第8話 わん!わん!わん!
もんじゃ焼きを平らげた俺たちは、満足感とともに店を後にした。
……うまかった。氷室セレクトとは思えないほど庶民派な味だったが、正直、あれは当たりだった。
「次は、陽が行きたい場所に行きましょうか!」
店を出たところで、氷室がすっと俺に向き直る。
「え、あー……俺?」
やべえ。
もんじゃを食いながら考えようと思っていたが、氷室たちとの話が意外と盛り上がったため、全然こっちのプランは白紙だ。
何か気の利いた場所を……と焦りつつ周囲を見回していると、ふと気づいた。
さっきから、鈴木の視線がずっとある方向に向いている。
道端ですれ違った犬。
ペットショップのショーウィンドウ。
犬、犬、犬。
無表情を貫きながら、犬を凝視している。
……こいつ、もしかして……
──その瞬間、ひとつの場所が脳裏に浮かんだ。
「……まぁ、ここでいいか。ここから近いし」
俺はスマホを取り出して目的地をナビに入力する。
* * *
商店街を抜けた先。
少し奥まった通りに佇む、小さな店の前で俺たちは足を止めた。
「ドッグカフェ MofuMofu?」
氷室が首を傾げながら、控えめな看板を見上げる。
「犬カフェ? ……意外ね。陽って犬好きだったの?」
「まぁ……まぁな」
本当は鈴木が犬に興味津々だったから、なんとなく来ただけなんだけど。
俺も嫌いじゃないし、別に嘘ってわけじゃない。
「……まったく、子供ですね」
鈴木がポツリと呟いた。
相変わらず表情は変わらない。けれど、その手元は明らかに落ち着きなくスカートの裾をいじってるし、つま先は地味に内股でそわそわしてる。
おいおい、めちゃくちゃ嬉しそうじゃねぇか。
「そ、そうか。じゃ、別のとこにするか?」
「なりません!」
鈴木が声を上げた。
珍しく、抑揚のある返事。しかも、目がうっすらキラキラしてる。
「こ、子供っぽいですが……特別に許可しましょう」
「……もし犬嫌いだったら悪いだろ?」
「問題ありません。お嬢様も私も、犬アレルギーとかはありませんし、犬に対して恐怖心はありません」
「でも……」
「それに犬とのふれあいは、お嬢様の精神衛生上、極めて有益です。お嬢様の心身におけるストレス緩和、幸福度上昇、自己肯定感の向上など、あらゆる角度から見て、マイナス要素は一つもありません」
……こいつ、めっちゃ犬好きだったんだな
犬の魅力を早口で語る鈴木。視線はもう店のガラス越しにいるトイプードルに釘付けだ。
「お嬢様、こちらでもよろしいでしょうか?」
「えぇ、別に構わないわよ」
氷室が軽くうなずいたその瞬間、鈴木の口元がほんのわずかに緩んだ……気がした。
「ありがとうございます。朝倉陽。お嬢様の承諾をいただきましたので、この店にしましょう。寛大なお嬢様に、感謝することですね」
「お、おう……」
「となれば、早く行きましょう」
いつもなら一定速度で歩く鈴木が、少しだけ小走りになった。
その背中を見ながら、俺は思った。
もしこいつに犬みたいなしっぽが生えてたら、絶対、ブンブン振ってるな。
○○〇
『ドッグカフェ MofuMofu』の扉を開けると、店内には柔らかな照明と甘いおやつの香り、そして小型犬たちの楽しげな鳴き声が満ちていた。
トイプードル、チワワ、ミニチュアダックス……
十数匹の犬たちが、カフェスペースのあちこちでくつろいでいる。
「いらっしゃいませ〜。お好きな席へどうぞ〜」
店員さんに案内されて、俺たちは窓際の席に腰を下ろす。
「メニューをお持ちしますね。わんちゃん用のおやつもご注文できますので、ご希望あればどうぞ」
俺と氷室が「じゃあウーロン茶で」とか「私はハーブティーを」とか普通に注文している間、鈴木はじっと犬たちを見つめていた。
「……まゆ」
「はい」
相変わらず声のトーンは平坦だが、さっきから様子がおかしい。椅子に座ってるはずなのに、微妙に前のめり気味で、手が膝の上でそわそわ動いている。
そしてその視線の先では、クリーム色のポメラニアンが、床の上でコロンと寝転がっていた。
「触りたいなら、行っていいわよ」
「……っ」
鈴木の肩が、ぴくりと動いた。
「ほ、ほ、本当に、よろしいのでしょうか……?」
声がほんの少し震えていた。
抑えきれない気持ちが、にじみ出ていた。
「せっかくお金払って犬カフェに来てるんですもの。思う存分楽しまないと損だわ。それにあの子触ってほしんじゃない?尻尾ふってるし」
「……承知いたしました。」
そう呟いた鈴木は、そろりと席を立った。
床にしゃがみこみ、恐る恐る手を差し出す。
犬がくんくんと匂いを嗅ぎ、次の瞬間──ぺろっと舐めた。
「…………っ」
鈴木の目が見開き、ふっと表情が緩む。
こんな顔、初めて見た。
「……やわらかい……あったかい……ちいさい……すばらしい……」
口元が緩み、目尻がふわっと下がり、優しい笑みが浮かぶ。
「よしよし……いい子ですね……ワンワン♪……」
「……あいつ、キャラ壊れてないか?」
「あの子、犬と接するとき、だいたいああなるのよ」
氷室がハーブティーを飲みながら、さらっと暴露してきた。
鈴木は、ぴたりと顔を犬に近づけて、目を細めて撫で続けている。
その表情は、いつもの無表情とはまるで違っていて──
まるで、別人みたいだった。
「お前……めちゃくちゃ犬好きだな」
「っ……! ……いえ、別に」
ぴくりと肩が跳ね、慌てたように顔を引き締め直す。
「先ほど、お嬢様から思う存分楽しめとの命を受けたので、それに従っているだけです。……べ、別に、犬など……」
そのとき、鈴木の膝に乗っていた犬が、くーんと悲しそうな声を出した。
「……っ、ごめんね。うそ、うそです。あなたのこと……その、だ、大好きです……」
鈴木は小声でそう呟き、再び犬を撫でる。
が──そこで俺と目が合った。
「……なに見てるんですか。あっち行ってください。5秒以内に視界から消えなければ、拘束しますよ」
「怖ぇよ」
口調は静かでも、目がマジだった。
……でも、耳までほんのり赤くなってるのは、見逃さなかった。




