第9話 お泊まり確定!
犬カフェを出たあとは、氷室の希望で雑貨屋をのぞいたり、カラオケで一緒に歌ったりして過ごした。
気がつけば空はすっかり暗くなっていて、デートはそろそろ終わりを迎えようとしていた。
正直、予想以上に楽しかった。
美味しいもんじゃ焼きを食べ、犬カフェで癒され、氷室たちと過ごす時間はあっという間に感じられた。
大手企業のお嬢様とデートなんて、最初は不安しかなかったけど。
結果的に、氷室も鈴木も終始楽しそうにしてくれていた。それがなによりだった。
「じゃあ、そろそろ俺は帰るよ。もう暗くなってきたしさ」
駅前まで戻ってきたところで、俺はそう切り出した。
……が。
「はあ? 何言ってるのよ、陽」
氷室がジト目でこちらを見上げる。
「あなた、今夜は私と寝るのよ」
「……え?」
思わず間抜けな声が漏れた。
「忘れたんですか?朝倉陽。あなたはお嬢様の抱き枕になりますと、もんじゃ屋で誓ったはずですよ」
隣の鈴木が、いつもの無表情でため息をつく。
いやいやいやいや、ちょっと待て。
「今日寝るのかよ!? いきなりすぎるだろ!」
「もちろん。今日一日で陽のことはだいたい分かったし。早く陽の抱き心地を試したいから」
「いやいや、親に何も言ってないし、さすがにいきなりは」
「あっ、そうね。それは確かに親御さんに悪いかも。じゃあ、今すぐ連絡しなさい」
「……あ、うん。分かった」
俺はスマホを取り出し、母親にメールを送った。
『女の子の家に泊まることになったんだけど、いい?』
『Good job^^』
メールを送ってから、ほんの数秒後。母から許可のメッセージが返ってきた。
ちなみにうちは門限という概念がない。深夜だろうが朝帰りだろうが、怒られることない自由な一家なのだ。
それにしても…………
俺は画面に映った「Good job」に眉をひそめた。
……何がグッジョブだよ。何が「よくやった」だ。
「その顔、問題なさそうですね」
横から鈴木が静かに言う。
「そうと決まれば、早く帰りましょ? 私、ちょっと疲れちゃったわ」
氷室がくるりと背を向けて、スカートをひるがえしながら歩き出す。
「帰ったらすぐに、お風呂の準備をいたします」
鈴木もそのあとを追いかける。
……女子の家に泊まるだけでもハードル高いのに、今夜は氷室と鈴木と寝る。
しかも、そのどっちも美少女って。
「……絶対寝られないだろ」
思わず漏らした呟きに、前を歩いていた氷室がぴたりと振り返る。
「陽! 何突っ立ってるのよ。早く来なさい」
「あ……あぁ」
○○〇
駅前のにぎわいを抜けて、大通りを曲がると、そこに現れたのは。
「……うわ、すげえな……」
見上げた先には、まるで夜空に突き刺さるような高層タワーマンション。
照明がともり始めたガラス張りの外観は、まるでホテルのような雰囲気を醸していた。
「……ここに住んでんのか?」
「ええ」
「徒歩五分圏内に業務スーパーと百円ショップがございます。お嬢様が倹約家として生きるには、最適な立地条件です」
「いや………節約目的でここ……?」
周囲を見回してみる。
ここどう見ても富裕層の家だろ?
エントランスにはオートロックとコンシェルジュデスク。高級ホテル顔負けのセキュリティと設備が整っている。どう見ても庶民の住まいじゃない。
俺の戸惑いを察したのか、氷室はふうっと小さくため息を漏らした。
「本当はもっと安いマンションでもよかったの。でも、まゆがうるさくてね」
「当然です。お嬢様は日本を代表する氷室グループのご令嬢なのですよ?節約の心構えは素晴らしいですが、ある程度の品格も必要不可欠です。それに、このマンションはお嬢様のお父様の所有物です。家賃も光熱費も無料、管理費ゼロで暮らせるのであれば、お嬢様にとって、これほど理想的な物件はありません」
「でも私、本当はもっと古くて狭い家に住みたいのよ。あのアパートがよかったわ。築五十年、木造二階建て、トタン屋根のあの感じ……理想だったのに」
「却下です。虫が出る、風呂場のタイルはカビだらけ、幽霊が出そうな雰囲気のあのアパートはお嬢様にふさわしくありません。それに、私が同居をお断りします」
「……ただ単にお前が住みたくないだけじゃないの?」
「何か文句でも?」
「……なんでもありません」
俺が独り言を呟くと、それが鈴木の耳に届いていたみたいで睨まれてしまった。
エレベーターで最上階へ。
静かに開いたドアの先、案内されたのは角部屋だった。
「ここが、私の家よ。今はまゆとふたりで住んでるの」
ドアが開かれると、ふわりとやわらかな木の香りが鼻をくすぐった。
中は想像していたより、ずっと普通だった。
確かに広くてきれいだけど、家具は必要最小限。装飾品らしいものはひとつもない。
部屋の隅には百均グッズで作ったらしき整理棚があり、キッチンのカウンターには手作りの麦茶と、割引シールの貼られたお惣菜パックが並んでいる。
「中は……なんか普通……っていうか、無駄なものがないな」
「浪費は嫌いなの。余計な装飾品を買うお金があったら、もんじゃを食べた方が有意義でしょ」
氷室は当然のように言って、麦茶のポットを手に取り、コップに注いだ。
その隣では、鈴木がペンを走らせている。よく見ると、それは家計簿だった。
もんじゃ屋、犬カフェ、カラオケ、今日の出費が細かく記されている。
豪華な外観と、節約主義の生活。
見事にギャップが成立している。
「ま、座ってて。私お風呂入ってくるわ」
そう言って、氷室はふわりとバスルームの方へ歩いていく。
家計簿を閉じると、鈴木がこちらを見た。
「朝倉陽、入浴はお嬢様のあとにしてください。浴槽の温度は41度に設定しています。ぬるかったら自分で温度を上げてください。あと黄色いシャンプーはお嬢様専用ですので使用は厳禁です。以前、私が勝手に使って怒られました」
「わ、わかった……」
俺はソファに腰を下ろし、鈴木の話を聞いていると、氷室がひょっこり顔を出す。
「ねぇ、まゆ。早く入りましょ」
「はい。お嬢様の背中、きっちりお流しします」
鈴木が静かに立ち上がり、氷室の横に並ぶ。
「えっ、ふたりで入んの?」
「まゆは私のメイドなんだから。一緒に入るのは当然でしょ?」
氷室はさらっと言ってのけて、バスルームへと向かおうとする。その直前、ふと振り返って、にやりと笑った。
「……のぞいちゃダメよ?」
「のぞかねーよ!!」
俺の全力ツッコミを背に、ふたりは楽しげにバスルームへと消えていった。
しばらくして風呂場の方から聞こえてくる声が、やけに楽しそうだった。
「まゆ、相変わらず大きいわね。羨ましい」
「ただの邪魔な肉です」
……聞こえてんだけど。
俺は天井を見上げて、大きく息を吐いた。
大丈夫か……俺の理性……?




