一本!
世之介はおずおずと健史の方向を振り向いた。
健史は、馬鹿にしたような笑いを浮かべ、獲物を前にした獣のような気配を漂わせていた。やや俯かせた顔には、ニタニタ笑いが浮かび、今にも涎がタラタラ糸を引きそうである。
──剣道の修行を思い出せ!
そんなことを言うが、格乃進は竹刀を持っていない。それに、今では、学問所の剣道修行の時間は、遠い昔の夢物語に思える。
「やんのか? オカマ野郎!」
「そのオカマ野郎とは、なんのことで御座います?」
こんな状況でも、世之介の言葉遣いは相変わらず丁寧である。どんなに頑張っても、乱暴な口調は金輪際、どうにも使うことができないのだ。
「お前のようなナヨナヨした奴のことだよっ! ああ、気持ちが悪い!」
ぺっぺと健史は唾を吐き散らした。
世之介の胸に、勃然と怒りが湧いてきた。自然と両手が上がり、竹刀を握る構えを取る。
「おっ!」と小さく健史は身構え、再びよたりながら近づく。ぐいっと身を沈め、下から世之介の顔を見上げる。
「やんのか、こら!」
「お面──っ!」
世之介は叫ぶと、両目を閉じ、両手を竹刀を握り締めた形のまま突き出した。無我夢中の世之介の右手に、何か手応えを感じていた。
「ぐぎゃっ!」
悲鳴に、世之介は「はっ」と目を見開いた。
見ると、健史が地面にぺしゃりと大の字に寝転がり、二つの目玉を虚ろに見開き、口をあんぐりと開いて世之介を見上げている。顔色は真っ青で、鼻っ柱だけが真っ赤である。
世之介の夢中で突き出した右手の拳が、健史の鼻っ柱を打ったのだ!
健史の見開かれた両目に、見る見る涙が浮かんでくる。
「ぐええええ……!」
世之介は呆れた。
なんと、健史は泣き始めたのだ。