イッパチ
正門を通り抜け、学問所付属の駐機場に踏み込むと、ずらりと重力制御装置を利用した個人浮揚機が並んでいる。
但馬屋の家紋が浮き彫りされている浮揚機の前に近づくと、ぱくんと外翼扉が開いて、中から小柄な杏萄絽偉童が、零れんばかりの笑顔で飛び出してきた。
「若旦那! お勤めご苦労様で御座います」
杏萄絽偉童は大きな碁盤のような顔に、太い八の字眉、垂れ下がった目尻に、にたにた笑いを浮かべた大きな口をしている。見ているだけで、笑いが浮かんでくる奇妙な表情をしている。
省吾は顔を顰めた。
「イッパチ! お勤めご苦労様とは何という言い草だね。まるで世之介坊っちゃんが、寄せ場帰りのように聞こえるじゃないか」
イッパチと呼ばれた杏萄絽偉童は、手元の扇子を額にぱちんと音を立てて当て、ひょっと首を竦めた。
「へへっ! 申し訳ねえこって! イッパチ、一生の不覚……」
「いいから、浮揚機に乗せておくれ。今頃は大旦那様が、お店にお帰りになっておられるころだ。大旦那様はお坊ちゃまとお会いになられるため、商談を急いで終わらせるおつもりだから」
省吾の言葉に世之介は驚いた。
「親爺が帰ってくるってのかい? 珍しいこともあるもんだ」
省吾は真面目な顔で頷いた。
「はい。大旦那様は、お坊ちゃまのご卒業後について、何かお心積もりがあると推察されます。大事なお話があると思いますので、お坊ちゃまもその御つもりで」
ちょっと世之介は身構えた。省吾の言葉には、何か引っ掛かるものを感じたのである。
世之介の父親は大旦那と呼ばれている。幕府のお役人との打ち合わせで、家にはほとんど席を暖める暇もなく、実際に顔を合わせるのも年に数度くらいだ。それが、わざわざ世之介の卒業式に合わせて帰ってくるというのは、何か魂胆がある。