予感
茜は興奮した様子で、世之介と健史の対決の場を大袈裟な誇張を交え、話し出した。時々「ほう」とか「ああ!」とか聞き手の間から感嘆の声が上がった。
茜の描写を聞くうち、世之介は自分が仕出かした顛末が、まるで英雄物語の一場面で、自分のこととは、とても思えなくなった。
「それでねえ……世之介さんがびしっと健史の鼻っ柱を打つと、奴はびゅーんっ、とこーんなに吹っ飛んで……血が、こーんなに……」
頬を真っ赤に紅潮させている茜に、世之介は肘を掴んで口を挟んだ。
「あのう、茜さん。ちょっと大袈裟なんじゃないでしょうか? あたしは、そんな力持ちじゃ御座いませんよ」
茜は「はっ」と息を吐き出した。
「いいじゃない! あたし、本物の喧嘩を見たの、初めてなんだもん!」
「えらいっ! さすが本物の【バンチョウ】だっ! 自分の手柄を誇らないなんて、実に見上げたもんだ!」
ぱしっ、と自分の膝を叩き、茜の父親が叫んだ。隣で母親も「うんうん」と相槌を打っている。
世之介は全員の顔を見渡した。
皆、憧憬の眼差しで世之介の顔を熱っぽく見詰めている。たかが喧嘩をしただけで、これほどの尊敬を受けるとは、思いがけないことである。
ここは腕っ節がものを言う世界なんだ。
世之介としては、一刻も早くこんな世界から逃げ出し、もとの大江戸へ戻りたくなっていた。
偶然とはいえ、喧嘩に勝利したことを、世之介は全く誇るべきことだとは思えなかったのである。逆にこれから、ひどい厄介ごとが持ち上がりそうな予感を覚えていた。