあえず帰ろう。ドイル、その話はまた今度」
やはり、俺とディオスタシアを引き離そうとするのか。しかし、もう遅い。俺は今彼女に告白すると決めたのだ。
バクバク心音が高まる中、俺は口を開いた。
「好きだ、ディア。君の麗しい顔も、しなやかな肢体も、優しい性格も全てが好きだ。君以上に素敵な女性はいない。俺と付き合ってくれ」
どくんどくんと心が弾む。俺は少なくとも彼女に嫌われてはいないはずだ。可能性はないわけではない。頼む、頷いてくれ。
面をあげると、ディアは眉間に皺を寄せ、ファリスは怪訝そうに俺を見つめていた。失敗した、のか?
「ねぇ、ドイル。それ本気?」
「勿論だ」
すると、ディオスタシアは深く溜め息をついた。「ドイルもか」、と苦々しく呟いた意図が分からない。
ディオスタシアは俺を睨みつけると、「ちょっと来い」とファリスを連れたまま店を出た。俺もそれに続く。
店の裏でディオスタシアは俺にせめよった。
「がっかりだよ、ドイル。君とはいい友人でいられたと思っていたのに」
言うと、ディオスタシアはズボンのチャックを開けた。
「ちょっ、ディアっ!? 何をっ!?」
男と女がいて、それはやばいだろう!
しかし、ディオスタシアは平然としていた。
「黙って。見て」
ディオスタシアは“社会の窓”から異物を取り出した。ひどくこじんまりとした、しかし、確かに見覚えのあるもの。
俺は無意識に自分の下半身に手をふれた。
「そう。君と同じものだよ」
「………………へ?」
――いや、まてまて。同じもの、って。だってこれは男にしかついていないもので、だってディオスタシアは女で……。……女? いや、ディオスタシアは自分のことを女だなんて一言も……――。
チャックを閉めて睨みつけるディオスタシアにおずおずと尋ねる。
「ディオスタシア……、お前男なのか?」
できれば、ノーと言って欲しい。そんな祈りは1秒後に屑と化して消えた。
「当たり前」
……鈍器で頭を殴られたような衝撃がした。
あぁ、俺は男に恋い焦がれ、男に愛を語ったのか。そう思うと虚しくなってきた。
しかし、ショックであるのは俺以上に当の本人だったらしい。溜まっていた激情を言葉に変えて、発散させた。
「長く付き合ってきて信頼できる友人だと思っていたのに、残念だよ。ドイルも私をそういう目で見ていたのか。
まぁ、初めてじゃあないよ? そりゃあ、入団直後はそれのラッシュだったし。けど、今になってしかも親しい友人に言われるとは思わなかった。
大体、騎士団に女が入る訳ないだろ。一昔前は何人かいたらしいけど、この時代の女性は自分を着飾ることで精一杯なんだから。
君には分かんないだろうね、私の苦労が。私だって一人の男だから、異性に興味ある。だから、社交パーティーにもよく出席するんだけれど、スーツを着ると、男装の麗人と言われる。しかも、公衆浴場の男湯に入ろうとすると、引き止められる。痴漢や強姦魔に度々会うしね。人と比べてちっさいかもしんないけど、確かについてんのにさ。まぁ、返り討ちにするけど」
途端、下半身に衝撃が走った。強烈な痛みが襲い、思わず地に伏せる。大事なところをディオスタシアに蹴られたようだ。
恨みがましく顔だけ上げると、ディオスタシアは冷徹な視線で俺を射抜いた。
「ドイル、君はいい友人さ“だった”。けれど、君の優しさは女性に向けての下心からだったんだね。失望したよ」
「ディ、ディア! ちが……あぁああ!!」
ぎゅむっと頭を足蹴にされ、地面に鼻がめり込む。それから、ディオスタシアは去っていった。
痛覚が鈍くなってきてから、よろよろと立ち上がると、同情とも憐憫ともいえる微妙な視線を送っていた俺と目が合った。
「……ファリス、何で教えてくれなかったんだ」
奴が一言、「あれは男だ」と教えてくれればこんな惨劇は未然に回避され、ディオスタシアとは良い友人でいられたのに。完全な八つ当たりだが、構うものか。
しかし、ファリスは思いも寄らないことを口にした。
「いや、俺はお前が男色なのかと思って」
「……は?」
男色、だと? 俺はノーマルな嗜好だぞ。どう紆余曲折すればそんな結論に。
「お前、わりとディアと仲良かったから知らないわけないと思って。だから、真面目腐って言ったときは、驚きで言葉がでなかったよ」
むしろ今は俺が呆然としている。好きな女が実は男で、男色と誤解されるなんてなんと情けないことか。
「で、お前野郎に興味ないんだよな? ディオスタシアとの間にどんな障害があろうとも、って言ってたけどどうすんの?」
あぁ、そんなこと言ったかもしれない。
だが、俺は性別という壁を乗り越えるほどアブノーマルではなかった。
「大丈夫だ。俺は同性には興味はない」
不思議なもんだ。つい先刻まであんなにも愛おしかったのに、今は何の感慨も湧かない。
すると、ファリスは人の良い笑顔で俺の肩をポンと叩いた。
「そうか、よかった。お前が男色なら今後の付き合いを考えようと思っていたもんだから」
そして、奴は軽い足取りでその場を後にした。ファリスの“飲み過ぎた”の真偽は今立証されたが、それを突っ込む気力が今の俺にはない。
――今日、身をもって知ったこと。それは、人の話はよく聞くべし。そして、早とちりをするな、だ。うん、違いない。
勘違いはいけないです。
拙作をお読みくださってありがとうございます。